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名所絶景、いい湯、いい食、いい人、道の駅から。

ウクライナ侵攻など元ソ連の仲の悪い兄弟喧嘩。宗谷岬に立って、クソロシアに違法に侵攻された北方領土の即刻返還要求を叫ぶ!

江戸時代後期、クソロシアが日本に接触してくることが多くなり幕府は北方への備えを強く意識していたころ、間宮林蔵は幕府の役人として北海道などで測量を行っていた。 1804年にはクソロシア政府の外交使節レザノフが長崎に来航して通商を求めてきたが、鎖国をしていた日本側の反応はつれなく、レザノフは半年間長崎の出島に留め置かれたあげく、求めていた交易も拒絶された。幕府のこの対応に怒ったレザノフは、「通商を実現 […]

「幸福の黄色いハンカチ」の聖地にして「日本一寒い町・陸別」の道の駅「オーロラタウン93りくべつ」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事△設備○立地○) 

日本映画史に残る山田洋次監督の名作「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」が公開されたのは1977年のこと。公開前に撮影は夕張をはじめ道内各地を舞台に急ピッチで行われ、帯広や新得でもロケが行われたが、十勝管内で最もシーンが多いのが「陸別」だった。 映画は,網走刑務所を出所した高倉さん演じる島勇作が,行きずりのカップル(桃井かおり,武田鉄也)と繰り広げるロードムービー。陸別はその中盤に登場し,駅で帯広行 […]

不朽の名作「駅 STATION」の舞台「銭函」から「増毛」へ。「貧乏」なのに「銭函」、「毛無」が「増毛」とはこれいかに?

映画「駅 STATION」公開されたのは1981年。「北の国から」の倉本聰が脚本を担当、そしてメガホンをとったのは降旗康男監督。 翌年社会に出る、まるで世間知らずの学生の私であっても、大いに感動した作品だ。 以後、若造では理解できなかったことの発見が30代、40代、50代と何度も見るたびにあり、67歳で観ると、また違った。 主演の高倉健をはじめ、いしだあゆみ、田中邦衛、根津甚八、阿藤快、寺田農、小 […]

「幸福の黄色いハンカチ」のハッピーエンドを私にも(笑)、道の駅「夕張メロード」から(トイレ✖️仮眠✖️休憩△景観△食事○設備△立地○) 

欽也(武田鉄矢)は、赤い新車で北海道に旅に出ていた。網走の駅前で、一人でふらりと旅に出た朱美(桃井かおり)と知り合う。朱美は列車食堂の売り子で、同僚から誤解を受けて、やけくそになって旅に出たのだった。 朱美は欽也の車に乗せてもらったものの、海岸で不意に欽也からキスを求められて、車から飛び出した。逃げ出した朱美をかばい、鋭い目付で欽也を睨んだ男、それが島勇作(高倉健)であった。欽也は啖呵を切った行き […]

黒板五郎の妻役・いしだあゆみの他界を五郎に伝えに「麓郷の森」へ、道の駅「南ふらの」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事△設備○立地◎) 

北海道を舞台にした映画やドラマは数多くあるが、そのなかでも、絶大な人気を誇った「北の国から」は、富良野市を全国的に有名にした話題作。現在でも私のような「信者」、そこまでいかなくても熱心なファンがたくさんいる、昭和の終盤に日本が暴走していく方向とその行き着く先に警鐘を鳴らした伝説的なドラマだ。そのロケ地には、実際に撮影に使われた家が、いまも大切に保存されている。 でっかい北海道のほぼ中央、国道38号 […]

襟裳の春は本当に何もない春なのか、道の駅「みついし」から確かめに行ってきた(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事△設備△立地○) 

北海道をざっくり“ひし形”として見て、ちょうど下の角にあたるのが襟裳岬だ。 もちろんひし形の左右も上も半島や岬がでこぼこあってきれいな角にはなっていないが、下の角の襟裳岬だけは、ちょうどきれいにとがった形をしている。そして、その“ひし形”を東西に分けるように、ちょうど中央に走っているのが日高山脈である。 つまり、まるで北海道の背骨のような日高山脈を南に下った突端が襟裳岬なのだが、切り立つ山脈は襟裳 […]

敦賀発・苫小牧行きの新日本海フェリーで北海道へ、道の駅「三方五湖」から(トイレ△仮眠○休憩○景観◎食事✖️設備△立地○) 

関西から北海道までの移動手段として、まず頭に浮かぶのは飛行機。 しかし、私のように気ままな車中泊旅を、しばらく北海道に住むような気分でしようと思えば、やはりフェリーということになる。 そんな私の御用達は、新日本海フェリー。 青森と北海道を結ぶフェリー会社はいくつかあるものの、新潟や福井の敦賀を繋げるのは新日本海フェリーのみだ。 新日本海フェリーの歴史は1970年、本州と北海道を連絡する船が飽和状態 […]

地震から1年半経ってなお「手付かず」なのは何故?輪島の「土地隆起」がもたらしたかつてないインフラ破壊の恐怖

能登災害復興ボランティアも2週間目。 場所を和倉温泉、穴水町から輪島に移した初日、私は情けないことに現場で転倒。アスファルトの瓦礫で顔面をしこたま強打した。 能登半島地震は、活断層が上下方向に動いた逆断層型の地震だった。 逆断層型地震とは、断層面を境として両側のブロックが上下方向に動く「縦ずれ断層」の一種である。「縦ずれ断層」のうち、上盤側がずり下がる場合を「正断層」、のし上がる場合を「逆断層」と […]

震災から1年半。「傷深し」と思い知った「和倉温泉」と道の駅「あなみず」での車中泊ボランティア(トイレ○仮眠◎休憩○景観△食事◎設備△立地△) 

和倉温泉と穴水町で微力ながらの車中泊ボランティアを1週間続け、いよいよ明日からは場所を移して輪島だ。 軍手をしていても豆が潰れるほど頑張ったし、酒でも飲むか、穴水町最後の夜は酒場で人と交流しようかと。 (翌日の輪島のボランティアでまさか顔に怪我をするとは思わなかったが) 穴水町には今やほぼなくなった「酒場」だが、かろうじて残っていた小料理屋を1軒見つけた。 のれんが上がっていなかったが戸が空いてい […]

関東地方の中心的な河岸(渡船場=川の港)の名残を見に、道の駅「さかい」へ(トイレ△仮眠△休憩○景観△食事◎設備○立地○) 

2024年11月だったか、アンタッチャブルのザキヤマがゲストと共に「日光東往還」をただひたすら歩いてゴールを目指す旅ロケ番組を観て、私は恥ずかしながら「日光東往還」という道の存在を初めて知った。 徳川家康の廟所が久能山(静岡)から日光東照宮に移され、大名の日光参詣が制度化されたことによって「日光街道」が整備されたことは知っていたが、日光へ通じる街道は他になんと5つもあるとは知らなかった。 その5つ […]

「クレヨンしんちゃん」と「大凧」で大いに盛り上がる道の駅「 庄和」へ(トイレ○仮眠△休憩○景観△食事◎設備◎立地◎)  

春日部市といえば、「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井義人氏が育った街、しんちゃんファミリーが住む?街として有名だ。そして道の駅「庄和」がある春日部市庄和町は、「大凧の里」である。 毎年5月3日と5月5日に開催され、10万人もの観光客を集める人気イベント「大凧あげ祭り」で盛り上がる。 縦15m、横11m。 畳に換算すると約100畳という巨大な凧を町民約100名がかりで揚げるのだが、大空に舞い上がった […]

「足柄山」といえば「金太郎」ということで、道の駅「金太郎のふるさと」へGo!(トイレ◎仮眠○休憩○景観△食事○設備○立地○)  

「金太郎」と言えば、「足柄山の金太郎」。 そして「金太郎のふるさと」と言えば「南足柄」だ。「金太郎のふるさと・南足柄」の知名度はそれこそ全国区。「童謡・金太郎」、「金太郎飴」、そして「金時山」を知らない人はいないだろう。金時山は、神奈川県足柄下郡箱根町、神奈川県南足柄市、そして静岡県駿東郡小山町の境にあって、一帯は富士箱根伊豆国立公園に指定されている。箱根山カルデラを囲む外輪山列で最も高い山であり […]

家臣の相次ぐ裏切りで武田勝頼が自刃した「天目山」の地、道の駅「 甲斐大和」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観△食事○設備△立地◎) 

天目山の戦いは、1582年(天正10)3月11日に、武田勝頼が織田信長・徳川家康の連合軍に追い詰められ、甲斐国の天目山で自害するに至った合戦である。武田勝頼は、家臣の相次ぐ裏切りの中、わずかな家臣と共に天目山を目指し、その地で最後を迎えた。 1582年、織田信長と徳川家康は、武田勝頼の領国である甲斐国(現在の山梨県)を攻め、滅ぼすことを目指して甲州征伐を開始する。織田軍に追い詰められた武田勝頼は新 […]

江戸時代には日光街道の宿場町「杉戸宿」、今は道の駅「 アグリパークゆめすぎと」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観△食事○設備◎立地○)  

日光道中または日光道と呼ばれた日光街道。 江戸日本橋を起点とし、日光日光東照宮までの総延長は約142kmにおよぶ。 江戸幕府によって整備された五街道のひとつである。 そこには21の宿場が設けられた。 大名が宿泊・休憩した本陣、脇本陣などが置かれ、旅籠、木賃、茶屋や商店が建ち並んで、町場はそれぞれ大変なにぎわいを見せたという。 そのうち、埼玉県内の草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿の6 […]

「高賀山」の清流と「瓢ヶ岳」のアカヤシオから、道の駅「ラステンほらど」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地○) 

旅は岐阜県に入っている。 東海環状自動車道の関広見ICから国道418号線を北西に10キロ、その後国道256号線に入ると今度は北東へ7キロ。 国道256号線に入って桜も美しい森林風景を眺めながら車を北に走らせていくと、有名な2つの山にアクセスできる。 一つは、古くから山岳信仰の修験道が栄えた高賀山。もう一つは、「うなぎ伝説」が残る郡上の名峰、瓢ヶ岳である。 高賀街道は、長良川を利用した舟運の湊があっ […]

画に狂った暴走老人「葛飾北斎」のパワーに圧倒され、道の駅「オアシスおぶせ」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)  

葛飾北斎(1760~1849年)は、江戸時代後期の絵師にして、その画業がゴッホやセザンヌをも魅了した、日本が世界に誇るアーティストである。 北斎が北信州の小さなまち、小布施町を初めて訪れたのは1842年のこと。当時としては珍しく89歳まで生きた北斎だが、人生80路に入ってからの北信州への初旅だった。 北斎は、小布施町の豪農にして文化人だった髙井鴻山(たかいこうざん/1806~1883年)の居宅を訪 […]

まじ通れないトンネル、3分裂の道の駅「宇津ケ谷峠」を経て「駿府城」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地◎) 

今川義元ゆかりの地、そして徳川家康の居城として知られる駿府城。「海道一の弓取り」の異名で知られる今川義元は、戦国時代に駿府城(現在の静岡市)を本拠とし、駿府城公園の一角に位置する「今川館」を居城としていた。のちに徳川家康は、家康自身が駿府城を居城とした後、今川館の跡地に駿府城を築き上げた。 往時の城郭建築の一部を復元した城と、その跡地にできている駿府城公園の桜を見に行った。城の見学は、有名な東御門 […]

世界農業遺産「川根の里」、そして「川根茶」の道の駅「フォーレなかかわね茶茗舘」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○) 

歳をとるにつれ、コーヒーよりも日本茶を飲みたくなることが増えてきた。 その日本茶の中でも、静岡県を流れる大井川の上流、南アルプスの下流にあたる、わずか数千人が暮らす川根本町の山里で育まれ、古来最高峰との誉を継ぐと言われているのが「川根茶」だ。 「ひときわ爽やかな香り」「爽やかさを感じさせる香気」「口にしたとき、そして茶が喉をゆく瞬間、鼻に抜ける香りの爽快感」「あたかも時を止めるような、優しく安堵感 […]

稀代の悪女「北条政子」がこの世に生まれた場所から、道の駅「伊豆ゲートウエイ函南」へ(トイレ◎仮眠○休憩○景観○食事○設備◎立地◎)  

ご存知源頼朝の妻・政子は、これまたご存知北条時政の長女であるが、彼女の生誕の地に向かう途中、東南方面からの富士山が見えたが、これが変な雲のかかり方をしていて気持ち悪い。それは、これから行こうとする場所に恐れを抱いている私の気持ちの表れのように見えた。 私が向かっていたのは、私が忌み嫌っていると言って過言ではない「稀代の悪女・北条政子」生誕の地である。 1157(保元2)年、現在の伊豆の国市の寺家の […]

道の駅「 伊豆のへそ」に車を停めて、レンタサイクルで修善寺エリアの多彩な桜を楽しむ(トイレ○仮眠△休憩◎景観◎食事○設備◎立地○)  

温泉街としても知られる伊豆・修善寺だが、修善寺エリアは場所によってさまざまな品種の桜が植えられていて、長い期間桜を楽しめるという特徴がある。 修善寺は、「修善寺寒桜」でとても有名だ。 境内の6本の大木が開花して、このエリアにもっとも早く春の訪れを告げる。 「修善寺虹の郷」に足を伸ばせば、藤棚、花しょうぶ、しゃくなげなど四季折々の花美しく咲く日本庭園がある。園内各所にはいろいろな桜が植えられており、 […]