金鱗湖畔「下ん湯」には縁がなく、道の駅「ゆふいん」から「慈恩の滝」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地◎)

いちおう温泉マニアの端くれではあるだろう私だが、「鄙びた温泉、独り静かに楽しめる温泉に限る」という但し書きがつく。

ということは、女子たちやミーハーインバウンドたちが殺到する「湯布院」などは、その対局にある存在。人混み大嫌いな私との組み合わせはこれ以上ないミスマッチだし、私という人間、そもそもが「湯布院」なんて柄じゃない。

芋の子を洗うような温泉などはいくら有名でも真っ平ごめんだから、湯布院には行ったこともなければ、これからも行くつもりもなかった。

「12月に入って九州に来て、気づけば年末。年末年始は公的介護支援から老老介護の日々へ。明日はそろそろ帰ることにするか…。」
いつもの車中泊、眠りにつく前にそう思った私は、今回の九州旅でまだ行きたいところは残ってないか、地図をチェックしようとスマホ手にし、今日までに行ったところを振り返るべくSNSを開いた、その瞬間。

九州に入った初日の夜、別府温泉の硬派な老舗浴場に入ってから飲み倒したことをSNSにアップした際に、友人の宮崎秀敏くんからもらったメッセージが目に飛び込んできた。

彼の善意をシカトできずに湯布院に向かったが…

「観光客でごった返す金鱗湖の湖畔にありながら、誰も気が付かない共同風呂。前行った時の入浴料は昔から変わらない200円のままでした。お湯は最高。眺めも最高。唯一の難点は混浴なので、流石に女性が入浴中の場合は入りずらいこと。先に入っていれば、問題なしですけど。なんたって、内湯の湯船の周りが脱衣所になっているので、目のやりどころに困ります。その場合は、静かに湖畔の露天風呂に移動してください。」

メッセージは由布院・金鱗湖の湖畔にある「下ん湯(したんゆ)」にぜひとも!という内容で、彼特有の、他意のなさすぎる純粋な善意に満ちていた。

「そりゃ、あんたは義母でさえ年下の、もう犯罪レベルの歳の差の若いピチピチの奥さんと、いちゃいちゃと乳くりながら楽しめばいいさ」

とでも返信しておけばよかった。しかし善意しか感じられないそのメッセージに対して、私は安易に「行ってみるわ」とレスしてしまっていた。

後悔先に立たず。

彼の善意を受け取っていながら、シカトしたまま九州を後にするわけにはいかないなと、最後に湯布院に行って、それから九州の旅を終えることにした。

金鱗湖は期待通り、美しかったが…

「金鱗湖」は、由布岳の下にある池ということで、かつては大分なまりで「岳ん下ん池(=岳の下にある池)」と呼ばれていたらしいが、明治17年(1884)に儒学者の毛利空桑(くうそう)が、湖の魚の鱗が夕日に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けたそうだ。

秋から冬の早朝、ちょうど今の時期には、朝霧に包まれた幻想的な金鱗湖の姿を見ることができる、ということもあり、宮崎くんのアドバイスには「混浴なので、流石に女性が入浴中の場合は入りづらい」とあった。

とにかく早朝、誰もいないことを願って、私は車を走らせた。

早朝の金鱗湖は、確かに素晴らしかった。1周400mほどの小さな湖だが、ここに湧水と温泉の両方が流れ込んでいるので、1年を通して水温が高いそう。そのため、空気が冷え込む晩秋から冬にかけての早朝には、その温度差で湖面から水蒸気が立ち上る幻想的な光景を見ることができるのだと。

早朝の静寂さの中、朝陽がのぼり、だんだんとあたりが明るくなっていく。
到着してすぐに、先に下ん湯を下調べしていたのが、入浴時間は10時からとなっていた。

誰もいなかったが、当然ルールは守らねばと、下ん湯をいったん離れて、私は近隣湖畔の遊歩道の散歩をゆっくり楽しむことにした。

ルール無視もオーバーツーリズムの弊害か?

9時半ごろに戻って、さっとお湯を頂こうかと考えての、贅沢な時間潰しだ。

しかし、そんな段取りと楽しみを、あっさり台無しにしてくれたのは、女子たちの嬌声だった。

聞こえてきたのは、たぶん三人以上はいるだろう女子たちが、下ん湯ではしゃぐ声だった。
共同浴場「下ん湯」は混浴である。

早朝の下ん湯で独り湯浴みを楽しむ、という目論見は泡と消えた。10時からという営業時間を守らない人もいるのだなあ、と少し悔しかったが、もともと湯布院など私には不似合いなのだ。

あきらめは簡単についたし、あ、私が今歩いている遊歩道の方から見えてしまいそう。

人相には自信ない、なんなら変態にも見えるだろう。
もし目が合って悲鳴でもあげられて、由布院の警察に留置でもされようならシャレにならない。
散歩も早々に切り上げて、逃げるように金鱗湖を後にした。
せっかく湯布院まで来たならばやっぱり、どこかの温泉には浸かろうかと、一瞬は思った。

しかしこの街、温泉や歓楽街がまとまった、いわゆる温泉街というものはほぼ存在しない。 温泉施設や旅館は町内にバラバラと点在するため、「とりあえず温泉街にぶらりと行ってみよう」でなんとかなるというわけにはいかない。

インバウンド、女子たち、そしてミーハーが、予約の上で大挙押しかけている街に、ぶらりと現れるジジイが入り込む余地などない。

「朝一番で人気観光地の恐ろしさを思い知ったではないか」と、私は自分自身に言い聞かせ、ではせめて道の駅「ゆふいん」には寄って、そこからの帰路の途中にある「慈恩の滝」を見て、そのまま帰路につくことにした。

慈恩の滝、サイコー!

仕方なく訪れた玖珠町の西に位置する「慈恩の滝」だったが、これがドラフトのハズレ一位で大活躍する近本光司選手クラスの大当たりだった。

慈恩の滝は、日田市天瀬町の東、玖珠郡玖珠町の西、ちょうど両町の境に位置し、上段20m、下段10mと、合わせて約30mの落差がある二段滝である。

上段の滝は、差し込む光と一体化して下段に落ち、下段は後光の中をごうごうと音を立てて流れ落ちている。

実に美しい!

この二段滝、専門的には、下万年(したばね)と上万年(うわばね)からなる溶岩台地で構成される、日本最大級のダブルメサなのだとか。
メサとは、火山活動で溶岩台地が形成され、頂上の周囲が崖状のテーブル型に侵食された山らしいが、これが重なった「玖珠二重メサ」として「日本の地質百選」に選定されているらしい。
滝の裏側へ向かうことができるため別名“裏見の滝”とも呼ばれていたが、2020年7月の豪雨以降、滝の裏側は通れなくなっているようだ。
また、ここには大蛇伝説も残されている。

この伝説は、滝に住む大蛇が寄生虫によって病に苦しんでいるのを旅の僧が助けた後、苦しみまわって田畑を荒らすことがなくなったというもので、土地の人は僧への感謝の気持ちを伝えるために慈恩寺を建立した。

のちに大友宗麟軍の戦火で荒廃し、廃寺となってしまったこの慈恩寺が、滝の名の由来である。
2週間以上にわたる九州旅を締めくくるに相応しい?実に良い景色と滝の音だった。

道の駅「ゆふいん」

道の駅「ゆふいん」は、大分県のほぼ中央部。大分自動車道の湯布院ICを降りてすぐそばだ。道の駅駐車場からの距離感はこんな程度。

敢えて高速道路を使わずに国道210号線を使ってアクセスすると、この辺りの豊かな自然を楽しみながらのドライブが楽しめる。

駐車場は、団体客を乗せた観光バス用のスペースが広い。いったいどんだけの団体客がやって来るのだろう。

トイレは屋外にもあるが、館内のトイレの方が大きくて、綺麗。

休憩環境としては、施設内外ともまあまあな感じ。

道の駅の観光案内所では、町内にある32ヶ所の温泉施設について当日の利用可否情報、 客のニーズに合わせたお勧め情報などを教えてくれる。

道の駅 | ゆふいん | 観光案内所

湯布院土産は多すぎて…

道の駅の施設としては、物産館、レストラン、観光案内所。

地元のニーズにもこたえるために農作物販売が盛んに行われているが、 ここに関しては農作物の販売はほんの少し。 完全に観光客への対応を重視した道の駅となっている。

開店前の物産館をちょっと覗いてみると、「湯布院杜の湯たまご」「湯布院あんころ餅」「湯布院摘み草せんべい」「湯布院ミルク大福」等々、ミーハーでなくとも一度は耳にしたことがある湯布院土産が溢れていた。

そろそろ大型バスが次々に押し寄せてくることだろう。

私はトイレで用を足すと、ここもまた逃げるように後にしたのだった。