過疎で小学校は10年で16校が廃校、道の駅「農匠の郷やくの」も失敗(トイレ○仮眠✖️休憩✖️景観△食事✖️設備△立地○) 

京都府西端、兵庫県との県境にある旧夜久野町(現京都府福知山市夜久野町)には、京都府の縄文〜弥生時代や古墳時代を考える上で非常に重要な遺跡がいくつもあります。荒堀遺跡では縄文時代早期から晩期の土器や石器が見つかり、日置遺跡では弥生時代の銅剣形石剣が出土しています。

古墳時代の後期には横穴式石室を伴う古墳が盛んに造られましたが、それらの中でも夜久野町高内の「長者森古墳」は最大規模のものです。

築造時期は古墳時代後期のさらに後半(6世紀後半)と推定され、円形の墳丘、大型の両袖式横穴式石室(下写真)は、後期古墳の中でも旧丹波国中最大級のもので、保存状況も極めて良好です。しかも、大型の両袖式横穴式石室を持つ近畿地方の事例中でも最古の部類。このように考古学上非常に重要な古墳である長者森古墳は夜久野町高内の「福知山市立育英小学校」の敷地内にあります。

と、ここまで知ったところで、私は思いました。

「小学校の敷地内に古墳とは、いいよなあ。歴史のロマンが学舎の中ににあるわけで、児童たちはきっと歴史や先人に興味を持つのだろうな、素晴らしい!」と。

しかし、少子高齢化、過疎化が進んだ結果、この育英小学校の生徒数は2012年度の全校児童が26人となり、翌2013年3月に閉校となっていました。2025年で、もう12年が経とうとしています。

長者森古墳全景の画像

「少子高齢化」と地方の「過疎化」によってこの先何が起こるのか。ここ京都府北部の福知山市では、その「恐怖」はすでに現実です。さらに恐ろしいのは、同様の地方都市が全国各地にごまんとあると言うことです。

この記事は、福知山市を典型例とさせていただきましたが、すでに地方が味わっている「恐怖」について、真剣に考えて、切実な思いで書いたものです。他の記事はともかく、この記事だけはこの国に一緒に暮らしている皆さんと是非とも共有し、一緒に考え、次世代以降の日本人が幸せになれる方向を見出して、私は皆さんと共に命の限り動きたいです。

すでに10年以上、過疎化で不要になった負の遺産処理に追われて

福知山市では、平成27年3月に「福知山市公共施設マネジメント基本計画」を策定。少子高齢化や過疎化で不要となった公共施設の処理に追われてきた。「公共施設マネジメント基本計画」とは聞こえはいいが、要するに、昭和のイケイケ時代に調子に乗ってつくった公共施設が今や膨大な負の遺産となった、その事後処理である。

計画によると、平成27年から令和26年までの30年間で公共施設の建物延床面積を実に20.8 万㎡も削減することを長期目標としているが、20年後にこの目標が達成できたとしても、まだ半分以上、なんと6割以上の負の財産が残ったままになる。どれだけ地方に「昭和の繁栄」があって、どれだけ地方に「令和の過疎」がやってきているか、今やろうとしている市の取り組みだけでもはっきりわかる。

ちなみに、下のグラフの通り、現在までほぼ10年かかっても、処理すべき全体の1割も処理できていない。

令和5年、6年の実績値は確認できていないが、この推移通り進んだと考えて述べている。

頑張っても少子高齢化、過疎化のスピードに追いつけない負の遺産処理

では、処理の財源はどうしているのか。

「令和2年度〜令和4年度は、売却収入約2億5849万円、土地・ 建物の貸付収入約2億3387万円、利息1100万円の合計約 4億9347万円を基金に積み立て、公共施設の更新や除却等を安 定的に推進するための財源として活用したという。

郷土を愛する福知山市職員の皆さんは、知恵を絞り、必死の努力を続けているのだが…。

このように、補助金や有利な市債等の財源の活用を基本としつつ、土地や建物の売却収入、貸付収入等を福知山市公共施設等総合管理基金としてに積み立て、公共施設等の整理に要する資金に充てて、なんとか自立循環(行政の他の課題に悪影響を及ぼさないよう)を図っていこうと、福知山市なりに必死の努力を続けていることがわかる。

公共施設の種類(かつての用途)別処理を見るとさらに恐怖が

公共施設のかつての用途別に見る負の遺産状況と処理計画

この用途別処理の現状を見て、愕然とせざるを得ない。小さくて読めないかもしれないので、2の「教育施設」すなわち福知山市立の学校の処理について見てみる。この10年で、福知山市が売却した小学校は2校、誰かに貸し付けることができたのが10校、用途変更で市が使っているものが2校、そして学校の用途変更も行って、計14小学校の「後処理」済んでいる。ところが、14校もの小学校を処理しても本来この10年間でやるべきだった後処理のたった8.2%に過ぎないのだ。

いったい、これまでにどれだけの小学校が廃校になってきたのだろう。

15年間で8,000校の公立小・中・高が閉校、廃校

福知山市で言えば、ここ10年間で16校、毎年1.6校のペースで、小学校の閉校、廃校が進んでいる。何も福知山市だけのことではない。全国では、15年間で8,000校という恐ろしいペースで公立小・中・高等学校等の閉校、廃校が進んでいるのだ。

今日行ってきた、校庭に素晴らしい古墳を抱えていた「育英小学校」は、2013年に閉校となってから9年にわたって廃墟化していたが、2022年4月から文化財収蔵庫としての行政利用が始まったが、おそらく警備費用もかけられないのだろう、2024年8月には何者かがドアの窓ガラスを割って侵入し、建物と文化財に被害が出ている。

その場しのぎ、己の利益しか考えない大人が多すぎる

福知山市は、廃校に残る備品を販売する「廃校備品販売会」と、廃校に残る学校図書を無償で譲る「廃校図書譲渡会」などを開催。備品販売会ではグランドピアノの入札、机、いす、木琴、鉄琴、顕微鏡、水槽などは100円から5,000円で販売した。学校図書はすべて無料で譲渡。多くの市民が喜んだと胸を張るが、本当に心ある市民は、郷土の末路を悲しがっているよ。

また、地元の銀行に至っては、福知山市の閉校・廃校小学校を巡る、京都駅発着の「福知山廃校マッチングバスツアー」を開催。

募集定員の2倍3倍が参加して大反響だったなどと大はしゃぎしているが、アホかお前らと言いたい。反論があるなら言ってこい。廃校利用による融資にしか興味関心がなく、まったく問題の本質、未来に向かっていないではないか。

「空き家問題」も、こうした大きな施設の「廃墟化」に伴う様々な問題も、すべて少子高齢化、過疎化、そして人口減少に起因する。危機は、辺鄙な田舎町にだけではない、東京以外のほぼすべての地方に猛烈なスピードで押し寄せている。決して大袈裟ではない。例えばかつて「日本一住みたい都市」として発展してきた神戸市でさえ、今や人口減少や空き家問題に悩んでいるのだから。

温泉・宿泊施設付きの道の駅

「福知山市立育英小学校」から、もとい「小学校跡地の文化財収蔵庫」から西に2km、「農匠の郷やくの」という道の駅がある。播但連絡有料道路の和田山ICからは、国道312号線と国道9号線を東に約10kmの場所だ。この道の駅は、宿泊施設・温泉付きの「滞在型」で、かつて週末は多くの客を集める人気の道の駅だったという。

ここで「過去形」表現をせざるを得ないのは、たくさんあったこの道の駅の施設の多くが、今はもう運営されていないからだ。令和元年9月25日に看板施設の夜久野マルシェが閉店。令和3年4月1日には、夜久野高原ほっこり館、夜久野荘(宿泊施設)、やくの本陣(レストラン)、やくの一道庵、やくのベゴニア園がすべて休館してしまっている。

私は、近くの長者森古墳を見てからこの道の駅に来たわけだが、化石・郷土資料館が併設されているとのことだったので、ぜひ長者森古墳のことをより詳しく調べたいと思ったわけである。ところがここもどうやら閉館していて入れなかった。建物周囲の雑草の様子を見ると、閉館してから相当経つようだ。

駐車場に車は停まっているのだが、施設を見渡しても客は私以外に見つけることができない。みんなどこに行ってしまったのか、非常に気味が悪い。

施設の前に、何をしに来ているのか、タンクローリーが1台。

扉は開いているのに、中には誰もいない。

情報館の中にも、誰もいない。

廃業しているレストランにも、もちろん誰もいない。

これは宿泊施設か、温泉施設か、もう廃墟化し始めていた。

駐車場には、10台ほどだが、車は停まっているのに、みんなどこにいるんだろう?

施設の前にはタンクローリーが停まっているだけで、他の車はなんでわざわざ施設からこんなに離れたところに駐車しているのだろう。施設から離れたところに駐車するのは、ゴルフ場でも同じ、従業員の車なんだと思う。

トイレにも誰にもいない。でも、ちゃんと掃除はしておられる。

ネットで調べたら、だいたいの情報は「施設はバラエティに富んでいて楽しめる」という類だった。気持ちが悪いのでさらにググっていくと、「多くの施設が3年前半前には営業をやめている」との情報が京都府のホームページにあった。ネットでほとんどのことはわかると思っていたら、それは大間違い。忘れ去られたり、誰にも興味を持ってもらえなくなったら、ネットでもこういうことになるんだとわかった。

かろうじて、夜久野町の特産品と農産物の販売はあった

ネットにあった体験農場も見当たらない。すでに怖くなっていたが、「やくの高原市」の看板が目立つ施設に恐る恐る近づいた。

外からは誰もいるように見えなかったが、思い切って入ってみたら、従業員の人がいた。客はいなかったが、「農匠の郷」の駅名通り野菜だけは売っていたので、なぜかほっとした。

古墳を見てから来たので、もう昼過ぎ。ちょっと減っている野菜があったので、午前中には野菜を買って帰った人がいたのだろう。

ただでさえ怖いのに、こんなものを売って。ここは恐怖の館か!

でも、こうして道の駅をつくったはいいけれど、思ったように人が来なくて、行ってみるとすでに廃墟化している道の駅は、他にもあった(ここはまだ野菜だけは売っている)。

箱物を作ったら人が寄ってくるんじゃないか、そんな幻想は昭和で終わっているのに、この国の公務員たちは、少子高齢化、過疎化、空き家問題に本質的解決策を見出せず、この期に及んでまだ「箱物」しかつくれない。終わってる。

下の写真は、こんなことになるとは思っていなかっただろう、道の駅「農匠の郷やくの」でかつて営業していた施設の「ありし日の姿」である。これだって、平成の時代に福知山市がやったこと。このオトシマエ、もとい、どういう「後処理」をなさるのだろう。知らんけど。

物産館「夜久野マルシェ」
宿泊施設「夜久野荘」
温泉施設
レストラン
夜久野サービスエリア

誰も福知山市を笑えない。東京五輪と大阪万博はもっと酷いから

でも「福知山市ってアホやな〜」、なんて、誰も笑えないよ。なぜって、東京五輪&大阪万博の「①ちっちゃい経済効果②どでかい赤字と国民負担(万博は大阪府民市民も)③施設の廃墟化」の3点セットは、福知山市「道の駅失敗3点セット」をそのまま限りなく巨大にした「メガ失敗のメガ盛りつゆだく」程度のもんだから。てか、国と東京、国と大阪の、失敗責任の擦り合いがないだけ福知山市の方がまだマシだろう。「レガシー」とか英単語を使えば誤魔化せるとでも思ったか。とうに東京五輪の「後処理」は「ガーシー」だよ。

万博行くより面白い3大コンテンツ

それより、ミャクミャクだかコンニャクだか知らんが大阪万博はこれから3つ楽しめる。1つは、開幕前から大失敗がわかっていての「令和の大本営発表」、「盛り上がってます」の連呼はイタすぎる。

マニー・パッキャオ

2つ目は「国V.S.大阪」の失敗責任の擦り合い、井上尚弥V.S.パッキャオの殴り合い並みの攻防が期待できる。そして3つ目は、10月13日の万博閉幕と入れ替わって開幕するM-1グランプリ。マスコミの責任追及が始まった瞬間、協会幹部、主催共催協賛、総理閣僚知事市長こぞって「わたし万博やろうなんて言いましたっけ」。史上最多のエントリーを得て令和ナンバーワンの無責任男を決めるのがM-1(無責任グランプリ)だ。これだけは絶対見逃せない。

どうする「敗戦処理」

「箱物」つくれば人が集まるという「昭和頭」の暴走老人たちは、やりっ放しで責任をとらずに生きてきた人間、もといゾンビである。

若者たちの重荷をどんだけ増やそうと知ったこっちゃないと嘯く彼らを、令和の「東京裁判」「大阪裁判」にかけ、A級戦犯は死刑にするぐらいの「戦後処理」をしない限り。

これからも「箱物」づくりやめませんよ、彼らは。