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京都府

道の駅「ガリレア亀岡」に行ったら、毛利攻めやめて信長討った気持ちがわかった(トイレ✖️仮眠△休憩△景観✖️食事△設備△立地◎) 

明智光秀は天正5 年(1577)頃、織田信長に命じられた丹波攻略の拠点とするため、保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に丹波亀山城を築城し、近隣の村から人を呼び寄せて城下町を形成しました。天正8 年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2 年後に「本能寺の変」で信長を討っています。 光秀に討たれた織田信長の勢力は、すでに現在の関東・北陸・ […]

過疎で小学校は10年で16校が廃校、道の駅「農匠の郷やくの」も失敗(トイレ○仮眠✖️休憩✖️景観△食事✖️設備△立地○) 

京都府西端、兵庫県との県境にある旧夜久野町(現京都府福知山市夜久野町)には、京都府の縄文〜弥生時代や古墳時代を考える上で非常に重要な遺跡がいくつもあります。荒堀遺跡では縄文時代早期から晩期の土器や石器が見つかり、日置遺跡では弥生時代の銅剣形石剣が出土しています。 古墳時代の後期には横穴式石室を伴う古墳が盛んに造られましたが、それらの中でも夜久野町高内の「長者森古墳」は最大規模のものです。 築造時期 […]

町内4つの道の駅に飽き足らず、また道の駅「瑞穂の里さらびき」を大改造?(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

「道の駅瑞穂の里さらびきにつきまして、地域振興やスポーツ振興などを目的とする複合施設である、グリーンランドみずほ(写真はバブリーな本棟)において中核的な集客施設となっていますが、供用開始から23年余りが経過していることから、大規模リニューアルすることとして、昨年には再整備基本計画を策定し、現在、基本設計及び実施設計を行っているところです。令和7年度中の改修を予定しており、交通の要衝である我が町のラ […]

与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑めぐりから、道の駅「シルクのまち かや」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地△) 

兵庫県との県境近い京都府北部にある与謝野町は、鉄幹・晶子夫妻の苗字「与謝野」のルーツ。道の駅「シルクのまち かや」には、ここが鉄幹の父・与謝野礼厳の生誕の地であったことにちなんで歌碑が立っている(礼厳の本職は僧侶)。 与謝野町、旧加悦町には鉄幹・晶子夫妻を始め多くの歌人・俳人が訪れて歌や句を詠んだことで知られ、その名残は歌碑や句碑といった石碑として現存しています。その歌や句が詠まれたであろう場所に […]

「丹波マーケス」はやり逃げ、次の道の駅「京丹波 味夢の里」で二匹目のドジョウ狙いってか(トイレ○仮眠✖️休憩✖️景観✖️食事✖️設備△立地✖️) 

最初に。これは道の駅「京丹波 味夢の里」の中に設置されている路線バスの停留所。町民をわざわざバスに乗せて引っ張り込んで買い物をさせても、その分、町中のこれまでの商店の売り上げは減るだけのことですよ。一つの町内に道の駅が4つもあるのは日本でこの町だけ。しかも喜んでいるのは寺尾豊爾町長一族と、そのおこぼれをちょうだいしている一部の人たち。いい加減、恥を知れと言いたいです。 そして、これからここに書くこ […]

「須知城跡」で光秀の足跡を辿ってから、最低の道の駅「丹波マーケス」へ(トイレ△仮眠✖️休憩✖️景観✖️食事✖️設備△立地△) 

今日は須知城へやってきました。城跡の見どころもさほどの知名度もないのですが、織田信長が好きではないというか、はっきり言ってその人間性が嫌いな私は、彼を突如として本能寺で討った明智光秀にずっと興味を持っていまして。 しかしながら光秀の謀反の動機がはっきりしていないことから、彼が信長に命じられて丹波攻めをして落とした城はすべて回って、彼の「心の闇」を探っている次第です。 1579年(天正7年)、織田信 […]

残存する「山家陣屋跡」と、「和知黒不作」「駅乱立」で存続危うい道の駅「和」(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○)  

丹波・山家城は、京都府綾部市広瀬町、標高は236m、比高130mに立つ山城で、甲ヶ峰城とも呼ばれています。築城は1563年、和久義国によるとされます。和久義国は丹波・横山城主だった塩見頼勝の4男で、和久左衛門佐という通称で呼ばれていたため、山家城には左衛門屋敷という別名も存在します。本貫は、福知山の和久城。山家城はその支城です。 その支城にわざわざ行こうと思った理由は3つあります。まず一つ目の理由 […]

インスタ映え「園部城もどき」の史実錯誤に、道の駅「京都新光悦村」で憤る(トイレ△仮眠○休憩△景観△食事△設備△立地○)

園部城は、園部公園内の案内図にある「こむぎ山」と書かれた所にあった山城でした。室町時代から戦国末期、ここ園部は、織田信長に抵抗して最後は磔にされる丹波八上城主・波多野氏の勢力圏であり、家臣の荒木山城守氏綱が居城とした園部城があったのです(冒頭の画像は荒木氏の「抱き牡丹」紋)。ちなみにこの場所は現在は山頂の本丸跡に戦関連の碑があるものの植物園になっていて、これといった遺構はありません。 天正6年(1 […]

光秀はなぜ信長を討ったのか。「周山城」側道の駅「ウッディー京北」にて妄想(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事△設備△立地△) 

周山(しゅうざん)城は、明智光秀が築いた城として最大規模のものです。石づくりの「東の城」、土づくりの「西の城」で構成される巨大な山城です。明智光秀は、織田信長の命を受けて丹波を平定。信長の天下統一事業にとって最重要な京の都に近い丹波平定を果たした光秀は高く評価され、信長は引き続き光秀に丹波地方を任せたのでした。 任された光秀は、丹波地方安定のために広い丹波の要所に城を持ちましたが、周山城は八上城と […]

道の駅「スプリングスひよし」は、車中泊じゃもったいない!?(トイレ△仮眠△休憩✖️景観○食事○設備○立地△)

京都府道19号園部平屋線沿いに、日吉ダム建設に伴い1998年にオープンした天然温泉施設「スプリングスひよし」。キャンプ場にバーベキュー広場などを備えた巨大な複合施設で、13年後の2011年10月に道の駅として登録されました。 「スプリングスひよし」は、典型的なデスティネーション型の道の駅。 つまり、どこか別の場所に向かう際の立ち寄り場所、休憩場所、パーキングエリアとしての役割ではなく、ここを最終目 […]

「ノムさん」こと野村克也氏の故郷へ。道の駅「海の京都 宮津」から(トイレ△仮眠○休憩◎景観△食事✖️設備○立地○)

野村克也、愛称はノムさん。 プロ野球に大きな足跡を残した野村克也さんがお亡くなりになって、2025年2月11日ではや5年。戦後初の三冠王に輝いた大打者であり、数々の好投手を育てた名捕手であり、データ分析と考え抜いた戦術で日本一をかちとった名監督でもありました。 そんなノムさんですが、私が小学生の頃は「巨人・大鵬・卵焼き」の時代(笑)。多くの子どもが野球をやり、そのほとんどはジャイアンツの王、長嶋の […]

「由良川」を下流から上流へ。道の駅「舞鶴とれとれセンター」からGo!(トイレ○仮眠△休憩△景観△食事◎設備◎立地○)

由良川は、その源を京都・滋賀・福井の府県境「三国岳」に発します。北桑田の山間部、そして美山を流れ下りて、高屋川や上林川等を合わせて綾部を貫流。さらに福知山に出て土師川を合わせ、北流して舞鶴市および宮津市において日本海に注ぐ、幹川流路延長146km、流域面積1880km2の一級河川です。(写真は、由良川中流域と上流域の特徴を合わせ持つ大野ダム) 流域は京都府と兵庫県にまたがり、丹波・丹後両地方におけ […]

1,900年前の丹後王国へ、道の駅「丹後王国 食のみやこ」からGo!!(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事◎設備◎立地○)

日本で一番古い弥生中期後半(2世紀後半)の水晶玉作り工房跡( 奈具岡遺跡)が発見されたり、これまた日本で一番古い5世紀後半~6世紀後半の製鉄所遺跡(遠所遺跡)が確認されたり。 さらに、『魏志倭人伝』に記された中国の魏国王が邪馬台国の卑弥呼に贈った100枚の鏡のうちの1枚の可能性もあると発掘当時は話題になった、日本で一番古い年号を記した銅鏡「方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう) 」( […]

久美浜湾半周からの城崎温泉へ、道の駅「くみはまSANKAIKAN」から!!(トイレ◎仮眠○休憩◎景観△食事◎設備◎立地○)

「久美浜湾」は砂州を挟んで日本海と隔てられた、周囲28㎞の潟湖(ラグーン)です。周辺には、甲山や久美浜湾、小天橋、丹後砂丘など、日本海の形成~現在までの地球の動きを記録した様々な地形・地質とそれらが織りなす美しい風景が広がっています。 人々は,これらの多様な地形・地質をうまく利用して暮らしています。例えば,砂丘地ではメロンやスイカ、サツマイモなどの栽培が、海岸段丘の上や丘陵地では梨や桃などの果樹栽 […]

道の駅「舟屋の里 伊根」から、近畿最北端「経ヶ岬へ!!(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事△設備○立地△)

宮津与謝道路を与謝天橋立ICで降りて、国道178号線沿いを北北東に20数キロ走ると、京都府最北端の伊根町の道の駅「舟屋の里 伊根」に着きます。 駅名に「舟屋の里」とある通り、ここは伊根湾に沿って海面スレスレに「舟屋」の住居が立ち並ぶ街。 漁村としては初となる国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 海際に立ち並ぶ家々は、まるで海に浮かんでいるようにも見えます。伊根湾の沿岸にはこのような「 […]

「間人ガニ」の真実を確かめに、間人漁港そばの道の駅「てんきてんき丹後」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地△)

「間人(たいざ)ガニ」は、京都府の最北端、経ヶ岬の沖合い約20~50㎞を漁場とし、日帰り操業によって抜群の鮮度を確保。味や品質などすべてにおいて最上級といわれています。その間人ガニが水揚げされる「間人漁港」は、日本海に突き出た丹後半島にあります(京丹後市丹後町)。今年のズワイガニ漁も、例年通り11月6日に解禁されました。 間人ガニの漁場は、深海部が陸棚になっている水深約230~300mの海底にあり […]