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群馬県

「真田十勇士」「吾妻真田忍者」を目指して?道の駅「あがつま峡」で忍者修行(トイレ○仮眠○休憩△景観◎食事△設備◎立地◎)

漫画少年だった私のヒーローは、5歳から7歳までは「忍者部隊月光」、8歳から9歳までは「仮面の忍者赤影」。どちらも忍者だった。 10歳を過ぎると漫画以外の本も読むようになり(笑)、歴史にも興味を持ち始めると、憧れたのは皆さんご存知「真田十勇士」。 と、これまた忍者だった。 「真田十勇士」の由来は、安土桃山時代の武将・真田幸村に仕えて武勇をあらわした10人の勇士 (猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三 […]

道の駅「尾瀬かたしな」から「尾瀬ヶ原湿原」「武尊神社」「武尊山」へ(トイレ◎仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)

「日本百名山」にも数えられる川場村のシンボル武尊山(ほたかやま)。 昔から山岳信仰の霊山として知られ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像が山頂付近に奉られている。 地図を見ると、武尊山は道の駅「尾瀬かたしな」の西北にあってすぐ近くに見えたのであまり何も考えずに道の駅に来たのだが、ここが予想以上に楽しい場所だったので時間を費やしてしまい、また、地図を真剣に見ると、武尊山の頂上の向こう側に以前からど […]

内藤昌秀が晩年に守っていた箕輪城から彼が散った長篠へ。道の駅「もっくる新城」で仮眠(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備○立地○)

内藤昌秀は、戦国時代の武田家臣団において「不死身の鬼美濃」こと馬場晴信とともに「武田四天王」と称される。 彼は4度にわたる川中島の激戦を潜り抜け、信玄亡き後は勝頼を支え、最期は長篠の戦いで散った「忠義の武将」としてその名を後世に残した。 昌秀は信玄の代表的な戦には全て参加し、常に武功を立てていたが、信玄からは一度として感状をもらうことがなかった。このことについて信玄は、「修理亮ほどの弓取りともなれ […]