
宍道湖と並んで山陰を代表する湖「中海」の北側の湖畔に「道の駅 本庄」はあります。ここに向かう際に高速道路(山陰自動車道)を利用する場合は、米子ICもしくは松江ICを降りることになりますが、どちらかと言うと、山陰自動車道の松江JCTで降りる方が近いでしょう。高速を降りたら北東に13km走るだけです。走行距離最短で行きたい方はこの松江JCTからのアクセスの方が良いと思います。
もう一つ、山陰自動車道の米子西ICを降りて向かう手もあります。こちらは県道47号線/県道338号線を通って北西に進みます。 途中、「あり得ない急坂」としてCMにも登場した「江島大橋」、湖の中の一本道の「森山橋」など、かなり視覚的インパクトが強烈な道路を走ります。とりわけ急坂の江島大橋の頂上からの景色は「美しい」を通り越して「怖い」。目を奪われないように安全運転を。と言うことで、ドライブの楽しさを考えると米子西ICからアクセスしてみる価値はあります。ただ、インターを降りてからの走行距離は約30km。松江で降りた場合の2倍以上は走ります。


さて 本駅が位置する松江市本庄地区は、弁慶伝説が残る街。 平安後期から鎌倉時代にかけて、実在したかどうかは定かでない「武蔵坊弁慶」ですが、 本庄地区には多数の弁慶伝説が残っていて、弁慶が生まれ育った地とも言われています。
はあ? 弁慶の生誕地が本庄だって? 伝説はまあいいとして、私の記憶では、弁慶が生まれ育ったのは和歌山の田辺かと?実在したかどうかは定かでない「武蔵坊弁慶」を町おこしのネタに使うのは自由なのかもしれないが、一人の人間に生誕地が二つあるのは納得できません(笑)。松江市と田辺市で、京の五条の端の上にて決着をつけていただきたいところです。

「松江説V.S.田辺説」双方の信憑性を徹底比較
弁慶の生誕地がどうも気になるので、両者の「弁慶の幼少期」についての記述を比較してみたい。まず、和歌山県「田辺説」から。
「一説によると、弁慶は熊野別当の嫡子として誕生。幼名は鬼若と言い、母の胎内で18ヶ月過ごし、生まれたときから2~3歳の体格で、髪は肩まで伸び、歯も生えそろっていたという」。
これは、嘘やろ。いくらなんでも「母の胎内で18ヶ月過ごし」はありえへんし、「生まれたときから2~3歳の体格」って、母上のどこから出てくんねん?赤ん坊の「髪は肩まで伸び、歯も生えそろっていた」って、いくらなんでもこれは嘘や。そう思って、最も有名な「義経記」における武蔵坊弁慶の生涯を確認してみると。
「武蔵坊弁慶は、熊野別当。弁昌」(べんしょう)と二位大納言の娘の間に生まれた。母の胎内で過ごした期間は18ヵ月。生まれた時点で2~3歳ほどの体格をしており、髪は肩を覆うほどに伸び、歯も大きく生え揃っていた。父・弁昌は、生まれたばかりの武蔵坊弁慶を見たとき、「鬼の子」と決め付けて殺そうとするが、(母である)二位大納言の娘が阻止。弁慶は、弁昌の妹に引き取られることになり、このときに「鬼若」(おにわか)の幼名が付けられた。こうして、武蔵坊弁慶は幼少期を京都で過ごすことになった。順調に育っていた弁慶だったが、6歳のときに疱瘡を患い、この影響で肌が黒くなってしまう。また、不思議なことに髪の長さも、生まれたときのまま伸びることはなかった。」
と言うことで、田辺説はこの「義経記」を転載していただけと伺える。てか、「義経記」自体、あり得ない記述多すぎ。信憑性ほぼないんちゃうん?
亀井亜紀子代議士が支持する「松江説」
では、松江説における弁慶の生誕〜幼少期はどんなものなのか?
「弁慶は松江市の本庄で生まれ、平田(出雲市)の鰐淵寺(がくえんじ)で修行した後、比叡山に向かった」とある。
この情報を発見したのは、立憲民主党島根県連代表の亀井亜紀子衆議院議員のブログ。そこにはこうあった。
「私は各地で茶話会(対話型の集会)を開いているのですが、政治ではなく歴史の話になることがしばしばあります。弁慶が本庄生まれだと知ったのは本庄地区の方々と交流するようになってからで、2年ほど前でした。奥ゆかしい島根県民は宣伝が苦手で、地域の方々が弁慶について発信し、地元メディアに取り上げられるようになったのは最近のことです。私も弁慶の足跡を辿り、今では史実として確信を持っています。」
政治家の話ほど当てにならないものはないと言うがw

で、結局、弁慶はいったいどこで生まれたんや
「弁慶さんの話は伝説として語られることが多く、彼が実在した人物かどうかは正確にはわかりません。生誕の地とされる場所は実は全国各地にあります」
と、これが私が下した結論だ。和歌山県の田辺でも、島根県の本庄でもない。そう言うことにしとこ、知らんけど(笑)。
今のところどちらの町おこしが優勢なのかは気になる
田辺はかなり盛り上がっている。別当の嫡子であるという説や産湯の釜、産湯の井戸、弁慶の腰掛石といった幼少期にまつわる史跡が多く残ることから、弁慶の生誕地は田辺であると主張。また、奥州衣川での弁慶の最期を伝え聞いた田辺の人は、その生涯を偲んで弁慶松を植え、いまも代々植え継がれていて、街の玄関口であるJR紀伊田辺駅前には高さ3m、重さ2tもの弁慶像が立ち、秋の弁慶まつりでは数百人もの参加者が連なり踊る弁慶ゲタ踊りなどが行われて大賑わいに。

「紀州のドンファン」の遺産すべてが彼の遺言通り田辺市のものになると、田辺市はさらに勢いづくだろう。何のこっちゃ。
一方の本庄(松江市)はどうか。道の駅周辺にも「弁慶の森」「弁慶の立岩」「弁慶島」など弁慶に纏わる名所が多数存在する。さらに島根県は出雲、石見、隠岐の3地域に分かれており、それぞれ歴史が古いので、各地域に弁慶のたくさんの逸話や伝承が残っている、と一歩も譲らない構えだ。

「エビデンス」として、弁慶の母、弁吉が縁結び祈願をした出雲路幸神社(安来市)と鳥居横の弁慶腰掛岩、弁吉と弁慶が出会った長見神社(松江市)、弁慶が剣術等を学んだ弁慶島(松江市)、鰐淵寺境内の弁慶が持ち帰った銅鐘等々、弁慶の足跡が松江市、安来市、出雲市(旧出雲国)に点在していることを列挙。鰐淵寺の銅鐘は大山寺(大山山中に所在)から弁慶が一晩で持ち帰ったと伝えられているが、竿の前に提灯、後ろに銅鐘を下げて歩いたのが「提灯に釣鐘」の由来なのだと主張している。

こちらは道の駅「本庄」にある「像」。像のリアリティでは田辺に完敗かw
駐車場はやや狭く、トイレ、休憩環境はともに良好





名物は「西条柿」と「弁慶の焼きどころ」
冒頭から大脱線したが、道の駅「本庄」に話を戻す。本駅は、物産館、農作物直売所、軽食堂、コンビニエンスストアから成る道の駅である。




第一印象としては、こじんまりとしたごく普通の道の駅である。

農作物直売所では、地産の野菜がおおよそ40種。 商品の殆どは地元の松江市産で、買っている人たちを見ると明らかに旅行者ではなく地元のおばちゃんたちが圧倒的。しっかりと地産地消の役割を果たしていた。

道の駅の物産館で目に付く商品をいくつか挙げると、まずは「西条柿」と「弁慶の焼きどころ」 「西条柿」は本庄地区の昔からの特産品で、柿そのもの、干し柿、 柿ジャム等が販売されている。もう一つの名物の「弁慶の焼きどころ」は、「弁慶の泣き所」に掛けたダジャレネーミングだが、こうしたありふれたアプローチだからこそ、中身が問われる。より重要なのだ。その中身は、薄く焼いた餅の中にたっぷり餡が入った餅菓子で、焼き印が押されているから 「焼きどころ」なのかと。 この程度じゃ弱いかな〜(笑)まあ、美味しければそれでいいのだが。

干物の「ノドグロそのまま」「レンコ鯛そのまま」や「焼きアゴ出汁茶漬け」等の海産物加工品も販売されている。「しじみ飯の素」もうまそうだったが、酒飲みとしては今晩の晩酌のつまみに、これまたダジャレ商品である「オルニ珍味」のおつまみしじみ(中央の黄色い商品)を選んでしまった。ちなみに、ダジャレとしてはオルニ珍味はいただけない。まだ弁慶の焼きどころの方がマシかな。

軽食堂ではうどん、カレー、おにぎりを提供

軽食堂ではうどん、カレー、おにぎりなど提供。 テーブルの上のメニューはシンプルだが安い。「きつねうどん」「弁慶うどん(餅入りのうどん)」「カレーライス」など、すべてワンコイン以下。明らかに手軽に食事を済ませたい方向けである。


手軽に、と言えばコンビニである。それ以上でもなくそれ以下でもない、以上。
道の駅「本庄」の正面(南側)が「中海」
中海は、島根県東部と鳥取県西部にまたがる日本で5番目に大きな湖だ。中海とそこに隣接する宍道湖はいずれも境水道から日本海へとつながっていて、どちらの湖も汽水湖なのだが、塩分濃度には差があるので湖に住む生き物の種類が異なっている。
中海の塩分濃度は、海水の半分程度。この汽水という特殊な環境の恩恵を受ける多くの魚介類や水草がここに生息・生育している。


道の駅からは、まず鳥が目につく。中海一帯ではガンカモ類をはじめ、シギ・チドリ類等の47科、約260種の鳥類の生息が確認されており、米子水鳥公園や宍道湖グリーンパークに足を伸ばせば希少種を含めその半数近くを観察できる。コハクチョウをはじめとする水鳥たちにとって、この中海と宍道湖は西日本最大級の越冬地。水鳥の生息にとって重要な場所として、もちろん「ラムサール条約湿地」に登録されている。

しばし水鳥たちに目をやっていたが、中海の向こうに大山が見えたのでパチリ。
弓ヶ浜へも行っとく?
道の駅「本庄」から東(鳥取方面)に20キロほども走れば「弓ヶ浜海岸」に到着できる。
弓ヶ浜海岸は日本の白砂青松百選の一つに数えられている名勝で、名称が示す通り、弓のように海岸線がなだらかに湾曲しているため、どこまでも続く(かのような)海岸線を見渡すことができる。 適当に荒れた天気の時には、日本海側独特の豪快の荒波と群生する青松の対比が見どころである。

道の駅「本庄」からたった20キロ東なのだが、先ほど道の駅「本庄」から見た大山と、弓ヶ浜から美保湾越しに観る大山とでは見え方も印象もかなり違う。