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奈良県

道の駅「御杖」の「姫石の湯」で雪を待ち、「談山神社」「十三重の塔」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

列島に「今季一番の寒波」が襲来した2025年1月9日~10日。西日本では1月としては過去トップ3に入るくらいの強いレベルの寒気でまとまった雪が予想されると言うことで、9日の午後、談山神社の雪景色を見に出かけました。 9日の夕刻、最寄りの道の駅「御杖」にある温泉「姫石の湯」に浸かって一泊。翌10日の朝を待ちました。降雪があっても昼前になると雪が溶けてきてしまうことが多いというので、チャンスは午前中。 […]

道の駅「宇陀路大宇陀」から「宇陀松山」散策のち「室生寺」「龍穴神社」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○)

現在の宇陀松山は、近世(江戸時代)初頭に宇陀松山城と宇陀川との間の地域が整備された時の町割をもとに、当時の様子をよく残しています。 町には宇陀紙や吉野葛といった周辺地域の特産物が集まり、地域経済の中心として栄えました。宇陀松山には町屋が数多く建てられましたが、それらによる街並みは、宇陀松山城の城下町として栄えた様子を今に伝えています。 この町は、道の駅「宇陀路大宇陀」からほんの100mほど東。その […]

「三稜墓古墳群」から「弥勒磨崖仏」を見たくて「大野寺」へ。紛糾中の道の駅「針テラス」から(トイレ△仮眠✖️休憩○景観△食事○設備○立地○)

三稜墓古墳群は、奈良盆地東にある大和高原の都祁盆地に造られた、前方後円墳1基(東)・円墳2基(西・南)の計3基で構成されている古墳群です。 築造の時期は、発掘調査等により、西古墳は5世紀前半~中葉、東古墳は5世紀後半、南古墳は6世紀頃と推定され、被葬者は都祁盆地の首長と推測されています。 このうち、東古墳と西古墳は、古墳時代中期の大和高原において最大クラスの古墳である事から、県史跡に指定の上で史跡 […]

「金勝寺」の秋冬を楽しむついでに、道の駅「こんぜの里りっとう」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備△立地○)

「金勝(こんぜ)アルプス」は、アルプスといっても標高は一桁違って、標高605mの竜王山と鶏冠山491mが連なった山々のことで、稜線には奇岩が多く、眺望も抜群に良いことから「登山」というよりハイキングコースとして人気があります。 道の駅「こんぜの里りっとう」に車を置いて、ハイキングコースで金勝寺に行くこともできる。 その竜王山中に金勝寺(こんしょうじ)というお寺があるからでしょう、地元ではこの連山を […]

大相撲史上最高の名勝負から52年、北の富士を偲んで相撲発祥の道の駅「かつらぎ」へ(トイレ△仮眠✖️休憩△景観△食事○設備○立地○) 

北の富士勝昭さんが、2024年に82歳でこの世を去りました。最期までカッコよく、NHKでの名解説も人気でしたが、古い話で恐縮ですが私は彼の現役時代、玉の海、貴ノ花という足腰が素晴らしい両力士と繰り広げた名勝負、それだけが彼の思い出です。 まだ小学生、そして中学生になったばかりの頃の私は、ライバル横綱玉の海と北の富士の千秋楽の名勝負が大相撲を観戦する最大の「目当て」でした。 今も忘れられないのが、玉 […]

水の神「丹生川上神社下社」に参拝した後、道の駅「吉野路 黒滝」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○) 

日本書紀には、2600年以上前に神武天皇が神の教示を受けて八百万の神々を丹生川上の榊(さかき)に招いたのが「現代祭祀のはじまり」であると記されています。 それからおよそ1300年のち、今からは1350年前の白鳳4年(675)、その丹生川上の榊(さかき)に「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との神誨(しんかい=お告げ)があり […]

「唐子・鍵遺跡」に隣接する道の駅「レスティ唐子・鍵」(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事△設備◎立地○) 

唐古・鍵遺跡は、弥生時代前期(約2,300年前)に成立し、古墳時代前期(1,700年前)までの約600年間続いたと考えられる集落の遺跡です。奈良盆地のほぼ中央、奈良県磯城郡田原本町大字唐古および大字鍵に位置し、直径約400mの範囲が居住区で、その周りには幾重にも「環濠」が巡っていました。内濠は幅10m・深さ2mを測り、外方には幅5m・深さ1.5mの濠が幾条もつづく。城砦と見まがう姿の集落の総面積は […]

「壬申の乱」の形成逆転の地、道の駅「ふたかみパーク當麻」へ(トイレ◎仮眠△休憩△景観○食事○設備△立地○) 

663年(天智天皇2年)、朝鮮半島南西部の白村江(現在のクム川)河口付近で日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗。この白村江の戦いで敗れた後、天智天皇(当時は「大君」)は臣下の反対を押し切って都を奈良・飛鳥から滋賀・大津に移します。 天智天皇は崩御する2ヶ月前に、実弟である大海人皇子を病床に呼んで「後の事はお前に任せる」と伝えました。しかし大海人皇子はこれを辞退。出家して吉野へと向かいました。天智 […]

究極の古民家「藤田家住宅」から道の駅「大和路へぐり」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

信貴生駒の東に延びる山麓、生駒郡平群(へぐり)町を見下ろす高台の広い敷地。ここは応仁の乱で西軍を率いた山名宗全の邸宅跡だそうですが、そこに、整った「大和棟」の古民家が建っています。この藤田家住宅は、伝統的な町家としての姿を今にとどめる、国登録有形文化財です。通常は未公開ですが、不定期に家の中まで公開されることがあり、そのチャンスには見ることができます。 古図が残されていて、それによると、当初は元禄 […]

「信長」の勝手な怒りで虐殺された「伊賀者」の怨念を道の駅「宇陀路室生」で感じた(トイレ△仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地○)

浅井・朝倉氏や伊勢長島の一向一揆などを相次いで滅ぼした織田信長は、1581(天正9)年、伊賀国(現在の三重県伊賀市と名張市)に侵攻します。 伊賀は山に囲まれた小さな国で、束ねる大名もおらず、隣国からの支配もされず、小さな土豪が割拠していました。「伊賀中世城館調査会」によると、600以上の城館があったとされますが、情報収集能力を買われて他国の雇い兵となる者が多く、彼らは伊賀者(忍者)と呼ばれました。 […]

道の駅「十津川郷」から「十津川温泉」へ!(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地△) 

日本で最も広い村は北方領土にあります。それは、択捉島の留別村。終戦当時は択捉島で最も大きな集落で2,258人の日本人が住んでいましたが、現在は誰も住んでいません。このことに関して、私は12年前北海道庁に乗り込んで奪還に向けてハッパをかけましたが、所詮北海道庁ではどうにもならない問題。しかし日本は、クソロシアの不法占拠からなんとしても北方領土を奪還せねばなりません。 第二次世界大戦のどさくさに紛れた […]

道の駅「吉野路 大塔」から「谷瀬の吊り橋」へ!(トイレ△仮眠○休憩○景観◎食事△設備△立地△)

みなさんは、星を見るのはお好きでしょうか?私は東経135度、日本標準時の「子午線のまち」明石で少年期を過ごしたからか、一時プラネタリウムがある天文科学館に通って熱心に星の勉強をしていたことがあります。もう60年も前のことですが(笑) 京奈和自動車の五條ICから国道168号線を南に24キロ、 奈良県南西部の旧大塔村(現五條市大塔町)に「吉野路 大塔」という道の駅があります。 紀伊山地の北部にある大塔 […]

秋の吉野山へ。道の駅「吉野路大淀iセンター」からGo!(トイレ○仮眠△休憩◎景観△食事○設備○立地△) 

奈良県の大峰連山の北端から南へ約8キロメートル続く尾根一帯。そこが吉野山と呼ばれています。 吉野山といえば、多くの方が連想するのは「桜」でしょう。その吉野山、紅葉が綺麗だとか、紅葉の名所だとか、少なくとも私は聞いたことがありません。しかし、桜の名所は秋の紅葉も絶景なのだと言う人もいます。 春には3万本という桁外れの桜の木が満開となるが、秋にはその葉が「紅葉」するのです。つまり、吉野山の紅葉は、概ね […]

百名山「大峰山」へ、道の駅「吉野路 上北山」から向かう!(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事△設備△立地○)

大峰山は奈良県南部の山々の総称です。広義には紀伊山地の南北に連なる脊梁山脈を指し、「大峰山脈」とも呼ばれるほか、「近畿の屋根」「大和アルプス」などと謳われることがあります。また狭義には山脈の南部や、山上ヶ岳を指す場合もあるようです。歴史的には、大峰山脈のうち山上ヶ岳の南にある小篠(おざさ)から熊野までの峰々の呼び名であったそうです。対して、小篠から山上ヶ岳を含み尾根沿いに吉野川河岸までが金峰山。歴 […]

百名山「大台ヶ原山」へ、道の駅「杉の湯 川上」からGo!!(トイレ○仮眠◎休憩○景観△食事△設備△立地○)

最高点の一等三角点は基準点名が「大台ヶ原山(おおだいがはらやま)」となっていますが、国土地理院による地図には日出ヶ岳(ひでがだけ)と表記され、この山が三重県の最高峰です。この日出ヶ岳は標高1694.9m。深田久弥によって「日本百名山」の一つとされているほか、日本百景、日本の秘境100選にも選ばれています。 大台ヶ原(おおだいがはら)とは、奈良県吉野郡上北山村と同郡川上村および三重県多気郡大台町旧宮 […]

紅葉の天川村へ、民宿「大谷屋」さんからGo!!(トイレ◎風呂◎設備◎睡眠◎価格◎景観◎立地◎)

奈良県吉野郡天川村は紀伊半島の中央部に位置し、村の面積の4分の1が吉野熊野国立公園に指定されています。 2004年にはユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録され、天川村はその主要な構成要素としての「大峯奥駈道」・霊場「吉野・大峯」の一部を擁しているのです。 天川村に流れる美しい川は、近畿最高峰の八経ヶ岳をはじめとした名峰連なる大峯山脈の源流域のその一滴が、幾つもの渓谷を渡ってきた […]