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名所絶景、いい湯、いい食、いい人、道の駅から。

年末の「全国高校駅伝」も新年2日3日の「箱根駅伝」も注目は「佐久長聖」。道の駅「ヘルシーテラス・佐久南」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

何を隠そうハゲを隠そう、私は「駅伝好き」である。 高校駅伝では故郷兵庫の「小野工業」が強いこともあるし、箱根駅伝では瀬古利彦の時代から、渡辺康幸、大迫傑の時代までずっと「早稲田大学」のファンであることもあるし。先日は、高校駅伝11回の最多優勝(男子)を誇る、通算「最強」の「世羅高校」を訪ねたほど。それほど熱心なファンである。ちなみに来年早々の箱根駅伝では、ずっと青学、駒澤の後陣を配してきた早稲田の […]

減税求めた庶民28人うち子ども10人を磔にして処刑した松本の悪政。道の駅「女神の里たてしな」から(トイレ○仮眠○休憩△景観○食事○設備○立地○) 

多田(中萱)加助という人物をご存知だろうか? 水野忠直が松本藩主を務めていた頃の、地元の庄屋である。 貞享元年(1684)、凶作が続いて、農民の生活は困窮をきわめていた。 農民の悲願を受けた庄屋の加助は年貢の軽減を長尾組の組手代に申し出るが受け入れられず、松本藩に直接陳情した。この行動を問題視された加助は、庄屋の身分を取り上げられた。 その2年後の貞享3年(1686)、今度は凶作の上に疫病が同時に […]

「真田」「仙石」「松平」のそれぞれの時代に姿と役割を大きく変えた上田城へ。道の駅「あおき」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事◎設備○立地○) 

上田城は、天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置している。堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城なのに、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせた。 数ある城郭のなかでも、2度もの実戦経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は全国広しといえどもなかなか他に例を見ない。しかし、上田城は関ヶ原の合戦後に壊され、藩主であった真田 […]

阪神タイガース優勝マジックが1の日。夜は「六甲おろし」を歌わねばと帰りを急ぐ途中に食した「越前おろしそば」は最高だった。

都道府県ごとの巨人ファン比率が、実は日本でもっとも高いといわれる福井県。 統計サイト『J-READ』が発表している「最も好きなプロ野球球団勢力図」では、各都道府県で最もファンの多い球団を知ることができるが、福井県はほぼオレンジ色に塗りつぶされており、つまり巨人ファンが最も多いとされている。 そんな福井のど真ん中に、福井の虎党たちの憩いの場として愛され続けるの店がある。 『味とら』だ。 元阪神監督の […]

武田信玄の初敗戦「上田原の戦い」古戦場から連敗喫した「砥石崩れ」へ。道の駅「上田道と川の駅」から(トイレ◎仮眠△休憩◎景観◎食事○設備△立地◎) 

諏訪、伊那、佐久地方をほぼ平定し、北信濃への進出を目指した武田晴信(信玄、以下信玄)だったが、北信地方への関門といえる坂城には村上義清がいた。 信濃全土の攻略に意欲満々の信玄にとって、東信濃の勇将・村上義清は、避けては通ることができない、どうしても打ち倒さなければならない存在だった。 信玄は村上氏への攻撃を企て、天文17年(1548)2月、諏訪から大軍を率いて大門峠を越え、小県郡に攻め込んだ。 対 […]

道の駅「マルメロの里ながと」に併設された「やすらぎの湯」で知ったこと(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備◎立地○) 

マルメロ?なんそれ? カリメロの兄弟?ナツメロなら好きだよ、なんて私のような人間もいるぐらいだから。 果物らしいが、食べたことがないな、食べ方が分からないという人も多いのではなかろうか。カリンなら知っているよという人は、それとよく似ているというと、その大体の姿形は思い浮かべられるだろう。マルメロはカリンと近縁で「西洋カリン」ともよばれ、カリンとして流通していることもあるのだとか。 マルメロとカリン […]

旅情演歌の最高峰「奥飛騨慕情」の地で温泉を楽しむ。道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎) 

「奥飛騨慕情」を作詞、作曲し、自ら歌ったのは竜鉄也という人だった。 竜鉄也は、飛騨高山で生まれ育った。子供の時患った麻疹の影響で視力が低下し、26歳の時完全に失明する。その後「歌の流し」でなんとか生計を立て、そして歌作りも手掛けるようになった。 彼が流しの仕事で奥飛騨温泉郷を訪れたのは、1972年の梅雨の時期。奥飛騨滞在の間に、雨の中で想像した情景を書きとめ、その歌詞にメロディーをつけて、名曲「奥 […]

あわら温泉&東尋坊の定番セットより稀代のエロ坊主「東尋坊」がいた「白山平泉寺」を優先。道の駅「みくに」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○) 

「あわら温泉」&「東尋坊」は、私的にはセットになっていて、それぞれ3度目になる。 最初に来たのは、23歳の時。東尋坊の崖の上に立って、海に向かってなぜか「とうちゃんのバカヤロー」と叫んだことを覚えている。若かった。 それから40年経って、コロナで職を失った63歳のタイミングで行ったときは、あわら温泉がやはりコロナでエライことになっていた。 そして、東尋坊に立ってやっぱり叫んだ。「コロナのバカヤロー […]

大伴家持も国司として赴任し、在任中に223首の歌を詠んだ「能登国総社」へ。道の駅「織姫の里なかのと」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)  

「能登国総社」は、国分寺跡から東方約1キロ。石動山への登山口にある。 能登國総社は、総社由来碑にあるように、創建は大穴持命(おおあなむちのみこと、大国主)が能登を平定した際に腰掛けた石をご神体にして祀ったのが始まりとされている。 ちなみに北陸道には大国主の伝承が多い。 能登国内四十三座の神を祀るほか、 明治40年(1907)に合祀した諏訪神社の建御名方神を祀る。 旧社格は「村社」と称したこの総社は […]

上杉謙信が最後に手に入れた難攻不落の「七尾城」とそこからの絶景。道の駅「いおり」から(トイレ△仮眠○休憩○景観◎食事△設備△立地○)  

上杉謙信の晩年の戦いの一つに、「七尾城の戦い」がある。 「七尾城の戦い」とは、能登畠山氏が居城とした巨大な山城「七尾城(石川県七尾市)」を舞台に、天正4〜5年(1576〜1577)にかけてのほぼ1年間にわたって繰り広げられた、上杉謙信と能登畠山氏の攻城戦である。 七尾城は「五大山城」に数えられる全国屈指の規模、具体的には南北約2.5キロメートル、東西約1キロメートル、面積は約252.6ヘクタールに […]

多少サバを読んで1300年以上にわたって50億人前の「鯖の塩漬け」が中継された「熊川宿」へ。道の駅「若狭熊川宿」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備○立地◎)  

「若狭」は古代から都に海産物を供給する御食国の1つで、当時の外交は主に日本海を挟んだ対岸交流だった事から外国との玄関口でもあった。 若狭国と都(奈良・京都)の間には幾つもの街道が整備され、多くの物資や人の往来によって、街道沿いにはそれぞれの時代に様々な文化が花開いたという。小浜の名産である鯖の塩漬けを中心に日本海の海産物を京都へと運んだルートは様々あって、総称として「鯖街道」と称していたようだが、 […]

ついに「万札」に刷られた渋沢栄一が参拝重ねた射水神社へ。リニューアル中の道の駅「カモンパーク新湊」から(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○)  

皇族をはじめ、「日本資本主義の父」「実業界の父」「金融の父」と呼ばれてついに「マン札」に印刷された渋沢栄一、戦後の「日本の三大億万長者」のひとり『ホテルニューオータニ』の創業者・大谷米太郎ほか日本を代表する実業家たちが参拝を重ねた、富山県高岡市の『越中総鎮守一宮 射水(いみず)神社』。 渋沢栄一は、遷座50年の節目において「射水神社」と揮毫した社号額まで残していた(冒頭写真)。 この実筆は、新札発 […]

5百数十年前、ついに「百姓ノ持チタル国」となった加賀国一向一揆の時代へ。道の駅「めぐみ白山」から(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地○)  

高尾城の戦いとは、加賀国の守護・富樫政親が高尾城を一向一揆に攻め落とされた戦いである。 長享2(1488)年、一向宗を信仰する人たちが団結した集まりである一向一揆の人々が、重い税に怒りを爆発させた。彼らは富樫家の内乱に乗じて政親の叔父の泰高を同盟の中心にしてまつり上げ、政親に対して反乱を起こしたのだ。 一向一揆の人々は、野々市の大乗寺に陣を置いた泰高とともに高尾城を取り囲み、政親は高尾城(たこうじ […]

五大老にまで出世した「加賀百万石」前田利家の原点「金沢城」跡へ。道の駅「内灘サンセットパーク」から(トイレ△仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○)  

金沢城は、加賀一向一揆で支配権を握った本願寺が天文15(1546)年に金沢御堂(尾山御坊)を建てた地に、佐久間盛政が天正8(1580)年に築城を開始した城である。 尾山御坊は寺院でありながら加賀一向一揆の拠点でもあったため、堀や柵、土塁などを備えた城としての性格も持ち合わせていたのである。賤ケ岳の戦いでいち早く柴田勝家を裏切って戦線を離脱し秀吉に降伏した姑息な前田利家は、その功?により能登一国に加 […]

織田信長の部下でよきライバルだった二人が敵として戦った「末森城」へ。道の駅「高松」へ(トイレ◎仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

織田信長の側近で豊臣秀吉の五大老の1人として政権を運営し、加賀百万石を築いた前田利家。 そんな利家はうまく出世したが、一世一代の危機に陥った戦いは一度だけ、天正12年(1584年)9月9日に起こった「末森城の戦い」だろう。かつて一緒に織田信長のもとで働いたライバル佐々成政が前田家にとって重要な拠点だった能登国(現在の石川県)の末森城を奇襲。 末森城は落城寸前となる。 この奇襲は「小牧・長久手の戦い […]

「ひょっこり能登島」で、もっとも早く完全復活している水族館にひょっこりと。工事中の道の駅「のとじま」から(トイレ△仮眠✖️休憩✖️景観△食事✖️設備△立地○)  

“能登島” は、石川県の七尾湾に浮かぶ小さな島だが、その形が私の子どもの頃にNHKでやっていた「人形劇 “ひょっこりひょうたん島” 」に似ていることから、“ひょっこり能登島” の異名を持つ。 連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』は、無名の若手作家だった井上ひさしの名前を一躍有名にしたNHKの元祖「お化け番組」だ。 最初の東京オリンピックと同じ1964(昭和3 […]

羽柴秀吉が「鳥取城攻め」の際に陣を張った「お城山」、そこにできた模擬天守へ。道の駅「清流茶屋かわはら」から(トイレ○仮眠✖️休憩○景観○食事△設備○立地◎)

南北朝時代以降、因幡地方(現在の鳥取県東部)は山名時氏の支配下にあった。 戦国時代になると子孫・山名豊国が守護となり、その重臣・武田高信 が大振袖山城(おおふりそでやまじょう)を護ったが、その出城砦が「お城山」にあった丸山城だった。織田信長に中国攻めを命じられた羽柴秀吉が、天正8年(1580)に因幡の国を攻略しようと「鳥取城攻め」をした際、この「お城山」に陣を張って鳥取城に出陣したと伝えられる。 […]

銃で撃たれた狸が傷を癒した?あわくら温泉の「湯~とぴあ黄金泉」へ。道の駅「あわくらんど」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

「湯~とぴあ 黄金泉」は、鳥取県との県境、岡山県西粟倉村に位置する中国地方有数のラジウム含有量を誇る天然温泉。 あわくら温泉「湯~とぴあ黄金泉」は西粟倉村の公共温泉で、日帰り入浴での利用ができる。 近くの道の駅「あわくらんど」で買い物をして割引券がもらえたので利用させてもらったのだが、大人800円の入館料が200円値引きされて600円。ラッキー!道の駅からいったん国道に出て少しだけ北に上がり、左折 […]

大きく「美」の字を発光する「三星山」の頂上付近が気になって。道の駅「彩菜茶屋」から(トイレ◎仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地○)

かつて美作のゴルフ場に熱心に通っていたことがあって、帰りが遅くなった夜間に、梶並川と滝川の合流点の西側の三星山に「美」という文字が点灯していたことを覚えていて。 おそらく京都の「五山送り火」とか、神戸の「市章」や「錨」を真似てのことだろうが。 岡山県北東部の美作市が、遠くから「美」の字に見えるように点灯させてアピールしているつもりなのだろうが、言っちゃ悪いがこれが悲しいぐらいしょぼい。しょぼ過ぎて […]

廃城令で壊されなければ姫路城に勝るとも劣らない美しさが残ったはずの津山城へ。道の駅「久米の里」から(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地◎)

初代藩主・森忠政が江戸時代の始めに13年の歳月をかけて築いた津山城は、立派な城郭と石垣、70以上の櫓、そして当時最新式だった5層5階の天守を特徴とし、姫路城にも劣らぬ白亜の城と評された。 しかし明治時代に廃城令によって取り壊され、現在の津山城は築城400年を記念して復元された備中櫓以外に建物はなく、在りし日の姿は想像のするのみとなっている。 冒頭の写真は、想像の産物「ガンダム」を実際につくった方が […]