
私は、R89黒田真行が好きである。
というか、猛烈に愛している。
もちろん、68年間書いたこともなかったラブレターを書いてピンポンダッシュしたほど平尾勇司に大恋愛した私だが、黒田への愛の深さもまた平尾に対する恋心と、甲乙つけ難いものがある。上司、兄貴としての平尾と、後輩、弟分としての黒田と、その違いはあるが。
そして、黒田とは机を並べたこともないのに、好きになった。
私が男色の変態なのか?というともちろんそうではない。
男に対しては恐ろしく厳しい視座を持って徹底的に生き方を詰めること、そして私が類稀なる女子好きなことは誰もが知るところであって、私は断じて「男好き」ではないのだ。
黒田のことを大好きな理由をちゃんと説明しよう。
まず、彼が、リクルートにおける「制作」、市販誌の「編集」、そして中途採用と転職に関する「研究」、さらにはコンセプトメーキング、そのすべてに一流であるからだ。
しかし、ただそれだけでは、彼をそこまで愛する理由とまではならない。
私が彼と同類の「遊び人」であることも大きいだろう。特に酒場が大好きであり、私が愛してやまない音楽を分かり合える「音楽通」でもある。1995年の阪神淡路大震災で、ともに家の全壊から這い上がった共通体験も大きいかもしれない。
そして何より、彼が家族を愛してやまないよき「父」であることをリスペクトしている。9年前、私の東京の単身赴任宅を訪れてくれた際、癌が取り憑いたことを打ち明けてくれたが、その時同時に第一子誕生を教えてくれ、「これからまじ闘いが始まるな」と気を引き締め合ったことが昨日のことのようだ。
リクルートの同窓ということで言えば、リクルートという会社、組織のいいところ悪いところを、彼は全て見切っていることに私は激しく共感する。
そして、彼は長い物に決して巻かれない、権力にひれ伏さない、正しいと思うことを貫く、そんな我が道をゆく人間であること。これは、「その人を信頼するかどうか」を決める時、私が最も重要視するポイントだ(笑)。黒田は、まさに「真行」という名前の通りの人物であるのだ。
そして、だからこそ、彼はリクルートを去ったのだろう。おそらく私がリクルートを後にした時の気持ちと理由もまた分かり合えるからこそ、私は黒田に同じ匂いを感じるのである。
その「核心」に迫る前に、黒田のことを大好きな理由としてまず挙げた、彼がリクルートにおける「制作」、市販誌の「編集」、そして中途採用と転職に関する「研究」、そのすべてに一流であることの具体を書いておく。
原点は、顧客絶対主義
顧客クライアントの採用成功のために命懸けで仕事をする「制作」としての黒田の責任感、歩みとその才能は、私もよく、深く、知っている。
今年の2月17日には、黒田と分かり合える高橋信太郎と3人で、当時の熱い思いを語り合った。
3人とも、リクルートの求人媒体の制作に、ど真剣に向き合ったことがキャリアの原点だ。
高橋信太郎は、採用難に悩む東大阪の町工場の新卒採用をなんとかしたいと。


そして私は、およそ誰もそんな僻地に就職先を求めないだろう、今回の「笑顔絵と音楽店」会場の「能勢」からさらに山を越えていく金属加工業の僻地採用をなんとかしたいと。
突破口を求めてのたうちまわった結果、「後継者なら山のひとつも超えてこい」という切り口で、なんとか顧客の採用成功にこぎつけた。
3人がそれぞれ、必死の思いで仕事したことを、熱く、激しく、語り合っているうちに、自然に涙がこぼれる。3人の原点は、求人広告の探求にあった。そんな体験と想い、そしてなんとか突破した原体験が、高橋信太郎、黒田真行、そして私の共通項なのである。
編集責任者の使命、研究の本質を正しく捉えて
彼の盟友のひとりで、「専門職採用を日本のスタンダードに!」を旗印にCareerMapの株式会社グッドニュースでカスタマーサクセスマネージャーとして活躍する板倉真紀は、HRとは違って、金を払って情報誌を買う読者相手の編集記事の価値を徹底的に重んじ、全く妥協することなく編集記事としてOKかNGかを独断する黒田のことを、部下の立場から「死ねばいいのに!」と恨むほど、それほど黒田はプロの編集者であったことを明かしてくれた。

私も新卒媒体の編集長だったが、こんな媒体は編集記事もクソもない。各社の広告内容が全てであり、就職協定などという有名無実で滑稽なものを扱う記事などなんらの価値があるものではない。しかし、市販誌は違う。読者が、財布からお金を出して、本を買うのである。その本、情報誌の「編集記事」は、「顔」であり、買ってもらっただけの価値がなければならない。黒田は、その、市販誌の編集長として使命を果たし続けた。
もう一つ、中途採用と転職に関する「研究」に関してだが、これこそは彼のライフワークであるのだろう。
リクルートを辞めてから、求職者の立場から「転職」というものを、求人企業の立場から「中途採用」というものを見つめ続け、双方どちらにも偏ることなく「研究」を続けたその成果には、NHKはじめさまざまなメディアが飛びついた。
リクルートに「ワークス研究所」というシンクタンクがあるが、こんなものはリクルートの都合の良いことしか発表しないクソなシンクタンクであり、豊田某とかいうリクルートの飼い犬が偉そうなことを言ったとて、全てリクルートのビジネスに我田引水しようとする情報、そのことは世の中から見切られていて、クソの役にも立たない代物にすぎない。
他方、研究や分析というものの本質を捉え続けた黒田のそれは、リクルートワークスなどとはまるで違う価値を持ち得たのだ。
かもめのDNAは、「拝金主義」と「天動説」
リクルート第5代社長峰岸真澄は、東証一部上場を果たした際、「リクルートを支えるのは旺盛な起業家精神であり、この企業文化そのものがリクルートの競争力である」と述べた。
そして、その企業文化の原型をつくったのは創業者の江副浩正であり、いまのリクルートは、江副から2つのものを受け継いできた結果であると付け加えた。
峰岸はこの時、江副から受け継いだものが2つあると明言している。
「1つは企業と個人をマッチングさせるというビジネスモデルそのもの。情報誌というメディアを通じて、科学的にその効果を実証するというプラットフォームを作ったことである」と。
そしてもう1つは、「携わる従業員の力でビジネスモデルを磨き続けられる文化を作ったことなのだ」と、彼は言った。
この2つは、確かにリクルートが神話的成長を成し遂げた「両輪」のように思えるかもしれないし、黒田真行のリクルート時代を見るとこの2つともを実践してきた典型的な従業員の一人であるとすることができるかもしれないが、この峰岸の言葉は、まさに「詭弁」に過ぎない。
私は、峰岸が言う2つの「綺麗事」がリクルートのDNAだとはまったく思わない。
おそらく黒田もそうだろう。
だが、峰岸も、その後に社長になった出木場も、私が今から指摘するリクルートのDNAの本質に、おそらく今なおまるで気づいていないし自覚していないと思われる。
その本質が、彼らにもなんらの違和感なく遺伝されたからである。
創業者・江副浩正は死んではいない
DNAというものに深く関わることだが、5月4日に来てくれた友人の中で、少なくとも丸山典久、絹谷公伸、阪本英嗣の3人、そして先にこの世を去った大好きな上森秀樹とは、「死」のとらえ方について深く語り合ったことがある。
孔子はご存知儒教を開き、その中で「生命の連続」という観念を生み出したが、具体的に孔子の名前を出したかどうか、ひょっとすると祖先祭祀という言葉を使ったかもしれない。
その内容は、私が祖先の存在を重んじる理由である。
「祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということなのだ」と。
彼らは皆そんな私の話に、嫌がらずに耳を傾けてくれた。
「自分という個体は死によって消滅するのかもしれないが、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになる。子孫でなくても、遺志を継いでくれる仲間がいれば、個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、子孫と、仲間と、一緒に生きるのだ。つまり、人は死にはしないのだ!」と。
「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなくて、文字通り「遺した体」である。本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子のことである。
先祖から子孫へ、親から子へ。
だからDNAの本質については、「壮大な生命の連続」をイメージせずして論じられない。先輩・長者と、子、すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して一つに結ぶものが一体なんであるかということ。
リクルートの場合は、創業から現在まで、65年以上を通じて、江副浩正と、子にあたる後進とが断絶することなく、連続して一つに結んできたものが、一体なんであるかということだ。
だから、「社訓」や「採用」といった、途中で希薄化したものや無くなったものはおよそDNAには当たらない。
「拝金主義」と「天動説」の螺旋、それがかもめのDNA
結論。
リクルートのDNAとは、なりふり構わぬ「拝金主義」と、実に身勝手な行き過ぎたエゴイズム、つまり自分(地球=リクルート)中心に全てが回っているとしか考えない「天動説」の両輪が支配するノームによる「洗脳」である。
これが、「かもめのDNA」とは何か、に対する私の結論である。「拝金主義」に関しては、社内では「商業的合理の追求」と言う詭弁に置き換えられて周知の通りだが、すでに13話で「犠牲者」のことを一部述べたように、ブレーン、代理店はじめ、リクルートを支えてくださった「仲間」に対しても、まさに身勝手に切り捨て、見放してきた歴史の源泉は、身勝手な「天動説」にある。
両者は、片方だけでは成り立たない。
なりふり構わぬ「拝金主義」と、実に身勝手な行き過ぎたエゴイズム、つまり自分(地球=リクルート)中心に全てが回っているとしか考えない「天動説」の両者が螺旋状に絡み合い、世の中に他に存在しない唯我独尊のノーム、風土が出来上がる。
そして、もともと「俺が俺が」のエゴイスト素養の強い人材、これはコンプレックス派とプライド派に別れるがそうした素材を採用し、そのコンプレックスとプライドを見事に利用して「洗脳」が行われ、一種異様なリクルート人材が仕上げられ続けるのだ。
「リクルートは採用でもっている」などと言う評価は完全な片手落ち。「洗脳」あって、初めて採用した人材のポテンシャルが生かされる、もとい、利用活用できるのだ。
こうして、拝金主義は正義となり、世間から異様に見える「非常識」がリクルートの「常識」としてなんの疑いもなく売上利益追求に猛進するだけの歴史が積み上げられてきた。
この「天動説」は、拝金正義の価値観にとどまらない。
同期会で大いに盛り上がる武勇伝、世間に迷惑をかけた「出禁」を今なお面白おかしく語れるのも、いまだにそこに共感する精神構造も、全ては「天動説」が染み付いた、異常者の思い上がりでしかない。
石を投げればバツイチ、バツ2に当たるのも、個々のエゴが伴侶さえ我慢ならない存在と思えてしまう、行き過ぎた「天動説」の自然な結果である。かく言う私も、せめて二人の子を社会に送り出してからではあるが熟年離婚したわけで、人のことは全く言えないわけであるがw
リクルートを「卒業した」と自慢する人には要注意
リクルートという会社から、「卒業」と言う耳心地よい言い方で、自己のちっぽけなプライドを守りつつ人はどんどん去ってきた。「拝金主義」「天動説」の特殊な組織を離れて、みんなが「元リク」となるのだが、ちゃんとそこを見つめると、まず2種類に大別される。
一つは、「拝金主義」「天動説」の洗脳から醒めぬまま組織から離れる人。
「拝金主義」「天動説」がおかしいと気づいて組織から離れる人、この2種類である。
そして前者、後者ともに、それぞれさらに2種類に分かれる。
前者の「元リク」は、サイズダウンしたちっぽけな「拝金主義」「天動説」で、まさにプチリクルートとも呼ぶべき自分の会社でしぶとく小金を稼いで生きている人たちと、やってみたら通用せずに自分の会社を潰す人たちに分かれる。
プチリクルートな会社経営者たちは、だいたい、リクルートのノウハウを元にKPIとかを付け足したり巧みな言い換えでコンサルしていたり、アジアでピンハネ目的の人身売買業に勤しんでいたり。
WIn-Lose大いに結構、それ何が悪いの?自分が儲かりゃそれでいいじゃんという身勝手さ、事業の独自性の乏しさ(大半がリクルートの模倣でしかない)、そして商いのスケールをやたら自慢すること。
この3つが彼らに共通する特徴だ。
そして、自分も江副さんのようになれると錯覚した連中の多くは、遅かれ早かれ独立起業しても確実に失敗に終わるのである。
どちらにしても「拝金主義」「天動説」から抜けていないから、生き様がかなり詐欺的で、私の「知人」ではあっても「友人」ではない人ばかりである。
リクルート卒業をことさら強調する「元リク」が結構な比率でいらっしゃるが、まだ「拝金主義」「天動説」に嫌気がさしていない証拠とも言えるので、えらいことにならないうちに、早く「過ち」に気づかれた方が良いと思う。
「過ちたるを改むるに憚ること勿れ」である。
ことさら力むことなく、ごく自然に、世のため人のため
後者の「元リク」は、「拝金主義」「天動説」に違和感を覚え、「ついていけない」と会社を離れるのだが、上手に付き合い続けて「うまく離れる人」と、「もうムリ」とばかりに「発作的に離れた人」に分かれる。
私の友達はすべて、このどちらかに属する人だ。
うまく離れて次のステージで見事に開花する人こそ、リクルートを「卒業」したと言えるのだろうし、その人たちが成功するのは「天動説=リクルート自社中心に周りを回す」から「地動説=顧客・世の中を中心に自分が回る」へのリセットができたからだと、私は「元リク」の成功者を観察していて、そう思っている。
次の第15話から、その典型例、リクルートの良さは余す所なく吸収し、行き過ぎた「拝金主義」と常軌を逸した「天動説」を卒業して「大成功」しておられる何人かの事業家のことも書く予定だ。
「発作的に離れた人」は、直後には苦労した人が多い。
しかし、少なくとも「拝金主義」「天動説」からは脱しているので、世の中に受け入れられるまでのハードルは高くない。
ほとんどの人が現在、自分自身の「天職」というものを見いだし、ささやかながらも世のため人のために至極真っ当に生きておられる。
5月4日に再開できた「友人」たち
さて、5月4日に、「黒田のしつこいがん細胞をぶち殺す会」に来てくださった方は皆さん後者に属し、私のかけがえのない友人を続けてくださっている人たちだ。
すでに黒田真行と板倉真紀はすでに登場しているので、5月4日に来てくれた友人たちをごく簡単にではあるが紹介しよう。
まずは、「天動説」DNAが体に染みついたからか、「転職25回超?」という常人には到底不可能な生き方を貫いている稀有な存在、四宮敬仁から。






前列左、若々しい青年が一人いる。彼は、なんとリクルートの現役社員。中途入社でリクルートに入り、この度マネージャーに昇進した山崎亮という若者である。
彼とも、彼の奥さんとも、私は2010年代半ばに一緒に働いた縁があって、やってきてくれた。10年ぶりだろうか。
偉そうな言い方で大変恐縮だが、当時彼にも奥様にも徹底的に「地動説」と「顧客絶対主義」を叩き込んだので、今後、リクルートの「正常化」に大いに貢献してくれると期待している。
彼の背後でもう一人場違いの若々しさを醸し出している男は、私が最も採用レベルが高かったと評するR86絹谷公伸。
第7話で詳しく書いたが、私の一番弟子で、私の人生にもっとも大切な一人だ。
守破離よろしく私をとうに飛び越えて電通で活躍後、大阪芸大映像学科の教授として活躍中。学生の生き血を吸ってだろう昨今のアンチエージングはものすごい。「我々の命は失われても、後に続いてくれる後進たちの中に遺したものは生き続ける」というスピーチは実に感動的だった。
その右が、石光堅太郎。リクルートでは住宅情報事業、私の同期・高橋理人と一緒にイサイズを手がけたり。リクルートを離れてからは印刷業とそれに伴うクリエイティブワークに携わっている。私は、カンだけは鋭いが、今後彼とは非常に面白いことを一緒にしそうな気がして仕方がない。
中央に立つ黒田の右の女性は、宮本由淑。顧客の採用予算を「新卒」「中途」で激しくとりあう営業のバトルを、SJ営業の立場から見続けてきた。DCなどでお茶を濁そうとした時期、別会社であった時期を含め、両者にはそれぞれのプライドがあり、しばしばぶつかり合った。
営業と制作との間にも立っただろうし、実務もさることながら人間関係の調整、さぞかし大変だったろう。
黒田を挟んで反対側の白髪の紳士は丸山典久。
絹谷同様、彼との出会いは私の人生にとって神からの最高のプレゼントだった。
リクルートにいる時も、一緒に会社をやった時も、相性バッチリ。
というか、彼が私のいいところを引き出し続けてくれた。
プロ野球選手になっていてもおかしくなかった彼だが、なんと彼女への恋心を優先して強豪野球部が看板の私立高校からの誘いを断り、彼女と同じ高校に進んだだけでなく彼女が入った陸上部に入ってしまい、最も大切な高校3年間、なんと野球から遠ざかったほどのマイペース。
そのブランクは生きた球を3年間も打たなかったことに影響したが、それでも巨人軍の最終テストまで残った。
経営者になるための勉強をしに20歳でリクルートに入ってきたが、リクルートDNAには最初から反発していたマルちゃん。
出会ってから40年経ってなお、決してマンネリ化しない実に不思議な関係でもあるマルちゃんは、私の生涯の友人である。