
663年(天智天皇2年)、朝鮮半島南西部の白村江(現在のクム川)河口付近で日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗。この白村江の戦いで敗れた後、天智天皇(当時は「大君」)は臣下の反対を押し切って都を奈良・飛鳥から滋賀・大津に移します。
天智天皇は崩御する2ヶ月前に、実弟である大海人皇子を病床に呼んで「後の事はお前に任せる」と伝えました。しかし大海人皇子はこれを辞退。出家して吉野へと向かいました。天智天皇の子である大友皇子の陰謀を感じたからでした。
天智天皇が崩御すると、叔父の大海人皇子を生かしておいては危険と考えた大友皇子は吉野への物資供給網を封じたり、配下に武器携帯を命じたり。明らかに自分を狙う動きに、大海人皇子は挙兵を決断。672年、古代日本最大の戦乱である「壬申の乱」が勃発したのでした。両軍一進一退の後、最後は大海人皇子が勝利。乱の終結後、大海人皇子は天皇に即位(天武天皇)します。
そして自らの崩御後は、皇后であった鸕野讃良皇女が持統天皇として皇位を継承。この天武・持統天皇の時代に国の法律・制度などが整って古代日本の国づくりはほぼ完成しましたが、人生良いことばかりではありません。子の大津皇子が謀反の濡れ衣を着せられ24歳の若さで自害に追い込まれたのです。悲劇の皇子は、二上山に眠っています。(写真は悲劇の皇子が眠る二上山に沈む夕日)
壬申の乱勃発後、劣勢だった大海人皇子軍
当初は劣勢だった大海人皇子軍が劣勢から優勢に転じ、最後は勝利する、その転機となった戦いがある。それが「当麻(現在の葛城市。壬申の乱においては当麻を「たぎま」と読む)の戦」である。「壬申紀」によれば、その戦いに至る前の流れはこうだ。
672年7月2日、美濃国不破評の和ヶ原に集結した大海人皇子軍は二手に分かれて進発。倭古京の増援に向かう軍と、もう一つは大津宮を攻略する軍だ。同じ頃、大倭国方面では倭古京を出て北上を開始していた大伴吹負(おおとものふけい)率いる大海人皇子軍の別働隊が高安城の攻略に一旦は成功していた。
しかしこの別働隊は、7月3日、河内国方面から押し寄せてきた大友軍を河内国衛我川で迎えうったが惨敗。7月4日には、今度は吹負自身が、山背国方面から南下してきた大友軍と山背・大倭の国境である乃楽山で戦って敗れてしまう。吹負は墨坂(現在の宇陀市榛原の西部)へと敗走。そこで倭古京増援のために東海から進軍してきた味方の置始菟(おきそめのうさぎ)が指揮する約1000人の部隊となんとか合流でき、吹負は命拾いする。高安城・衛我河の戦、乃楽山の戦で連敗した吹負、大海人皇子軍は劣勢の局面にあった。
「当麻の戦」で形成が逆転
7月上旬、勢いづく大友軍は総力をあげて倭古京の奪回に動き出す。高安城・衛我河の戦で吹負の部隊を破った大友皇子側朝廷軍の将軍・壱伎史韓国(いきのふびとからくに)の軍勢は、河内から大和に入ってきた。これを察知した吹負は、墨坂(宇陀)から当麻(葛城)へと進軍する。
当麻は二上山を望む一帯である。

宇陀や飛鳥からは、ほぼ西へ直進した先。兵力を増強した吹負軍は、一気に当麻へと進み、韓国軍と激突した。これが当麻の戦(葦池のほとりの戦い)である。

河内国方面より襲来した大友軍に対して、吹負軍はここで連敗のうっ憤を晴らすかのような戦いを見せ、撃退する。そして、まさに返す刀で大倭国の三道(上つ道、中つ道、下つ道)を南下してきた大友軍をも打ち破り、倭古京を死守することに成功したのである。
大海人皇子軍から大和方面を任された吹負軍にとって、この当麻の戦は戦況の優勢を取り戻す、まさに起死回生の勝利であり、それまで劣勢だった天武軍(大海人皇子)が優位に立ち、形成が逆転した「天下分け目」の戦いでもあった。
673年、天武天皇即位
歴史というものに「もし」も「タラレバ」もないが、この当麻の戦が朝廷軍勝利に終わっていたとしたら、少なくとも大和は朝廷軍に抑えられていただろう。
その後、大友軍は近江の瀬田川にかかる唐橋の西に大軍勢を構えて最終決戦に臨んだが、この瀬田川の戦いでも大敗。大友皇子が自害して、遂に決着はついた。瀬田を突破して飛鳥に帰還した大海人皇子は、翌673年、天武天皇として飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)で即位した。
二上山ふるさと公園に併設された道の駅
道の駅「ふたかみパーク當麻」は、南阪奈道路の葛城ICから県道30号線→国道165号線を通って北に4km、 奈良県北西部の旧當麻町(現葛城市)にある。 道の駅の東には水田地帯が広がり、西には大津皇子が眠る二上山がある。そして、すぐ隣には広い芝生公園が特徴の「二上山ふるさと公園」。文句のつけようがないロケーションだ。
しかし、駐車場だけは問題だ。140台もの駐車台数があって、比較的小規模な道の駅としては十分なのだが、ここは人気の二上山ハイキングの起点になっていて、ハイカーたちが登山している間、ここに駐車しているのだ(写真は満車状態の駐車場、後方に二上山が見える)。



登山口に近いところから車が埋まっていくようで、遠いところはまだ空いていた。

二上山ハイキングは往復で3時間くらいかかるという。ここにどうしても用事がある人は、駐車場がなかなか空かないと辛いだろう。
1階の工房で作った商品を2階で販売
すでに触れたが、ここは農作物直売所を兼ねた比較的小規模な物産館、これまた小規模なレストランと出店があるだけの、小ぶりな道の駅である。

トイレは施設規模からすると大きめに感じたが、これは二上山ハイキング客もしっかり受け入れて、買い物をしてもらおうということではないだろうか。



休憩スペースは、そんなに広くないし、ごく普通に休憩できる感じだ。





駐車場側から見ると平屋建ての建物に見えるのだが、傾斜地に建っているため、実は2階建て。
1階は工房になっていて、1階で作った商品を2階の物産館で販売するというスタイルになっている。このスタイルが、本駅最大の特徴と言っていいだろう。手作り餅では「牡丹餅」「よもぎ餅」「えび丸餅」「白餅」「よもぎ大福」など、ケーキ類では「チーズケーキ」「柿ケーキ」「オレンジケーキ」「バナナケーキ」「アップルケーキ」など。これら手作りのお餅とケーキ類は全て1階の工房で作られたもので、作り立ての商品を購入するできるということになっているのだ。
物産館内には、地元の農作物を直売しているコーナーもある。





取り立てて珍しい野菜・果物があるということではないが、地産の農産物はどれも新鮮で美味しそうだ。


花の産地も近いらしい。花類の販売は、とても充実していた。
本駅の「食」の施設は、レストラン(お食事処)と出店。名物は、「ふたかみそば」と「ふたかみうどん」だ。

これらは、道の駅から見える二上山を具材で描いているという。 二上山は雄岳、雌岳の2つの山頂がある双耳峰だ。どれどれ、どんな描き方をしているのかと思いきや、大きいのと小さいの、三角の揚げ2枚をうどんにもそばにも載せているだけなので何ら手間はかかっていない(笑)。 ご飯物では「當麻の牛丼」「ハンバーグ定食」「やきとり丼」等がある。




出店では「串こんにゃく」が人気のおでんや、「いちごソフト」「しそソフト」等のソフトクリームが手軽に食べられて嬉しい。