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島根県

出雲湯村温泉元湯「漆仁の湯」〜「光明寺」〜「龍頭が滝」へ。道の駅「おろちの里」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事✖️設備△立地○)  

緑豊かな中国山地に囲まれた斐伊川中流に佇んでいて、静けさの中、相当にひなびた趣がある温泉。と、こうくれば、まさに私ごのみ。ストライクゾーンど真ん中である。「出雲湯村温泉」は、完本として現存する唯一の風土記「出雲国風土記」にも「漆仁(しつに)の川辺の薬湯」として記されている歴史ある温泉地で、その場所はヤマタノオロチ伝説が残る斐伊川の中流。大自然に囲まれた山あいの秘湯として、地元の人々はもちろんのこと […]

程よく鄙びた海潮温泉で一泊。翌日朝から「意宇六社めぐり」をじっくりと。道の駅「さくらの里きすき」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)  

島根県松江市には「意宇六社めぐり」という巡拝コースがある。 意宇と書いて、「おう」と読むのだが、この地方には「国引き神話」というものがあって、これは八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が出雲の国を大きくするために、他の国の土地を引き寄せてつなぎ合わせたという神話だが、出雲国風土記には、この国引きの時に「意恵(おうぇ)」と詔(みことの)りたまひき、故、意宇(おう)と云う」とある。 「国引きを […]

アーティスト復帰後、初めて訪れた美術館は「奥出雲鉄の美術館」。道の駅「奥出雲おろちループ」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)

奥出雲といえば、古来からの鉄づくり「たたら製鉄」が有名だが、鉄づくりが行われていた「鉄の町」奥出雲のシンボルとして「奥出雲鉄の彫刻美術館」があると聞いた。43年間もアートを手放しておいて、67歳にしてアーティスト復帰を決めた以上(笑)これまでご無沙汰していた美術館などにも行って、とにかくいろんなアーティストから刺激を受けたいと思い、この「奥出雲鉄の彫刻美術館」を訪ねてみた。 広島県側からだと中国自 […]

今でいう詐欺師「毛利元就」が尼子氏を騙しに行った、その道中にある道の駅「掛合の里」へ(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備△立地○)

「神仏の通ひ路」を、戦国時代の詐欺師「毛利元就」が大手を振って通っていたなんて、神仏への冒涜、道が汚れるっちゅーの! まあ、それほどに、私は「戦国時代の詐欺師」毛利元就が嫌いだ。 戦国時代の城攻めの中で、謀略や策略を用いた「調略」は、戦に勝つための手段のひとつではあった。 「調略」とは策略・謀略を意味するが、元就がもっとも得意とした、いわば当時の「特殊詐欺」は、敵にニセ情報を流したり工作を仕掛けて […]

出雲大社神楽殿の日本一の大しめ縄をつくって奉納している場所へ、道の駅「頓原」から(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備○立地○)

出雲市から南へ約30km。広島県高野町に接する奥出雲の高原の町・頓原。 出雲大社の南側で日本海に流れ込む神戸川の支流・頓原川と、いくつもの支流とが一気に合流する場所に頓原町がある。 ここは広島県との県境にあって森林が多く、また、中国山地の多雪地帯の一つである。頓原では、古くから冬の農家の仕事として藁細工が盛んに行われており、昔から受け継がれてきた技術が、出雲大社の神楽殿や拝殿の、巨大なしめ縄作りに […]

「もののけ姫」で理想郷として描かれた「菅谷たたら山内」へ。道の駅「たたらば壱番地」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)

宮崎駿監督の名作『もののけ姫』には、「たたら場」が物語のカギを握る重要な場所として登場する。 たたら場とは、砂鉄から鉄を取りだす作業を行う場所で、いわば昔の製鉄所である。 映画では奥出雲に存在した代表的な「菅谷(すがや)のたたら場」がモデルになったという。 アシタカ:「まるで城だな」 甲六:「エボシ様の大たたらでさぁ。砂鉄を沸かして鉄を作ってるんです」 主人公アシタカは、たたり神の呪いを解こうと旅 […]

尼子十旗の一角「赤穴瀬戸山城」、宿場町「赤名」へ。道の駅「赤来高原」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地◎)

中国地方を旅していると、ついつい尼子V.S.毛利の戦国時代に思いを馳せる。 私は謀略まみれの毛利アレルギー、故に尼子びいきだが、赤穴瀬戸山城(あかなせとやまじょう)も「尼子十旗」すなわち尼子氏本城・月山富田城を防衛した主要な十支城の一つだ。 島根県飯石郡飯南町の赤名市街地の背後にそびえる武名ヶ平(ぶながひら)山(724.4m)から派生した、標高631mの衣掛山の山頂に、佐波(さわ)氏=後の赤穴(あ […]

築200数十年、14坪。石見の小さな古民家から、道の駅「むいかいち温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

白川郷ほど有名ではなくても、私は雪深い地方の、農家の家に興味がある。私の母の故郷の茅葺き屋根、その下で冬を越した幼児体験がその源泉にあると思われるが、島根県西南部の山口県境に程近い六日市町郊外の吉賀町にある「旧道面家住宅」にも非常に関心があって、訪ねてみた。 重要文化財の民家は、外観のみ公開されている場合が多く、いきなり現地に行っても内覧はできないことが普通だが、私が訪れた日は、偶然にもご近所の老 […]

さだまさしの「案山子」を聞く度に、母ちゃんと訪れた「津和野」に行きたくなる。道の駅「津和野温泉なごみの里」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)

津和野は、日本全国津々浦々を旅している私が、「どうしようもなく好きな場所」の一つである。 さだまさしの「案山子(かかし)」という曲は、津和野町をモデルにした曲として知られ、特に津和野城跡から見下ろす景色がまさに歌詞の情景と重なるこの町に、もう何度行ったことだろう。 それでも私は、この曲を聞くたびに、たまらなく津和野に行きたくなるのだ。冒頭の写真は、母に抱かれる私だが、津和野は、母の実家に車に乗せて […]

松本清張「砂の器」の重要な舞台となった島根県「亀嵩」へ、道の駅「酒蔵奥出雲交流館」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○)

「ズーズー弁てのは 語尾がはっきりしないのが特徴なんだそうだ。だからカメダケにしてもカメダカにしてもだね、ズーズー弁の人が発音するとね、我々の耳にはカメダに聞こえるって」 亀嵩駅と砂の器 松本清張の小説「砂の器」に登場し、その名を知られることになった亀嵩(かめだけ)駅は、奥出雲の山あいにひっそりとたたずむ、ぬくもりにあふれた小さな木造駅舎だ。 島根県松江市の宍道(しんじ)駅から広島県庄原市の備後落 […]

「湯の川温泉」で全身浴のち、道の駅「湯の川」で仮眠と足湯(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

「火の山の ふもとの湯こそ 恋しけれ 身をこがしても 妻とならめや」 神代の昔、出雲からやってきた大国の主命と恋に落ちた稲羽の国(八上姫)は、主命にスセリヒメというお妃があることを知らず、国に帰られた主命を慕って旅に出ました。出雲の入り海(宍道湖)を船で進まれた八上姫は、南の山の谷あいに湯気が立ち上がっているのを見つけます。 気になって船を降り、近づいてみますと、そこには岩の間からこんこんと湯が湧 […]

「石州口の戦い」跡から東へ、道の駅「サンエイト美都」から「美都温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事△設備△立地○)

岸静江は、第二次長州征討の際の石州口の戦いにおいて、単身で関門を守ろうとして討ち死にした幕末の浜田藩士です。名を国治といい、1836年、越智松平家に仕える岸家の長男として群馬県に生まれますが、その年の国替えで浜田の人となります。少年期は極めて優秀な成績で、江戸への遊学も経験した秀才でした。 1860年に浜田藩第4代藩主松平武聡の近習として召し出され、1866年には岸家の家督を継ぎ禄高110石の物頭 […]

道の駅「ごいせ仁摩」にて、尼子氏の盛衰を振り返る(トイレ◎仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地○)

尼子氏は、元を辿れば近江(滋賀県)の京極氏の流れで、出雲国守護代でした。応永二年(1395)、江州京極高詮の守護代として富田城に入り、出雲・隠岐両国を治めようと決意したのは尼子持久です。その後、持久の子・清貞が家督を相続して京極からの独立を図りますが、この時は失敗に終わりました。その二年後、富田城を攻め、乗っ取りに成功したのが清貞の嫡男・経久です。守護京極政経に対抗して戦国大名として独立を果たした […]

道の駅「サンピコ江津」から、中国地方の覇者・毛利元就の戦いの軌跡を辿る(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)

毛利元就は、互いに対立していた大内氏と尼子氏の双方に仕えながら、多くの戦いを経験しました。元就の時代は、まだ鉄砲の普及が無かった時代です。また、複雑な地形を利用した山城が多く、どれも攻略が難しいものばかりでした。元就の戦いでは、「調略」を用いて多くの戦いに勝利しています。人は、元就のことを「謀神」と呼ぶくらい、謀略に長けた武将でした。籠城戦でも、10倍の兵の尼子氏の大軍を打ち負かした戦いもありまし […]

中世の名城「三隅城」へ。道の駅「ゆうひパーク三隅」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

三隅城は、この地の豪族・三隅氏の初代兼信が、三隅の町並みの東方にそびえる標高362mの高城山(たかじょうざん)の頂上に寛喜元年(1229)に築いたもので、三隅氏代々の居城でした。中世の石見における代表的名城の一つで、十指に余る支城を持ち、難攻不落を誇っていました。 南北朝の頃には、南朝方にくみした三隅氏四代兼連(かねつら)が、暦応5年(興国3年、1342)周辺の諸城を落として攻め寄せた上野頼兼の軍 […]

浜田藩の「浜田城」と「浜田港」。道の駅「ゆうひパーク浜田」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)

石見国(島根県)浜田藩(松平右近将監家 石高六万一千石)は、江戸時代末期の長州征伐(幕長戦争)において長州軍と交戦したことで知られています。幕長戦争は、江戸幕府が倒幕の急先鋒であった長州藩を攻撃した戦いで、元治1年(1864年)と慶応2年(1866年)の2回にわたって行われました。浜田藩は、第二次幕長戦争の「石州口の戦い」に参加し、長州藩と戦っています。 この第二次幕長戦争に際して、浜田藩は幕府軍 […]

道の駅「大社ご縁広場」から、「出雲大社」に参拝(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

山陰自動車道の出雲ICから国道431号線及び一般道を通って北に9km、 島根県北東部の旧大社町(現出雲市大社町)に「道の駅 大社ご縁広場」があります。ここからは出雲大社の一の鳥居がはっきりと見えます。 参拝前に立ち寄ると、無料で利用できる足湯でスッキリしてから参拝できたり、大社参りが初めての方は出雲大社の情報を仕入れたりできて便利です。 以前は道の駅とは言うものの、物産館もレストランも無く観光案内 […]

道の駅「キララ多岐」から日本海を見ていると「温泉津」まで足を伸ばしたくなった(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備◎立地◎) 

道の駅「キララ多伎」は、島根県の日本海沿いのほぼ中央に位置する多伎町(出雲市)にあります。松江方面から国道9号線を西にひたすら走ります。山林風景が続きますが、やがて右手(北側)に海が開け、前方にキラキラと輝く海岸の景色が見えるのですが、まさにそこに道の駅「キララ多伎」はあります。 施設の外観は北欧風のレンガ造りで、とても温かみのある建物です。建物の中に入る前に、道の駅キララ多伎から、海への階段を降 […]

道の駅「ロード銀山」から、世界遺産「石見銀山」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備○立地○) 

「石見銀山(いわみぎんざん)」とは、島根県の中心部、大田市にある日本最大級の銀山のことで、現在は廃鉱になっています。石見銀山の最盛期には、世界にある銀のうち、3分の1が日本で産出したものだと言われていましたが、その大部分が石見銀山で産出されたものだったという程です。 なお、世界遺産には「石見銀山」として登録されていますが、日本では時代によって「大森銀山(おおもりぎんざん)」「佐摩銀山(さまぎんざん […]

道の駅「広瀬・富田城」にて難攻不落の「月山富田城」と下剋上尼子氏を偲ぶ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地○)

月山富田城は標高190mの月山を中心に、飯梨川に向かって馬蹄形に伸びる広大な山城です。一見しただけでは、山の頂に点々と石垣と土塁が残るだけのシンプルな景観。ですが実は、歴史好きの間で日本随一とも評される山城。周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことのできない立地条件を備えてもいて、中国地方における中世城郭の代表的な城跡とされています。 山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複 […]