300が7,000を撃退した妻籠城趾、家康が中山道に設けた妻籠宿へ。道の駅「賤母」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事○設備○立地○)
木曽氏は、南北朝の争乱期に足利尊氏に従って戦功をあげ、大吉祖荘(木曾谷北部)を与えられた。その木曽氏が、木曾谷南部にまで勢力を拡大した際に、南の「抑え」として築いたと言われるのが「妻籠城」である。 木曽氏は、15世紀中頃には木曾谷全域の支配を確立していたものと見られ、国人領主として発展。戦国期には村上、小笠原、諏訪の各氏と並んで信濃四大将と呼ばれていた。 木曽氏はその後、天文24年(1555)、中 […]