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島根県

「湯の川温泉」で全身浴のち、道の駅「湯の川」で仮眠と足湯(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

「火の山の ふもとの湯こそ 恋しけれ 身をこがしても 妻とならめや」 神代の昔、出雲からやってきた大国の主命と恋に落ちた稲羽の国(八上姫)は、主命にスセリヒメというお妃があることを知らず、国に帰られた主命を慕って旅に出ました。出雲の入り海(宍道湖)を船で進まれた八上姫は、南の山の谷あいに湯気が立ち上がっているのを見つけます。 気になって船を降り、近づいてみますと、そこには岩の間からこんこんと湯が湧 […]

「石州口の戦い」跡から東へ、道の駅「サンエイト美都」から「美都温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事△設備△立地○)

岸静江は、第二次長州征討の際の石州口の戦いにおいて、単身で関門を守ろうとして討ち死にした幕末の浜田藩士です。名を国治といい、1836年、越智松平家に仕える岸家の長男として群馬県に生まれますが、その年の国替えで浜田の人となります。少年期は極めて優秀な成績で、江戸への遊学も経験した秀才でした。 1860年に浜田藩第4代藩主松平武聡の近習として召し出され、1866年には岸家の家督を継ぎ禄高110石の物頭 […]

道の駅「ごいせ仁摩」にて、尼子氏の盛衰を振り返る(トイレ◎仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地○)

尼子氏は、元を辿れば近江(滋賀県)の京極氏の流れで、出雲国守護代でした。応永二年(1395)、江州京極高詮の守護代として富田城に入り、出雲・隠岐両国を治めようと決意したのは尼子持久です。その後、持久の子・清貞が家督を相続して京極からの独立を図りますが、この時は失敗に終わりました。その二年後、富田城を攻め、乗っ取りに成功したのが清貞の嫡男・経久です。守護京極政経に対抗して戦国大名として独立を果たした […]

道の駅「サンピコ江津」から、中国地方の覇者・毛利元就の戦いの軌跡を辿る(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)

毛利元就は、互いに対立していた大内氏と尼子氏の双方に仕えながら、多くの戦いを経験しました。元就の時代は、まだ鉄砲の普及が無かった時代です。また、複雑な地形を利用した山城が多く、どれも攻略が難しいものばかりでした。元就の戦いでは、「調略」を用いて多くの戦いに勝利しています。人は、元就のことを「謀神」と呼ぶくらい、謀略に長けた武将でした。籠城戦でも、10倍の兵の尼子氏の大軍を打ち負かした戦いもありまし […]

中世の名城「三隅城」へ。道の駅「ゆうひパーク三隅」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

三隅城は、この地の豪族・三隅氏の初代兼信が、三隅の町並みの東方にそびえる標高362mの高城山(たかじょうざん)の頂上に寛喜元年(1229)に築いたもので、三隅氏代々の居城でした。中世の石見における代表的名城の一つで、十指に余る支城を持ち、難攻不落を誇っていました。 南北朝の頃には、南朝方にくみした三隅氏四代兼連(かねつら)が、暦応5年(興国3年、1342)周辺の諸城を落として攻め寄せた上野頼兼の軍 […]

浜田藩の「浜田城」と「浜田港」。道の駅「ゆうひパーク浜田」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)

石見国(島根県)浜田藩(松平右近将監家 石高六万一千石)は、江戸時代末期の長州征伐(幕長戦争)において長州軍と交戦したことで知られています。幕長戦争は、江戸幕府が倒幕の急先鋒であった長州藩を攻撃した戦いで、元治1年(1864年)と慶応2年(1866年)の2回にわたって行われました。浜田藩は、第二次幕長戦争の「石州口の戦い」に参加し、長州藩と戦っています。 この第二次幕長戦争に際して、浜田藩は幕府軍 […]

道の駅「大社ご縁広場」から、「出雲大社」に参拝(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

山陰自動車道の出雲ICから国道431号線及び一般道を通って北に9km、 島根県北東部の旧大社町(現出雲市大社町)に「道の駅 大社ご縁広場」があります。ここからは出雲大社の一の鳥居がはっきりと見えます。 参拝前に立ち寄ると、無料で利用できる足湯でスッキリしてから参拝できたり、大社参りが初めての方は出雲大社の情報を仕入れたりできて便利です。 以前は道の駅とは言うものの、物産館もレストランも無く観光案内 […]

道の駅「キララ多岐」から日本海を見ていると「温泉津」まで足を伸ばしたくなった(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備◎立地◎) 

道の駅「キララ多伎」は、島根県の日本海沿いのほぼ中央に位置する多伎町(出雲市)にあります。松江方面から国道9号線を西にひたすら走ります。山林風景が続きますが、やがて右手(北側)に海が開け、前方にキラキラと輝く海岸の景色が見えるのですが、まさにそこに道の駅「キララ多伎」はあります。 施設の外観は北欧風のレンガ造りで、とても温かみのある建物です。建物の中に入る前に、道の駅キララ多伎から、海への階段を降 […]

道の駅「ロード銀山」から、世界遺産「石見銀山」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備○立地○) 

「石見銀山(いわみぎんざん)」とは、島根県の中心部、大田市にある日本最大級の銀山のことで、現在は廃鉱になっています。石見銀山の最盛期には、世界にある銀のうち、3分の1が日本で産出したものだと言われていましたが、その大部分が石見銀山で産出されたものだったという程です。 なお、世界遺産には「石見銀山」として登録されていますが、日本では時代によって「大森銀山(おおもりぎんざん)」「佐摩銀山(さまぎんざん […]

道の駅「広瀬・富田城」にて難攻不落の「月山富田城」と下剋上尼子氏を偲ぶ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地○)

月山富田城は標高190mの月山を中心に、飯梨川に向かって馬蹄形に伸びる広大な山城です。一見しただけでは、山の頂に点々と石垣と土塁が残るだけのシンプルな景観。ですが実は、歴史好きの間で日本随一とも評される山城。周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことのできない立地条件を備えてもいて、中国地方における中世城郭の代表的な城跡とされています。 山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複 […]

道の駅「本庄」なら、「日本海」と「中海」の両方が近い(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地◎)

宍道湖と並んで山陰を代表する湖「中海」の北側の湖畔に「道の駅 本庄」はあります。ここに向かう際に高速道路(山陰自動車道)を利用する場合は、米子ICもしくは松江ICを降りることになりますが、どちらかと言うと、山陰自動車道の松江JCTで降りる方が近いでしょう。高速を降りたら北東に13km走るだけです。走行距離最短で行きたい方はこの松江JCTからのアクセスの方が良いと思います。 もう一つ、山陰自動車道の […]

国宝「松江城」へは、宍道湖畔の道の駅「秋鹿なぎさ公園」からが一粒で2度美味しい(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

昔から人間は争いごとが大好きで、日本だけでなく世界中で、人の財産だけでなく命が奪われるという歴史が繰り返されてきました、いや、今も繰り返されています。そこでこの国においては、大事な財を守るため、敵から身を守るための建造物や土木施設ができるようになりました。それが城のはじまりです。 つまりお城は防衛施設であり軍事基地です。お城と聞いて石垣や天守を想像するかもしれませんが、これらは中世から近世城郭の歴 […]

道の駅「匹見峡」は、表と裏と前の「匹見」と「奥匹見」との分かれ道(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事△設備○立地◎)

日本の各地で「過疎」が進行していますが、日本で最初に「過疎」が始まったのはいつ頃で、それはどこからだったかをご存知でしょうか? 日本で「過疎」という言葉が生まれたのは昭和38年で、島根県の山間部「匹見町」から始まったと言われています。「匹見町」は、現在は益田市と合併していますが、それまでは山間でのわさび栽培や林業、木工などを生業とする数多くの小集落が分散して存在する小さな町でした。 そんな「匹見町 […]