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広島県

平敦盛の許嫁者「玉織姫」が隠れ住んだ庄原市に伝わる民謡「敦盛さん」。道の駅「リストアステーション」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地△)

冒頭画像は、『清書七伊呂波 いちの谷熊谷敦盛』(歌川豊国画/国立国会図書館デジタルより)。 一の谷の合戦で源氏の侍・熊谷次郎直実の刃に倒れた平家の若武者「平敦盛(たいらのあつもり)」。 彼の許婚者・玉織姫は永江の里(庄原)に隠れ住み、敦盛を想い続けて平家の再興を待ちわびたと伝えられる。 「敦盛さん」 はその姿をうたった庄原市無形民俗文化財の民謡。庄原市でお座敷歌、門付歌として歌い継がれてきたが、昭 […]

私が0歳から6歳まで住んでいた「故郷」の町へ。道の駅「クロスロードみつぎ」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

広島県福山市の東部に位置する蔵王地域(蔵王町,南蔵王町)は、昭和30年代まではのどかな田園風景が広がる、当時は「深安郡市村」と呼ばれた人口約2,250人、450戸の村だった。私が生まれる1年半、昭和31年(1956)9月に2町8村が福山市に合併されたとき、この地域で昔から地元のシンボルであり信仰の山として崇められた蔵王山の名前をとって福山市蔵王町となったその街に、私は0歳から小学校1年生の1学期ま […]

天守が残る日本で唯一の山城「備中松山城」へ。道の駅「さんわ182ステーション」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

「備中松山城」は、天守が残る日本で唯一の山城で、江戸時代から残る現存天守12城のひとつである。 臥牛山頂上付近に建つ天守は国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。 臥牛山の標高は480m。 北から大松山・天神の丸・小松山・前山と呼ばれる四つの峰から成っており、西から見た形が牛が伏せた姿に見えることから、その名前が付いたと言われている。 城の歴史は、鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有 […]

本当にウォータースライダーやっててびっくりした「三郎の滝」へ。道の駅「びんご府中」から(トイレ○仮眠✖️休憩△景観△食事○設備○立地◎)

リクルート後輩で友人の宮崎秀敏くんは広島の出身。 「広島の夏の風物詩は「三郎の滝」だよ、広島にいるなら行ってみたら?」と勧めてくれた。彼が教えてくれたサイトを見ると、長い歳月をかけて生まれた、長さ30mの天然すべり台とのこと。 二匹の大蛇が遊んでなめらかな岩になったという伝説、「まあロマンチックな」という人がいるけど、私ゃ蛇大嫌いですから〜、残念! 楽しそうに滝すべりをしている子供たちの動画もネッ […]

中国地方最大「江の川」が創り出す様々な景観とその成り立ちの旅へ。道の駅「グリーンロード大和」から(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事△設備△立地○)

「江の川」は中国地方で最大の河川で、流域面積約3,900km2、全長約190km。 その源を広島県と島根県の県境近くにある広島県山県郡北広島町阿佐山(標高1,218m)に発した支流・可愛川が、三次盆地で西城川・馬洗川・神野瀬川と合流する。その後、小さい蛇行を繰り返しながら脊梁山地を横切って、邑智郡邑智町粕淵より大きく南西方向に向きを転じ、因原付近から西流して江津で日本海に注ぐ。 山陽側に端を発し、 […]

年末の全国高校駅伝で最多優勝記録を伸ばすか注目される「世羅高校」へ。道の駅「世羅」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○)

世羅町と言えば、まず、全国にその名を轟かせる駅伝の強豪校「世羅高校」が頭に浮かぶ。 年末の高校駅伝、特に男子の部を観戦していて、毎年必ず目にするのが広島県代表の世羅高校だ。 逆に、失礼ながら「セラ」といってもそれ以外はまるで思い浮かばない。参議院選挙で落ちた世良公則は字が違うし、京セラは広島の会社じゃないしw わずかにここ3年は優勝から遠ざかっているが、優勝回数は1950年の第1回大会から計11回 […]

寅さんが産湯を使った「帝釈天」が由来の名勝「帝釈峡」へ。道の駅「遊YOUさろん東城」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事△設備△立地△)  

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」 寅さんの実家は門前町の草団子屋で、ご存知柴又「帝釈天」のすぐそば(という設定)だ。 街を歩いて最初に見える仁王門をくぐって寺の境内には(冒頭写真)右手に立派な大鐘楼があり、その手前には寅さんが使った産湯「御神水」がある。 広島県庄原市東城町と神石郡神石高原町にまたがる国定公園・帝釈峡に […]

伊邪那美命(イザナミノミコト)の御陵であり、「ヒバゴン」が棲む「比婆山」へ。 道の駅「たかの」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)

広島県北部、島根県との県境にほど近い位置にそびえる比婆山(ひばやま)。 その山麓の広島県庄原市(旧比婆郡)西城町で、1970年7月20日、身長約1.6m、逆三角形の顔、ゴリラに似た体つきをした謎の類人猿が目撃され、出没地にちなんで「ヒバゴン」と名付けられた。 冒頭は、警察が作成した手配の似顔絵かどうかは知らないが、中国新聞社 1970年10月15日付 に掲載されたものだ。その後もヒバゴンの目撃は相 […]

滝に打たれるわけではないけれど「常清滝」「作木滝」「八千代滝」「吉武滝」の滝旅。道の駅「ゆめランド布野」から(トイレ○仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備△立地○)

広島県三次市作木町に落ちる「常清滝」は、落差126mあって、華厳の滝(落差98m)や那智の滝(落差133m)に匹敵するなどという宣伝文句をよく見かける。しかし直瀑としての迫力に満ち溢れる華厳、那智の両滝と、段瀑となって静かに流れ落ちて優雅で美しい常清滝とは、同程度の落差があってもまったく印象が異なる。 100選滝の中でも第5位の落差がある常清滝だが、数値的に高さがあっても三段に分かれて流れ落ちてい […]

「広島平和記念日」の式典を遠巻きに心で参加した後、道の駅「西条のん太の酒蔵」でシャワーを浴びてから仕事(トイレ◎仮眠○休憩○景観△食事△設備◎立地○) 

今日8月6日は、世界平和を祈る日として、原爆を落とされた広島市が制定した「広島平和記念日」だ。 「平和記念日」とも呼ばれているが、歴史的な悲劇から目を背けず、犠牲者の霊を慰めるとともに、世界平和を啓発するための特別な日である。 原爆が、アメリカによって広島市に投下された日付は、1945(昭和20)年8月6日の8時15分。 だから当然、「広島平和記念日」の式典は毎年、その時刻に黙祷を捧げるため、朝8 […]

1996年からほぼ30年。何度も利用させていただいたがまもなく姿を消す「スパ羅漢」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備◎立地△)

島根県から、津和野街道を、南東方面へ。 広島県に入り国道186号線を走ると、廿日市市飯山に、30年間、街道沿いの清流渓谷温泉地として親しまれてきた羅漢温泉がある。 こんなところに来る客がよくいるものだと思いつつ山道を走るが、名湯の羅漢温泉を楽しもうと、平日であっても一定のファンが訪れる。 かく言う私もそうだ。物産館とレストランが併設されて存続してきたが、施設の所有者である廿日市市は、道の駅「スパ羅 […]

「選択的夫婦別姓」はいいけれど、「強制的大学別姓」はいかがなものか?名前を変えられる前の大学で机を並べて仕事した鈴木創介くんと尾道で飲んだ。

日米の関税交渉がようやく決着した。 トランプ米大統領の術中にはまった感は否めないが、相互関税と自動車関税はともに15%に。耐性の高い日本の製造業からは「仮に円高が15%進んだと思えば何とかなる」という声も聞こえ、日米の株価は共に急上昇した。ほぼ同じタイミングで7月24日にはニデックが4〜6月期業績を発表。可でも不可でもない内容だったが、今後関税分をコストダウンで飲み込むのか、米国で値上げするのか、 […]

フィリピンパブで地雷を踏んで、耕三は私の言葉の暴力マシンガンで蜂の巣に。戦争と平和、尽きぬ話の備忘録、感動の完結編

もう完全に仕上がった二人。「さあ、4軒目、行こう!」と言いながら、すでに耕三の足取りは危ういものになっていたし、すっかり眠たそうな顔にもなっていたのだが。フィリピンパブの前に差し掛かった瞬間、耕三は突然蘇った。 その表情は、一緒に台湾の街を歩いた20代の、あの時の耕三ではないか。 突然見開いた眼には生気といやらしさが宿り、心なしかズボンの前もにわかに、立派に膨らんだように見えた。 「ここ、行こうぜ […]

リクルート同期の奥村耕三と、いよいよ耕三の隠れ家「なわない」へ。過去〜現在〜未来へと尽きぬ話の備忘録第2章

あらためて。持つべきは同期である。私と一緒に1982年、リクルートに入社した耕三は元々京都の人間だが、住まいを広島に移してから、もうどっちが長いかいい勝負ではないかな。そんな長い広島生活の中でも、彼にとって最高ランクの店に次々に連れて行ってくれたのだが、その3軒目は、いよいよ耕三の「隠れ家」。 そもそも「同期」の何がいいって、同じタイミングに社会に出て、入社動機から退職動機、その後の人生まで、話題 […]

参院選期日前投票しての旅、たかが同期、されど同期。リクルート同期の奥村耕三との語り合い備忘録その①

今回の参院選、私は期日前投票を済ませて旅に出て、参院選投票日前日にリクルート同期の奥村耕三(以下耕三)と広島で会った。持つべきは同期である。耕三も京都と広島と、もうどっちが長いか。彼の人生の中で最高ランクの店に次々に連れて行ってくれた。 そもそも「同期」の何がいいって、同じタイミングに社会に出て、入社動機から退職動機、その後の人生まで、話題が尽きないことだ。 待ち合わせは広島三越のライオン像。 な […]

赤鬼、青鬼の34年ぶりの再会。かたやホットペッパー事業を創り上げた鬼、かたやホットペッパーのクーポンを使ってお得に食べるだけの鬼

かつてリクルートの社内報「かもめ」で、どちらが赤鬼でどちらが青鬼だったかは忘れたが、平尾勇司さんと私が「鬼の双璧」として特集されたことがあった。あれは2人ともまだ30台に乗ったばかりの若造時代のことで、「双璧」といっても、それはこと「激怒」することに関して「互角」と言うことにすぎない。 その後の二人の活躍、人生には、まさに天と地、月とスッポンな差がつくわけだが(笑)。 どれほど月とスッポンかという […]

道の駅「舞ロードIC千代田」はかつて「有田中井手の戦い」があった場所だが(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○)

のちに中国の覇者となった毛利元就の初陣は、永正14年(1517)の有田中井手の戦い(有田合戦)。時に元就21歳でした。この戦いは、圧倒的な大軍を少数で破った戦いとして、織田信長と今川義元が戦った「桶狭間の戦い」になぞらえて「西の桶狭間」などと言われることがあり、元就の指揮を絶賛する向きがありますが、実は元就が全軍の指揮をとっていたわけではありません。 毛利の当主である幸松丸は幼く、もちろん出陣はし […]

三原と言えば「三原城」、三原城と言えば「小早川隆景」。道の駅「みはら神明の里」で地方都市の未来を考えた(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地○)

小早川隆景は、毛利元就の三男として生まれました。隆景はわずか12歳で竹原小早川氏を相続し、天文19年には本家となる沼田小早川氏を相続。天文20年に沼田小早川家の高山城に入り、翌21年には沼田川を挟んだ向かいの新高山城へ。 そして、永禄10年に、海の交通に直結する三原城の築城を始めたと伝わります。沼田東町納所には小早川家の菩提寺である米山寺があり、初代実平から17代隆景までの宝篋印塔(国の重要文化財 […]

道の駅「たけはら」で、竹原市の行政無能と期待することの無理とを確信(トイレ✖️仮眠△休憩✖️景観✖️食事✖️設備✖️立地△)

広島県竹原市の人口は昭和55年の約3万7千人をピークに減少に転じ、令和2年度の国勢調査では約2万4千人。40年間で約1万3千人が減少しています。年齢構成でみるとやはり高齢人口の増加が著しく令和2年度の高齢化率は42.1%で、昭和55年から約19%増加。逆に進学期,就職期に若い世代(10代後半から20代前半)の年齢層が大幅な転出超過となっていて、少子高齢化が急速に進んでいるのです。 竹原市ではこの少 […]

道の駅「湖畔の里福富」で、湖面に映り込んだ紅葉狩りを堪能(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備◎立地○)

福富ダムは、広島県の沼田川総合開発事業により建設されたもので、流域の洪水調整、既得取水の安定化、河川環境保全のための流量確保、水道用水の確保を担う、流域2つ目の多目的ダムです。ちなみに1つ目は、沼田川支流の椋梨川に建設された椋梨ダム。集水域160㎢を有し、昭和44年に完成しています。このダムも多目的ですが、水力発電用水の役割も担っています。 福富だむは、1968(昭和43)年の予備調査着手から20 […]