「オシンコシンの滝」→「フレペの滝」→「カムイワッカ湯の滝」へ。道の駅「しゃり」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地◎) 

名瀑ひしめく知床半島。しばし仮眠をとらせていただいた知床半島の付け根にある道の駅「しゃり」を出て、「オシンコシンの滝」→「フレペの滝」→「カムイワッカ湯の滝」の順に、3つの名瀑を巡った。 これら3つの滝は、「知床」「滝」で検索するとトップスリーでヒットする人気の滝だが、それぞれ全く異なる景観と性質を持っている。なので連続して訪れても「ただ水が落ちているだけじゃないか〜」と冷めた気持ちにはならないだ […]

羅臼町と斜里町ウトロとを結ぶ国道334号の「知床峠」越えの前後だけで、熊の親子、キタキツネ、そして鹿の群れ。相次いで未知との遭遇、もとい、道での遭遇!

北海道を車で旅していると、いろいろな野生動物が道路に飛び出してくる。 国交省によると、2022年度に直轄国道で発生したロードキルは約7万件。 道路脇のフェンスや動物の移動用足場などを設置してきたが、事故件数は横ばいが続いている。ロードキルとは道路上における野生動物の交通事故のことだが、自然豊かな北海道では、道東、道北、日高地方を中心に多発し、問題になっている。私もこれまで何度ヒヤリとしたことか。 […]

知床岬からは手が届きそうなところに、その北の果てには白夜すらありそうな、あまりにも大きなクナシリがあった。

知床の岬に はまなすの咲くころ思い出しておくれ 俺たちの事を飲んで騒いで 丘にのぼればはるかクナシリに 白夜は明ける この歌の舞台「知床岬」には、ご存知の通り余程の探検上手でない限りは海からアプローチするしかない。 私は過去2度にわたって、天候不良で観光船が欠航。その度に知床岬を諦めて旅を終え、泣く泣く自宅に帰っていた。 断崖の木々も少しずつ渋みを帯び、秋の気配が感じられるようになってくると波が立 […]

活火山「十勝岳」のど迫力と周囲の絶景が楽しめる「望岳台」からの「十勝岳温泉」へ。道の駅「ひがしかわ 道草館」から(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地◎) 

「望岳台」は、大雪山国立公園「十勝岳」本峰の「真下」。月並みな言い方をすれば「中腹」にある。 十勝岳は2077メートルの標高がある日本百名山のひとつで、十勝岳連峰の主峰である。 望岳台はその中腹・標高930メートルのところから十勝岳頂上を真正面に見上げる位置にある。 噴煙を上げる山頂を望むのは天気次第だが、ごつごつとした岩肌は溶岩流が流れたそのままであり、それが目の前に広がっていて、まさに大自然を […]

日本でもっとも早く秋がやってきた「旭岳」からの「旭岳温泉」へ。最高に便利な道の駅「あさひかわ」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事◎設備○立地◎◎) 

早い年ではなんと8 月下旬から色づき始め、9月中旬頃には日本で一番早い最初の紅葉が見られることで知られる旭岳に登った。 登ったと言っても、ロープウエイで「姿見駅」まで行って、そこから一応登山届は出したがハナから登頂する気持ちはなく(私には無理なので)、行けるところまで行って引き返しただけだが(笑)。旭岳(2291m)は、日本で一番広く(226,764ha)、そして日本で最初に指定された国立公園(1 […]

北海道で小さい秋みいつけた②老舗の5代目社長「杉野裕俊」、雪印との関係解消など激動の北海道食品業界を見事に生き抜いた人生の秋!

リクルートの創業者・江副浩正さんは、間違いなく「起業の天才」だった。 そんな江副さんに憧れリクルートに入って、遅かれ早かれ出て行った人間たちの多くは、江副さんに続けとばかり「起業」することに大変熱心だった。 しかし、「起業」キチ●イのような彼らの「起業」は、失敗に終わるケースも多い。 そりゃそうだ。 まさに「天才」であった江副さんのような人がそんなにたくさんいるわけもないわけで。 ましてや世の中も […]

北海道で小さい秋みいつけた①「水尻宏明という人間は大きく育って、いよいよ実りの秋を迎えていた」

水尻宏明さん(以下水尻くん)は、私がサラリーマンだった時代、つまりリクルートの2年後輩である。 後輩といっても、同じ部署で働いたことはない。 2つほど共通の事業部門経験があったし、知り合った時の印象がすごく良かった(彼が抱いた私の印象は知らない)から、私が勝手に彼の人生に興味を持ったに過ぎないのだが。だから彼の仕事ぶりはよく知っていた。 私はほぼ10年で会社を辞めてしまったが、彼はリクルートの仕事 […]

関東一円を制した名門「北条家」が滅亡したきっかけは「名胡桃城事件」。道の駅「中山盆地」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

槍一本、刀ひとつで下剋上を果たした武将もいれば。 かつて栄華を誇った超名門があれよあれよと滅亡したのが戦国時代である。戦国時代にあって格が違った名門といえば、北条家だったろう。初代・北条早雲から、氏綱、氏康、氏政、氏直と5代に渡って勢力をどんどん拡大して関東一円を広く治め、我が世の春を謳歌した、名門中の名門だ。 その北条家が、こともあろうにチンケな男・真田昌幸の城「名胡桃城(なぐるみじょう)」を最 […]

「真田」に追い詰められて元服前の子どもが崖から身を投げた「嵩山城」へ。道の駅「霊山たけやま」から(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備△立地○) 

「嵩山」と書いて「たけやま」と読む。 死者の霊が山上に集まるといわれる霊山だ。 天狗が住む山とも言われ、山の3つのピークにはそれぞれ大天狗、中天狗、小天狗の名前がつけられている。 嵩山は標高789mの独立した姿の美しい山で、渋川方面から吾妻街道、国道353号を中之条町に入ったあたりから巨岩奇岩が天を突く嵩山がチラチラと姿をあらし始める。 東南面は切り立った岩肌、西北面は見渡す限り見事な樹海が広がっ […]

予約なしでお金ケチりたい私のような人間が「草津温泉」を満喫するには天気最悪の日しかない。道の駅「草津運動茶屋公園」から(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備◎立地○) 

下呂温泉、有馬温泉、そして草津温泉。 草津温泉は言わずと知れた日本三名泉の1つである。草津温泉の自然湧出量は日本一を誇り、毎分32,300リットル以上。1日にドラム缶約23万本分もの温泉が湧き出しているということだ。草津の旅館や温泉施設で「源泉かけ流し」ができるのはこのおかげである。 そして、驚くべきはその泉質! 日本有数の酸性度で、pH値はナント2.1(湯畑源泉)。雑菌などの殺菌作用は抜群なのだ […]

史上最強なのになぜか横綱になれなかった謎の「無類力士 雷電為右衛門」。道の駅「雷電くるみの里」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地○) 

早いもので、大相撲はもう「九月場所」である。今日から15日間の熱戦が繰り広げられる国技館の熱気とは真逆で、ほど近いがひっそりとした「富岡八幡宮」の境内には、「横綱力士碑」がポツンと建っている。 碑は明治33(1900)年に建立されたもので、ここには歴代横綱と新横綱の名が刻まれている。 もちろん横綱ではない力士が、この横綱碑に刻まれることはありえない。本来は。 しかし、ここになぜか一人だけ、横綱にな […]

「島崎藤村」や「永六輔」の素晴らしい詩を生んだ「小諸なる古城のほとり」へ。道の駅「みまき」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ…」 日本語とは、かくも美しいものかと感嘆させられた島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の冒頭だ。中学校の修学旅行で最初に接してから半世紀以上、ずっと頭にあって、時折誦じてもいた。藤村は、小諸城址・懐古園をよく訪れていた。 『千曲川のスケッチ』には、小諸義塾の同僚たちと連れ立ってここに弓を引きに行ったことを書いている。当時園内には十五間ほどの矢場があって、藤村は弓 […]

長野北東部から「中山道」旅。数ある名所を通って江戸時代の面影残す南西部へ。 道の駅「ほっとぱーく・浅科」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

「中山道」は、江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ街道である。江戸幕府が1602年から時間をかけて他の五街道とともに整備していく過程では、「東参道」・「木曽街道」・「中山路」・「中仙道」など、地域ごとに様々な名称で呼ばれていたが、1716年に学者・新井白石の進言により「中山道」という名前に統一して、定着していく。 全長約530kmの険しい街道には69もの宿場町が点在し、交通と文化 […]

年末の「全国高校駅伝」も新年2日3日の「箱根駅伝」も注目は「佐久長聖」。道の駅「ヘルシーテラス・佐久南」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

何を隠そうハゲを隠そう、私は「駅伝好き」である。 高校駅伝では故郷兵庫の「小野工業」が強いこともあるし、箱根駅伝では瀬古利彦の時代から、渡辺康幸、大迫傑の時代までずっと「早稲田大学」のファンであることもあるし。先日は、高校駅伝11回の最多優勝(男子)を誇る、通算「最強」の「世羅高校」を訪ねたほど。それほど熱心なファンである。ちなみに来年早々の箱根駅伝では、ずっと青学、駒澤の後陣を配してきた早稲田の […]

減税求めた庶民28人うち子ども10人を磔にして処刑した松本の悪政。道の駅「女神の里たてしな」から(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地○) 

多田(中萱)加助という人物をご存知だろうか? 水野忠直が松本藩主を務めていた頃の、地元の庄屋である。 貞享元年(1684)、凶作が続いて、農民の生活は困窮をきわめていた。 農民の悲願を受けた庄屋の加助は年貢の軽減を長尾組の組手代に申し出るが受け入れられず、松本藩に直接陳情した。この行動を問題視された加助は、庄屋の身分を取り上げられた。 その2年後の貞享3年(1686)、今度は凶作の上に疫病が同時に […]

「真田」「仙石」「松平」のそれぞれの時代に姿と役割を大きく変えた上田城へ。道の駅「あおき」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備○立地○) 

上田城は、天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置している。堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城なのに、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせた。 数ある城郭のなかでも、2度もの実戦経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は全国広しといえどもなかなか他に例を見ない。しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に壊され、藩主であった真田 […]

阪神タイガース優勝マジックが1の日。夜は「六甲おろし」を歌わねばと帰りを急ぐ途中に食した「越前おろしそば」は最高だった。

都道府県ごとの巨人ファン比率が、実は日本でもっとも高いといわれる福井県。 統計サイト『J-READ』が発表している「最も好きなプロ野球球団勢力図」では、各都道府県で最もファンの多い球団を知ることができるが、福井県はほぼオレンジ色に塗りつぶされており、つまり巨人ファンが最も多いとされている。 そんな福井のど真ん中に、福井の虎党たちの憩いの場として愛され続けるの店がある。 『味とら』だ。 元阪神監督の […]

武田信玄の初敗戦「上田原の戦い」古戦場から連敗喫した「砥石崩れ」へ。道の駅「上田道と川の駅」から(トイレ◎仮眠△休憩◎景観◎食事○設備△立地◎) 

諏訪、伊那、佐久地方をほぼ平定し、北信濃への進出を目指した武田晴信(信玄、以下信玄)だったが、北信地方への関門といえる坂城には村上義清がいた。 信濃全土の攻略に意欲満々の信玄にとって、東信濃の勇将・村上義清は、避けては通ることができない、どうしても打ち倒さなければならない存在だった。 信玄は村上氏への攻撃を企て、天文17年(1548)2月、諏訪から大軍を率いて大門峠を越え、小県郡に攻め込んだ。 対 […]

道の駅「マルメロの里ながと」に併設された「やすらぎの湯」で知ったこと(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備◎立地○) 

マルメロ?なんそれ? カリメロの兄弟?ナツメロなら好きだよ、なんて私のような人間もいるぐらいだから。 果物らしいが、食べたことがないな、食べ方が分からないという人も多いのではなかろうか。カリンなら知っているよという人は、それとよく似ているというと、その大体の姿形は思い浮かべられるだろう。マルメロはカリンと近縁で「西洋カリン」ともよばれ、カリンとして流通していることもあるのだとか。 マルメロとカリン […]

旅情演歌の最高峰「奥飛騨慕情」の地で温泉を楽しむ。道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎) 

「奥飛騨慕情」を作詞、作曲し、自ら歌ったのは竜鉄也という人だった。 竜鉄也は、飛騨高山で生まれ育った。子供の時患った麻疹の影響で視力が低下し、26歳の時完全に失明する。その後「歌の流し」でなんとか生計を立て、そして歌作りも手掛けるようになった。 彼が流しの仕事で奥飛騨温泉郷を訪れたのは、1972年の梅雨の時期。奥飛騨滞在の間に、雨の中で想像した情景を書きとめ、その歌詞にメロディーをつけて、名曲「奥 […]