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石川県

「小松とまと」と「小松うどん」を食べたくて。道の駅「こまつ木場潟」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)  

旅は石川県小松市へ。石川県小松市といえば、小松製作所(コマツ)の発祥の地、それから小松うどんと小松とまと、え〜っとそれから木場潟からは白山も見えると聞いたことがあるぐらい。小松製作所(コマツ)の本社はずっと前から東京だし、とにかく木場潟を目的地に、道の駅でトマトと小松うどんをいただくことにした。 小松市周辺には、元々「加賀三湖」と言われていた湖があった。 小松市の木場潟と今江潟、小松市の南側に隣接 […]

道の駅「蓮如の里あわら」から、私的に「あわわ」な山代、片山津はパスして「山中温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地○)   

「山代」「片山津」「山中」の3つの温泉地と城下町、漁港、宿場町など6つの地域からなる「加賀温泉郷」は、それぞれにしっかりした個性がある。 四季折々の里山や海の幸に恵まれたこの地域は、これから何度訪れても飽きることはないだろう。と偉そうなことを言いつつ、恥ずかしながら、そして不覚にも。 私的に「あわわ」な(笑)山代には2度、片山津には3度行っているのに今までに行ったことがなかったのが山中温泉だった。 […]

日本唯一の砂上ドライブウエイを駆け抜けて道の駅「のと千里浜」へ。夕日に涙(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地◎)  

能登半島を南北に縦断する無料の高規格道路「のと里山海道」。 この大動脈の復旧は何より急がれているが、まだ片側1車線の区間も多く残り完全には復旧していないことが、能登半島の復興スピードが遅い要因の一つとなっている。この道の南部を、並行して走るのが「千里浜なぎさドライブウェイ」だ。2024年3月3日までこの道も全車両が通行止めとなっていたが、2024年3月4日からは天候が悪い日を除き、通行止めは解除と […]

復興の道筋で最優先された「のと里山空港(能登空港)」へ。道の駅「桜峠」から(トイレ△仮眠○休憩◎景観○食事△設備△立地○)  

2024年1月1日、16時06分。能登半島で、本震の前に震度4の地震が発生していた。 この時、能登空港(愛称:のと里山空港)ランウェイ25にはANA749便「ボーイング737-800」が能登情報圏を最終進入中だった。 管制はただちにランウェイチェックが必要と判断し、航空管制運航情報官は上空でのホールディングを指示した。その時だった。能登半島を今度は最大震度7の大地震が襲った。 16時10分、能登半 […]

震災後復旧した千枚田はたった4分の1、未だ再開しない道の駅「千枚田ポケットパーク」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事✖️設備△立地△)   

輪島市中心部から海岸沿いを東に10キロ、日本海を望む斜面に1004枚の棚田が連なる国の名勝、白米千枚田(しろよねせんまいだ)がある。 出口弥祐(やすけ)さん(77)は、この千枚田の維持管理を行う地元有志団体「白米千枚田愛耕会」の発足時からのメンバー。彼らの地道な活動は18年を迎えようとしていた。料理が得意だった奥さん(当時74)は作業を終えた人たちにおにぎりやみそ汁を振る舞う優しい人だった。202 […]

志賀原発がもし再稼働していたら、そして珠洲に計画された原発がもしできていたら。あまりの「危機一髪」にゾッとするしかない。

2024年1月1日(月)に本震が起こった能登半島地震は、地盤の隆起という滅多にない現象を引き起こした。能登半島の北西部で4メートル以上、能登半島北側の海岸でも複数の地点で2メートルを超える地盤の上昇が確認されている。地震の震源地である石川県能登半島には、再稼働の計画が進んでいたものの発災時には稼働していなかったためかろうじて事なきを得た志賀(しか)原発がある。そして、計画されたが建設されなかった珠 […]

地震から1年半経ってなお「手付かず」なのは何故?輪島の「土地隆起」がもたらしたかつてないインフラ破壊の恐怖

能登災害復興ボランティアも2週間目。 場所を和倉温泉、穴水町から輪島に移した初日、私は情けないことに現場で転倒。アスファルトの瓦礫で顔面をしこたま強打した。 能登半島地震は、活断層が上下方向に動いた逆断層型の地震だった。 逆断層型地震とは、断層面を境として両側のブロックが上下方向に動く「縦ずれ断層」の一種である。「縦ずれ断層」のうち、上盤側がずり下がる場合を「正断層」、のし上がる場合を「逆断層」と […]

震災から1年半。「傷深し」と思い知った「和倉温泉」と道の駅「あなみず」での車中泊ボランティア(トイレ○仮眠◎休憩○景観△食事◎設備△立地△) 

和倉温泉と穴水町で微力ながらの車中泊ボランティアを1週間続け、いよいよ明日からは場所を移して輪島だ。 軍手をしていても豆が潰れるほど頑張ったし、酒でも飲むか、穴水町最後の夜は酒場で人と交流しようかと。 (翌日の輪島のボランティアでまさか顔に怪我をするとは思わなかったが) 穴水町には今やほぼなくなった「酒場」だが、かろうじて残っていた小料理屋を1軒見つけた。 のれんが上がっていなかったが戸が空いてい […]