
「天霧(あまぎり)城」は、香川県善通寺市・多度津町・三豊市にまたがる山城です。
14世紀後半に讃岐守護・細川氏の被官として入部した香川氏は、多度津・本台山に常の居館を構え、詰めの城として天霧城を築きました。香川氏は相模国香川荘出身の鎌倉景政の後裔ともいわれ、西讃岐に勢力を広げ、讃岐13郡のうち6郡を支配するまでになりました。
永禄元年(1558)香川之景が当主の時、天霧城は三好長慶の弟・実休により攻撃を受けます。しかし、三好勢は堅城に籠る香川氏を攻めあぐねて和睦。天正六年(1578)今度は四国制覇を目指す長宗我部元親が讃岐に侵入。之景は早々にその軍門に下り、元親の次男・親和を養子として迎えて長宗我部氏の讃岐制圧を手伝います。しかし天正十三年(1585) 豊臣秀吉の四国征伐により長宗我部氏の領地が土佐一国に縮小されると、香川氏は取り潰しとなり、天霧城も廃城となりました。
天霧城を築城したのは香川氏
日本城郭大系によれば、律令時代に讃岐三軍団の一つの白方軍団が多度郡三井郷に置かれた時その拠点を天霧山に求め築城したとあるが、これは定かではない。またずっと下って足利尊氏の頃、多度津堀江に館を構え、天霧城を押さえた藤原長景が多度津道隆寺に重代相伝の地を花会田として寄進したという記録も残ってはいるが、この人物がどの程度雨霧城に関わったかについては詳らかではない。
ということで、本格的な天霧城の築城は讃岐の守護細川氏の被官として入部した香川氏によるということなるのだが、香川氏の出自や世代については諸文献の記載がまちまちで、これまた確定しがたいところがある。一般には冒頭に触れた通り、香川氏は相模香川荘の出身で、鎌倉景政の後裔なる人物が讃岐に来て香川姓を名乗ったとされている。
阿波の三好氏には屈せず和睦
出自はともかく、香川氏は細川頼之に従い、宮方に走った細川清氏を坂出の高屋城に攻め破った時(白峰合戦)時に戦功を立てる。2年後の貞治3年(1364)には詫間氏の跡地を受けて三野、多度、豊田の3郡を領したとされ、この時、居館を多度津本台山に構え、有事の際の詰城として香川景則が天霧山に築いたと言われます。

城の築かれた天霧山(標高381m)は、瀬戸内海に臨む弥谷山系の北東部にある山塊。山の周囲は急崖急坂の斜面で全山が自然の要害地形を形成している。天霧山の山頂部に本丸が置かれ、そこから三方に延びる尾根に沿って曲輪群が設けられていた。

その後、香川氏は西讃において次第に勢力を広げ、応永7年(1400)頃には西讃の守護代として地位を確立。さらに明応2年(1493)頃に至っては、讃岐13郡のうち、西讃の綾北条、鵜足、那珂、多度、美濃、豊田の6郡を領有し、伊予河野氏との誼を通じて大内氏にも近づいていた。この頃、阿波の三好氏が、三好長慶以来急速に勢力を伸ばし、讃岐をも併領しようとの勢いだった。東讃の諸将の多くは三好氏に従ったが、香川氏だけは応じず、河野氏と図って対抗した。
永禄元年(1558)9月、三好長慶の弟の実休は阿波、讃岐の連合軍1万8000を率いて仲多度平野に進み、善通寺を本陣にして天霧城攻略に取り掛かる。香川氏も西讃の諸将を組み入れて、寡兵ながらも要害無比の天霧城に拠って動ずる気配を見せない。実休は戦う事の不利を悟り、配下の香西氏を派して和議を成した。
土佐の長宗我部氏には屈服
天正6年(1578)、今度は四国制覇を目指す長宗我部元親軍が西讃より来攻し、香川氏の属城の藤目城、本篠城は大軍の前にあえなく落城した。元親は、両城の戦いに援軍を出さなかった香川氏に和平の志があると読み、使僧を送った。翌年、香川氏はそれを受けて、元親の次男、長宗我部親政(のちの香川親和)を養子に迎えて世嗣とし、自らは土佐岡豊に出資して贈物をし、配下の重臣4人を2人ずつ交代で人質に送るなど、事実上の臣従を誓う。
いかにも現実的な展開だが、俗説はもっと興味深い。この時天霧山では激戦を経て落城したといい、また『白米城』『尼斬城』の名がついたのもこの時であるというのだ。俗説の詳細はこうである。
包囲した城内の水が枯渇するのを待った長宗我部軍に対し、香川氏は城にまだまだ水があるように欺くため、樹間に白米を流すなどして水に見せかけようとします。このおり、一人の尼が通り合わせ「もう城には水はありません。あれは白米です」と教えたので、長宗我部軍は勝利を確信して城に突入。たちまち天霧城は落城した。そして、かの尼は後に香川軍の落武者に斬り殺されたといい、それで尼斬城とも言われているのだと。
秀吉の四国征伐で逃げたまま没落
その後、香川氏は長宗我部氏の庇護下に数年を経るが、天正13年(1585)、秀吉の四国征伐によって元親が降伏したのを知るやいなや、居館本台城を棄てて、土佐に走った。ここに香川氏二百年余の牙城・天霧城も主を失う。香川氏は取り潰しとなり、城も荒廃の一途をたどる事になった。
現在城址に明瞭な遺構はないものの、曲輪跡や堀切などは確認できる。

四国第71番札所になっている弥谷寺には、天霧城歴代城主の墓がある。
三豊市が運営放棄、民間に投げ売りされる道の駅「ふれあいパークみの」
2024年9月、三豊市は、三豊市三野町の温浴・宿泊施設「ふれあいパークみの」を民間事業者に売却することを発表した。
「ふれあいパークみの」は、合併前の旧三野町が1994年に開業した四国最大級の道の駅である。四国霊場第71番札所「弥谷寺」参道入り口、ここから進んでも行ける天霧城とも近く、天然温泉露天風呂やプール、物産館、大型アスレチックが併設されている複合施設である。
三豊市がこのたび運営を投げ出した道の駅を取得するのは、指定管理者の代表企業として関わっていた、電気工事業などを手掛ける坂出市の「サクセス」。売却額は1962万円で、四国最大級の施設全部の売却額としては「投げ売り」に近い。温浴・宿泊施設の営業を10年間継続することなどを条件に、2025年度の契約となる。
売却の理由について三豊市は「老朽化が進む温泉施設などを修繕するには約10億円がかかる見込みで、民間事業者が運営を継続することが妥当と判断した」というが、市ではできなくて民間企業なら運営継続できるとする根拠がまるで不明。なんのことはない、早い話が「白旗」を挙げたのだ。
第七十一番札所「弥谷寺」の近く
道の駅の立地だが、高松自動車道の三豊鳥坂ICから県道220号線→国道11号線→県道48号線、さらにその先一般道を通って5km。所在地は、香川県北西部の旧三野町(現三豊市三野町)である。 県道48号線から一般道に入ると田畑すらない山林の風景が続き、「こんな場所に道の駅の需要はあるのか」と思うが、本駅があるのは第七十一番札所の弥谷寺の近くで、 四国88箇所霊場巡りをされているお遍路さんには貴重な休憩所になっている。

その弥谷寺にここから行くには、通称「百八階段」と呼ばれる急な階段を上らなければならない。 「百八階段」という名前が付いているが、実際には540段ある。



ちなみに、私が先ほど行ってきた天霧城跡へはここからも行ける。
この階段登りは、お遍路さんにとっては過酷な試練の一つだろう。 ただ、車での巡礼なら500円払って有料道路を使えば階段の9割方はスキップできる。
敷地はとにかく広い
改めて。道の駅「ふれあいパークみの」は物産館、レストラン、温泉、宿泊施設、遊園地「コスモランドみの」などを擁する四国最大級の道の駅だ。

駐車場は、もう無茶苦茶に広い。




RVパークまである。

トイレは、駐車場から見える屋外トイレを使わせてもらった。



施設内には、さらに大きなトイレがいくつかある。



休憩スペースは文句なし。とにかく広いのだ。


物産館

物産館には、香川県全般の特産品が並んでいる。



物産館には、かつてお遍路グッズが溢れていたそうだ。「巡礼下駄」「金剛杖」「遍路笠」などの必携品や「お遍路饅頭」「お遍路きんつば」「お遍路Tシャツ」を取り揃えた珍しい道の駅だったという。 今ではそのお遍路グッズが少なくなってしまい、「遍路せんべい」「遍路茶」「遍路あその梅うどん」といった食品を残して、お遍路グッズの販売スペースは縮小されている。

「讃岐うどん」「ひまわりオイル」、 讃岐野堺屋の「だし醤油」「たまご掛け醤油」「うどんだしの素」など香川県の特産品は充実している。
農産物の販売には力を入れていないようだ。地元客をあてにした道の駅も多いわけだが、ここは住宅地からはちょっと遠すぎるのだろう。仕入れても、新鮮さを失って廃棄しなければならないのだろうか、売り場面積も小さく、野菜の種類もあまりない。

レストラン
本駅の「食」の施設としては、物産館横にある喫茶店、および後述する温泉施設の中にある道の駅レストラン「空海」の2つがある。 物産館横の喫茶店のメニューは、飲み物以外は「唐揚げ定食」「生姜焼き定食」「カレーライス」といったところ。まあどこの喫茶店にも普通にあるやつだ。

かたやレストラン「空海」では「弥御膳」「カキフライ定食」「チゲ鍋定食」「おでん定食」など、少し特色を出している。なおレストラン「空海」は温泉施設内にあるわけだが、受付でレストラン利用の旨を告げれば 入館料無料で利用することができる。
温水プール付きの温泉施設と遊園地
三豊市からもう「いやだに」と突き放された道の駅だが、温泉施設「いやだに温泉」は看板施設。弥谷寺までの巡礼を終えた方や、併設の宿泊施設利用者が主な利用者だという。

いやだに温泉の最大の特徴は「温水プール付き」であること。 温泉利用者はプール利用の追加料金が必要ないというのがいい。料金はかつて1525円とバカ高かったが、やがて900円に値下げされ、さらに2021年度からは700円で利用できるようになった。半額以下での投げ売りは、まさに施設売却の投げ売りと同じ感覚だ。
もう一つ、本駅に併設されている遊園地「コスモランドみの」は、平日の利用者は殆どいない状況。 全長115mのローラーすべり台や1周600mのモノライダー等の遊具を、ほぼ独り占めして楽しむことができる。 子ども連れにオススメできる「穴場」である。

