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群馬県

内藤昌秀が晩年に守っていた箕輪城から彼が散った長篠へ。道の駅「もっくる新城」で仮眠(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備○立地○)

内藤昌秀は、戦国時代の武田家臣団において「不死身の鬼美濃」こと馬場晴信とともに「武田四天王」と称される。 彼は4度にわたる川中島の激戦を潜り抜け、信玄亡き後は勝頼を支え、最期は長篠の戦いで散った「忠義の武将」としてその名を後世に残した。 昌秀は信玄の代表的な戦には全て参加し、常に武功を立てていたが、信玄からは一度として感状をもらうことがなかった。このことについて信玄は、「修理亮ほどの弓取りともなれ […]