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道の駅から名所絶景へ

道の駅「美並」から、「円空館」「弥勒寺」に「円空」の足跡を訪ねて(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

江戸時代の山林修行僧・円空は、愛知、岐阜を中心に関東、北陸、さらに北海道までを巡り、各地に木彫の神仏像いわゆる「円空仏」を多数残してきた。 修行の旅に生涯を捧げ、人々のために祈りを込めて仏を彫った円空は生涯に12万体の神仏を彫る誓願を立てたといわれ、飛神の剣のようにノミを振るい、神仏を彫り続けたというから、その生き様は私のような凡人には理解不能だ。 円空の彫刻は、材となる「樹木」に樹神の姿を求めて […]

「甌穴」の数や大きさにおいて日本を代表する「飛水峡」から、道の駅「ロックガーデンしちそう」」へ(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

飛騨川において白川町白川口から七宗町上麻生までの約12kmにわたり作る峡谷は飛水峡と呼ばれ、美濃帯堆積岩類のチャートと砂岩層からなる岩盤が深く削り込まれている。 その下流部約2kmの間は“ロックガーデン”と呼ばれ、通常の流路が深く削り込むことでその両側に硬いチャート層の岩盤が段丘状に広がっている。その岩盤上に大小さまざまな「甌穴(ポットホール)」群が形成されているが、その数は直径1m以上のものだけ […]

三十条を超す竪堀(臼の目堀)を構えていた「篠脇城」から、道の駅「古今伝授の里やまと」へ(トイレ○仮眠○△休憩○景観○食事◎設備◎立地△) 

篠脇城は、岐阜県郡上市大和町にあった山城である。 下総国の名門・千葉氏の一族であった東(とう)胤行は、承久の乱(1221)の戦功により郡上郡山田荘を加領され、阿千葉城を築いた。 鎌倉時代末期(1310年頃)、四代目・氏村が篠脇城に本拠を移し、その後、東氏は8代二百数十年にわたりここで領地を治めた。 東氏は代々歌道に優れていたが、中でも九代・常縁は古今集研究の第一人者だった。ご存知「古今和歌集」は日 […]

道の駅「安曇野松川」」からひたすら北上。「若一王子神社」と「仁科三湖」の桜へ(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

長野自動車道の安曇野ICから国道147号線を北に12キロ、その後、県道306号線を北に約1キロ、 長野県北部の松川村に道の駅「安曇野松川」がある。 松川村は手厚い移住政策によって、人口を増やしている自治体の一つだ。 一応「村」を名乗っているが人口は1万人を超え、人口要件的には「町」を名乗る資格を持っているようだ。 北西の方向には美しい北アルプスの山々を見ることができ、長寿、鈴虫でも有名。 道の駅の […]

ゆっくりするならここ。「うるぎ温泉 こまどりの湯」と、道の駅「南信州 うるぎ」(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備△立地△) 

写真は、観音堂の枝垂れ桜。 享保20年(1735)ごろに建立された観音堂の脇にそびえる。 樹齢は約140年と推定され、売木村内に現存する桜ではもっとも古い名木だ。 「うるぎ温泉 こまどりの湯は長野県の南端、下伊那郡売木村にある温泉施設だ。 ここは売木村。標高1000mを越えた小さな山あいの里にある村営の温泉「こまどりの湯」をいただきにきた。 里山の風景を眺めながら入る露天風呂はもう最高だ。というの […]

徳川家康も崇敬した遠江国の守護神「小國神社」」からの、道の駅「いっぷく処 横川」(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

遠江国の守護神「小國神社」は、創建から1470年。徳川家康をはじめ、朝野の崇敬を集め、人々から「遠江国の守護神」として国土開発・諸業繁栄・商売繁昌・家内安全・縁結びなど古くから篤い信仰を集めてきた。祭神は大己貴命、ご存知「大国様」だ。 「大国主命(おおくにぬしのみこと)」とも呼ばれ、神話の中でも「因幡の白うさぎ」はよく知られており、赤裸にされたうさぎを助けられた心のやさしい神様である。大己貴命は「 […]

願い事が“ことのまま”に叶う言霊のお社「事任八幡宮」へ、道の駅「掛川」から(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地◎) 

「言霊」とは、「ことだま」と読み、言葉に宿ると信じられている霊力のことだ。 言葉には、発せられた内容通りに現実世界に影響を与える力があると考えられていて、具体的には、良い言葉を発することで良いことが起こり、不吉な言葉を発することで悪いことが起こるのだと。 真偽のほどはともかく、少なくとも言葉にすることで自分の願いが具体化され、叶えるために自分がすべきことを考え、行動を変えるきっかけになることは確か […]

東海有数の名瀑と名高い「宇嶺の滝(別名「お君の滝)」へ、道の駅「玉露の里」から(トイレ△仮眠△休憩○景観◎食事○設備○立地○) 

県道32号線を車で北上することおよそ30分。 藤枝市の北部、高根山のふもとに近づくと蔵田観光駐車場が見えてきて、そこを右折して1㎞ほど走ると「宇嶺(うとうげ)の滝」と書かれた石碑がある。 そこから歩いて遊歩道を下っていくと、滝の轟音が次第に大きくなってくる。 落差が70mあり、水量が豊富で東海の名瀑として知られていて、悲恋の伝説から、別名「お君の滝」とも呼ばれている「宇嶺の滝」の音だ。 「お君の滝 […]

樹齢450年超。奇跡の移植を経て今なお生きる2本の「荘川桜」を拝みに、道の駅「桜の郷 荘川」から(トイレ△仮眠◎休憩○景観○食事△設備○立地○) 

岐阜県高山市荘川町。ここに、二本の老いた桜が、450年を超えて生きている。四方を山に囲まれた御母衣湖畔にたたずむこの2本の老桜には、奇跡のものがたりがある。昭和35年、電源開発株式会社による「御母衣(みぼろ)ダム」建設によって、荘川村(現荘川町)中野地区が水没することになったが、同地区の光輪寺と照蓮寺の境内にあった老桜も同じ運命になることとなった。春になると村人の眼を楽しませていたのが、二本の老桜 […]

道の駅「FARMUS木島平」から御魂山の神代桜、上杉謙信ゆかりの飯山城址の桜を(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

上信越自動車道の豊田飯山ICから国道117号線、国道403号線を利用して北東に約10キロ、 長野県北部のスキー名所・木島平村の中に「FARMUS木島平」という道の駅がある。 この道の駅の建物は、使われなくなったデルモンテの工場を改装したもの。 とても洗練されたデザインに仕上がっており、2015年度のGOOD DESIGN AWARD金賞に輝いている。 あまり天気が良くない日だったので長距離を下道で […]

郡上の豊かな森林の最高にうまい空気を吸いながら、雪解けの道の駅「清流の里しろとり」へ(トイレ△仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地△)

400年の伝統を持つ「郡上おどり」、名水と清流が育んだ工芸品「郡上本染」「郡上紬」、江戸時代の人々の暮らしを彷彿とさせる郡上八幡の「城下町」等々、豊かな文化が受け継がれてきた郡上が大好きな私は今回、白山信仰の息づく白鳥町を訪れた。白鳥町を前回訪れたのは、たしか1999年。高原にスキーをしにきて以来、2度目だ。 写真のように、郡上市の総面積の90%に当たる92,398haは森林である。 ここに、市の […]

武田信玄V.S.上杉謙信の5度にわたる川中島の戦いを辿りながら、道の駅「ぽかぽかランド美麻」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備◎立地△)

川中島の戦いは、戦国時代に甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が北信濃の領有権をめぐって戦った合戦を言う。両者は1553年から1564年にかけて5度にわたって戦い、特に永禄4年(1561年)の第4次合戦は苛烈をきわめた。 なぜ「川中島の戦い」が起きたのかには諸説あるが、もっとも重要な点は、川中島が犀川(さいがわ)と千曲川が合流する地点で、越後と信濃を結ぶ交通の要所だったことだろう。肥沃で豊かな土地であっ […]

私の知る限り美しい街のトップ10に入る郡上八幡に42年ぶりの再訪。道の駅「明宝」から私の知る限り美しい街のトップ10に入る郡上八幡に42年ぶりの再訪。道の駅「明宝」から(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備○立地○)

1982年、私は社会に出たが、同期の親友たちは当たり前だが別々の会社に入社した。 そのうちの一人は岐阜に配属になったので、私は1年後の春、彼が働く岐阜に遊びに行った際、かねてから興味があった郡上八幡を訪ねた。あれからもう42年の歳月が流れた。 郡上八幡の花の名所は愛宕公園や郡上八幡城、そして吉田川(下写真) 42年前に見た時、本当に美しいなあと感動した郡上八幡の桜が、なぜか無性にもう一度見たくなっ […]

主君信長が没した本能寺の変の前日に、織田に攻められ落城した魚津城から、落陽を眺めながら道の駅「ウエーブパークなめりかわ」へ(トイレ△仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

仲良く富山湾に沈む夕陽を眺める見知らぬお二人を後方から撮らせていただいたが、443年前の春は、織田軍と上杉軍の「魚津城で戦い」の真っ最中。 いよいよ落城と察して自害した上杉の武将たちは、魚津城の天守からこの夕陽をどのような気持ちで見たのだろうか。 1582年3月11日から6月3日の約3ヶ月の間、上杉軍と織田軍とが魚津城を巡って攻防戦を繰り返した。 1582年の日本は、畿内(現在の京都、大阪、奈良) […]

武田信玄が小笠原長時に圧勝した塩尻峠の戦いの勝敗の分かれ目を確かめに。道の駅「小坂田公園」から(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備◎立地△)

塩尻峠と勝弦峠の間からは、諏訪湖と八ヶ岳、蓼科山が見える。また、その場所からは北アルプスの穂高岳、槍ヶ岳、常念岳を眺めることもできる。 塩尻峠、勝弦峠とは、武田信玄が信濃国制覇に大きく歩を進めた戦場である。 天文年間、信濃侵略をめざす武田信玄は、信濃の武将たちと幾度となく合戦をくり返していた。順調に信濃国に勢力を拡大していた甲斐国の戦国大名・武田信玄だったが、天文17年(1548)2月、信濃国の覇 […]

織田信長・信忠・信孝ら三人の安堵状が保管されている武芸八幡宮へ、現代社会の見本のような道の駅「むげ川」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備◎立地○)

岐阜市街地から北にある関市武芸川町に鎮座する武芸(むげ)八幡宮神社は、織田信長と非常に関わりの深い神社だ。岐阜城から鬼門の位置にあることから、信長はじめ長男信忠や三男信孝も、主君が家臣の所有権等を許可・保証(安堵)する文書である「安堵状」を送るなど、武芸八幡宮神社は織田家から非常に大切にされてきた。 現在でも馬の背中に縁起のいい花をのせ参加者で奪い合い、手に入れた花を家の屋根に上げる(上げると「落 […]

水鳥の大群を夜襲と勘違いして敗走した平氏が見ていた同じ景色を、道の駅「富士川楽座」から(トイレ◎仮眠✖️休憩○景観◎食事○設備○立地○)

「富士川の瀬々の岩越す水よりも早くも落つる伊勢平氏かな」(鴨 長明『方丈記』)長明は、東西の雌雄を決する戦いとなった「源平富士川の合戦」を日本三大急流富士川に見立てて、平氏方の敗走ぶりをこう詠んだ。1180年10月20日夜、甲斐源氏武田信義一隊が動いたのに驚いた水鳥の大群が、一斉に飛び立った。平氏方侍大将上総守忠清の先陣はこれを夜襲と勘違いし、鎧をすてて京に逃げ帰った、その様である。 ここ富士川町 […]

比較的気軽に年中食べられるベニズワイガニを食べに、道の駅「能生」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事◎設備○立地○)

糸魚川市の能生は、ベニズワイガニの産地として有名だ。新潟県のベニズワイガニ禁漁期間は1月から2月末。1月に入ると禁漁期間に入るため、年末に食べ損ねると翌年春までしばらく食べられない。と言うことで、カニ大好きな私は、花見を兼ねて能生にやってきた。 ベニズワイガニのいいところは、「ズワイガニ」「タラバガニ」「毛ガニ」など高級食材とされているカニの中でも、比較的手軽に購入できることだ。回転寿司のネタやカ […]

天竜川河岸段丘の西岸にある「西岸寺」のしだれ桜を見に、道の駅「花の里いいじま」から(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

飯島村は、中央アルプスと南アルプスの間を流れる天竜川を持つ長野県南部の伊那谷にあり、現在は飯島町となっている。 飯島城の近くにある臨済宗の古刹西岸寺は弘長元(1261)年、北條時頼が帰依した中国から来朝の大覚禅師によって開山された。 中世に飯島為光らが、寺領の寄進を行って寺を保護したが、以来飯島城との深い関係が続く。 「尊卑分脈」(内閣文庫所蔵)によれば、飯島氏は、清和天皇を祖とする源経基の弟満快 […]

道の駅「なるさわ」から、「西湖」「精進湖」「本栖湖」を一気に巡る(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

道の駅「なるさわ」の北側に位置する「西湖」へ。 北西岸の「根場浜(ねんばはま)」は西湖と樹海越しの富士山を望める絶景地だ。 そこで、まず私が目が奪われたのは、湖面にきらきらとした水紋の輝き、そして湖底まで透けて見えそうな水の美しさだった。ちょうど正面にそびえる富士山から、樹海の森の下を伝って水があふれてきているように見える。 この清らかな湖水の深みで四半世紀前に起きた現代の奇跡は、この西湖から、9 […]