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石川県

大伴家持も国司として赴任し、在任中に223首の歌を詠んだ「能登国総社」へ。道の駅「織姫の里なかのと」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)  

「能登国総社」は、国分寺跡から東方約1キロ。石動山への登山口にある。 能登國総社は、総社由来碑にあるように、創建は大穴持命(おおあなむちのみこと、大国主)が能登を平定した際に腰掛けた石をご神体にして祀ったのが始まりとされている。 ちなみに北陸道には大国主の伝承が多い。 能登国内四十三座の神を祀るほか、 明治40年(1907)に合祀した諏訪神社の建御名方神を祀る。 旧社格は「村社」と称したこの総社は […]

上杉謙信が最後に手に入れた難攻不落の「七尾城」とそこからの絶景。道の駅「いおり」から(トイレ△仮眠○休憩○景観◎食事△設備△立地○)  

上杉謙信の晩年の戦いの一つに、「七尾城の戦い」がある。 「七尾城の戦い」とは、能登畠山氏が居城とした巨大な山城「七尾城(石川県七尾市)」を舞台に、天正4〜5年(1576〜1577)にかけてのほぼ1年間にわたって繰り広げられた、上杉謙信と能登畠山氏の攻城戦である。 七尾城は「五大山城」に数えられる全国屈指の規模、具体的には南北約2.5キロメートル、東西約1キロメートル、面積は約252.6ヘクタールに […]

5百数十年前、ついに「百姓ノ持チタル国」となった加賀国一向一揆の時代へ。道の駅「めぐみ白山」から(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地○)  

高尾城の戦いとは、加賀国の守護・富樫政親が高尾城を一向一揆に攻め落とされた戦いである。 長享2(1488)年、一向宗を信仰する人たちが団結した集まりである一向一揆の人々が、重い税に怒りを爆発させた。彼らは富樫家の内乱に乗じて政親の叔父の泰高を同盟の中心にしてまつり上げ、政親に対して反乱を起こしたのだ。 一向一揆の人々は、野々市の大乗寺に陣を置いた泰高とともに高尾城を取り囲み、政親は高尾城(たこうじ […]

五大老にまで出世した「加賀百万石」前田利家の原点「金沢城」跡へ。道の駅「内灘サンセットパーク」から(トイレ△仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○)  

金沢城は、加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が天文15(1546)年に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、佐久間盛政が天正8(1580)年に築城を開始した城である。 尾山御坊は寺院でありながら加賀一向一揆の拠点でもあったため、堀や柵、土塁などを備えた城としての性格も持ち合わせていたのである。賤ケ岳の戦いでいち早く柴田勝家を裏切って戦線を離脱し秀吉に降伏した姑息な前田利家は、その功?により能登一国に加 […]

織田信長の部下でよきライバルだった二人が敵として戦った「末森城」へ。道の駅「高松」へ(トイレ◎仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

織田信長の側近で豊臣秀吉の五大老の1人として政権を運営し、加賀百万石を築いた前田利家。 そんな利家はうまく出世したが、一世一代の危機に陥った戦いは一度だけ、天正12年(1584年)9月9日に起こった「末森城の戦い」だろう。かつて一緒に織田信長のもとで働いたライバル佐々成政が前田家にとって重要な拠点だった能登国(現在の石川県)の末森城を奇襲。 末森城は落城寸前となる。 この奇襲は「小牧・長久手の戦い […]

「ひょっこり能登島」で、もっとも早く完全復活している水族館にひょっこりと。工事中の道の駅「のとじま」から(トイレ△仮眠✖️休憩✖️景観△食事✖️設備△立地○)  

“能登島” は、石川県の七尾湾に浮かぶ小さな島だが、その形が私の子どもの頃にNHKでやっていた「人形劇 “ひょっこりひょうたん島” 」に似ていることから、“ひょっこり能登島” の異名を持つ。 連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』は、無名の若手作家だった井上ひさしの名前を一躍有名にしたNHKの元祖「お化け番組」だ。 最初の東京オリンピックと同じ1964(昭和3 […]

「小松とまと」と「小松うどん」を食べたくて。道の駅「こまつ木場潟」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)  

旅は石川県小松市へ。石川県小松市といえば、小松製作所(コマツ)の発祥の地、それから小松うどんと小松とまと、え〜っとそれから木場潟からは白山も見えると聞いたことがあるぐらい。小松製作所(コマツ)の本社はずっと前から東京だし、とにかく木場潟を目的地に、道の駅でトマトと小松うどんをいただくことにした。 小松市周辺には、元々「加賀三湖」と言われていた湖があった。 小松市の木場潟と今江潟、小松市の南側に隣接 […]

道の駅「蓮如の里あわら」から、私的に「あわわ」な山代、片山津はパスして「山中温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地○)   

「山代」「片山津」「山中」の3つの温泉地と城下町、漁港、宿場町など6つの地域からなる「加賀温泉郷」は、それぞれにしっかりした個性がある。 四季折々の里山や海の幸に恵まれたこの地域は、これから何度訪れても飽きることはないだろう。と偉そうなことを言いつつ、恥ずかしながら、そして不覚にも。 私的に「あわわ」な(笑)山代には2度、片山津には3度行っているのに今までに行ったことがなかったのが山中温泉だった。 […]

日本唯一の砂上ドライブウエイを駆け抜けて道の駅「のと千里浜」へ。夕日に涙(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地◎)  

能登半島を南北に縦断する無料の高規格道路「のと里山海道」。 この大動脈の復旧は何より急がれているが、まだ片側1車線の区間も多く残り完全には復旧していないことが、能登半島の復興スピードが遅い要因の一つとなっている。この道の南部を、並行して走るのが「千里浜なぎさドライブウェイ」だ。2024年3月3日までこの道も全車両が通行止めとなっていたが、2024年3月4日からは天候が悪い日を除き、通行止めは解除と […]

復興の道筋で最優先された「のと里山空港(能登空港)」へ。道の駅「桜峠」から(トイレ△仮眠○休憩◎景観○食事△設備△立地○)  

2024年1月1日、16時06分。能登半島で、本震の前に震度4の地震が発生していた。 この時、能登空港(愛称:のと里山空港)ランウェイ25にはANA749便「ボーイング737-800」が能登情報圏を最終進入中だった。 管制はただちにランウェイチェックが必要と判断し、航空管制運航情報官は上空でのホールディングを指示した。その時だった。能登半島を今度は最大震度7の大地震が襲った。 16時10分、能登半 […]

震災後復旧した千枚田はたった4分の1、未だ再開しない道の駅「千枚田ポケットパーク」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事✖️設備△立地△)   

輪島市中心部から海岸沿いを東に10キロ、日本海を望む斜面に1004枚の棚田が連なる国の名勝、白米千枚田(しろよねせんまいだ)がある。 出口弥祐(やすけ)さん(77)は、この千枚田の維持管理を行う地元有志団体「白米千枚田愛耕会」の発足時からのメンバー。彼らの地道な活動は18年を迎えようとしていた。料理が得意だった奥さん(当時74)は作業を終えた人たちにおにぎりやみそ汁を振る舞う優しい人だった。202 […]

志賀原発がもし再稼働していたら、そして珠洲に計画された原発がもしできていたら。あまりの「危機一髪」にゾッとするしかない。

2024年1月1日(月)に本震が起こった能登半島地震は、地盤の隆起という滅多にない現象を引き起こした。能登半島の北西部で4メートル以上、能登半島北側の海岸でも複数の地点で2メートルを超える地盤の上昇が確認されている。地震の震源地である石川県能登半島には、再稼働の計画が進んでいたものの発災時には稼働していなかったためかろうじて事なきを得た志賀(しか)原発がある。そして、計画されたが建設されなかった珠 […]

地震から1年半経ってなお「手付かず」なのは何故?輪島の「土地隆起」がもたらしたかつてないインフラ破壊の恐怖

能登災害復興ボランティアも2週間目。 場所を和倉温泉、穴水町から輪島に移した初日、私は情けないことに現場で転倒。アスファルトの瓦礫で顔面をしこたま強打した。 能登半島地震は、活断層が上下方向に動いた逆断層型の地震だった。 逆断層型地震とは、断層面を境として両側のブロックが上下方向に動く「縦ずれ断層」の一種である。「縦ずれ断層」のうち、上盤側がずり下がる場合を「正断層」、のし上がる場合を「逆断層」と […]

震災から1年半。「傷深し」と思い知った「和倉温泉」と道の駅「あなみず」での車中泊ボランティア(トイレ○仮眠◎休憩○景観△食事◎設備△立地△) 

和倉温泉と穴水町で微力ながらの車中泊ボランティアを1週間続け、いよいよ明日からは場所を移して輪島だ。 軍手をしていても豆が潰れるほど頑張ったし、酒でも飲むか、穴水町最後の夜は酒場で人と交流しようかと。 (翌日の輪島のボランティアでまさか顔に怪我をするとは思わなかったが) 穴水町には今やほぼなくなった「酒場」だが、かろうじて残っていた小料理屋を1軒見つけた。 のれんが上がっていなかったが戸が空いてい […]