あわら温泉&東尋坊の定番セットより稀代のエロ坊主「東尋坊」がいた「白山平泉寺」を優先。道の駅「みくに」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○) 

「あわら温泉」&「東尋坊」は、私的にはセットになっていて、それぞれ3度目になる。 最初に来たのは、23歳の時。東尋坊の崖の上に立って、海に向かってなぜか「とうちゃんのバカヤロー」と叫んだことを覚えている。若かった。 それから40年経って、コロナで職を失った63歳のタイミングで行ったときは、あわら温泉がやはりコロナでエライことになっていた。 そして、東尋坊に立ってやっぱり叫んだ。「コロナのバカヤロー […]

大伴家持も国司として赴任し、在任中に223首の歌を詠んだ「能登国総社」へ。道の駅「織姫の里なかのと」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)  

「能登国総社」は、国分寺跡から東方約1キロ。石動山への登山口にある。 能登國総社は、総社由来碑にあるように、創建は大穴持命(おおあなむちのみこと、大国主)が能登を平定した際に腰掛けた石をご神体にして祀ったのが始まりとされている。 ちなみに北陸道には大国主の伝承が多い。 能登国内四十三座の神を祀るほか、 明治40年(1907)に合祀した諏訪神社の建御名方神を祀る。 旧社格は「村社」と称したこの総社は […]

上杉謙信が最後に手に入れた難攻不落の「七尾城」とそこからの絶景。道の駅「いおり」から(トイレ△仮眠○休憩○景観◎食事△設備△立地○)  

上杉謙信の晩年の戦いの一つに、「七尾城の戦い」がある。 「七尾城の戦い」とは、能登畠山氏が居城とした巨大な山城「七尾城(石川県七尾市)」を舞台に、天正4〜5年(1576〜1577)にかけてのほぼ1年間にわたって繰り広げられた、上杉謙信と能登畠山氏の攻城戦である。 七尾城は「五大山城」に数えられる全国屈指の規模、具体的には南北約2.5キロメートル、東西約1キロメートル、面積は約252.6ヘクタールに […]

多少サバを読んで1300年以上にわたって50億人前の「鯖の塩漬け」が中継された「熊川宿」へ。道の駅「若狭熊川宿」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地◎)  

「若狭」は古代から都に海産物を供給する御食国の1つで、当時の外交は主に日本海を挟んだ対岸交流だった事から外国との玄関口でもあった。 若狭国と都(奈良・京都)の間には幾つもの街道が整備され、多くの物資や人の往来によって、街道沿いにはそれぞれの時代に様々な文化が花開いたという。小浜の名産である鯖の塩漬けを中心に日本海の海産物を京都へと運んだルートは様々あって、総称として「鯖街道」と称していたようだが、 […]

ついに「万札」に刷られた渋沢栄一が参拝重ねた射水神社へ。リニューアル中の道の駅「カモンパーク新湊」から(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○)  

皇族をはじめ、「日本資本主義の父」「実業界の父」「金融の父」と呼ばれてついに「マン札」に印刷された渋沢栄一、戦後の「日本の三大億万長者」のひとり『ホテルニューオータニ』の創業者・大谷米太郎ほか日本を代表する実業家たちが参拝を重ねた、富山県高岡市の『越中総鎮守一宮 射水(いみず)神社』。 渋沢栄一は、遷座50年の節目において「射水神社」と揮毫した社号額まで残していた(冒頭写真)。 この実筆は、新札発 […]

5百数十年前、ついに「百姓ノ持チタル国」となった加賀国一向一揆の時代へ。道の駅「めぐみ白山」から(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地○)  

高尾城の戦いとは、加賀国の守護・富樫政親が高尾城を一向一揆に攻め落とされた戦いである。 長享2(1488)年、一向宗を信仰する人たちが団結した集まりである一向一揆の人々が、重い税に怒りを爆発させた。彼らは富樫家の内乱に乗じて政親の叔父の泰高を同盟の中心にしてまつり上げ、政親に対して反乱を起こしたのだ。 一向一揆の人々は、野々市の大乗寺に陣を置いた泰高とともに高尾城を取り囲み、政親は高尾城(たこうじ […]

五大老にまで出世した「加賀百万石」前田利家の原点「金沢城」跡へ。道の駅「内灘サンセットパーク」から(トイレ△仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○)  

金沢城は、加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が天文15(1546)年に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、佐久間盛政が天正8(1580)年に築城を開始した城である。 尾山御坊は寺院でありながら加賀一向一揆の拠点でもあったため、堀や柵、土塁などを備えた城としての性格も持ち合わせていたのである。賤ケ岳の戦いでいち早く柴田勝家を裏切って戦線を離脱し秀吉に降伏した姑息な前田利家は、その功?により能登一国に加 […]

織田信長の部下でよきライバルだった二人が敵として戦った「末森城」へ。道の駅「高松」へ(トイレ◎仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

織田信長の側近で豊臣秀吉の五大老の1人として政権を運営し、加賀百万石を築いた前田利家。 そんな利家はうまく出世したが、一世一代の危機に陥った戦いは一度だけ、天正12年(1584年)9月9日に起こった「末森城の戦い」だろう。かつて一緒に織田信長のもとで働いたライバル佐々成政が前田家にとって重要な拠点だった能登国(現在の石川県)の末森城を奇襲。 末森城は落城寸前となる。 この奇襲は「小牧・長久手の戦い […]

「ひょっこり能登島」で、もっとも早く完全復活している水族館にひょっこりと。工事中の道の駅「のとじま」から(トイレ△仮眠✖️休憩✖️景観△食事✖️設備△立地○)  

“能登島” は、石川県の七尾湾に浮かぶ小さな島だが、その形が私の子どもの頃にNHKでやっていた「人形劇 “ひょっこりひょうたん島” 」に似ていることから、“ひょっこり能登島” の異名を持つ。 連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』は、無名の若手作家だった井上ひさしの名前を一躍有名にしたNHKの元祖「お化け番組」だ。 最初の東京オリンピックと同じ1964(昭和3 […]

羽柴秀吉が「鳥取城攻め」の際に陣を張った「お城山」、そこにできた模擬天守へ。道の駅「清流茶屋かわはら」から(トイレ○仮眠✖️休憩○景観○食事△設備○立地◎)

南北朝時代以降、因幡地方(現在の鳥取県東部)は山名時氏の支配下にあった。 戦国時代になると子孫・山名豊国が守護となり、その重臣・武田高信 が大振袖山城(おおふりそでやまじょう)を護ったが、その出城砦が「お城山」にあった丸山城だった。織田信長に中国攻めを命じられた羽柴秀吉が、天正8年(1580)に因幡の国を攻略しようと「鳥取城攻め」をした際、この「お城山」に陣を張って鳥取城に出陣したと伝えられる。 […]

銃で撃たれた狸が傷を癒した?あわくら温泉の「湯~とぴあ黄金泉」へ。道の駅「あわくらんど」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

「湯~とぴあ 黄金泉」は、鳥取県との県境、岡山県西粟倉村に位置する中国地方有数のラジウム含有量を誇る天然温泉。 あわくら温泉「湯~とぴあ黄金泉」は西粟倉村の公共温泉で、日帰り入浴での利用ができる。 近くの道の駅「あわくらんど」で買い物をして割引券がもらえたので利用させてもらったのだが、大人800円の入館料が200円値引きされて600円。ラッキー!道の駅からいったん国道に出て少しだけ北に上がり、左折 […]

大きく「美」の字を発光する「三星山」の頂上付近が気になって。道の駅「彩菜茶屋」から(トイレ◎仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地○)

かつて美作のゴルフ場に熱心に通っていたことがあって、帰りが遅くなった夜間に、梶並川と滝川の合流点の西側の三星山に「美」という文字が点灯していたことを覚えていて。 おそらく京都の「五山送り火」とか、神戸の「市章」や「錨」を真似てのことだろうが。 岡山県北東部の美作市が、遠くから「美」の字に見えるように点灯させてアピールしているつもりなのだろうが、言っちゃ悪いがこれが悲しいぐらいしょぼい。しょぼ過ぎて […]

廃城令で壊されなければ姫路城に勝るとも劣らない美しさが残ったはずの津山城へ。道の駅「久米の里」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地◎)

初代藩主・森忠政が江戸時代の始めに13年の歳月をかけて築いた津山城は、立派な城郭と石垣、70以上の櫓、そして当時最新式だった5層5階の天守を特徴とし、姫路城にも劣らぬ白亜の城と評された。 しかし明治時代に廃城令によって取り壊され、現在の津山城は築城400年を記念して復元された備中櫓以外に建物はなく、在りし日の姿は想像のするのみとなっている。 冒頭の写真は、想像の産物「ガンダム」を実際につくった方が […]

明治生まれの超レトロな駅舎「建部駅」からの「八幡温泉郷」。道の駅「くめなん」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地△)

かつて備前国と美作国の国境を流れる旭川を舟で渡した「八幡の渡し」。そこからすぐ下流、昭和で時間が泊まったようなJR「建部駅」との間、旭川の清流のほとりに八幡温泉郷「たけべ八幡温泉」がある。 温泉に行く前に、まず、「建部駅」である。 中国鉄道(現在のJR津山線)岡山ー津山間が開通したのは明治31年(1898)のこと。以来、県北と県南を結ぶ鉄道として120年以上の長きにわたって重要な役割を果たしてきた […]

吉備津彦命に退治された百済の王子:温羅(うら)が住んでいた「温羅伝説」の地へ。道の駅「かよう」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

岡山県総社市。 総社平野の北にそびえる標高約400mの鬼城山山頂付近に、謎の?古代山城「鬼ノ城」がある。 鬼ノ城は、『日本書紀』など古代の正規の歴史書にその名がみられないことから築造時期が不明な謎の城だったが、発掘調査成果から7世紀後半に造られた可能性が高くなっている。 後世の文献である鬼ノ城縁起などによると。 「異国の鬼神が吉備国にやって来た。彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備 […]

平敦盛の許嫁者「玉織姫」が隠れ住んだ庄原市に伝わる民謡「敦盛さん」。道の駅「リストアステーション」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地△)

冒頭画像は、『清書七伊呂波 いちの谷熊谷敦盛』(歌川豊国画/国立国会図書館デジタルより)。 一の谷の合戦で源氏の侍・熊谷次郎直実の刃に倒れた平家の若武者「平敦盛(たいらのあつもり)」。 彼の許婚者・玉織姫は永江の里(庄原)に隠れ住み、敦盛を想い続けて平家の再興を待ちわびたと伝えられる。 「敦盛さん」 はその姿をうたった庄原市無形民俗文化財の民謡。庄原市でお座敷歌、門付歌として歌い継がれてきたが、昭 […]

私が0歳から6歳まで住んでいた「故郷」の町へ。道の駅「クロスロードみつぎ」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

広島県福山市の東部に位置する蔵王地域(蔵王町,南蔵王町)は、昭和30年代まではのどかな田園風景が広がる、当時は「深安郡市村」と呼ばれた人口約2,250人、450戸の村だった。私が生まれる1年半、昭和31年(1956)9月に2町8村が福山市に合併されたとき、この地域で昔から地元のシンボルであり信仰の山として崇められた蔵王山の名前をとって福山市蔵王町となったその街に、私は0歳から小学校1年生の1学期ま […]

天守が残る日本で唯一の山城「備中松山城」へ。道の駅「さんわ182ステーション」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

「備中松山城」は、天守が残る日本で唯一の山城で、江戸時代から残る現存天守12城のひとつである。 臥牛山頂上付近に建つ天守は国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。 臥牛山の標高は480m。 北から大松山・天神の丸・小松山・前山と呼ばれる四つの峰から成っており、西から見た形が牛が伏せた姿に見えることから、その名前が付いたと言われている。 城の歴史は、鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有 […]

本当にウォータースライダーやっててびっくりした「三郎の滝」へ。道の駅「びんご府中」から(トイレ○仮眠✖️休憩△景観△食事○設備○立地◎)

リクルート後輩で友人の宮崎秀敏くんは広島の出身。 「広島の夏の風物詩は「三郎の滝」だよ、広島にいるなら行ってみたら?」と勧めてくれた。彼が教えてくれたサイトを見ると、長い歳月をかけて生まれた、長さ30mの天然すべり台とのこと。 二匹の大蛇が遊んでなめらかな岩になったという伝説、「まあロマンチックな」という人がいるけど、私ゃ蛇大嫌いですから〜、残念! 楽しそうに滝すべりをしている子供たちの動画もネッ […]

連載第5話「血が繋がっていない私を育ててくれた人」 四葉のクローバーを探して・第2章<たかが血縁されど血縁>  

私は今、「介護の季節」に生きている。その前の「子育ての季節」も大変ではあったが、私の人生にとって、最も幸せを感じた時代でもあったろう。それに比べて「介護の季節」は大変だが、幸せを感じる機会というものは、「子育ての季節」ほどたくさんあるわけではない。その代わりにあるのは「義務感」というより「役割意識」。その「役割」を果たす充実感のようなものだけが私を支えているのを強く感じる毎日だ。その「役割意識」と […]