国宝「松江城」へは、宍道湖畔の道の駅「秋鹿なぎさ公園」からが一粒で2度美味しい(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地○)

昔から人間は争いごとが大好きで、日本だけでなく世界中で、人の財産だけでなく命が奪われるという歴史が繰り返されてきました、いや、今も繰り返されています。そこでこの国においては、大事な財を守るため、敵から身を守るための建造物や土木施設ができるようになりました。それが城のはじまりです。

つまりお城は防衛施設であり軍事基地です。お城と聞いて石垣や天守を想像するかもしれませんが、これらは中世から近世城郭の歴史の中に現れたお城の姿であり、それ以前は土塁や堀、塀や柵、門や櫓などでもお城と呼んでいました。13世紀から16世紀にかけての中世、具体的には鎌倉時代から室町時代にはで全国に3万から4万もあったと言われています。

さて 松江城は、全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。現存天守とは、江戸時代またはそれ以前に建てられ、壊れることなく現代に姿を残す特別な存在です。その中でも、慶長16年完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されています。

現存天守の希少性について

全国に無数とは言わずともたくさんあった「城」なのに、現在たったの12城しか当時の天守が残っていないことに関しては、主に3つの要因があげられる。

一つ目は一国一城令だ。1615年に制定されたが、読んで字のごとく「1つの国に1つの城しか認めず、あとは廃城せよ」という御触れつまり「国の命令」。目的は、当時城の数を制限することで諸大名の武力を抑制することにあった。

二つ目の要因は、1873年の「廃城令」だった。明治維新以後、「新政府が軍用として使用する以外は破却せよ」という御触れである。これによって、城内の建築物は民間に払い下げられ、その多くは取り壊されたのだった。

三つ目は現代人ならば想像に難くない、申し上げるまでもないだろう、1939〜1945年まで6年間続いた第二次世界大戦である。日本にとっては太平洋戦争において日本全土が戦火に見舞われ、アメリカの空襲によって多くの城が焼失したのである。

松江城建設のための「人柱」

松江城は、そんな三つの危機を掻い潜って全国にたった12しか現存していない12 天守の一つで、2015 年 7 月には国宝に指定されており、別名「千鳥城」とも呼ばれている。

歴史を振り返ろう。松江城は1607年(慶長12年)に築城が始まった。「松江城」は江戸時代、幕府の許可を得て造られた城である。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいて功績のあった堀尾忠氏は出雲国(現在の島根県東部)・隠岐国(現在の島根県隠岐郡)を与えられて松尾藩の初代藩主となった。そして父・堀尾吉晴とともに、「月山富田城」に入城する。しかし私も城跡に行ったが、月山富田城は中世の山城で、はっきり言うと今でも不便が多い。私ごときにそんなことを言われるようなとんでもない不便から、松江に城を移すことにしたという。

1604年(慶長9年)に堀尾忠氏が急死。息子の堀尾忠晴が跡を継ぐもののまだ幼かったため、堀尾吉晴が補佐し、松江城と城下町との建築を急いだ。

松江城の建設工事に関しては、石垣は、石垣築城に優れた穴太衆(あのうしゅう)が担当。自然石をそのまま積んでいく「野面積み(のづらづみ)」や、加工した石を利用して石同士の隙間を減らす「打込接ぎ(うちこみはぎ)」の手法は、積まれた石垣の随所に見ることができる。

ところがその石垣工事がうまく進まなかった局面において、なんと「人柱」が立てられたのである。人柱とは、難工事完成を祈って神にいけにえとして生きた人を水や土に沈めること、またはそのいけにえの人のことを言う。このとき人柱に選ばれたのは、盆踊りに来ていた踊りの上手な美しい娘だった。その後、何の罪もなく殺されたこの娘の呪いによって、城下で盆踊りが行なわれると天守が鳴動するようになり、盆踊りは禁止されたと伝わっている。また、築城を進めていた堀尾吉晴だけでなく3代藩主・堀尾忠晴もあえなく死去。忠晴に跡継ぎがいなかったために、堀尾家は断絶の道を辿ることとなった。

1607年(慶長12年)に着工された松江城は、4年かかって1611年(慶長16年)に完成する。断絶した堀尾氏の後を継いだのは京極忠高だった。藩主となって氾濫を起こしていた斐伊川の治水をおこない、(これも私の目で確かめたが)石見銀山の監督権が与えられて、いったんは高松江藩歴代最大の領地を治めるという皮肉な?結果となった。しかし、その京極忠高も。なぜか治世たったの3年で急死。京極家もまた、断絶したのである。

どんな身分にあろうと、人を舐めてはいけない。こうした相次いだ不幸も娘の「呪い」と考えられているが、おそらく呪いでもなんでもない。彼女を人柱にした、人を人とも思わない思い上がった愚行が、それを命じたものに報いとして還ってきただけのことだ。それは、この世の中の定めに違いない。幸い松江城は城だけでなく堀もほぼ完全な姿で現存している。

写真のように、堀を船でめぐる「堀川めぐり」も日々行われている。

何も学ばずに「綺麗〜」とか言ってアホみたいに(実際アホだが)船の上ではしゃぐだけではなく、同じ人間であるならば堀のまさにすぐ横にあるその石垣の建設で人柱となって殺された娘さんを偲び、霊を慰めたいものである。

ちなみに350年後の黒部ダムの建設においては、その完成によって25万kWの電力が生み出された一方で、171人もの労働者が殉職したという現実があり、それもまた「人柱」と言われている。黒部に訪れるたび、その恩恵を受けてきたものとして171もの魂に対して礼を欠かさないのは少なくともこの国に生きながらえる日本人としては当たり前のことである。

話を戻そう。京極忠高の治世のあとは、松平直政が入城。徳川幕府の長期政権のもとでこのあと10代にわたって、長く松平家が松江藩主を務めている。松平家で初めて松江城に入城したのは松平直政だったが、このときに呪いは終わったと伝わっている(私は信じないが)。その話はこうである。天守に娘の亡霊が現れた際、松平直政が何者か尋ねたところ、亡霊は「この城の主だ」と答えため、「この城」とかけて、魚の「コノシロ」を供えたところ、亡霊は現れなくなったというのだ。

いかにも身勝手で馬鹿馬鹿しいにもほどがあるが、この「人柱伝説」については文豪の小泉八雲も書き記している(写真は小泉八雲の銅像)。その後、明治時代に入ると「廃城令」によって松江城の建造物は取り壊されていく。天守もまた民間に払い下げられる方向で解体が決定したが、勝部本右衛門や高城権八ら地元の有志が私財を投じ、保存されることとなった。伝説ではない間違いない史実としては、彼らのおかげで私たちは現在松江城の天守を当時のまま今なお仰ぎ見ることができているのである。

松江城が松江城でしかない理由

松江城は、亀田山に位置する、いわゆる平山城である。本丸の東から南にかけて階段状に二の丸が配置されており、二の丸のさらに南には三の丸がある。本丸に築かれた天守は4層5階。最上階は四方が展望可能な「望楼式」となっている。正面に三角形の入母屋破風(いりもやはふ)があるのが特徴で、これは桃山時代から伝わる様式だ。外壁は大部分が「下見板張り」(したみいたばり)、ほとんどが黒い板で覆われている。また、松江城天守は大部分の階段に桐の木を使用しているが、このような階段は全国唯一である。国産木材のなかで最も軽量な桐を使用することで、敵の侵入時には階段を引き上げて、取り外しができるようにしていたのである。桐は防火・防腐性にも優れていて、この特徴も考慮して使用されたと思われる。

松江城には、築城の目的からして当然のことながら軍事的な仕掛けが随所に見られる。天守入り口の附櫓は、より堅固な防御にするために取り付けられたもので、天守内部には敵に攻撃する「石落とし」や「狭間」も見られる。通常、鉄砲や矢を撃つための小窓である狭間は、天守の内側から外に向けて攻撃できるように造られているが、松江城には天守内部から建物内の附櫓に向けて鉄砲狭間が設けられている。附櫓の中に敵がさしかかっても攻撃できるようになっていたのだ。

宍道湖(しんじこ)が見渡せる松江城

松江城の最上階からは宍道湖(しんじこ)が見渡せる。

ということは、何を隠そう(笑)宍道湖(しんじこ)からも松江城の天守が見えるということにほかならない。宍道湖は、周囲約45km、全国で7番目に大きい湖で、わずかに塩分を含む汽水湖のため魚種が豊富。特にシジミ、白魚などの宍道湖七珍は松江を代表する味覚として有名だ。そんな宍道湖を、さらに全国的な知名度に押し上げたのが、空が茜色に変わる頃から始まる湖上の「夕日ショー」だろう。

さて 松江城天守閣をも望める道の駅「秋鹿なぎさ公園」は、山陰自動車道の松江西ICから国道9号線/国道431号線を通って北西に14km、 島根県北東部の松江市秋鹿地区にある。

駐車場は広く、トイレもわかりやすい位置にあり、車を降りてすぐ休憩できるスペースも多彩だ。

もちろん、館内でもゆっくり休憩することができる。

ここは日本第7位の面積を誇る宍道湖の北の畔にある道の駅で、ここから松江城に向かうとき、その道中は右側にずっと宍道湖を見ながらのドライブが楽しめ、宍道湖の大きさを実感できるだろう。

もちろん宍道湖を眺めながらローカル線で松江城に向かう人も多い。

電車移動の最大のメリットは、各駅停車などで時間は多少かかってもアルコールが飲めることだ(アル中か?)。酒を飲まなくとも、湖畔の景色を右手に、また畑や山々を左右に眺めながらゆっくり行くローカル線もまた格別ではないかと思う。

道の駅で、酒飲みの私が買って帰るべきは「しじみ」だが

そんな道の駅「秋鹿なぎさ公園」で、「酒飲み」を自覚する者が買って帰るべきもの?は、宍道湖で獲れた「しじみ」である。 何せ宍道湖はしじみ漁獲量が日本一の湖であり、本駅ではそのしじみ関連の商品が多数販売されているのだから。

マニアックに言えば、何も加工していない「宍道湖のしじみ」が販売されているのは本駅1階の農作物直売所。2階にある物産館では「しじみブラックカレー」「宍道湖しじみパイ」「しじみのスープ」「しじみの味噌汁」 「しじみ釜飯の素」「食べるしじみ」等々、しじみを使った加工品が多数販売されているので念の為(笑)。

そもそも二日酔いというものは、お酒を飲みすぎることで肝臓がアルコールを処理しきれなくなり、有害物質のアセトアルデヒトが血液中に流れ込んで体内で悪さをし、翌日になっても吐き気、頭痛などの症状をもたらすことである。

シジミ

もしそれを改善できるというなら、昔から数限りなく二日酔いを繰り返してきた身としては、しじみにいったいどんな成分が含まれているのかをぜひ知りたいものである。

しじみの効用に道の駅の責任はないにしろ

そもそもしじみは生き物なので、当然ながら「たんぱく質食品」と言われている。必須アミノ酸のメチオニンをはじめ、シスチン、システイン、タウリンなどのアミノ酸が豊富に含まれていて、それらが肝臓の働きを支えるという。また、ビタミンB2も含むため、肝臓の解毒作用を助けたり、胃の粘膜を構成する細胞を再生、保護したりする働きがあるというのだ。

ほかに、オクダテセン酸という脂溶成分も含んでいて、肝機能改善や黄疸の予防が期待できるという研究報告もあるという。さらには造血作用のある鉄、亜鉛、銅などが多く、それらは血液の健康を維持し、肝臓の働きを円滑するというのだ。おまけにというか、カルシウムの多さは貝類のなかでも1、2位を争うほどで、このカルシウムはアルコール分解酵素など酵素の働きにプラスに関わっているというのだ。

66年の人生の中で「しじみ汁」の効用は実感しているが

シジミ汁

私の人生が典型例だったのだろうが、二日酔い、肝臓病予防の妙薬といえば、シジミ汁を思い出される方も少なくないだろう。しかし、そもそも「しじみ」は二日酔いに効くって本当なのか。もしそれが本当ならば、それは一体なぜなのだろう。

メインビジュアル:「シジミ」は二日酔いに効くって本当? シジミの栄養、効果について、管理栄養士が答えます!

我が身の愚かさを棚に上げて「しじみの万能性」に矛先を向ける前に、「味噌汁」にすることのメリットが語られていることについての疑問を解決しておきたい。これまでの人生を振り返って、いただくたびに「一度たりとも疑ってこなかったしじみ汁の効用」を調べてみると、第一には味噌とシジミの両方に含まれる必須アミノ酸のメチオニンの働きが増強するとあった。そして第二には、味噌に含まれるイソフラボン、サポニン、レシチン、乳酸菌などがシジミの成分と複合的に働いて、肝機能や疲れた胃腸をサポートするのだと。

もししじみが万能ならそれだけ食っていればいいのか問題

栄養的にどんなに優秀なシジミであっても、すべての栄養素を満たす完全な栄養食品ではない。ビタミンB1、ビタミンCが比較的少なく、食物繊維にいたっては推定値はゼロである(参考:2020年食品成分表)。また、そもそも己の飲み過ぎで肝臓や胃腸に異常をきたしておいて、薬でもないしじみに都合よく己の健康をゆだねることは、はっきり言ってお門違いであろう。

ただ、「溺れるもの藁にもすがる」という諺がある。アル中、肝臓病の者が、藁にもすがる思いで「しじみ」にすがる傾向があるというのは、悲しいかな事実ではある。だからこそ、そうした「弱み」につけ込んでの「しじみのエキスを濃縮!」と謳う食品群にはくれぐれも注意したい。

ここにきて、そもそも二日酔いなどというものは、肝臓がアルコールを処理しきれなくなり、有害物質のアセトアルデヒドが血液中にながれることで起こるとの原点に帰ってきた。つまり、シジミ汁をいただくことで二日酔いが軽減するといわれる理由は、そもそも水分を摂ることでアセトアルデヒドを外へ出す働きをもたらすことであって、気分的にホッとするなどの「プラセボ効果」が働いていることによるものからではないだろうかと疑うに至ったわけである。プラセボ効果とは、薬としての効き目がない偽薬(プラセボ)を服用しても、症状の改善や副作用の出現が見られることを言う。

こうして色々調べていくと、一周回って「飲み過ぎはいかん」ということに戻ってきた。日ごろから肝臓をいたわる飲み方、つまり適量の飲酒量をまもること、栄養バランスの整った食事をしてからだ全体へ十分な栄養補給することこそ、肝機能を高めるうえで有益であると。「酒飲み」としては耳がイタイ結論なのだが、それでもせっかく道の駅「秋鹿なぎさ公園」に来たのである。しじみ関連商品を買って帰ったが、それが何か?

しじみ以外の、道の駅「秋鹿なぎさ公園」の魅力

道の駅「秋鹿なぎさ公園」の「食」に関する施設は、2階にある展望喫茶レストラン「フォーシーズン」である。 宍道湖の湖面ギリギリに建っていて、ガラス越しに宍道湖を一望することができる。

人気のメニューは「ハンバーグランチ」「とんかつランチ」「海老フライランチ」等々。ランチメニューには「宍道湖産のシジミ汁」と島根県産の「仁多米ライス」が付いているので、 何を注文しようが宍道湖ならではの味を満喫することができる。それにしても、写真の「しじみブラックカレー」のインパクトは強烈だった。

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