
およそ国道とは思えない、あまりに通行困難な国道には、「酷道」という漢字が当てられます。中でも走った誰もが何度か身の危険を感じる通行困難を極める3つの国道が、いつしか「日本三大酷道」に登り詰め?これらの存在は、マニアックなドライバーなら知らぬものはいないでしょう。
その一つは国道425号(三重県尾鷲市から和歌山県御坊市に至る一般国道)、二つ目が国道418号(福井県大野市から長野県飯田市に至る一般国道)、そして3つ目の日本三大酷道が、私が今回車中泊旅で利用させていただいた国道439号(徳島県徳島市から高知県四万十市に至る一般国道)で、いずれも優劣つけ難い「酷さ」です。
徳島県徳島市から、四国山地を縦貫して高知県四万十市までを結ぶ国道439号は、「酷道439(ヨサク)」と呼ばれています。総延長は約350km。全区間が一応舗装されているものの、人里を離れて山奥に進むと普通車はすれ違えない道幅となり、転落と隣り合わせのガードレールがないつづら折りの峠道が延々と続く。大きな車ほど危ない道である「酷道ヨサク」を、今回私は四万十市から徳島市までこれまでよく走ってきた方向とは逆方向に、軽自動車で旅してきました。
道の駅風の施設サンリバー四万十から出発

国道439号(以降ヨサク)の起点は四万十市の中心部にある交通量の多い交差点。交差点横には、国道56号線沿いに道の駅風の施設サンリバー四万十がある。レストラン、物産館、身障者用トイレ、車イス用駐車場などがあり、敷地の一角には四万十市観光協会もある。
ここで充分に英気を養ってから、市街地を抜けて郊外に出る。そこには田園風景が広がっていて、安並水車の里公園が見える。ヨサクは四万十川の支流、後川沿いにどんどん山奥へと向かって走る。四万十川は水が澄んでいて、少し車を止めて橋の上から見ると、泳いでいる魚の姿がはっきり見える。

ヨサクが酷道の本領を発揮し始めるのは、住次郎という集落を過ぎたあたりから。この先幅員が3mほどしかないつづらおりの道が続き、杓子峠へ。そこを下ると道は四万十川に行き当たる。川にかかる橋を渡ると右手に道の駅「四万十大正」がある。

とにかく350kmもの長い道のり、こまめに休憩するのが賢明だ。
悪路を走るのが目的ではない、絶景を徹底的に楽しむ
ここから四万十川沿いを少し走ると、すぐに梼原川沿いに北上するのだが、ここからは津野町で国道197号と合流するまで長い狭隘路が続く。下津井にある「めがね橋」は、かつての森林鉄道跡だ。

橋は、かつて林業がさかんだった頃走っていたトロッコ列車の軌道橋として昭和19年頃完成したもので、津賀ダムの湖畔に映る姿が眼鏡のように見えることからこう呼ばれている。
ところで、ヨサクのような酷道で危険を軽減してくれるのが、離合が困難な場所に設置されている電光掲示板、高知工科大学と高知県が共同で開発した中山間道路走行支援システムだ。この案内に従えば対向車と離合するために延々バックするようなことはないのに、たまに表示を無視して突っ込んでくるアホもいるので「かもしれない運転」を心がける。それが、表示を見落としてしまって突入してくる運転に不慣れな人か確信犯のアホかは、顔を見ればすぐにわかる。ハンドルにしがみつき恐怖に顔を歪めている人に対しては、こちらが延々バックしてあげるほかない。
悪路は続くが、絶景も続くよどこまでも
オアシスのような店を出て1キロほど行くと「八百とどろ橋」があり、橋の上から八百とどろの景色を見ることができる。

奇岩に挟まれ、ジグザグに降る急流だ。
梼原川から北川沿いをどんどん北上。やっと国道197号に合流する。ヨサクは197号とすぐに分かれるが、天狗高原へと上がる県道48号との分岐の向こうまではとても走りやすい。東津野の集落を抜けると学校やB&G海洋センター、運動公園などが見える。
しばらく進むと「日本一・長沢の滝」の看板。滝は、洞窟の穴から出た水が木々の間から流れ落ちる見事なものである。ただ、看板には日本一とあったが、この国の全自治体が認めた上での宣言ではないとは思う。

矢筈トンネルまで上って来た道沿いを流れる北川は実にきれいな川だった。そして矢筈トンネルをくぐるわけだが、その出口ではヨサクを外れて寄り道しない手はない。ここから南、直線距離で3キロの地点に四万十川の源流があるからだ。
四万十川の源流の水をいただいて
ヨサクから離れて狭い道をおそるおそる進んでいくと、源流点へ向かう登山口があった。そこには石碑が立っているのですぐわかる。
石碑に刻まれた文字を書いたのは、石碑建立当時に首相だった宮沢喜一氏。登山口から源流点まで、簡単な道ではないがわずか1km、往復1時間の寄り道だ。
源流点までの歩道の整備状況は良好。高齢には少々きついが、迷うことはなく源流点まで到達できた。源流の水をありがたくいただいたが、なんとも美味かった。
ここまでやってきたが、ヨサクの出発点・四万十川の下流域は、支流を集めて太平洋にゆったり流れ込む大きな川だったなあ、と、そんな景色を思い出しながら、寄り道前に停めてきた車に戻って、再びヨサクを走り始める。二車線から一車線、また二車線と、道路の幅をめまぐるしく変える。そして旧仁淀村の集落を抜けると国道33号と合流するが、合流後4キロ強ほどで左手にドライブイン引地橋がある。ここの駐車場の一角に公衆トイレがあったので、ここでトイレ休憩。
道の駅「大杉」で、ひばりさんを偲びつつ、長めの仮眠
その後、ヨサクは旧吾川村、旧池川町、旧吾北村、土佐町、本山町などの山間の町村を縫って走る。一部に未改良の区間もあるが、この辺りはほぼ二車線の走りやすい道。道沿いの清流や山肌に広がる茶畑などきれいな景色も楽しめる。ヨサク沿いに道の駅「633美の里」と道の駅「土佐さめうら」があるが、あまり休憩ばかりしていられないと思い、この2つの道の駅をとばして、次の道の駅「大杉」までなんとか走り、ここで長時間の仮眠をして疲れをとることにした。


道の駅「大杉」があるのは、高知県北部の大豊町。道の駅の近くには特別天然記念物にも指定されている「杉の大スギ」がある。

この木が、日本一の大杉だ。 この「杉の大スギ」は、私が大好きな美空ひばりさんに深い縁があることでも知られている。杉の木の近くに美空ひばり遺影碑と歌碑があって、ボタンを押すと代表曲「悲しき口笛」「川の流れのように」「龍馬残影」の3曲が、思わず引いてしまうほどの大音量で流れる。

誰もいない山奥だから許される、ちょっとありえない音量だった。「杉の大スギ」と「美空ひばり遺影碑と歌碑」は、入場料200円の有料施設だ(セット料金)。
不老長寿の豆「銀不老」を使った商品

道の駅「大杉」は、物産館とレストランから成る小さな道の駅。 駐車可能台数はたった15台だが、訪れる客がそれ以上に少ないので、私はここで長めの仮眠をとることにした次第。



仮眠させていただいた道の駅では、必ず買い物をしてお礼すると決めているので、道の駅の物産館を物色。販売されている商品はせいぜい30種類くらいと少ないが、かえって選びやすい。

速攻で、高知県大豊町に受け継がれる伝統製法の完全発酵茶「碁石茶」に決定。無農薬栽培の茶葉を厳選原料とし、発酵過程でカテキン+植物性乳酸菌が含まれるという、この地域ならではのブランド茶だ。

健康に良さそうなものは他にもある。まず、「銀不老」と呼ばれる豆。 生産されているのは大豊町のみで年間生産量は僅かに800kg。 別名「不老長寿の豆」と呼ばれる健康食品だ。

大豊町産の柚子を使った商品もあるが、「柚子酢っぽんぽん」のダジャレはちょっと調子に乗りすぎか。でも、売れすぎてスッポンポンになりそうじゃねーか。


道の駅レストランでは、大豊町北部の立川地区産のそば粉を用いた「立川そば」がイチオシ。

黒くて太い麺はコシが十分で、坂本龍馬の好物だったらしい。 ご飯ものなら、ジビエ料理の「しし肉定食」が人気だという。



仮眠後、自販機でコーヒーを買い込んで再びヨサクへ。この大豊町では、いよいよ難所中の難所、京柱峠への上りが始まるのだ。一車線でカーブの多い道を30分ほど上ると、問題の峠に到着。酷道上の峠はいくつかあったし、過去には名だたる峠も越えてきた私だが、京柱峠は標高1,123mからの眺望が素晴らいということと、他に類を見ないほどつづら折れた峠道であるという2点において特別な存在だ。

京柱峠を越えてから東祖谷への下り道は、ヨサクが最も酷道らしい表情を見せる区間、つまり危険だ。道幅は広めでカーブも緩めであっても、路面が無茶苦茶荒れていて穴ぼこが多く、もっとも危険を感じるのは、カーブミラーが少ないことだ。やがて、落合集落が現れる。
急傾斜地に石垣を積み、民家が急斜面にへばりつくように並ぶ落合集落は、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。展望所はヨサクから脇道に入って6分ほど。寄り道しない手はない。
ヨサクに戻って、少し行くと「奥祖谷二重かずら橋」がある。
東祖谷山方面から、標高1410mの見ノ越峠に、悪路を駆け上る。ここには剣山登山者用のリフト乗り場や食堂、みやげ店などがあるが、剣山に登らないならわざわざ寄るほどのものでもない。峠の前後には、時折素晴らしい景観が広がる。

さてここからは国道438号と共用区間になり、国道標識から439の数字が消える。徳島県の旧木屋平村(現美馬市)の区間には、「コリトリ」という不思議な響きの地名の場所がある。コリトリは、漢字では「垢離取り」と書く。「垢離」は、神仏に祈願する時に冷水を浴びる行為のことなので、「コリトリ」とは一種の禊の場、穢れ祓いの場を言うようだ。なるほど、ここは霊峰・剣山参拝のための清めの場であって、今でも本格的な登山道はコリトリからのルートとなっているという。
見ノ越峠からこのコリトリまで下りてくる道も、断崖絶壁を縫うように走るヨサクらしい道だった。そして木屋平の集落まで下りて2車線になり、最後に危険を感じる川井トンネルを抜けて神山町まで下りてくると、あとは普通の国道。油断は禁物、安全運転でフィニッシュだ。