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2024年

中世の名城「三隅城」へ。道の駅「ゆうひパーク三隅」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

三隅城は、この地の豪族・三隅氏の初代兼信が、三隅の町並みの東方にそびえる標高362mの高城山(たかじょうざん)の頂上に寛喜元年(1229)に築いたもので、三隅氏代々の居城でした。中世の石見における代表的名城の一つで、十指に余る支城を持ち、難攻不落を誇っていました。 南北朝の頃には、南朝方にくみした三隅氏四代兼連(かねつら)が、暦応5年(興国3年、1342)周辺の諸城を落として攻め寄せた上野頼兼の軍 […]

浜田藩の「浜田城」と「浜田港」。道の駅「ゆうひパーク浜田」から(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)

石見国(島根県)浜田藩(松平右近将監家 石高六万一千石)は、江戸時代末期の長州征伐(幕長戦争)において長州軍と交戦したことで知られています。幕長戦争は、江戸幕府が倒幕の急先鋒であった長州藩を攻撃した戦いで、元治1年(1864年)と慶応2年(1866年)の2回にわたって行われました。浜田藩は、第二次幕長戦争の「石州口の戦い」に参加し、長州藩と戦っています。 この第二次幕長戦争に際して、浜田藩は幕府軍 […]

道の駅「大社ご縁広場」から、「出雲大社」に参拝(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

山陰自動車道の出雲ICから国道431号線及び一般道を通って北に9km、 島根県北東部の旧大社町(現出雲市大社町)に「道の駅 大社ご縁広場」があります。ここからは出雲大社の一の鳥居がはっきりと見えます。 参拝前に立ち寄ると、無料で利用できる足湯でスッキリしてから参拝できたり、大社参りが初めての方は出雲大社の情報を仕入れたりできて便利です。 以前は道の駅とは言うものの、物産館もレストランも無く観光案内 […]

道の駅「キララ多岐」から日本海を見ていると「温泉津」まで足を伸ばしたくなった(トイレ◎仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備◎立地◎) 

道の駅「キララ多伎」は、島根県の日本海沿いのほぼ中央に位置する多伎町(出雲市)にあります。松江方面から国道9号線を西にひたすら走ります。山林風景が続きますが、やがて右手(北側)に海が開け、前方にキラキラと輝く海岸の景色が見えるのですが、まさにそこに道の駅「キララ多伎」はあります。 施設の外観は北欧風のレンガ造りで、とても温かみのある建物です。建物の中に入る前に、道の駅キララ多伎から、海への階段を降 […]

「三段峡」へ。道の駅「来夢とごうち」から(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備△立地○)

「三段峡」とは、広島県の北西部に位置する安芸太田町を流れる柴木川の上流にあり、1953年(昭和28年)には国の特別名勝に指定された由緒ある峡谷です。全長16kmにもおよび峡内には、100mもある絶壁に囲まれた「黒淵」や、切り立った断崖の上を猿が飛び交ったことに由来する「猿飛」など数多くの名所が存在します(写真は猿飛に向かう道中の絶壁)。 また、三段峡には非常に多くの植生物が生息しているので、危険な […]

道の駅「ロード銀山」から、世界遺産「石見銀山」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備○立地○) 

「石見銀山(いわみぎんざん)」とは、島根県の中心部、大田市にある日本最大級の銀山のことで、現在は廃鉱になっています。石見銀山の最盛期には、世界にある銀のうち、3分の1が日本で産出したものだと言われていましたが、その大部分が石見銀山で産出されたものだったという程です。 なお、世界遺産には「石見銀山」として登録されていますが、日本では時代によって「大森銀山(おおもりぎんざん)」「佐摩銀山(さまぎんざん […]

道の駅「広瀬・富田城」にて難攻不落の「月山富田城」と下剋上尼子氏を偲ぶ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地○)

月山富田城は標高190mの月山を中心に、飯梨川に向かって馬蹄形に伸びる広大な山城です。一見しただけでは、山の頂に点々と石垣と土塁が残るだけのシンプルな景観。ですが実は、歴史好きの間で日本随一とも評される山城。周囲は断崖絶壁が多く、防衛上、軍政統治上も欠くことのできない立地条件を備えてもいて、中国地方における中世城郭の代表的な城跡とされています。 山頂に主郭部を設け、尾根上に大小多数の曲輪を配した複 […]

道の駅「本庄」なら、「日本海」と「中海」の両方が近い(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地◎)

宍道湖と並んで山陰を代表する湖「中海」の北側の湖畔に「道の駅 本庄」はあります。ここに向かう際に高速道路(山陰自動車道)を利用する場合は、米子ICもしくは松江ICを降りることになりますが、どちらかと言うと、山陰自動車道の松江JCTで降りる方が近いでしょう。高速を降りたら北東に13km走るだけです。走行距離最短で行きたい方はこの松江JCTからのアクセスの方が良いと思います。 もう一つ、山陰自動車道の […]

国宝「松江城」へは、宍道湖畔の道の駅「秋鹿なぎさ公園」からが一粒で2度美味しい(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

昔から人間は争いごとが大好きで、日本だけでなく世界中で、人の財産だけでなく命が奪われるという歴史が繰り返されてきました、いや、今も繰り返されています。そこでこの国においては、大事な財を守るため、敵から身を守るための建造物や土木施設ができるようになりました。それが城のはじまりです。 つまりお城は防衛施設であり軍事基地です。お城と聞いて石垣や天守を想像するかもしれませんが、これらは中世から近世城郭の歴 […]

道の駅「匹見峡」は、表と裏と前の「匹見」と「奥匹見」との分かれ道(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事△設備○立地◎)

日本の各地で「過疎」が進行していますが、日本で最初に「過疎」が始まったのはいつ頃で、それはどこからだったかをご存知でしょうか? 日本で「過疎」という言葉が生まれたのは昭和38年で、島根県の山間部「匹見町」から始まったと言われています。「匹見町」は、現在は益田市と合併していますが、それまでは山間でのわさび栽培や林業、木工などを生業とする数多くの小集落が分散して存在する小さな町でした。 そんな「匹見町 […]

百名山「大山」の南側を東から西、道の駅「奥大山」へ。現れたのは冠雪大山の壮観(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

大山は、1936年(昭和11年)に日本で3番目に指定された国立公園です。この後、1963年(昭和38年)には蒜山地域、隠岐島、島根半島、三瓶山地域が追加指定され、現在の「大山隠岐国立公園」となっています。 大山は、中国地方では数少ない火山の一つです。西側から見ると富士山のようにも見えるのですが、富士山のでき方とは根本的に違います。古い火山に、新しい別の火山がかぶさるようにできた火山で、これを「複成 […]

道の駅「みやま公園」経由で「王子が岳」からの瀬戸内絶景へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事◎設備○立地○)

玉野市は、岡山県の南端に位置し、瀬戸内海の美しい自然に恵まれた風光明美で温暖な気候の港町です。市の海岸部中央にある宇野港は、かつては瀬戸大橋の開通まで四国の高松を結ぶ「宇高連絡船」の発着地でもあり、東京までを結ぶブルートレイン瀬戸の発着点でもありましたが、現在も四国の高松や瀬戸内海の島々(直島・豊島・小豆島)への航路がある「瀬戸内のターミナル」としての役割は変わりません。 玉野市は、瀬戸内海に面す […]

道の駅「一本松展望園」から、日の出&小豆島を背景にした多島美を!(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事○設備○立地◎) 

備前市蕃山ICから岡山市君津ICまで瀬戸内海沿いを繋ぐ全長32kmの岡山ブルーライン。 私はまだ世が明ける前に東方面からこの道の入り口である備前市の蕃山ICに入り、瀬戸内市にある道の駅「一本松展望園」を目指していたところ、すぐに現れたのが写真の景色です。 この景色が見えたのは片上地区。備前市側から岡山ブルーラインを走行していくと、片上大橋があり、ここを渡ると瀬戸内市です。その片上大橋を渡ろうとして […]

マーケティング不在、責任不在の道の駅「山陽道やかげ宿」に物申す!!(トイレ✖️仮眠✖️休憩△景観△食事✖️設備△立地△) 

物産品の販売はなく、飲食店もない。 駐車場はあるが、すぐ出ていってくださいねと言わんばかりのレイアウト。トイレは綺麗だし用を足しながら目の前のアートを観れるが、館内にあるので24時間は使えないと。 そんな新しい?画期的な?道の駅が、江戸時代に宿場町として栄えた矢掛町(岡山県)にできました。重要文化財の本陣と脇本陣が建つ矢掛商店街と並行する国道486号沿いに県と町が整備したもので、「山陽道やかげ宿」 […]

「神戸おとぎの国」からの〜「鷲羽山ハイランド」。20年ぶりに私的遊園聖地の「はしご戸締まり」!!

「人がいなくなった、人が少なくなっていった場所を悼むような職業があったらどうなんだろうとずっと考えていました。舞台挨拶で全国各地をまわったり、自分の田舎に帰ったりすると、かつては賑やかだった街が、過疎化が進み静かになっているのを目の当たりにします。土地を拓くときや家を建てるときには繫栄の願いを込めて地鎮祭など祈りの儀式を行いますが、終わるときはただ寂しく廃れていく。ならば、そんな街や土地を鎮めるた […]

差別の歴史が刻まれた「虫明」へ、「黒井山グリーンパーク」から(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事✖️設備✖️立地○) 

岡山県瀬戸内市は全国で唯一、市内の邑久町虫明の長島に位置する2つの国立ハンセン病療養所を擁する基礎自治体です。長島愛生園は1930年(昭和5年)に日本初の国立ハンセン病療養所として、邑久光明園は、大阪市の第3区連合府県立外島保養院を1938年(昭和13年)に虫明の地に再興する形で開設され、今日に至ります。場所が虫明の長島であったのは、写真のように、離島という環境が隔離にもっとも適していると考えられ […]

「鞆の浦」へ。最寄りの道の駅は「アリストぬまくま」(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事◎設備◎立地○) 

我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき 鞆の浦の磯のむろの木見むごとに相見し妹は忘らえめやも 海人小舟帆かも張れると見るまでに鞆の浦廻に波立てり見ゆ ま辛くてまたかへり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を 万葉集には、なんと鞆の浦(とものうら)を詠んだ歌が4首も詠まれています。いずれも旅の途中で詠まれた歌ですが、すでに730年の万葉集に詠まれていることからもこの港町の長い歴史が伺えま […]

てんびんの詩の「五個荘」へ。最寄りの道の駅「あいとうマーガレットステーション」から!(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事◎設備◎立地○) 

滋賀県といえば、琵琶湖。そして、河川や山など豊かな自然を想起する人が多いでしょう。しかし、滋賀県は古くから商人が活躍してきた土地でもあり、滋賀県生まれの商人は「近江商人」と呼ばれ、今も商いの世界で「特別視」される存在です。 令和の時代も営々と続く大企業が生まれたことも「特別視」される理由の一つでしょうし、「平和堂」のしぶとい経営も「特別視」に値します。近江商人が活躍した理由として、「他の土地と行き […]

大好きな「彦根城」へ。最寄りの道の駅「せせらぎの里こうら」から!(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事◎設備○立地○) 

「彦根城」は、国宝に指定された5城のひとつです。1622年(元和8年)に建てられたこの城は、天守閣から琵琶湖を一望でき、城の造形美と高い軍事的機能を併せ持つ名城として名高いのですが、徳川将軍家の威武を示すために豪奢な造りになったとされ、1604年(慶長9年)に着工してから完成までにおよそ20年もの歳月が費やされています。 戦国時代まで近江国(現在の滋賀県)の主要拠点は佐和山城でした。佐和山城は豊臣 […]

道の駅「奥永源寺渓流の里」から「永源寺」、そして「湖東三山」へ!(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地△) 

名神高速道路の八日市ICから国道421号線を通って東に17km、 或いは東海環状自動車道の大安ICから国道421号線を通って西に19km、 滋賀県南東部の旧永源寺町(現東近江市)に道の駅「奥永源寺渓流の里」があります。 本駅までの道中は、どちらのインターからアクセスしても最初の数キロは民家があり、田畑も広がる景色です。ところが、やがて田畑などは一切無くなって、ひたすら山林の中のドライブになります。 […]