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長野県

「男はつらいよ」第22作、寅さんと博の父とともに楽しんだ木曽路の紅葉へ。道の駅「大桑」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備△立地○)

昭和53年(1978)、京都で下宿生活を始めた私は、ついに最後まで下宿にテレビを置かぬまま、大学生活4年間を過ごした。 テレビを観る代わりに、洋邦問わず映画ばかり観ていた、20歳のころの私。 男はつらいよ第22作「噂の寅次郎」もそのうちの一作。京都の祇園で下宿を始めた年末に映画館で観た作品だ。 長野県木曽郡、寅さんは妙覚寺で夢から覚める。 この妙覚寺はじめ、この作品では木曽路の紅葉が綺麗に撮られて […]

武田信玄が晴信と名乗っていた時代の「瀬沢の戦い」古戦場へ。道の駅「信州蔦木宿」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事○設備○立地○)

山梨県と長野県の県境付近を走る国道20号線。 富士見町の甲信国境には川が流れていて橋が架かっているが、ここから北にしばらく走ると瀬沢という地名となる。 ここは標高差があるところで道路がS字カーブに曲がり始め、しばらくその道を登っていくと『瀬沢古戦場』の碑がある。この碑がある場所は『血河原』とという物騒な名前がついていて、瀬沢の戦い=瀬沢合戦は、血河原合戦とも言われた。余程たくさんの犠牲者が出たのだ […]

八ヶ岳連峰の「三段紅葉」からの、山梨と長野を跨いでの紅葉狩り。道の駅「こぶちざわ」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)   

11月も中旬に入る時期、八ヶ岳の秋はそろそろクライマックスだ。 標高1,000m以下のエリアでもモミジなどは落ち葉の季節になってくると、入れ替わるようにイチョウやカラマツなどが見ごろになる。そして山頂の冠雪が始まればいよいよ有名な八ヶ岳高原大橋からの三段紅葉が見ごろになってくる。 「黄色い橋」の愛称で知られる紅葉の定番スポット、山梨県北杜市の清里・大泉の八ヶ岳高原大橋はまさに今が見ごろ。 落葉も目 […]

31歳没の短い生涯、たった4年で平家を退け征夷大将軍まで上り詰めた稀代の武将「源義仲」と彼の右筆「覚明」の痛快なコラボを訪ねて

木曽義仲は、源頼朝の従兄弟にあたる人物である。 木曽山中で成長したため木曽義仲とも呼ばれるが、正式な名前を「源義仲」と言い、義経や頼朝らよりも先に平氏を追い詰め、上洛を果たすなど、源平合戦で華々しく活躍したことで有名である。 義仲の人物像は、都の公家と対比される武士像の一典型として『平家物語』や『源平盛衰記』などに鮮やかに伝えられているが、特に、信濃から北陸道を経て京都に進撃する義仲は、めざましい […]

紅葉ビーナスラインのドライブへ。蓼科復活の起爆剤・道の駅「蓼科湖」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観◎食事△設備○立地○)

長野県茅野市の蓼科(たてしな)高原を通る道路「ビーナスライン」の紅葉・黄葉はまだ見頃だが、そろそろ落葉が始まっていた。ビーナスラインは長野県茅野市街と美ヶ原高原をつなぐ観光山岳道路で、元々は有料道路だったが、現在は無料開放されている。ビーナスラインという名前は、の愛称。沿道から見える蓼科山の山容を女神に例えたことに由来するもので、1968年に公募で決まっている。 ちょうどその頃、オランダのロックグ […]

水蒸気爆発を中心とした活動期にある恐怖の「御嶽山」へ。道の駅「三岳」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

2014年に死者・行方不明者合わせて63名を出した大噴火から11年。 事故の記憶がまだ私の脳裏に鮮明に残っている「御嶽山」の標高は3,067m。単独峰としては、富士山に次ぐ高さがある。乗鞍火山列の南端に位置する成層火山で、現在、水蒸気爆発を中心にした活動期にある。直近2014年の大惨事の前は、1979年の噴火以降、白色の噴煙が続き、2007年3月及び2014年9月には小規模な水蒸気噴火が発生してい […]

穴場紅葉スポット自治体全国第二位に選ばれた駒ヶ根の紅葉へ。道の駅「木曽福島」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

絶景紅葉はココで決まり!という場所は、もちろんみなさんそれぞれにおありだろう。 お前はどうなんだと言われれば、海外旅行・国内旅行のツアーやホテル予約アプリ「NEWT(ニュート)」による「2025年・穴場紅葉スポット自治体ランキング」にて、全国1,741の自治体の中から2位に選ばれた長野県駒ヶ根市をイチオシしたい。 駒ヶ根市の紅葉は、9月下旬から見頃を迎える標高2,612mの中央アルプス・宝剣岳の山 […]

おそらくもっともいい時期と天気とに恵まれた「栂池自然園」の紅葉世界は、半世紀以上の紅葉狩り体験を通じて「別格」だった!

もっとも見たくない日本シリーズなるものを見てしまった2025年10月下旬だった。 このシリーズが始まった次の日、私はもっとも美しい時期の「ザ・紅葉」ともいうべきものも見ていたのだが、その日の夜の第二戦大敗によってあまりのモチベーション低下でとてもそのことを書ける状態ではなくなった。そして今日、ようやくリセット。再び生きていこうと思い直し、なのでほぼ1週間遅れの記事アップになった。私が1週間前にいた […]

「剣ヶ峰」など23峰、7湖、8平原からなる火山群「乗鞍岳」へ。村の駅「アルプスの郷」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○) 

比較的初心者でも登れる3000m級の北アルプスといえば、乗鞍岳だろう。 乗鞍岳は3,026mの主峰「剣ヶ峰」をはじめとする23の峰に7つの湖、8つの平原からなる火山群。 もちろん日本百名山の一角だ。 そんな乗鞍岳の中でも、畳平から剣ヶ峰へのルートは一番人気。そして富士見岳・魔王岳・大黒岳といった、もっと気軽に登山できるルートもあり、特に紅葉の時期には多くの観光客が訪れる。 乗鞍岳は、北アルプス随一 […]

史上最強なのになぜか横綱になれなかった謎の「無類力士 雷電為右衛門」。道の駅「雷電くるみの里」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地○) 

早いもので、大相撲はもう「九月場所」である。今日から15日間の熱戦が繰り広げられる国技館の熱気とは真逆で、ほど近いがひっそりとした「富岡八幡宮」の境内には、「横綱力士碑」がポツンと建っている。 碑は明治33(1900)年に建立されたもので、ここには歴代横綱と新横綱の名が刻まれている。 もちろん横綱ではない力士が、この横綱碑に刻まれることはありえない。本来は。 しかし、ここになぜか一人だけ、横綱にな […]

「島崎藤村」や「永六輔」の素晴らしい詩を生んだ「小諸なる古城のほとり」へ。道の駅「みまき」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ…」 日本語とは、かくも美しいものかと感嘆させられた島崎藤村の「千曲川旅情のうた」の冒頭だ。中学校の修学旅行で最初に接してから半世紀以上、ずっと頭にあって、時折誦じてもいた。藤村は、小諸城址・懐古園をよく訪れていた。 『千曲川のスケッチ』には、小諸義塾の同僚たちと連れ立ってここに弓を引きに行ったことを書いている。当時園内には十五間ほどの矢場があって、藤村は弓 […]

長野北東部から「中山道」旅。数ある名所を通って江戸時代の面影残す南西部へ。 道の駅「ほっとぱーく・浅科」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

「中山道」は、江戸時代に整備された五街道のひとつで、江戸と京都を結ぶ街道である。江戸幕府が1602年から時間をかけて他の五街道とともに整備していく過程では、「東参道」・「木曽街道」・「中山路」・「中仙道」など、地域ごとに様々な名称で呼ばれていたが、1716年に学者・新井白石の進言により「中山道」という名前に統一して、定着していく。 全長約530kmの険しい街道には69もの宿場町が点在し、交通と文化 […]

年末の「全国高校駅伝」も新年2日3日の「箱根駅伝」も注目は「佐久長聖」。道の駅「ヘルシーテラス・佐久南」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

何を隠そうハゲを隠そう、私は「駅伝好き」である。 高校駅伝では故郷兵庫の「小野工業」が強いこともあるし、箱根駅伝では瀬古利彦の時代から、渡辺康幸、大迫傑の時代までずっと「早稲田大学」のファンであることもあるし。先日は、高校駅伝11回の最多優勝(男子)を誇る、通算「最強」の「世羅高校」を訪ねたほど。それほど熱心なファンである。ちなみに来年早々の箱根駅伝では、ずっと青学、駒澤の後陣を配してきた早稲田の […]

減税求めた庶民28人うち子ども10人を磔にして処刑した松本の悪政。道の駅「女神の里たてしな」から(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地○) 

多田(中萱)加助という人物をご存知だろうか? 水野忠直が松本藩主を務めていた頃の、地元の庄屋である。 貞享元年(1684)、凶作が続いて、農民の生活は困窮をきわめていた。 農民の悲願を受けた庄屋の加助は年貢の軽減を長尾組の組手代に申し出るが受け入れられず、松本藩に直接陳情した。この行動を問題視された加助は、庄屋の身分を取り上げられた。 その2年後の貞享3年(1686)、今度は凶作の上に疫病が同時に […]

「真田」「仙石」「松平」のそれぞれの時代に姿と役割を大きく変えた上田城へ。道の駅「あおき」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備○立地○) 

上田城は、天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置している。堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城なのに、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせた。 数ある城郭のなかでも、2度もの実戦経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は全国広しといえどもなかなか他に例を見ない。しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に壊され、藩主であった真田 […]

武田信玄の初敗戦「上田原の戦い」古戦場から連敗喫した「砥石崩れ」へ。道の駅「上田道と川の駅」から(トイレ◎仮眠△休憩◎景観◎食事○設備△立地◎) 

諏訪、伊那、佐久地方をほぼ平定し、北信濃への進出を目指した武田晴信(信玄、以下信玄)だったが、北信地方への関門といえる坂城には村上義清がいた。 信濃全土の攻略に意欲満々の信玄にとって、東信濃の勇将・村上義清は、避けては通ることができない、どうしても打ち倒さなければならない存在だった。 信玄は村上氏への攻撃を企て、天文17年(1548)2月、諏訪から大軍を率いて大門峠を越え、小県郡に攻め込んだ。 対 […]

道の駅「マルメロの里ながと」に併設された「やすらぎの湯」で知ったこと(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備◎立地○) 

マルメロ?なんそれ? カリメロの兄弟?ナツメロなら好きだよ、なんて私のような人間もいるぐらいだから。 果物らしいが、食べたことがないな、食べ方が分からないという人も多いのではなかろうか。カリンなら知っているよという人は、それとよく似ているというと、その大体の姿形は思い浮かべられるだろう。マルメロはカリンと近縁で「西洋カリン」ともよばれ、カリンとして流通していることもあるのだとか。 マルメロとカリン […]

理不尽と言えばあまりの理不尽、「あゝ野麦峠」。道の駅「風穴の里」で涙に暮れて(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備△立地○)  

明治の初めから大正・昭和初期にかけて。「殖産興業」の国策のもと、当時の主力輸出産業であった生糸工業で大きく発展していた諏訪地方・岡谷へ、現金収入の乏しい飛騨の村々から大勢の女性たちが、工女として出稼ぎのために野麦峠を越えていた。その多くは13歳くらいの少女であった。 少女たちは一年間稼いだ賃金を持って故郷へと帰るために、年の暮れに雪深い野麦峠を越えて飛騨で正月を迎えようとしたが、遭難して命を落とし […]

雲海覆う「美ヶ原高原」へ。ビーナスラインを駆け上がり、道の駅「美ヶ原高原」で夜明けを待った(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)

『ビーナスライン』は、長野県茅野市街から松本市の美ヶ原高原までを結ぶ、全長75.2kmの山岳ドライブルートだ。森林や高原地帯を走る開放的な、まさに日本屈指のロング&ワインディングロードは、たびたび車のCMに登場する。 道路は綺麗に舗装されており、無料で通行が可能である。 天空にのぼるビーナスのように美しい曲線を描きながら標高を上げていくドライブコースということでこの名がつけられというが、ビーナスを […]

画に狂った暴走老人「葛飾北斎」のパワーに圧倒され、道の駅「オアシスおぶせ」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)  

葛飾北斎(1760~1849年)は、江戸時代後期の絵師にして、その画業がゴッホやセザンヌをも魅了した、日本が世界に誇るアーティストである。 北斎が北信州の小さなまち、小布施町を初めて訪れたのは1842年のこと。当時としては珍しく89歳まで生きた北斎だが、人生80路に入ってからの北信州への初旅だった。 北斎は、小布施町の豪農にして文化人だった髙井鴻山(たかいこうざん/1806~1883年)の居宅を訪 […]