
『日本書紀』には、推古21年(613)「難波より京に至る大道を置く」とあります。推古天皇21年に整備されたこの「大道(たいどう)」とは、日本最古の官道、今で言う国道となった竹内街道のことです。
難波と飛鳥のみやこを結ぶこの「大道」とほぼ重なる「竹内街道」は、シルクロードの最終地点といわれる飛鳥に、中国や朝鮮半島のすぐれた文化や海外の使節を運んだ道でした。
都は平城京へと変わり、さらには平安京に遷されます。移りゆく時代に街道の役割も変わって、聖徳太子信仰の道となり、経済の道として大きな役割を果たすようにもなりました。そして江戸時代以降は、伊勢参り、大峰参り、西国巡礼の道として大いに賑わってきたのです。
現在もなお国道166号として大阪と奈良を結んでいますので、起点となる大小路(大阪)から奈良県葛城市の長尾神社に至る全長約30kmの街道を行ってみようと。もちろん全部歩く自信はないので、車でですが。途中の道の駅「近つ飛鳥の里 太子」まで時折車を降りて古墳や古い民家、古道の面影を見て歩き、1400年の歴史を感じてきました。
竹内街道の沿道には、大小多数の古墳
竹内街道の起点となる大小路は、大阪府堺市にある大小路交差点。この交差点は、西高野街道の起点ともなっている。

飛鳥時代には、海路で住江津に着いた遣隋使がここを後にして飛鳥のみやこへと向かっていった。

竹内街道の沿道には、仁徳天皇陵をはじめ、応神天皇陵、推古天皇陵ほか、たいへん多くの古墳が点在している。
今から1,700年程前の3世紀から7世紀の約400年間、大王や王(豪族)が亡くなると、土と石を使って高く盛った大きな墓を造った。この墓を古墳と呼び、造っていた時代を古墳時代と呼んでいる。全国に16万基以上はあるといわれる古墳のなかで、日本最大の古墳が仁徳天皇陵古墳だ。大小路交差点から堺東を右折して進むと、墳丘の大きさ486m、世界三大墳墓の一つに数えられる世界に誇るこの文化遺産が現れる。

松原市南部を抜けて羽曳野市へ。この付近には、応神天皇陵古墳をはじめと大小の古墳や古社寺が並んでいる。仁徳天皇は、応神天皇の第4子である。親である応神天皇の古墳は、常にこう紹介される。「仁徳天皇陵古墳に次ぐ国内2番目に大きい前方後円墳である」「体積では日本一」と。

世界遺産登録後も常に脚光を浴びるのは子の「仁徳」。子が親を超えていくのは親としては嬉しいものだが、死んでからずっと「ナンバー2扱い」されるのはちょっと嫌かもしれない。
難波・河内から、山ごもれる大和の国へ

磯長谷鳥瞰(GoogleEarthより)。水色点線が竹内街道である。
”山ごもれる”大和の国・奈良は、生駒山、二上山、葛城山によって大阪(難波、河内)と隔てられている。西国(吉備、北九州など)、さらには大陸の中国、朝鮮との交流にはこれらの山を越えなければならなかった。そのため、山間の数少ない切れ目を利用し行き来していたのが、竹内街道なのだ。
竹内街道が、二上山と葛城山とに挟まれた竹内峠を越えて河内に出た辺り、二上山山麓の西斜面の谷あいが「磯長谷(しながだに)」。石川の支流の飛鳥川が流れる谷で、現在では大販府南河内郡太子町に属する。この谷合は交通の要所に当たるので、早くから大陸からの渡来人が住みついて開拓していった。
その中で急速に勢力をのばしていったのが蘇我氏だ。蘇我氏は大和の葛城、飛鳥へと進出し、権力の中枢に上り詰めていったので、ここ磯長谷には、蘇我氏と縁の深い用明天皇、推古天皇や聖徳太子など王族の墓が集中して造られ、エジプトの「王家の谷」にちなんで「王陵の谷」と呼ばれるようになったのだ。
竹内街道(大道」を自らの時代につくりたもうた第33代推古天皇は、日本で初めての女帝。聖徳太子を摂政にし、大陸の隋との交渉によって先進的な政治制度や文化、芸術などを積極的に吸収し、政治の改革や仏教文化を中心とした飛鳥文化を花開かせた。

その推古天皇陵もこの地にある。東西に長い三段築成の長方墳だが、葉室塚古墳や二子塚古墳といった類似する古墳がすぐ近くに並んでいる。
また、ここは「河内飛鳥、近つ飛鳥、上つ飛鳥」などと呼ばれている。『古事記』によると、履中天皇の弟(のちの反正天皇)が難波から大和に向かう途中、難波に近い方を「近つ飛鳥」、遠い大和の明日香を「遠つ飛鳥」と名付けたとある。
今回の旅は、その「近つ飛鳥」にある道の駅「近つ飛鳥の里 太子」まで。飛鳥文化の香りが漂う「王陵の谷」から、竹内峠に立つ県境の碑を越えれば奈良県。相撲発祥の地として知られる葛城市へ入り、風情ある竹内集落を経て終点の長尾神社に着くのだが、その道は歩かないと意味がない。歩く元気は完全になくなったので、また次回に先送りする(笑)。
道の駅「近つ飛鳥の里 太子」

大阪府南東部の太子町にある「近つ飛鳥の里 太子」に直接向かう場合は、南阪奈自動車道の太子ICが近い。府道703号線→国道166号線を通って南東に3kmだ。 大阪と言えば都会のイメージが強いかもしれないが、大阪府は広い。道の駅が位置する太子町は町域の約8割が山林である。

道の駅から西方には、あの「PL教団」の異様な建物が見える。あそこは富田林だから、やっぱりここ太子町はまだ大阪なのだ。
道の駅から国道166号線を東に進むと竹内峠が待っているが、次回はこの道の駅の近くにある駐車場に車を停めさせていただいて、竹内街道の終点まで行こうと思う。道の駅の駐車場は下の写真のように相当狭いから、道の駅の駐車場での長時間駐車は迷惑。周遊したい人専用の駐車場が別途用意されているらしい。


本駅の裏手に回り、鳥川に架かる小さな橋を渡るとある小さな路地(竹内街道)を、風情ある竹内集落を経て終点の長尾神社まで、今回残した道を歩いていきたい。

道の駅の裏手からこの橋を渡ると景色は一変。タイムマシンで降り立った感覚?知らんけど。



竹内街道を詳しく知ることができる竹内街道歴史資料館は大人200円の有料施設だが、次回は行ってみようと思う。
太子もなかやと太子ワイン、「太子」ブランドが席巻
道の駅「近つ飛鳥の里 太子」は、小さな建物の中に物産館と農作物直売所が同居している。



中に入る前にトイレをお借りする。



顔も洗ってスッキリ。感謝!
トイレの周りの休憩スペースは、広くはないがとても気持ち良い。バイクの人の休憩が目立つ。




駅施設の規模に関しては、全国の道の駅の中でも最も小規模な方だろう。 しかし、本駅ならではの商品というか、聖徳太子のブランドはやはり強い。たとえば「太子もなか」。太子町に店を構える好月堂の看板商品で、柚子入りの餡が人気だ。 他にも「太子リッチジェラード」など、本駅ならではの特産品の多くに「太子」ブランド?を冠して販売されている。
河内産「デラウェア」を100%使った「太子ワイン」も、本駅イチオシの人気商品だ。

太子ブランドの他には、「力餅」、南河内産のトマト「メロウミディ」を使ったトマトジュース、 喜多農園提供の「喜多農ジャム」など、太子町名物は案外多いと感じた。
農作物直売の種類は多くないが、大根、九条ネギ、水菜から、芋、椎茸、柿などの山の幸に至るまで、地産の農作物が並んでいる。





みかんの販売も盛んで、旬の時期は屋外に臨時の売り場(テント)を作るくらいの盛況になる。

また、本駅は竹内街道散策の起点となる道の駅、ということで、 散策時の休憩時に食べたい弁当の需要が高い。中でも「二上山弁当」の販売には特に力を入れているようだった。
