「まちゃ」は17歳で父を亡くし母を安心させるために就職したが、ジョンレノンの「Mother」にインスパイアされて東京に。

何を隠そう、ハゲを隠そう。私は、「まちゃ」こと福山雅治のファンである。俳優、ミュージシャンとしても好きだが、何よりもラジオパーソナリティとしての彼が大好きで、もう30年近く彼のラジオ番組を聞き逃したことはほぼないほど。 言わずと知れた『福山雅治のオールナイトニッポン』は大人気の番組だったし、1996年から担当してきた『福山雅治のSUZUKITalking F.M.』、それを2015年にタイトル変更 […]

「阿蘇パノラマライン」を「阿蘇山」の北麓から南麓へと縦走。道の駅「阿蘇」から(トイレ△仮眠✖️休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

日本の山で最初に外国の文献に記載されたのは、実は富士山ではない。阿蘇山である。 ただ、阿蘇山は富士山のような単体の山ではない。一般的には巨大なカルデラの中の活火山群(阿蘇五岳)の総称と定義されるが、広い意味では外輪山や火口原をも含めた呼び名である。 そうすると、つまり阿蘇五岳を中心とした中央部の山々とその周辺に広がる外輪山までを含めて阿蘇山であると定義すると、外輪山は南北約25km、東西約18km […]

あと12年、完全復旧まで見守るつもりの「熊本城」で進捗チェック。道の駅「通潤橋」から(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

2016年の熊本地震によって、私が大好きな熊本城の建造物は重要文化財13棟、復元・再建20棟のすべてが被災し、石垣は全体の3割に当たる約2万3600平方メートルが被害を受けた。 復旧は、2037年度までかかるという長い道のりとなったが、まず最優先されたのはやはり天守閣の復旧だった。 茶臼山全体を要塞化した城の最奥、一段高い所にそびえる天守閣は、大通りや市電、市役所など各所から眺められる街のシンボル […]

上司を囲んでのゴルフ旅行以来ほぼ40年ぶりの「霧島」へ。道の駅「霧島」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)

1980年代も後半になると、日本はバブル景気に浮かれ始めていた。私が社会人1年生の時からリクルート神戸で大変お世話になった上司・田中勝さんも、バブルの中心として無尽蔵にビジネスチャンスが拡大する東京へと引っ張られた。田中勝さんを慕う私たちは、転勤されても1年に1度ぐらいはお会いしたいと願い、田中さんへの感謝を込めて「39(サンキュー)会」という同窓会を立ち上げた。当時は社会人としてのたしなみ?の一 […]

終戦80年のご報告をするべく6度目の「知覧」へ。道の駅「川辺やすらぎの里」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○)

鹿児島県南九州市知覧町の名産はお茶で、広大な茶畑が広がり、約1万3000人の人々が暮らす「薩摩の小京都」である。 そんな平和な案内ができるようになったのは、もちろん先人の犠牲あってのことなのである。 ちょうど80年前に太平洋戦争が終わったが、その直前の知覧町は、太平洋戦争の末期に旧陸軍の特攻基地が置かれ、若き特攻隊員たちが戦地に飛び立つ場所だった。すなわち旧陸軍の特攻隊員の出撃地であった「知覧基地 […]

「カシオワールドオープン」開催地として25年間沸きに沸いた「いぶすき」へ。道の駅「山川港活お海道」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地○)

カシオワールドオープンゴルフトーナメント(CASIO WORLD OPEN)は、1981年から毎年11月第4週に開催されるゴルフ男子ツアーとして45年の歴史を積み重ねてきた。 海外のビッグネームが参戦して話題を呼ぶインターナショナルなトーナメントとして人気があったし、優勝賞金も高額ゆえにツアー最終盤での賞金王争いの最後の山場ともなってきた。現在はKochi黒潮CCがその舞台となっているが、2005 […]

「別府温泉」で梯子酒。風呂上がりに一軒目が良いと酔いが回るw。道の駅「佐賀関」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地◎)

今回の九州旅、最初の夜は別府温泉だ。 いわゆる別府八湯のなかで、別府駅を中心とするあたりが別府温泉群。ここで最初の一夜を過ごすことにした私は、まず、地元で大人気の公営温泉「竹瓦温泉」へ。 別府にはホテルや旅館が立ち並び、数多くの温泉があるが、そのなかで別府市営の共同湯「竹瓦温泉」は、歴史の古さや泉質、さらに重厚な建築、周辺の雰囲気などで別府八湯のシンボル的存在だ。 竹瓦温泉は明治12年(1879) […]

愛媛県最西端から九州を眺め発作的に「佐賀関」へ。道の駅「佐田岬半島ミュージアム」から(トイレ△仮眠△休憩△景観◎食事△設備○立地○)

2025年も最後の月に入った。数日前だったか、すっかり恒例となった新語・流行語大賞が発表され、その一つに「二季」が選ばれ、改めて話題となった。 四季のうち春と秋が駆け足になり、実感としては夏と冬の二つしかない―ということらしいが。 ただ、旅人の私としては、そんな実感はまるでない。今年の場合、9月に北海道に入って秋を満喫してから、本州を次第に南下。東日本一帯の秋を、10月、11月と楽しんだ。 これだ […]

信長親子が非道な虐殺の限りを尽くした「天正伊賀の乱」へ。道の駅「いが」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地◎)

大規模な殺戮をした日本人といえば、織田信長だろう。 自分が手にかけた人数はどうだかわからないが、戦だけでなく越前や伊勢の一向一揆討伐などを含め、指示して殺させた人の数で言えば、織田信長こそはおそらく日本史上で最もたくさんの人を殺した男ではないだろうか。 そんな父親を持つ次男の信雄もまた、なんらの罪のない村人や僧侶、数万の人々を惨殺した。「天正伊賀の乱」などと言われるが、勝手に攻め込んだのは信雄。支 […]

母国が侵攻され日本に来た18歳の青年が異国の国技で優勝。道の駅「関宿」で祝杯(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備△立地○)

ロシアがウクライナ侵攻を開始したのは2022年2月24日。この侵攻をきっかけに、ウクライナ中部ビンニツァで生まれ育った18歳のレスリング選手が日本にいた友人を頼って母国を離れ、2022年春から関西大相撲部で相撲の稽古を始めた。 そして12月には、安治川部屋に研修生として入門。 翌2023年秋場所で初土俵、そして今日、見事初優勝と大関昇進を決めた。 久しぶりに正統派の本当に強い力士「安青錦」が彗星の […]

稲葉良通の「頑固一徹」は、教養と信念を貫いた生き様。道の駅「パレットピアおおの」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○)

「頑固一徹」という言葉を耳にしたことはあるだろう。 私たちの世代なら、巨人の星の、「星一徹」。そして「一徹」を名乗る飲食店は、ラーメン店、鉄板焼き、居酒屋等々たくさんあるが、その語源、元祖「一徹」こそは、稲葉一鉄である。 稲葉一鉄はあの織田信長が一目置き、敬意をもって接した武将として知られるが、彼のその生き様に大きな影響を与えたのは、幼少時に接した二人。祖父と、快川紹喜だ。 一鉄の祖父は伊予国(現 […]

堂洞合戦、関・加治田合戦からの加治田・兼山合戦へ。道の駅「半布里の郷とみか」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○)

富加町というのは1954年に旧富田村と旧加治田村が合併してできた中濃の小さな町だが、どちらの町も、460年前に織田信長に踏み躙られた悲惨な歴史がある。永禄8年(1565)、織田信長は関・加治田・堂洞の中濃三城を制圧するため、現在の富加町(冒頭写真)に攻め込んだのだ。 岐阜城から10Kmあまり東の犬山城をまず攻略した信長は、木曽川を渡った。信長が北上して侵攻しようとした中濃では、関・加治田・堂洞の三 […]

300が7,000を撃退した妻籠城趾、家康が中山道に設けた妻籠宿へ。道の駅「賤母」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事○設備○立地○)

木曽氏は、南北朝の争乱期に足利尊氏に従って戦功をあげ、大吉祖荘(木曾谷北部)を与えられた。その木曽氏が、木曾谷南部にまで勢力を拡大した際に、南の「抑え」として築いたと言われるのが「妻籠城」である。 木曽氏は、15世紀中頃には木曾谷全域の支配を確立していたものと見られ、国人領主として発展。戦国期には村上、小笠原、諏訪の各氏と並んで信濃四大将と呼ばれていた。 木曽氏はその後、天文24年(1555)、中 […]

「男はつらいよ」第22作、寅さんと博の父とともに楽しんだ木曽路の紅葉へ。道の駅「大桑」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備△立地○)

昭和53年(1978)、京都で下宿生活を始めた私は、ついに最後まで下宿にテレビを置かぬまま、大学生活4年間を過ごした。 テレビを観る代わりに、洋邦問わず映画ばかり観ていた、20歳のころの私。 男はつらいよ第22作「噂の寅次郎」もそのうちの一作。京都の祇園で下宿を始めた年末に映画館で観た作品だ。 長野県木曽郡、寅さんは妙覚寺で夢から覚める。 この妙覚寺はじめ、この作品では木曽路の紅葉が綺麗に撮られて […]

子どもの頃に世話になった宇津救命丸のルーツは?道の駅「たかねざわ元気あっぷむら」から(トイレ○仮眠△休憩△景観○食事△設備○立地△)

石を投げればクリニックに当たる?町の開業医はずいぶん増えて、その数10万をゆうに超え、散髪屋さんの数に肉薄している。 今もあまり医者にかからない私だが、私の子どもの頃は、腹が痛ければ「正露丸」、熱を出せば「宇津救命丸」を飲んで生き延びていたので、今のクリニックの数というのは隔世の感がある。 ところで、私が子どもの頃に飲んでいた(飲まされていた)この宇津救命丸は、江戸時代初期に創製された家伝薬で、そ […]

1ヶ月前クマに従業員が殺されて食べられた「瀬見温泉」。道の駅「もがみ」から再訪(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地○)

古くから新庄の奥座敷としてにぎわってきた「瀬見温泉」は、小国川の左岸に開けた静かなたたずまいの温泉街である。 兄・源頼朝の追っ手を逃れて奥州平泉を目指していた義経一行が発見したと言われており、義経の子「亀若丸」の誕生に加護があったという子安観音など義経主従にまつわる数々の伝説や旧跡が残されている。 そんな義経ゆかりの名湯「瀬美温泉」で、クマによる従業員襲撃事件が起こるとは。 被害者となった笹崎さん […]

水戸黄門「助さん」「角さん」の故郷へ。二人の出身地近くの道の駅「日立おさかなセンター」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)  

水戸藩第2代藩主徳川光圀公は「水戸黄門」と呼ばれ、昭和のテレビドラマで圧倒的な人気を博した。 私が小6の夏休みにテレビドラマは始まったが、私はすっかりハマってしまい、2学期が始まって早々、学校でみんなの前で股間を指差して「ええい、この陰嚢が目に入らぬか!」と叫んだあと今度は後を見せて「みろ肛門!」とやった。 大ウケしたが直後、先生に思い切りしばかれた、そんな思い出がある。 ちなみに、67歳にして全 […]

上杉・北条間のタイトロープを渡り切った佐野昌綱を訪ねて。道の駅「どまんなかたぬま」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○)

栃木県の南西部に佐野市があり、そこに唐沢山城があった。室町~戦国時代の地理でいうと、太平洋側の相模と日本海側の越後の中間点あたり。佐野の地と、唐沢山城とは、この地理的条件によって翻弄され続ける運命を辿る。 唐沢山城が越後と相模の中間点あたりにあることは、こういうことだった。北の越後から勢力をはりだす上杉氏にとってはこの唐沢山城を確保しておけば関東への侵入はきわめて楽になるし、逆に南の相模から北上し […]

国指定重要文化財が紅葉バックに3つセットで見られる西明寺へ。道の駅「ましこ」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○)

栃木県は益子町の郊外に位置する高舘山。西明寺はその南斜面の中腹にある。 真言宗豊山派に属し、本尊は十一面観音菩薩。坂東巡礼第20番、下野第13番の札所でもある。 正式名称は「獨鈷山普門院西明寺(とっこさんふもんいんさいみょうじ)」。獨鈷山とは高館山の別名で、栃木百名山にも選ばれた益子のシンボルともいえる山だ。西明寺は全国にたくさんあって、平安時代に仁明天皇の勅願によって三修上人が開山したと伝えられ […]

珍百景「金砂城跡」からバンジーの「竜神大吊橋」へ。道の駅「常陸大宮」から(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地○)

金砂城は、常陸太田市上宮河内町の、西金砂神社あたりにあった山城だ(写真は西金砂神社本殿)。 今から845年前、源頼朝による佐竹氏「追討」での戦いがあった場所であり、佐竹氏「立て籠もり用の山城」としてよく知られている。 この場所は、城跡近くの西金砂神社が、かつてテレビ番組「ナニコレ珍百景」で紹介されていた。 まあ、珍百景に値するほど奇妙な天然の要害だから、さすがの頼朝も攻めあぐねたと言うが、結局は城 […]