道の駅「奥永源寺渓流の里」から「永源寺」、そして「湖東三山」へ!(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地△) 

名神高速道路の八日市ICから国道421号線を通って東に17km、 或いは東海環状自動車道の大安ICから国道421号線を通って西に19km、 滋賀県南東部の旧永源寺町(現東近江市)に道の駅「奥永源寺渓流の里」があります。 本駅までの道中は、どちらのインターからアクセスしても最初の数キロは民家があり、田畑も広がる景色です。ところが、やがて田畑などは一切無くなって、ひたすら山林の中のドライブになります。

道の駅「奥永源寺渓流の里」に近づいていくうち、その名にある「奥」と「渓流」のキーワードに納得せざるを得ない景色へと変わっていきます。

道の駅では、疲れていれば少し仮眠してから最初の目的地「永源寺」に向かい、それから琵琶湖に向かって湖東三山の百済寺、金剛輪寺、そして西明寺へと車を走らせる予定。しかし、ちょっと奥へと突っ込み過ぎてしまいました(笑)。

道の駅に着いた時、やたらと「テント」が目立ち、建物にもどこか懐かしさを感じたのですが、その理由がわかりました。道の駅「奥永源寺渓流の里」は、廃校となった旧政所中学校の校舎を再利用して出来た道の駅だったのです。 少子化と過疎化が進む日本にいくつかは見られるパターンですが、近畿地方では本駅が先駆け的な存在です。 ここに限らず、旅をしていると、過疎化の現状とスピードには危機感を覚えます。しかし少子化もそうですが、東京一極集中と過疎化の進行は、日本の大きな課題となってからなかなか解消への道筋が見えません。

もう66歳になっている私なので課題解決のために直接的貢献はあまりできないかもしれませんが、国政選挙、知事選、県議、市議の選挙の投票の際には、常にこの2つの課題に対して納得できる公約を掲げている人への投票は続けています。

道の駅「奥永源寺渓流の里」は盛り上がっている?

そんな過疎地にある道の駅「奥永源寺渓流の里」だが、利用客数は意外と多く直近のデータでは年間およそ年間36万人。なんと1日平均1,000人が訪れているというから驚きだ。観光客の利用がそのうちどのぐらいなのかは不明だが、沿道の421号線が、滋賀県東部と三重県を繋ぐ数少ない安全な道として重要な役割を果たしているのだろう。国道421号線の県境越えは、かつては「酷道」と呼ばれて危険が伴ったが、2011年3月に石榑トンネルが開通。以来より便利で安全になり、交通量が大幅に増加しているのだ。 仕事にしろプライベートにしろ、三重県と滋賀県を行き来するドライバーたちにとって、道の駅「奥永源寺渓流の里は、貴重な休憩所なのだろう。

ならば駐車場、トイレ、休憩スペースは大丈夫か?

駐車場は完璧。何せ、かつては中学校であり、グラウンドがあったのだから当然か。

トイレも全く問題なし。生徒が多かった時の広さがちゃんと確保されているし、休憩スペースも十分。

休憩スペースにはテントを多用していて、テントの下の椅子に座って休んでいるとかつて楽しかった運動会や体育祭、公園での盆踊りなんかを思い出し、今いかに幸せであることかを噛み締められるというか。それが貧乏くさく感じる人には不評かもしれないが、私はこんな休憩スペースは大好きだ。

一番気になったのはここ。具合が悪くなったら見てもらえるのかな?

閉まっていたので疑問解決とはならなかったが、道の駅「奥永源寺渓流の里」にはこの謎の診療所のほか、農作物直売所を兼ねた物産館、軽食堂、麺処がある。 そして、駅横の愛知川から琵琶湖までに棲む淡水魚を展示した「森の中の小さな水族館」もある。

道の駅 | 奥永源寺 渓流の里 | 森の中の小さな水族館

なんで「とび太くん」やねん?

まず物産館だが、入り口の雰囲気は、元々の中学校の職員室の入り口か〜い?というかそれそのもので、はっきり言ってしょぼい物産館だろうと先入観を持たざるを得ない。しかし、入り口はしょぼくても、売られている商品数は案外多くて驚いた。

販売されている商品をざっと見ていて最も驚いたのは、ここに来る道すがら何度も見た交通安全のためのキャラクター「とび太君」が、商品として売られていて、ドライバーの「推し活」を促していたことだ。とび太くんは「道路に飛び出そうとする子どもを表現したキャラクター」だ。 ドライバーに対する注意喚起のために制作されたもので、滋賀県東部や三重県北部のほぼ全ての横断歩道に取り付けられているというから、ここに来るまでに何度も何度も見てきた。

実はこの「とび太くん」の発祥は、ここ道の駅「奥永源寺渓流の里」がある東近江市。 しかもこの道の駅は近江市の中学校だったから、やたら「とび太くん」がことさら強調され、グッズコーナーで推されているというわけだ。「とび太くん靴下」「とび太くんクリアファイル」「とび太くんクッキー」「とび太くんラングドシャ」など、かなりの商品アイテムにキャラクターが展開されている。

道の駅 | 奥永源寺 渓流の里 | とび太くんグッズコーナー

しかしこの「とび太」くん、私的には名前もちょっと気になるし、何より子どもの可愛らしさというより、どこかヅラをつけたハゲのおっさんみたいで、はいている長ズボンも実におっさんくさい。子どもなら半ズボンやろ、とツッコミたくもなる。商品としてはどのくらい魅力があって、果たして買ってもらえるだけのパワーがあるのだろうか?(ディスってすいません、あくまで個人の感想です)。

岩魚とお茶「政所」には納得

物産館の入り口付近で販売されていたのは「岩魚の塩焼き」。 本駅の横を流れる愛知川の幸で、大きいサイズで1200円、普通サイズは900円。少々高価な感じもするが、山深いここならではの味覚が味わえるのだから妥当か。岩魚の塩焼きを太巻きのようにご飯と海苔で包んだ「岩魚の天巻き」もこの地方の郷土料理だ。 物産館の少し奥の方に進むと政所(まんどころ)茶コーナーがあった。 政所茶というのは、奥永源寺町で生産されている、まさにご当地のお茶で、煎茶、ほうじ茶などが販売されている。「とび太くん」の商品力には疑問を抱いたが、これらの商品力には納得だ(笑)。

ここらしいメニューはダムカレーと岩魚そば

道の駅「奥永源寺渓流の里」の「食」の施設は、軽食堂「ふる里まなびや」と麺処「うをまつ」。それぞれ永源寺ダムを再現した「ダムカレー」と、「岩魚そば」「岩魚うどん」という名物を有している。

「ふる里まなびや」のダムカレーは、その日の猟、仕入れにより日によって具材が変わる。 麺処「うをまつ」は麺処でありながら「とろとろオムライス」「政所茶ソフトクリーム」も人気のメニューだそう。

そんなことより(失礼)気になったのは、 学校の校舎を利用せずに、駐車場横で伸び放題の植物に埋もれかけているコンテナ?風の商業施設。あくまで私が行った時の率直な感想だが、ここはちゃんと営業しているのだろうか?と心配になった。余計なお世話だろうがw

さあ最初の目的地・永源寺へ

果たして永源寺からの湖東三山めぐりのスタート地点として、かなり奥地の道の駅を選んだことが正解であったかどうかはわからないが(笑)。何はともあれ、最初の目的地・永源寺へと向かった。

大本山永源寺の宗派は、臨済宗永源寺派だ。南北朝時代の康安元年(1361年)、近江守護佐々木氏頼に請われ、高名であった寂室元光禅師(じゃくしつげんこうぜんじ)が開山した。永源寺は愛知(えち)川に沿って境内が広がっていて、中国の天目山を思い起こさせる深山幽谷の様が修行の場として最適とされ、僧の修行は愛知川の清流の音とともにあると言われてきた。石段の参道を登ると右手が愛知川。左手の石崖には十六羅漢の石仏などが奉安されており、参道一帯にはモミジ・カエデが多く、秋の紅葉期には多くの観光客で賑わうというが、私はフライング気味だったので寺内はとても空いていた。

永源寺の写真を含めてここからの湖東三山の写真については、私が訪れたタイミングがそれぞれの寺の紅葉の最高潮時期を「今逸し」てしまい、それこそ「イマイチ」な写真ばかり。要するにフライング、訪れる時期が早過ぎたのだ。そこで、それぞれのお寺さんのサイトから写真をお借りして、いったん本来の美しさをお伝えする。どうせこれらの寺には毎年のように行くつもりなので、まず来年はしっかり紅葉のタイミングを把握して必ずやリベンジ。以降も年々随時私自身が見たものに差し替えていく予定なので、アップデートを乞うご期待。

湖東三山の最南端「百済寺」へ

百済寺は、今から1420年前の推古14年(606)に渡来人のために聖徳太子が創建した近江の最古刹である。御堂は百済の「龍雲寺」を模して創建され、像高2.6mの十一面観音を本尊とする。その後鎌倉時代には「天台別院」と称されて1,300人が居住する巨大寺院となったが、織田信長はそれが気に入らず、天正元年4月11日に焼討ちしてしまう。信長の焼討と言えば比叡山が有名だが、信長と敵対していた六角氏に食糧米を送るなどの行為が謀反と判断されたことで、この百済寺も焼討となったのである。今や「石垣参道」や棚田のような「坊跡遺構」、「千年菩提樹」、樹齢数百年の巨杉などから、往年の姿を偲ぶほかない。

湖東三山の真ん中「金剛輪寺」へ

金剛輪寺は奈良時代の中頃の天平13年(741)、聖武天皇の願いによって行基菩薩が開山。本堂は鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定され、堂内には平安時代の十一面観音像をはじめ、重要文化財の仏像が数多く安置されている。また、三重塔(鎌倉時代)や二天門(室町時代)も国の重要文化財、桃山時代から江戸時代に作庭された池泉回遊式庭園は国の名勝に指定されている。

長い参道の両脇には、訪れた人々を山上の本堂まで導くかのように千躰地蔵尊が鎮座され、例年11月中旬から下旬にかけて境内一円が鮮やかな紅葉に彩られるが、特に本堂周囲と庭園内の紅葉は「血染めのモミジ」と称されるほどの深紅に染まる。

湖東三山の最北「西明寺」へ

西明寺は、平安時代初期の承和元年(834)、三修上人が仁明天皇の勅願により開創された。「日本100の古寺」とされる天台の古刹である。

本堂は鎌倉時代の代表的な建造物で、国宝第一号に指定されており、三重塔も総桧造りの優美な塔として国宝に指定されている。

国指定の名勝庭園「蓬莱庭」は四季折々の変化が見られ四季を通して美しいが、秋には境内一円に1,000本を数える楓が紅葉。11月になると天然記念物の「不断桜」とのコントラストが美しい。