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2025年4月

上杉景虎が自害して果てた「鮫ヶ尾城」から、2km南のデカすぎる道の駅「あらい」へ(トイレ✖️仮眠✖️休憩△景観△食事○設備△立地○) 

鮫ヶ尾城は、上杉謙信の急死後の後継者争いで勃発した「御館の乱」の際に、敗れた上杉景虎が自害して果てた城として知られている。 この城は、川中島合戦を通して北信濃に勢力を拡大してきた武田信玄の動きに備えた上杉方の拠点山城の一つであったが、意外にも「鮫ヶ尾城」の名は上杉謙信死後に勃発した家督争いである御館の乱にて上杉景虎の書状内においてのみ、記録にあらわれる。それによれば、城将は堀江宗親という卑劣な人物 […]

「雪の大谷」「黒部ダム」と、道の駅「KOKO黒部」とは、挟む山が高すぎて別物(トイレ◎仮眠△休憩◎景観○食事◎設備◎立地○) 

連日メディアは「大谷、大谷」と騒がしい。そこに大型連休入りして「雪の大谷」が加わって、さらに「大谷」が騒がしい。北アルプス・立山を貫く観光路「立山黒部アルペンルート」の最高地点、標高約2,450メートルにある富山県室堂駅から徒歩5分にある大谷は、吹きだまりのため積雪が多く、今年は高さ16メートルだが20メートルを超える年もある。 この大谷を通る立山有料道路に積もった雪を除雪してできるのが、ご存じ「 […]

冬と春が交錯して織りなす「十日町」の絶景へ、道の駅「まつだいふるさと会館」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

米どころとして有名な新潟には棚田も多い。 十日町市には特にたくさんの棚田があって美しい田園風景の宝庫なのだが、春の訪れは棚田の標高や地形でまちまちだ。同じ十日町でも、ずいぶん残雪の状態が異なるのだ。残雪どころか寒波が戻ってきて天候が悪化すれば、また冬に逆戻りするようにも感じるところすらある。 まず、令和4年2月に農林水産省より棚田地域の振興に関する取組が評価され、優良な棚田として「つなぐ棚田遺産~ […]

人間の切実な苦悩を俳句にして詠んだ小林一茶の故郷を訪ね、道の駅「しなの」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○) 

小林一茶は江戸時代後期の俳人。 松尾芭蕉、与謝蕪村と並んで、江戸時代を代表する三大俳人の一人とされている。一茶が生涯に詠んだ俳句は、現存する数で一茶は2万句以上ある。ちなみに松尾芭蕉は約1千句、与謝蕪村は約3千句だから、圧倒的に多い。一茶の有名な俳句には「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」「名月をとつてくれろと泣子(なくこ)哉(かな)」「雪とけて村一ぱいの子ども哉(かな)」などがある。 小林一茶は […]

春の「白馬」もそれなりだったが、やはり雪が魅力。道の駅「白馬」にてスキーカムバックを決意。(トイレ○仮眠△休憩△景観○食事△設備△立地○) 

二人の子どもがそれぞれそれなりに健全に成長し、つまり家族でのスキー旅行よりも友達との時間を優先するようになった2010年に、私はスキーをやめた。 もうスキーはしないだろうと思っていたので、軽い気持ちで春の「白馬」に出かけた。今この一帯は、“HAKUBA VALLEY”と呼ばれているらしい。 “HAKUBA VALLEY”とは長野県北部の北アルプス山麓に位置する白馬村/ 小谷村/ 大町市の総称で、雄 […]

3つもの「世界遺産」がある「美濃町」の春を満喫し、道の駅「美濃にわか茶屋」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地◎) 

驚くべきことに、美濃市には、なんと3つの「世界遺産」がある。本美濃紙の手すき技術、世界農業遺産「清流長良川の鮎」、そして世界かんがい施設遺産「曽代用水」である。まず「本美濃紙の手すき技術」とは、岐阜県美濃市で古くから伝わる和紙の製造技術。 楮の繊維を使い、特別な道具と製法で、薄くても丈夫で、ムラのない美しい和紙を漉き上げるこの技術が2014年に「ユネスコ無形文化遺産」に登録された。このことはちゃん […]

「春日街道」直線快適ドライブのち「みはらしの湯」からの、最強の道の駅「大芝高原」(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎) 

伊那市は長野県の南部に位置し、東に3000メートル級の甲斐駒ケ岳、北岳等が連なる南アルプスを、西に木曽駒ケ岳等の中央アルプスに抱かれて肥沃な高原が広がり、市の中央部に天竜川が流れている。 これらの河川に沿って美しい河岸段丘が形成されており、スピード出せるが通行料も取られる中央自動車道から外れて、表情豊かな美しい光景を見ながら一般道を、あくまで安全運転で疾走するのはなかなか楽しいものだ。 とりわけ「 […]

飯田城址で「桜丸の夫婦桜」が植えられた頃の動乱を思いつつ、道の駅「南信州とよおかマルシェ」へ(トイレ◎仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

飯田城は、室町時代この地方の豪族であった坂西(ばんざい)氏が築いたといわれており、その後武田氏や徳川氏などが下伊那支配の拠点として整備し、毛利氏など織豊系の大名が三ノ丸まで広げて城下町を造った。 戦国時代末期には伊那谷南部支配の拠点として覇権争奪の舞台となったが、下伊那地域では江戸時代まで残ったただ一つの城である。 飯田城址に咲く「桜丸の夫婦桜」だが、この木が植えられたと思われる400年余り前。 […]

JR高山本線を走る特急「ひだ」を眺めながら、飛騨川畔の道の駅「美濃白川」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事△設備◎立地○) 

高山本線は、岐阜県岐阜市の岐阜駅から富山県富山市の富山駅に至る、総延長225.8 kmの鉄道路線(地方交通線)である。 高山本線は、飛騨高地の山間を通って中京と北陸を結んでいる(岐阜-猪谷間はJR東海、猪谷-富山間はJR西日本の管轄)が、実は中京から北陸へのアクセスは北陸本線の方が速い。なので、高山本線はもっぱら中京もしくは北陸から「飛騨地方」へのアクセス路線として利用されているようだ。 […]

「東濃ひのき」の主産地「東白川村」から清流「白川」を下流に走って、道の駅「クオーレふれあいの里」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事△設備◎立地△) 

朝もやを切り裂くように東の尾根から朝日が差し込み、山にはシカ、サル、イノシシ、リスが、川にはアユ、アマゴ、イワナなどの水生生物たちが豊かに棲む東白川村。 岐阜県の東部の深い山林の中にある人口2,000人余りの小さな村だ。 明治初年、新政府による神仏分離令に端を発した廃仏毀釈運動で仏教建造物のほとんどが破壊されて以降、この村においてはなんらの再建がなされなかったために、全国でも珍しい「お寺のない村」 […]

徳川家康ゆかりの「鳳来寺」「鳳来山東照宮」がある「鳳来寺山」から、道の駅「したら」へ(トイレ◎仮眠○休憩○景観○食事○設備◎立地△) 

鳳来寺山は、今から1500万年以前の大昔、火山活動により誕生した。流紋岩などから成る極めて変化に富んだ岩山に桐・杉の大木が生い茂る神秘的な山で、スタジオジブリの映画「もののけ姫」では、この森の中で収録された音が使われている。 古来奥三河の山岳修験道の霊山として信仰され、勝岳山、桐生山、霧生山、煙巌山とも呼ばれてきたが、現在では鳳来寺山という呼ばれ方が定着しているようだ。 標高は695m。 山全体が […]

多才という言葉がピッタリ。渡辺崋山の生と死の地へ、道の駅「田原めっくんはうす」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○) 

渡辺崋山は、寛政5年(1793)9月16日、江戸半蔵門外、田原藩上屋敷裏門脇の長屋で生まれた。 当時、父は留守居添役仮取次で15人扶持の給料をもらっていたが、財政難の田原藩は家臣の減給を行っており、渡辺家は11名も家族がいて特に貧しく、幼い弟妹たちを奉公に出さなければならなかったため崋山は貧しさを救うために絵を描く内職をしながら学問に励んだ。 12才の崋山は、「日本橋の暴辱」から志を立て、徂徠学派 […]

私が最も好きな戦国武将「馬場信春」の墓へ。道の駅「つくで手作り村」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地△) 

馬場信春(信房)は、約800人ほどの軍団を引き連れて長篠・設楽原の合戦の参戦した。運命の天正3年(1575)5月19日、武田勝頼の医王寺山本陣の軍議で、馬場信房は決戦回避を主張したが果たせず、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次 らと大通寺本堂の裏手にある盃井戸の水で訣別の盃を交わし出陣して行ったという。 回避したかった設楽原の戦いで、彼の危惧通り武田軍は大敗したが、総崩れした武田勝頼を守り、撤退の殿(し […]

長篠の戦いがあった場所、そして家康ゆかりの満光寺へ。道の駅「鳳来三河三石」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観△食事△設備△立地○) 

巨匠黒澤明による1980年に公開された映画『影武者』をご覧になったことはあるだろうか。 そのクライマックスで描かれたシーンが、天正3(1575)年に行われた「長篠の戦い」だ。 果てしない荒野を土煙とともに敵陣へ疾走する武田騎馬隊の荘厳な姿は、まさに黒澤映画の真骨頂。現代ではしばしば用いられるCG技術に頼らず、膨大な数のエキストラを動員して構成された迫力の実写映像は、まさに圧巻だ。 長篠の戦いは、こ […]

桜咲く道の駅「奥大井音戯の郷」で、「SL」「アプト式鉄道」など川根本町の観光コンテンツを満喫(トイレ△仮眠✖️休憩○景観○食事△設備○立地△) 

川根本町は静岡県のちょうど中心あたり。町の中央には大井川がゆったりと流れ、茶畑や山々に囲まれた、自然がとても豊かでのんびりとした町だ。 人口は少なく産業的に注目を浴びることは少ないが、大井川がらみの観光資源は実に豊富だ。 吊り橋日本一の町として、大井川に架かる数多くの吊り橋は観光スポットとして多くの観光客を集めているし、大井川の支流・寸又川の渓流近く深い山々に抱かれた秘境の温泉「寸又峡温泉」は美肌 […]

道の駅「美並」から、「円空館」「弥勒寺」に「円空」の足跡を訪ねて(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

江戸時代の山林修行僧・円空は、愛知、岐阜を中心に関東、北陸、さらに北海道までを巡り、各地に木彫の神仏像いわゆる「円空仏」を多数残してきた。 修行の旅に生涯を捧げ、人々のために祈りを込めて仏を彫った円空は生涯に12万体の神仏を彫る誓願を立てたといわれ、飛神の剣のようにノミを振るい、神仏を彫り続けたというから、その生き様は私のような凡人には理解不能だ。 円空の彫刻は、材となる「樹木」に樹神の姿を求めて […]

「甌穴」の数や大きさにおいて日本を代表する「飛水峡」から、道の駅「ロックガーデンしちそう」」へ(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

飛騨川において白川町白川口から七宗町上麻生までの約12kmにわたり作る峡谷は飛水峡と呼ばれ、美濃帯堆積岩類のチャートと砂岩層からなる岩盤が深く削り込まれている。 その下流部約2kmの間は“ロックガーデン”と呼ばれ、通常の流路が深く削り込むことでその両側に硬いチャート層の岩盤が段丘状に広がっている。その岩盤上に大小さまざまな「甌穴(ポットホール)」群が形成されているが、その数は直径1m以上のものだけ […]

三十条を超す竪堀(臼の目堀)を構えていた「篠脇城」から、道の駅「古今伝授の里やまと」へ(トイレ○仮眠○△休憩○景観○食事◎設備◎立地△) 

篠脇城は、岐阜県郡上市大和町にあった山城である。 下総国の名門・千葉氏の一族であった東(とう)胤行は、承久の乱(1221)の戦功により郡上郡山田荘を加領され、阿千葉城を築いた。 鎌倉時代末期(1310年頃)、四代目・氏村が篠脇城に本拠を移し、その後、東氏は8代二百数十年にわたりここで領地を治めた。 東氏は代々歌道に優れていたが、中でも九代・常縁は古今集研究の第一人者だった。ご存知「古今和歌集」は日 […]

道の駅「安曇野松川」」からひたすら北上。「若一王子神社」と「仁科三湖」の桜へ(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

長野自動車道の安曇野ICから国道147号線を北に12キロ、その後、県道306号線を北に約1キロ、 長野県北部の松川村に道の駅「安曇野松川」がある。 松川村は手厚い移住政策によって、人口を増やしている自治体の一つだ。 一応「村」を名乗っているが人口は1万人を超え、人口要件的には「町」を名乗る資格を持っているようだ。 北西の方向には美しい北アルプスの山々を見ることができ、長寿、鈴虫でも有名。 道の駅の […]

ゆっくりするならここ。「うるぎ温泉 こまどりの湯」と、道の駅「南信州 うるぎ」(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備△立地△) 

写真は、観音堂の枝垂れ桜。 享保20年(1735)ごろに建立された観音堂の脇にそびえる。 樹齢は約140年と推定され、売木村内に現存する桜ではもっとも古い名木だ。 「うるぎ温泉 こまどりの湯は長野県の南端、下伊那郡売木村にある温泉施設だ。 ここは売木村。標高1000mを越えた小さな山あいの里にある村営の温泉「こまどりの湯」をいただきにきた。 里山の風景を眺めながら入る露天風呂はもう最高だ。というの […]