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群馬県

和田英ら工女たち、速水堅曹らが活躍した富岡製糸場へ。道の駅「甘楽」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備△立地○)

富岡市が企画製作した映画「紅い襷(あかいたすき)~富岡製糸場物語~」をご覧になった方はいらっしゃるだろうか。 ドラマと歴史ドキュメンタリーを織り交ぜ、3年前に世界遺産となった富岡製糸場の価値や魅力を伝える映画で、歴史が大好きな私は近代日本を支えた製糸場や絹の歴史そのものに感動したが、マニアックでおよそ一般にはウケにくい映画ではあった。 キャストは、本作の主人公で明治6年から7年にかけ伝習工女として […]

90%以上が森林である上野村「まほーばの森」へ。道の駅「上野」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事△ 設備○立地△)

群馬県多野郡上野村の山の中にあるリゾート施設「まほーばの森」。 いかにもミーハー受けを狙ったネーミングどおり、カフェをはじめ、山小屋風のコテージやオートキャンプ場、BBQ場などミーハー定番アイテムを揃え、大自然を満喫できるスポットとしてミーハーに人気の施設となっている。 一番の売りは、山並みの絶景を独り占めできますよと謳うウッディなコテージ、これぞ“森の中のキャンプ”ができますよと謳うキャンプ場、 […]

赤城山のカルデラ湖「大沼」のほとりに佇む赤城神社へ。道の駅「よしおか温泉」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事△ 設備○立地○)

「赤城の山も今宵限り…」 国定忠治のこの名台詞は創作らしいが、忠治がこの山をこよなく愛し、短かかった人生をこの山と共に生きたことは事実。 日本百名山でもある赤城山は、複数の峰で構成される火山帯の名称だ。 最高峰は1828mの黒檜山(くろびさん)、さらには1685mの駒ケ岳、地蔵岳、長七郎岳、荒山、鍋割山、鈴ヶ岳、小黒檜山の8つの山を総称して赤城山なのだが、それらの山に囲まれた山頂カルデラ内に、カル […]

息絶えるまで14回も刺された国定忠治の死に様を訪ねて。道の駅「ぐりーんふらわー牧場・大胡」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事△ 設備○立地○)

旅は群馬県に入っているが、この群馬県の認知度はとても低い。 私の知る限り、47都道府県の中で過去魅力度評価で確か40位以上になったことはないはずだ。ただ、群馬県は知らないけれど、赤城山と国定忠治を知らない者は、今の若い人にはたくさんいるだろうが私の世代にはいなかった。 反論は多いだろうが、「国定忠治こそ群馬をPRした第一人者である」とする向きはかなりある。 「男ごころに 男が惚れて 意気がとけ合う […]

幕末の社会的・政治的混乱の象徴「下仁田の戦い」から161年。道の駅「しもにた」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地○)   

慶長8(1603)年から慶応3(1867)年にかけて260年以上も日本を統治していた徳川幕府の時代は、かっただけにその衰退期の社会的、政治的混乱も大きかった。 アメリカの海軍大佐ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀の沖に姿を見せたのは、今から172年前、嘉永6年(1853)のことだった。 船体は真っ黒で、黒い煙をあげる蒸気船「黒船」の姿に、人々はたちまちパニックに陥った。 もしペリーが江戸に向かってきたら […]

関東一円を制した名門「北条家」が滅亡したきっかけは「名胡桃城事件」。道の駅「中山盆地」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

槍一本、刀ひとつで下剋上を果たした武将もいれば。 かつて栄華を誇った超名門があれよあれよと滅亡したのが戦国時代である。戦国時代にあって格が違った名門といえば、北条家だったろう。初代・北条早雲から、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代に渡って勢力をどんどん拡大して関東一円を広く治め、我が世の春を謳歌した、名門中の名門だ。 その北条家が、こともあろうにチンケな男・真田昌幸の城「名胡桃城(なぐるみじょう)」を最 […]

予約なしでお金ケチりたい私のような人間が「草津温泉」を満喫するには天気最悪の日しかない。道の駅「草津運動茶屋公園」から(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備◎立地○) 

下呂温泉、有馬温泉、そして草津温泉。 草津温泉は言わずと知れた日本三名泉の1つである。草津温泉の自然湧出量は日本一を誇り、毎分32,300リットル以上。1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しているということだ。草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのはこのおかげである。 そして、驚くべきはその泉質! 日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)。雑菌などの殺菌作用は抜群なのだ […]

「真田十勇士」「吾妻真田忍者」もしくはイーサンハントを目指して。道の駅「あがつま峡」で忍者修行(トイレ○仮眠○休憩△景観◎食事△設備◎立地◎)

漫画少年だった私のヒーローは、5歳から7歳までは「忍者部隊月光」、8歳から9歳までは「仮面の忍者赤影」。どちらも忍者だった。 10歳を過ぎると漫画以外の本も読むようになり(笑)、歴史にも興味を持ち始めると、憧れたのは皆さんご存知「真田十勇士」。 と、これまた忍者だった。 「真田十勇士」の由来は、安土桃山時代の武将・真田幸村に仕えて武勇をあらわした10人の勇士 (猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三 […]

道の駅「尾瀬かたしな」から「尾瀬ヶ原湿原」「武尊神社」「武尊山」へ(トイレ◎仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)

「日本百名山」にも数えられる川場村のシンボル武尊山(ほたかやま)。 昔から山岳信仰の霊山として知られ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像が山頂付近に奉られている。 地図を見ると、武尊山は道の駅「尾瀬かたしな」の西北にあってすぐ近くに見えたのであまり何も考えずに道の駅に来たのだが、ここが予想以上に楽しい場所だったので時間を費やしてしまい、また、地図を真剣に見ると、武尊山の頂上の向こう側に以前からど […]

内藤昌秀が晩年に守っていた箕輪城から彼が散った長篠へ。道の駅「もっくる新城」で仮眠(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備○立地○)

内藤昌秀は、戦国時代の武田家臣団において「不死身の鬼美濃」こと馬場晴信とともに「武田四天王」と称される。 彼は4度にわたる川中島の激戦を潜り抜け、信玄亡き後は勝頼を支え、最期は長篠の戦いで散った「忠義の武将」としてその名を後世に残した。 昌秀は信玄の代表的な戦には全て参加し、常に武功を立てていたが、信玄からは一度として感状をもらうことがなかった。このことについて信玄は、「修理亮ほどの弓取りともなれ […]