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2025年1月

「丸亀城」の石垣修復現場、道の駅「恋人の聖地うたづ臨海公園」で、おひとり様。それが何か?(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備○立地○) 

香川県丸亀市にある国の史跡、丸亀城は、本丸の周りを二の丸、その周りを三の丸が囲む輪郭式の平山城です。日本一小さな現存天守を持つ城として知られているほか、高さ日本一という石垣の美しさから「石垣の名城」「石の城」としても有名です。 その丸亀城の石垣が、2018年7月7日の西日本豪雨とその後の台風で、城の南西側の「帯曲輪」と「三の丸」の石垣が2度にわたって大崩落しました。6年以上が経ち、2024年8月か […]

香川氏が逃げ出した「天霧城」から、三豊市が投げ出した道の駅「ふれあいパークみの」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事△設備◎立地△) 

「天霧(あまぎり)城」は、香川県善通寺市・多度津町・三豊市にまたがる山城です。 14世紀後半に讃岐守護・細川氏の被官として入部した香川氏は、多度津・本台山に常の居館を構え、詰めの城として天霧城を築きました。香川氏は相模国香川荘出身の鎌倉景政の後裔ともいわれ、西讃岐に勢力を広げ、讃岐13郡のうち6郡を支配するまでになりました。 永禄元年(1558)香川之景が当主の時、天霧城は三好長慶の弟・実休により […]

中四国最大級の末っ子の道の駅がたった数kmの至近距離に。親である観音寺市に見捨てられる道の駅「とよはま」と道の駅「ことびき」

愛媛県観音寺市に今ある道の駅「とよはま」と、道の駅「ことひき」とは、10キロほどしか離れていません。そのちょうど中間点には「ちょうさ会館」という観音寺市の施設があるのですが、観音寺市はこの周辺の場所に、間近にある2つの道の駅に割り込むようにして、しかもなんと中四国最大級となる新しい道の駅「かんおんじ(仮称)」をおっ建てて、3年後の令和10年度中に開業する計画を進めています。 計画によりますと、「観 […]

道の駅「マイントピア別子」にて「別子銅山」の人災に懲りない「住友金属鉱山」の拝金主義を考える(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地◎) 

別子銅山は、関東から九州へと抜ける日本最大級の大断層「中央構造線」のやや南に位置します。中央構造線の北と南の地質は、地質学的にまったく異なり、約一億年前に両者がぶつかる形で中央構造線が形成されました。 そのとき発生したエネルギーが地下で激しい火山活動を促し、マグマの熱で変成してできたのが、「別子鉱床」です。これは、地層の間に薄い層をなす層状含銅硫化鉄鉱床で、世界的にも顕著な形状から「別子型鉱床」と […]

道の駅「今治湯之浦温泉」から「永納山城跡」「世田薬師」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地◎) 

四国初の環境省指定国民保養温泉地である、と聞くと、「湯ノ浦温泉」に行ってみたくなるかもしれません。最初に言っておきますが、温泉としては大したことありません。では何がいいのかと言えば、立地です。 ここは愛媛県の北端、高縄半島の北東部、瀬戸内海国立公園のほぼ中心にあり、前面に白砂青松の桜井海岸、波静かな紺碧の燧灘が広がり、東には遠く石鎚山を臨む優れた景観を有しています。 源泉に、道の駅「今治湯ノ浦温泉 […]

「唐子・鍵遺跡」に隣接する道の駅「レスティ唐子・鍵」(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事△設備◎立地○) 

唐古・鍵遺跡は、弥生時代前期(約2,300年前)に成立し、古墳時代前期(1,700年前)までの約600年間続いたと考えられる集落の遺跡です。奈良盆地のほぼ中央、奈良県磯城郡田原本町大字唐古および大字鍵に位置し、直径約400mの範囲が居住区で、その周りには幾重にも「環濠」が巡っていました。内濠は幅10m・深さ2mを測り、外方には幅5m・深さ1.5mの濠が幾条もつづく。城砦と見まがう姿の集落の総面積は […]

「御所 社乃森温泉」は廃業、道の駅「どなり」も心配、どなりなっとんねん(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事✖️設備△立地△) 

徳島県阿波市土成町の旅館「御所 社乃森」が、令和6年4月20日をもってついに閉館しました。 言っちゃ悪いのですが、当然の結末です。なぜって、嘘まみれの宣伝文句で客を集めて、一室一人55,800円もとっていたのですから。歴史に疎い、人の良い、言われたことは鵜呑みにしてしまう、そんな、「人を疑うことを知らない素直な人」ばかりを「騙して」何とかやってきたのだしょうが、そんな人はこの国に、そんなにたくさん […]

京都市の「宿泊税の引上げ」と「住みやすさの引き下げ」を考えた。

目的地で降りようとしても、乗ってくる外国人が邪魔で降りられない。乗ろうとしても、外国人でいっぱいで乗ることができない、それが京都市バスです。 さて そんな京都市が、ホテルや旅館などの宿泊者から1泊あたり200円から1000円を徴収している「宿泊税」について、その上限額を1万円に引き上げる方向で、2026年3月の引き上げ実施を目指しています。引き上げ後の税収額は、過去最高だった2023年度の52億円 […]

道の駅「ガリレア亀岡」に行ったら、毛利攻めやめて信長討った気持ちがわかった(トイレ✖️仮眠△休憩△景観✖️食事△設備△立地◎) 

明智光秀は天正5 年(1577)頃、織田信長に命じられた丹波攻略の拠点とするため、保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に丹波亀山城を築城し、近隣の村から人を呼び寄せて城下町を形成しました。天正8 年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2 年後に「本能寺の変」で信長を討っています。 光秀に討たれた織田信長の勢力は、すでに現在の関東・北陸・ […]

過疎で小学校は10年で16校が廃校、道の駅「農匠の郷やくの」も失敗(トイレ○仮眠✖️休憩✖️景観△食事✖️設備△立地○) 

京都府西端、兵庫県との県境にある旧夜久野町(現京都府福知山市夜久野町)には、京都府の縄文〜弥生時代や古墳時代を考える上で非常に重要な遺跡がいくつもあります。荒堀遺跡では縄文時代早期から晩期の土器や石器が見つかり、日置遺跡では弥生時代の銅剣形石剣が出土しています。 古墳時代の後期には横穴式石室を伴う古墳が盛んに造られましたが、それらの中でも夜久野町高内の「長者森古墳」は最大規模のものです。 築造時期 […]

新田義貞の妻・勾当内侍の墓参りから、彼女が身を投げた琵琶湖そばの道の駅「びわ湖大橋米プラザ」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○) 

勾当内侍は、本来宮中で天皇に仕える女官のうち、「掌侍」という律令制における女官の1つである役職名だが、後醍醐天皇に仕え、天皇のはからいで新田義貞の妻となった長橋の局と呼ばれる女性をそう呼んでいます(本名は不明)。 夫の新田義貞はご存知、鎌倉時代末期の混乱の世に立ち上がり、後醍醐天皇方として幕府滅亡から建武新政発足において歴史の表舞台で活躍した武将です。清和源氏の八幡太郎義家を遠祖として興り、上野国 […]

町内4つの道の駅に飽き足らず、また道の駅「瑞穂の里さらびき」を大改造?(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

「道の駅瑞穂の里さらびきにつきまして、地域振興やスポーツ振興などを目的とする複合施設である、グリーンランドみずほ(写真はバブリーな本棟)において中核的な集客施設となっていますが、供用開始から23年余りが経過していることから、大規模リニューアルすることとして、昨年には再整備基本計画を策定し、現在、基本設計及び実施設計を行っているところです。令和7年度中の改修を予定しており、交通の要衝である我が町のラ […]

与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑めぐりから、道の駅「シルクのまち かや」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地△) 

兵庫県との県境近い京都府北部にある与謝野町は、鉄幹・晶子夫妻の苗字「与謝野」のルーツ。道の駅「シルクのまち かや」には、ここが鉄幹の父・与謝野礼厳の生誕の地であったことにちなんで歌碑が立っている(礼厳の本職は僧侶)。 与謝野町、旧加悦町には鉄幹・晶子夫妻を始め多くの歌人・俳人が訪れて歌や句を詠んだことで知られ、その名残は歌碑や句碑といった石碑として現存しています。その歌や句が詠まれたであろう場所に […]

「丹波マーケス」はやり逃げ、次の道の駅「京丹波 味夢の里」で二匹目のドジョウ狙いってか(トイレ○仮眠✖️休憩✖️景観✖️食事✖️設備△立地✖️) 

最初に。これは道の駅「京丹波 味夢の里」の中に設置されている路線バスの停留所。町民をわざわざバスに乗せて引っ張り込んで買い物をさせても、その分、町中のこれまでの商店の売り上げは減るだけのことですよ。一つの町内に道の駅が4つもあるのは日本でこの町だけ。しかも喜んでいるのは寺尾豊爾町長一族と、そのおこぼれをちょうだいしている一部の人たち。いい加減、恥を知れと言いたいです。 そして、これからここに書くこ […]

「須知城跡」で光秀の足跡を辿ってから、最低の道の駅「丹波マーケス」へ(トイレ△仮眠✖️休憩✖️景観✖️食事✖️設備△立地△) 

今日は須知城へやってきました。城跡の見どころもさほどの知名度もないのですが、織田信長が好きではないというか、はっきり言ってその人間性が嫌いな私は、彼を突如として本能寺で討った明智光秀にずっと興味を持っていまして。 しかしながら光秀の謀反の動機がはっきりしていないことから、彼が信長に命じられて丹波攻めをして落とした城はすべて回って、彼の「心の闇」を探っている次第です。 1579年(天正7年)、織田信 […]

2つの「高松城」から、高松空港近くの道の駅「香南楽湯」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備◎立地○) 

高松城は、天守閣は失われているものの、今なお高松市のシンボルです。 海に面している「海城」であることが高松城の大きな特徴で、愛媛県の今治城、大分県の中津城と並んで「日本三大海城」の一つに数えられています。 現在は海側に道路が通っていますが、かつては城壁が海に直接面していたとされており、実際に城内を散策していると、瀬戸内海との近さがよくわかります。 この辺り一帯は当時、香東川の河口から海に繋がるデル […]

「壬申の乱」の形成逆転の地、道の駅「ふたかみパーク當麻」へ(トイレ◎仮眠△休憩△景観○食事○設備△立地○) 

663年(天智天皇2年)、朝鮮半島南西部の白村江(現在のクム川)河口付近で日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗。この白村江の戦いで敗れた後、天智天皇(当時は「大君」)は臣下の反対を押し切って都を奈良・飛鳥から滋賀・大津に移します。 天智天皇は崩御する2ヶ月前に、実弟である大海人皇子を病床に呼んで「後の事はお前に任せる」と伝えました。しかし大海人皇子はこれを辞退。出家して吉野へと向かいました。天智 […]

難波・河内から、日本最古の国道「 竹内街道」を、道の駅「近つ飛鳥の里 太子」まで(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事△設備△立地◎) 

『日本書紀』には、推古21年(613)「難波より京に至る大道を置く」とあります。推古天皇21年に整備されたこの「大道(たいどう)」とは、日本最古の官道、今で言う国道となった竹内街道のことです。 難波と飛鳥のみやこを結ぶこの「大道」とほぼ重なる「竹内街道」は、シルクロードの最終地点といわれる飛鳥に、中国や朝鮮半島のすぐれた文化や海外の使節を運んだ道でした。 都は平城京へと変わり、さらには平安京に遷さ […]

究極の古民家「藤田家住宅」から道の駅「大和路へぐり」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

信貴生駒の東に延びる山麓、生駒郡平群(へぐり)町を見下ろす高台の広い敷地。ここは応仁の乱で西軍を率いた山名宗全の邸宅跡だそうですが、そこに、整った「大和棟」の古民家が建っています。この藤田家住宅は、伝統的な町家としての姿を今にとどめる、国登録有形文化財です。通常は未公開ですが、不定期に家の中まで公開されることがあり、そのチャンスには見ることができます。 古図が残されていて、それによると、当初は元禄 […]

日本三大酷道の一角「ヨサク国道」を走って、道の駅「大杉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事△設備△立地○) 

およそ国道とは思えない、あまりに通行困難な国道には、「酷道」という漢字が当てられます。中でも走った誰もが何度か身の危険を感じる通行困難を極める3つの国道が、いつしか「日本三大酷道」に登り詰め?これらの存在は、マニアックなドライバーなら知らぬものはいないでしょう。 その一つは国道425号(三重県尾鷲市から和歌山県御坊市に至る一般国道)、二つ目が国道418号(福井県大野市から長野県飯田市に至る一般国道 […]