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2025年

1996年からほぼ30年。何度も利用させていただいたがまもなく姿を消す「スパ羅漢」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備◎立地△)

島根県から、津和野街道を、南東方面へ。 広島県に入り国道186号線を走ると、廿日市市飯山に、30年間、街道沿いの清流渓谷温泉地として親しまれてきた羅漢温泉がある。 こんなところに来る客がよくいるものだと思いつつ山道を走るが、名湯の羅漢温泉を楽しもうと、平日であっても一定のファンが訪れる。 かく言う私もそうだ。物産館とレストランが併設されて存続してきたが、施設の所有者である廿日市市は、道の駅「スパ羅 […]

築200数十年、14坪。石見の小さな古民家から、道の駅「むいかいち温泉」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

白川郷ほど有名ではなくても、私は雪深い地方の、農家の家に興味がある。私の母の故郷の茅葺き屋根、その下で冬を越した幼児体験がその源泉にあると思われるが、島根県西南部の山口県境に程近い六日市町郊外の吉賀町にある「旧道面家住宅」にも非常に関心があって、訪ねてみた。 重要文化財の民家は、外観のみ公開されている場合が多く、いきなり現地に行っても内覧はできないことが普通だが、私が訪れた日は、偶然にもご近所の老 […]

11歳の森鴎外少年が歩いて越えた野坂峠を私は車で越えて(笑)、道の駅「願成就温泉」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○)

津和野の町のすぐ南、かつての石州街道が「野坂峠」を越えて、山口を結んでいる。「野坂峠越」は、江戸時代、山陰地方の国々を結び、人や物資の往来の動脈として機能してきたその歴史から、近世の交通の歴史を知る上で貴重とされ、街道の遺跡に指定されている。 野坂峠は、僅か1.5 kmの間に、津和野城下町の出口にあたる口屋から関所・茶屋・国境(長州藩との境)といった、江戸時代の街道と附属施設等が凝縮されている区間 […]

さだまさしの「案山子」を聞く度に、母ちゃんと訪れた「津和野」に行きたくなる。道の駅「津和野温泉なごみの里」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)

津和野は、日本全国津々浦々を旅している私が、「どうしようもなく好きな場所」の一つである。 さだまさしの「案山子(かかし)」という曲は、津和野町をモデルにした曲として知られ、特に津和野城跡から見下ろす景色がまさに歌詞の情景と重なるこの町に、もう何度行ったことだろう。 それでも私は、この曲を聞くたびに、たまらなく津和野に行きたくなるのだ。冒頭の写真は、母に抱かれる私だが、津和野は、母の実家に車に乗せて […]

松本清張「砂の器」の重要な舞台となった島根県「亀嵩」へ、道の駅「酒蔵奥出雲交流館」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○)

「ズーズー弁てのは 語尾がはっきりしないのが特徴なんだそうだ。だからカメダケにしてもカメダカにしてもだね、ズーズー弁の人が発音するとね、我々の耳にはカメダに聞こえるって」 亀嵩駅と砂の器 松本清張の小説「砂の器」に登場し、その名を知られることになった亀嵩(かめだけ)駅は、奥出雲の山あいにひっそりとたたずむ、ぬくもりにあふれた小さな木造駅舎だ。 島根県松江市の宍道(しんじ)駅から広島県庄原市の備後落 […]

鳥取のプライベートビーチ(笑)からラクダ虐待の「鳥取砂丘」、そして道の駅「神話の里 白うさぎ」へ(トイレ○仮眠△休憩△景観◎食事○設備△立地◎)

旅の途中でひょっとして気が向けば寄るかもしれないが、どうやらそんなに気軽にも簡単にも行けるものではないらしい。なので、多分、大阪・関西万博には行かないだろうと思う。 旅で今いる鳥取県が、その大阪・関西万博に鳥取県は鳥取砂丘の砂を敷き詰めたブースを出展し、砂漠を再現したパビリオンを展示している中東のヨルダンと連携して懸命に「砂」をPRしていることは知っている。 鳥取県の平井知事が「結構、重いっ砂」と […]

足湯めぐり&温泉たまごづくりをしながら東郷温泉へ、道の駅「燕趙園」から(トイレ○仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

東郷温泉は、東郷湖の南岸に湧出す温泉だ。 はわい温泉、東郷温泉それぞれの目の前に広がる東郷池には、上から見ると羽を広げた鶴のような形をしていることから、「鶴の湖」という愛称がある。はわい温泉同様、ここも江戸時代から湖中に温泉が湧き出ることが知られており、地元の人たちが温泉利用を願い出たことがその始まりだと言われている。 山陰八景のひとつに数えられる県立自然公園「東郷湖」の湖畔にある、情緒豊かな湖上 […]

ホワイ、ハワイ温泉?「羽合」と書いて「ハワイ」と読む。日本のハワイの道の駅「はわい」からは遠回り(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地△)

はわい温泉は、鳥取県北部の旧羽合(はわい)町、東郷湖の西岸に湧出する温泉だ。 江戸時代、地元の人が鳥取藩主へ湖中の泉源利用を願い出て以降、地元の人に愛され続けてきた。 旧羽合(はわい)町は、かつて「日本のハワイ」としてマスコミに何度も取り上げられた町で、気候的には本場のハワイとは似ても似つかぬのに、ハワイ州と姉妹都市提携を行ったり、町内にヤシの木並木を作ったり、「日本のハワイ」としての町づくりを懸 […]

我が子二人の成長を確認できた劇場版「名探偵コナン」、作者・青山剛昌さんの故郷「コナンストリート」を歩いて我が子を想う

長女は「とっとこハム太郎」「セーラームーン」「おジャ魔女ドレミ」。 長男は「メジャー」「ドラゴンボール」「ワンピース」。それぞれにハマったアニメはあるが、二人が共通して大好きだったのが「名探偵コナン」だった。単身赴任が多かった私は毎週のテレビのシリーズを一緒に見ることはほぼできなかったが、子育て期間に上映された劇場版は、具体的には2002年から2010年あたりまでだが、この間の作品を劇場で、家族み […]

「もたいまさこ」似の店主は住友生命で15年、故郷三朝温泉に帰って31年。60年前に母親が三朝温泉で始めた店を守り続けていた

1980年代から1990年代初頭にかけて契約された生命保険の中には、現在では考えられない高い予定利率が適用されているものがある。 バブル絶頂期の1985年から1990年にかけて予定利率が5.5%から6.25%と、今ではあり得ない高さで設定されていた終身保険、養老保険、個人年金保険などの積立型保険は、契約時の予定利率が満期まで適用されるため、同じ保険料でも現在の保険商品よりも高い返戻金が期待でき、長 […]

「選択的夫婦別姓」はいいけれど、「強制的大学別姓」はいかがなものか?名前を変えられる前の大学で机を並べて仕事した鈴木創介くんと尾道で飲んだ。

日米の関税交渉がようやく決着した。 トランプ米大統領の術中にはまった感は否めないが、相互関税と自動車関税はともに15%に。耐性の高い日本の製造業からは「仮に円高が15%進んだと思えば何とかなる」という声も聞こえ、日米の株価は共に急上昇した。ほぼ同じタイミングで7月24日にはニデックが4〜6月期業績を発表。可でも不可でもない内容だったが、今後関税分をコストダウンで飲み込むのか、米国で値上げするのか、 […]

フィリピンパブで地雷を踏んで、耕三は私の言葉の暴力マシンガンで蜂の巣に。戦争と平和、尽きぬ話の備忘録、感動の完結編

もう完全に仕上がった二人。「さあ、4軒目、行こう!」と言いながら、すでに耕三の足取りは危ういものになっていたし、すっかり眠たそうな顔にもなっていたのだが。フィリピンパブの前に差し掛かった瞬間、耕三は突然蘇った。 その表情は、一緒に台湾の街を歩いた20代の、あの時の耕三ではないか。 突然見開いた眼には生気といやらしさが宿り、心なしかズボンの前もにわかに、立派に膨らんだように見えた。 「ここ、行こうぜ […]

リクルート同期の奥村耕三と、いよいよ耕三の隠れ家「なわない」へ。過去〜現在〜未来へと尽きぬ話の備忘録第2章

あらためて。持つべきは同期である。私と一緒に1982年、リクルートに入社した耕三は元々京都の人間だが、住まいを広島に移してから、もうどっちが長いかいい勝負ではないかな。そんな長い広島生活の中でも、彼にとって最高ランクの店に次々に連れて行ってくれたのだが、その3軒目は、いよいよ耕三の「隠れ家」。 そもそも「同期」の何がいいって、同じタイミングに社会に出て、入社動機から退職動機、その後の人生まで、話題 […]

参院選期日前投票しての旅、たかが同期、されど同期。リクルート同期の奥村耕三との語り合い備忘録その①

今回の参院選、私は期日前投票を済ませて旅に出て、参院選投票日前日にリクルート同期の奥村耕三(以下耕三)と広島で会った。持つべきは同期である。耕三も京都と広島と、もうどっちが長いか。彼の人生の中で最高ランクの店に次々に連れて行ってくれた。 そもそも「同期」の何がいいって、同じタイミングに社会に出て、入社動機から退職動機、その後の人生まで、話題が尽きないことだ。 待ち合わせは広島三越のライオン像。 な […]

リクルート社員No.000046岡崎坦さん83歳。「自ら畑を作り出し、畑によって自らを鍛える」日々を訪ね、リクルートの「原点」を教えていただいた。

社員No.000046、つまりリクルート46人目の社員、それが「我らが岡崎坦さん」である。 岡崎さんがリクルートに新卒で入社したのは1964年、江副さんと鶴岡さんが会社を創業して3 年半が経った春のことだった。 在学中に東京大学新聞で広告営業を始め、その仕事を発展させる形で1960年に起業した「我らが江副浩正さんだが、奇しくも同じ年、関西私学の雄「同志社大学」に入学した「我らが岡崎坦さん」は、高校 […]

赤鬼、青鬼の34年ぶりの再会。かたやホットペッパー事業を創り上げた鬼、かたやホットペッパーのクーポンを使ってお得に食べるだけの鬼

かつてリクルートの社内報「かもめ」で、どちらが赤鬼でどちらが青鬼だったかは忘れたが、平尾勇司さんと私が「鬼の双璧」として特集されたことがあった。あれは2人ともまだ30台に乗ったばかりの若造時代のことで、「双璧」といっても、それはこと「激怒」することに関して「互角」と言うことにすぎない。 その後の二人の活躍、人生には、まさに天と地、月とスッポンな差がつくわけだが(笑)。 どれほど月とスッポンかという […]

リクルート「神戸支社」が社会への入り口だった山田滋門下生V.S.田中實門下生V.S.田中勝門下生それぞれのリクルート愛!

山田滋さんが逝ってしまわれてから、早いものでもう4年が経とうとしている今日は、2025年7月14日。 山田さんがリクルートの神戸支社長をされておられた時期に、リクルートに飛び込んできた阪本英嗣くんと金沢 尚子さんが山田滋門下生なら、おそらくリクルート神戸支社が輩出した偉人の一人に数えられる絹谷公伸さんは田中實門下生。そして私は、神戸を営業所から支社へと育てた田中勝門下生である。 このリクルート神戸 […]

大阪の豊能郡能勢町地黄476。いといと、いと愛おしい愛ちゃんの、最高の手料理がいただけるお店「ITO ITO」がある。

私は、ハゲを隠そう何を隠そう、1982年春から1991年秋までの9年半、リクルートという会社でメシを食わせていただいた。 もちろん当時は、「神生六」というペンネームではなく、「越生康之」という本名で勤務していた。 色々あったし、ろくでなしも多かったし、藤田洋を筆頭とするカスのような人間もたくさんいた。 しかしリクルートという会社には、江副浩正社長(当時)を筆頭に、上司・先輩・後輩・ブレーンさんも、 […]

「美味しくない」「量少ない」「観光地価格」「上から目線」等々。ダシのお代わりナシでダメダシの連発、どうする「出石そば」

「出石そば」は、出石焼きの白磁の小皿に盛られたそばを、徳利に入ったつゆと薬味で何枚も食べる、豊岡市出石町の郷土料理である。 挽き立て、打ちたて、ゆでたてにこだわった伝統的な製法のアピールが功を奏して一般的には人気があるようだが、ここのところ低評価もよく耳にするようになった。厳しい声を私に投げかけるのは、首都圏を中心に、東海中部以北のそば通の人たち。 「関西の蕎麦はまずい」「その代表格が出石そば」と […]

「今朝までの数日間、どこで何をしておられましたか?」。私を殺人事件の犯人と疑ってやってきた捜査一課のデカとパンツ一丁で対峙。

旅から一旦家に帰り、私の旅の間施設のショートステイに行っていた両親を迎えるために介護体制をあれこれ整えていると、ピンポ〜ンと誰かが来た。「クソ暑い中、食事洗濯に忙しいのに、誰や?」全身汗まみれ、パンツ一丁のまま、応対に出た。よくもそんな格好で人前に出るな〜と呆れられるかもしれないが、忙しいと格好など構っていられない。ドアを開けると、ガタイがよく眼光鋭い一人の男。面識はない。 「警察の、捜査一課の刑 […]