日本三大酷道の一角「ヨサク国道」を走って、道の駅「大杉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事△設備△立地○) 

およそ国道とは思えない、あまりに通行困難な国道には、「酷道」という漢字が当てられます。中でも走った誰もが何度か身の危険を感じる通行困難を極める3つの国道が、いつしか「日本三大酷道」に登り詰め?これらの存在は、マニアックなドライバーなら知らぬものはいないでしょう。 その一つは国道425号(三重県尾鷲市から和歌山県御坊市に至る一般国道)、二つ目が国道418号(福井県大野市から長野県飯田市に至る一般国道 […]

「湯の川温泉」で全身浴のち、道の駅「湯の川」で仮眠と足湯(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

「火の山の ふもとの湯こそ 恋しけれ 身をこがしても 妻とならめや」 神代の昔、出雲からやってきた大国の主命と恋に落ちた稲羽の国(八上姫)は、主命にスセリヒメというお妃があることを知らず、国に帰られた主命を慕って旅に出ました。出雲の入り海(宍道湖)を船で進まれた八上姫は、南の山の谷あいに湯気が立ち上がっているのを見つけます。 気になって船を降り、近づいてみますと、そこには岩の間からこんこんと湯が湧 […]

日本の至宝「米子城」を潰したアホを許して米子城跡と道の駅「あらエッサ」へ(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

米子城は、戦国時代末期の天正19年(1591)頃、毛利一族の吉川広家が築城を開始するも、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い後、広家は国替えを命じられ岩国へ。逆に関ヶ原の戦いで軍功が認められた駿河の国の中村一忠がこの地・米子を治める伯耆国18万石の領主に選ばれて赴任。城慶長7年(1602)、湊山の山頂に五重の天守閣と四重の副天守閣(四重櫓)を持ち「山陰随一の名城」と称された壮麗な米子城を完成させまし […]

道の駅「しおのえ」から「イクサ酷道」を南下して宍喰温泉へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地◎) 

全国にはおよそ「国道」という名称にそぐわないような、細くて狭い、そして荒れた国道が稀に存在します。このような酷い状態の国道は「酷道」と漢字を当てられ、私のようにそれを好んで走る変わり者も一定数いるのですが、四国の内陸部はその“宝庫”です。 四国の酷道として最も有名なのは、徳島県から四国山地を横断し高知県に至る総延長約350kmの国道439号、通称「ヨサク」。路線が恐ろしく長いのに酷道区間多すぎ、2 […]

「大久保諶之丞」がつくりし道を走って、生誕の地「たからだの里さいた」の露天風呂へ(トイレ△仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

「笑わしゃんすな百年先は 財田の川から川舟出して 月の世界へ行き来する」。 これは、大久保諶之丞が雄大な将来を歌った都々逸です。 道の駅を止まり木に、日本全国を旅していますと、私たちはこの国を縦横無尽に走る道路を当たり前のように利用させていただいているのですが、せめてこれらをつくた先人の尽力を知って感謝することを忘れてはならないと思います。 長い間、狭く険しい山道だけしかなく、そのため経済や文化の […]

道の駅「日和佐」にもウミガメの「大浜海岸」にも南海トラフ来るな(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

2025年、明けまして、日本に大地震が起こりませんように。 日本周辺で発生する地震は「海溝型地震」と「陸域の浅い地震」に大別され、前者は「プレート境界の地震」と「沈み込むプレート内の地震(スラブ内地震)に、後者は「活断層による地震」と「活断層以外の地震」とに分かれ、これら4種類の地震が繰り返し起こってきました。 1年前の元旦に起こった能登半島地震は、内陸の活断層が上下方向に動いた「逆断層型の内陸地 […]

道の駅「貞光ゆうゆう館」からうだつの街並みを歩いて「貞光劇場」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地◎) 

成人映画館、あるいはポルノ映画館、かつては大人の娯楽の殿堂だったが、今や絶滅危惧種、日本各地で風前の灯火となっています。四国で頑張っていた「貞光劇場」も、ついに力尽きて2011年に閉館しました。貞光劇場は1932年に建てられ、のちに映画館に転じて、徳島県最古の現役の映画館として活躍しました。窓やエントランスなど凝った造りで、閉館して13年が経ちますが、今でも廃墟マニアが訪れているようです。 私は歴 […]

道の駅「三野」から、信長に先んじた天下人「三好長慶」生誕の地へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備△立地○) 

「三好長慶」(みよしながよし)は、1522年(大永2年)から1564年(永禄7年)まで43年間を生きた戦国武将です。短い人生でしたが、織田信長よりも先に、「天下人」に近づきました。畿内(大阪・京都・奈良を中心とする関西地域)全域の実権を手中に収め、管領(将軍の補佐役)であった細川晴元と室町幕府第13代将軍・足利義輝を京都から追放するという鮮烈な下剋上をやってのけ、実質上の最高権力者へと登り詰めたの […]

「兵庫県立図書館@明石公園」は高1から50年間通う私的聖地。その現在地と未来図は? 

兵庫県立図書館は、昭和4(1929)年に設置された「兵庫県巡回文庫」により始まり、県下全域の文化の発展を図るという役割を引き継いで、明石公園内に昭和49(1974)年に開館しました。それは私が16歳、明石高校1年生の時。我が家が引っ越して「通学路」が随分長くなった、なんとそのタイミングでちょうど通学路の中間点に立派な図書館が現れたのです。登校はバス、下校は図書館に寄るために徒歩という新しい通学スタ […]

源義経で有名な道の駅「竜王かがみの里」から「観音寺城の戦い」へ(トイレ△仮眠△休憩○景観△食事△設備○立地○) 

「観音寺城の戦い」は、何度もありました。まずは「応仁の乱」のとき。観音寺城をめぐり3度にわたって攻城戦が展開されました。応仁2年(1468)の2度にわたる「第一次・第二次観音寺城の戦い」は、いずれも六角高頼が居城とした観音寺城は京極氏に攻められて開城または落城。近江守護を解任された六角高頼は、翌年には観音寺城を修築して再防備を行い、「第三次観音寺城の戦い」では今度は京極軍を撃退。リベンジに成功して […]

道の駅「南国 風良里」から徒歩で「紀貫之邸跡」「土佐国衙跡」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

わが国最初の仮名日記として著名な『土佐日記』。今から1,100年近く前、承平4年(934年)12月21日に紀貫之が土佐から都に戻るため55日間にもおよぶ旅に出流のですが、その旅路を彼が日記にしたためたものです。ちょうど今日12月27日は、貫行らの旅の一行が冬の海に漕ぎ出した、まさにその日です。 「男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとてするなり(男の人が書くという日記というものを、女で […]

道の駅「塩津海道 あぢかまの里」にて「光る君へ」再放送?(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

『光る君へ』は、2024年1月7日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第63作。平安時代中期の貴族社会を舞台に、世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』を執筆した紫式部の生涯を描きました。主人公の紫式部は、長徳2年(996年)に父・藤原為時が越前武生の国守に赴任することになり父とともに越前に向かいますが、その道のりは「塩津海道」。塩津浜を経由して敦賀を目指しました。 式部は道中のさまざま […]

道の駅「アグリの里 栗東」のすぐ東側「天保義民碑」へ(トイレ△仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

令和の米騒動とも騒がれた、今年起きた米不足。いまあらゆるモノの価格が上昇していますが、米の値上がりとその根本原因となる米不足は、私にはかなり深刻な事態に思えます。現在の米不足の原因として、海外客による日本食のインバウンド需要の急激な増加といった微少な要因も語られますが、根本原因は「異常気象」です。 米どころの北・東日本では春~秋の季節平均気温が3季連続でかつてなかった高温となり、新潟県や秋田県など […]

道の駅「やす」で触れた「夜須町」の過去・現在・未来(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

夜須町は高知市の西約20kmに位置する人口5,000人弱の小さな町で、高知県のほぼ中央に位置し、三方を山に囲まれて南北に細長い地形を形成し、町の中央を流れる夜須川流域に穀倉地帯が広がります。2006年3月に赤岡町、香我美町、野市町、吉川村と合併して香南市となりました。 尼ヶ森城は、この夜須町の夜須川上流(北北東)に向かって数キロ歩いた山の上に立つかなり規模の大きな山城です。上夜須の集落の東方にそび […]

残存する「山家陣屋跡」と、「和知黒不作」「駅乱立」で存続危うい道の駅「和」(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○)  

丹波・山家城は、京都府綾部市広瀬町、標高は236m、比高130mに立つ山城で、甲ヶ峰城とも呼ばれています。築城は1563年、和久義国によるとされます。和久義国は丹波・横山城主だった塩見頼勝の4男で、和久左衛門佐という通称で呼ばれていたため、山家城には左衛門屋敷という別名も存在します。本貫は、福知山の和久城。山家城はその支城です。 その支城にわざわざ行こうと思った理由は3つあります。まず一つ目の理由 […]

道の駅「キラメッセ室戸」から、「吉良川町」の歴史探訪へ(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観◎食事△設備△立地○) 

高知県南東部に角の様に張り出す室戸岬。 その室戸岬から約10キロ北西に進んだ所に、道の駅「キラメッセ室戸」があります。 道の駅の名前あるキラメッセの「キラ」とは「吉良川」のことで、江戸、明治、大正の街並みを残す吉良川町に由来します。今回の旅の私の目的地も、もちろんそこ。未明に着いてしまいそうだったので、少し仮眠したく、道の駅「キラメッセ室戸」に立ち寄ったのです。 暗いうちに仮眠を始め、目が覚めると […]

「M-1」20歳、さて余命やいかに?

リクルートの先輩・杉阪隆司さんや、芸大の後輩・河原有伽ちゃんをはじめ、友人知人の何人もが予選に参加し、史上最多1万330組の漫才コンビがエントリーして競い合った今年のM-1が終わりました。エントリー数だけでいけば、まだ成長を続けているようです。 今年の優勝者は「令和ロマン」。史上初の「連覇」でしたね。私はそれより司会の上戸彩ちゃんに萌えました。なんて可愛いんだろう。今田耕司の生放送をものともしない […]

「脇城」と「脇町」の歴史を、道の駅「藍ランドうだつ」で振り返る(トイレ○仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備△立地○) 

「脇城」は、徳島県美馬市にあった城郭です。地形が虎が伏せているように見えることから虎伏城とも呼ばれます。『異本阿波志』によると、戦国時代初期に、脇権守という人物が居館を構えたのが脇城の始まりであるとのことです。 その後、三好長慶は父・元長が堺の顕本寺で一向一揆に攻め殺されて、領国阿波に雌伏していましたが、天文二年(1533)に脇城を築城し、三河守兼則に守らせました。『脇町誌』によれば、この三河守兼 […]

「信長」の勝手な怒りで虐殺された「伊賀者」の怨念を道の駅「宇陀路室生」で感じた(トイレ△仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地○)

浅井・朝倉氏や伊勢長島の一向一揆などを相次いで滅ぼした織田信長は、1581(天正9)年、伊賀国(現在の三重県伊賀市と名張市)に侵攻します。 伊賀は山に囲まれた小さな国で、束ねる大名もおらず、隣国からの支配もされず、小さな土豪が割拠していました。「伊賀中世城館調査会」によると、600以上の城館があったとされますが、情報収集能力を買われて他国の雇い兵となる者が多く、彼らは伊賀者(忍者)と呼ばれました。 […]

インスタ映え「園部城もどき」の史実錯誤に、道の駅「京都新光悦村」で憤る(トイレ△仮眠○休憩△景観△食事△設備△立地○)

園部城は、園部公園内の案内図にある「こむぎ山」と書かれた所にあった山城でした。室町時代から戦国末期、ここ園部は、織田信長に抵抗して最後は磔にされる丹波八上城主・波多野氏の勢力圏であり、家臣の荒木山城守氏綱が居城とした園部城があったのです(冒頭の画像は荒木氏の「抱き牡丹」紋)。ちなみにこの場所は現在は山頂の本丸跡に戦関連の碑があるものの植物園になっていて、これといった遺構はありません。 天正6年(1 […]