「神戸おとぎの国」からの〜「鷲羽山ハイランド」。20年ぶりに私的遊園聖地の「はしご戸締まり」!!

「人がいなくなった、人が少なくなっていった場所を悼むような職業があったらどうなんだろうとずっと考えていました。舞台挨拶で全国各地をまわったり、自分の田舎に帰ったりすると、かつては賑やかだった街が、過疎化が進み静かになっているのを目の当たりにします。土地を拓くときや家を建てるときには繫栄の願いを込めて地鎮祭など祈りの儀式を行いますが、終わるときはただ寂しく廃れていく。ならば、そんな街や土地を鎮めるための祈りを捧げる人がいたら――。「閉じ師」という職業を考えたのはそんな思いからです。」

これは、2022年に公開された「すずめの戸締り」の製作者である新海誠監督のインタビューからの引用です。彼は、作品に込めたメッセージついては以下のように語っています。

「どんなことを経験しても、その後も人は生きていくことができる。今、辛いことがあっても、来年の今頃は笑っているかもしれない。苦しみや困難の先には希望がちゃんとあるし、過去の自分に「だから大丈夫だよ」と伝える未来の自分がきっといる。そんなことを伝えたくてこの作品を作りました。」

廃れていく街や土地を鎮めるために私も祈る

どんな作品にも、「作品」にはメッセージがある以上、賛否両論が起こる。この映画もまさにそうだろう。旅人である私も、かつては賑やかだった街が、過疎化が進み静かになっているのをしばしば目の当たりにする。凡人なので「監督が発想した閉じ師」の発想はできないが、ただ寂しく廃れていく街や土地を鎮めるための祈りを捧げる、そんな一人ではある。

おまけに、作品のモデルとなったとされる「神戸おとぎの国」にも、「鷲羽山ハイランド」には父母も連れて訪れ、二人の子どもを連れて楽しく遊んだ20年前の大切な思い出がある。きっとその思い出が、この作品に触発されて蘇ってきたのだろう、私はひとり20年ぶりにこれら2つの「思い出の地」を再訪した。

廃墟の遊園地はフルーツフラワーパーク内にある神戸おとぎの国

作品内で描かれている廃墟の遊園地は、フルーツフラワーパーク内にある「神戸おとぎの国」に確かにそっくりだ。「神戸おとぎの国」。鈴芽たちがたどり着いた廃墟の遊園地は、「神戸ゆめの国」がモデルなのだろうというのは、観覧車の形やアトラクションの配置が相当似ているからだ。

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上が作品内のシーンで、下が神戸おとぎの国の実物である。

「みんなでいろんな話をしながら神戸市内を歩いていたのは、ちょうど2年半前のことです。ストーリーを考えていくうちに九州からスタートすることが決まり、東に向かって進んでいく流れができ上がりました。そのルートを考えたときに神戸は物語的に必然の場所でした。」

新海監督自身、ほぼ認めているようなものだ。フルーツフラワーパーク内にある「神戸おとぎの国」が廃墟の遊園地のモデルとなったことは間違いないだろう。ただし、映画では廃墟となっているが、20年前に私の家族が楽しんだ「神戸おとぎの国」は「道の駅 神戸フルーツ・フラワーパーク大沢」内で今日も元気に営業中だった(笑)。

作品内ではここへ至る坂道も描かれているのだが、この道はどうやら岡山の「鷲羽山ハイランド」近辺の景色のようだ。作品がフィクションであるために、うまく混ぜ込まれているようだ。

20年前に私の家族が父母を伴って楽しんだ「鷲羽山ハイランド」もまた、赤字続きで廃園の噂は絶えない中で今日も元気に営業中だった(笑)。

鷲羽山頂からは朝日も夕陽も昼間もすべて絶景

ちなみに「鷲羽山ハイランド」がある鷲羽山は、日本初の国立公園として知られる瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地で、その名は鷲が羽を広げた様子に似ていることに由来する。山頂「鐘秀峰(しょうしゅうほう)」は標高133mながら、朝日、夕景共に素晴らしく、もちろん昼間でも波静かな海上に点在する大小50もの多島美と雄大な瀬戸大橋の絶景を望むことができる。

せっかくきた鷲羽山、少し西の下津井からも眺めてみた

標高133mの岬状の台地である鷲羽山は、備讃瀬戸に突出し三方を海に囲まれた地形。近くには標高234mの王子が岳もあって、両地区とも備讃瀬戸の好展望地である。地質としては長石、石英、雲母からなる花コウ岩が主体で、特に王子が岳でむき出しになっているのが花コウ岩だ。約30万年前から1万6000万年前まで日本全土に住んでいたナウマンゾウの化石が瀬戸内海沖から見つかっていることから、鷲羽山の辺りも元々四国まで陸続きだったようだ。

今は瀬戸大橋と多島美を望む絶景スポットとして人気の鷲羽山。瀬戸大橋ができる昭和63年(1988年)より前から有名な景勝地だったことは、昭和2年(1927年)に百景地のひとつに選ばれていたことからもわかる。眺める場所が高すぎると迫力不足、低いと島が重なって美しく見えない。鷲羽山展望台からは島が点々と見え、その海景色と多島美が堪能できるが、それは絶妙な位置に展望台があるからだという。昭和9年(1934年)に、瀬戸内海国立公園が日本最初の国立公園に指定されたが、この鷲羽山の景観が決めての一つとなったともされている。

下津井から見る早朝や夕暮れ時の瀬戸内も実に美しい。とりわけ下津井から最初の島である櫃石島に架かる下津井瀬戸大橋と、その下を走る船の姿、夕日にきらめく海の3つの要素が揃えばピカイチの絶景となる。下津井と櫃石島の間の海は小型の船しか通れないようなので、ほどよいサイズの船しか景色に入ってこないというのも風情がある景色となる理由の一つだ。

歴史に目をやれば、ここは目の前の海を行きかう船を監視しやすい場所にあることから下津井城が設けられ、まず城下町として発展してきた。江戸時代後期から明治時代にかけては北前船の寄港地として栄え、宿場町、商業地としてにぎわった。岡山県内のほかの港よりも南寄りで、四国からの距離が近かったこともその繁栄を促したというが、先日行った広島県の鞆の浦も同じく南寄りで四国に近い港だった。鞆の浦にあるような雁木は下津井の海沿いにもあったが、瀬戸大橋ができたタイミングで撤去されている。