理不尽と言えばあまりの理不尽、「あゝ野麦峠」。道の駅「風穴の里」で涙に暮れて(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備△立地○)
明治の初めから大正・昭和初期にかけて。「殖産興業」の国策のもと、当時の主力輸出産業であった生糸工業で大きく発展していた諏訪地方・岡谷へ、現金収入の乏しい飛騨の村々から大勢の女性たちが、工女として出稼ぎのために野麦峠を越えていた。その多くは13歳くらいの少女であった。 少女たちは一年間稼いだ賃金を持って故郷へと帰るために、年の暮れに雪深い野麦峠を越えて飛騨で正月を迎えようとしたが、遭難して命を落とし […]