多才という言葉がピッタリ。渡辺崋山の生と死の地へ、道の駅「田原めっくんはうす」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○) 

渡辺崋山は、寛政5年(1793)9月16日、江戸半蔵門外、田原藩上屋敷裏門脇の長屋で生まれた。

当時、父は留守居添役仮取次で15人扶持の給料をもらっていたが、財政難の田原藩は家臣の減給を行っており、渡辺家は11名も家族がいて特に貧しく、幼い弟妹たちを奉公に出さなければならなかったため崋山は貧しさを救うために絵を描く内職をしながら学問に励んだ。

12才の崋山は、「日本橋の暴辱」から志を立て、徂徠学派の儒学者である鷹見星皐に学ぶ。後に佐藤一斎、松崎慊堂に学び、幕府の昌平黌にも学籍を置いた。また、当時の学者文人らと交友し、詩文、和歌、俳諧にも通じた。

天保3年(1832)江戸詰年寄役の末席となり、海防を担当。高野長英、小関三英ら蘭学者と交わり、特に海外事情を研究したが、このことが彼の命を縮めることになる。

私は多才な渡辺崋山の、「画家」としての才能に特に惹かれる。

画家としての崋山は、西洋画の技法を積極的に取り入れ、写実性を高めた。

肖像画「鷹見泉石像」は国宝である。

画家としての渡辺崋山

渡辺崋山は、白川芝山、金子金陵、谷文晁らに絵を学んだ。

初めは、崋山の絵は家計を助けるものだった。しかし、天性の才能と努力によって、26才頃には画家として有名になった。

崋山の絵には鋭い線と品格があり、写生を主としているが、外形だけでなく、内部の性格をあらわしていると評価される。なんといっても、西洋画の立体、質、遠近などの面による構成を、線を主体とした東洋画に取り入れた功績は非常に大きい。

田原藩士としての渡辺崋山

天保3年(1832)、崋山は家老に就任し、紀州藩破船流木掠取事件、幕命の新田干拓計画、助郷免除などの難かしい事件を解決している。

また、田原藩は救民のための義倉「報民倉」を建設し、天保7、8年の大飢饉では、一人の餓死流亡者も出さなかったことで翌9年に幕府は全国で唯一田原藩を表彰したが、これらは崋山の指導による功績だった。

そんな崋山が外国事情に関心をもったのは32才頃だ。
蘭学や兵学の研究を始めた崋山は三宅友信に蘭学をすすめ、高野長英、小関三英、鈴木春山らを雇って翻訳をさせたほか鷹見泉石、幡崎鼎、江川坦庵ら洋学者とも交わり、来航したオランダ甲比丹から世界の状勢を知って、当時外国事情に精通する第一人者となる。

崋山は、西洋諸国が強大な力をもって東洋に侵入するのに対して幕府の外国船打払令や鎖国が危険なことを主張し、開国、交易をするよう強調したが、蘭学の進出は儒学の信奉者が多い幕府役人にとって目の敵だった。

蛮社の獄と死後の影響

目付鳥居耀蔵も、蘭学を目の敵にした一人だった。江戸湾測量で江川坦庵に敗れて以来、蘭学者の弾圧を狙っていた彼は、密偵によって幕府に崋山らの無人島渡航計画の噂を知らせ、天保10年5月、崋山、高野長英ら10数名は幕府に捕えられる。

渡航の罪は晴れたものの、崋山は机底から見つけられた「慎機論」、長英は「戊戌夢物語」が幕政批判という重罪となり、崋山は在所田原へ蟄居、長英は永牢となった。

世に言う「蛮社の獄」である。

蟄居中の崋山は、一家の生活を助けるために絵を描き、門人福田半香らは崋山の絵を売る義会を始めた。崋山は作画に専念し、「于公高門図」「千山万水図」「月下鳴機図」「虫魚帖」「黄粱一炊図」など次々と名作を描いた。

しかし、その活動により、天保12年(1841)夏の頃から「罪人身を慎まず」と悪評が起こり、藩主に災いの及ぶ事をおそれた崋山は死を決意する。

崋山は「不忠不孝渡邉登」と大書し、長男立へ「餓死るとも二君に仕ふべからず」と遺書して切腹。49年の多彩な生涯を終えた。

崋山の遺志は藩士村上定平、萱生郁蔵らによって明治維新まで受け継がれ、田原藩は軍備の近代化が最も進んだ藩となった。

崋山が生きて死んだ田原の地にある道の駅

東名高速道路の豊川ICから国道151号線、途中から国道259号線を南西に26km、 愛知県南東部に突き出る渥美半島のほぼ中央部の田原市、渡辺崋山が生きて、そして没した地に道の駅「田原めっくんはうす」がある。

地元の人にも人気の道の駅らしく、駐車場は広いのに、かなりの数の車が駐車していた。

トイレは、2018年にリニューアルしたこともあって、とても綺麗。清掃も行き届いていて、とても気持ちよく使わせていただいた。

休憩環境として評価したいのは、施設の外もさることながら、施設内にめちゃくちゃな席数の無料休憩所があることだ。

ここは「道の駅オリジナル103」と呼ばれる、1993年の第1回に道の駅に登録された103の駅の一つである。 第1回登録の道の駅はどちらかというと古臭い建物が多い中、「田原めっくんはうす」は田原市名物のメロン栽培用の温室ハウスをイメージした斬新なデザインの施設が全国の話題を集めていた。

田原市ならではのメロン

道の駅の施設は、農作物直売所、物産館、レストラン、フードコーナー。

道の駅の中心的存在は、農作物直売所だ。

田原市は昔からメロンの栽培が盛んな町だ。 4月~7月にかけては田原市産のメロンの「マスクメロン」「イエローキング」「タカミメロン」 「プリンスメロン」が店頭に並ぶ。

メロン販売

メロンを使った加工品も多彩で、メロンバウム」「メロンシュークリーム」「メロングラッセ」 「メロンクレープ」などが農作物直売所の横にある物産館で販売されている。

全国チェーンの「かつさと」はナイスコスパ

本駅のレストランは、2018年のリニューアルを機に店舗が総入れ替えされたそうだ。

そんな中、田原市発の全国チェーンのカツ丼の店「かつさと」が人気を集めていた。

「かつさと」はチェーン店らしく、安さが魅力。「カツ丼」「味噌かつ丼」「ソースカツ丼」「ヒレカツ丼」などがどれもワンコインレベルで食べられる。