
初代藩主・森忠政が江戸時代の始めに13年の歳月をかけて築いた津山城は、立派な城郭と石垣、70以上の櫓、そして当時最新式だった5層5階の天守を特徴とし、姫路城にも劣らぬ白亜の城と評された。
しかし明治時代に廃城令によって取り壊され、現在の津山城は築城400年を記念して復元された備中櫓以外に建物はなく、在りし日の姿は想像のするのみとなっている。
冒頭の写真は、想像の産物「ガンダム」を実際につくった方がいて、それを背景にどこぞのヤクザが自撮りした写真だが、下の画像は津山城築城400年記念事業で作成したCGで、豊富な資料を元に当時の津山城の雄姿を正確に再現しているものだ。
改めて。津山城はすごい城だったのだ。


「日本三代平山城」の一角「津山城」へ
美作国は和銅6年(713)に備前国から分割して新たに成立した国である。
建国以来、津山地域は美作国の拠点として栄えてきたが、しかし戦国時代には美作国を基盤とする安定した勢力は存在せず、常に周辺勢力の草刈り場となっていた。
関ヶ原の戦い以降一時小早川氏の統治を経て、慶長8年(1603)美作一国186500石で森忠政が封じられ、津山城が築城された。森忠政は、ご存知本能寺の変で織田信長と共に最期を遂げた森蘭丸成利の末弟である。
築城に約13年かけられた城は五層五階、地下一階の天守と60以上の櫓、それらを取り巻く石垣や堀などを配し、旧美作国の国主としての威信を誇るものであった。
鶴山城の別名もある津山城は近世城郭技術の最盛期を代表する存在で、姫路城、松山城と並んで「日本三大平山城」に数えられている。
森氏が一時改易となり津山を去った後は、親藩・越前松平家が入封し明治を迎える。そして明治6年(1873)の廃城令。翌年から天守その他の建物は全て取り壊され、石垣のみが残された。

しばらくは放置されていたが、地元有志による「鶴山城趾保存会」による保存運動が始まり明治33年(1900)、津山町営の鶴山公園となり、以来さまざまな整備が進められてきた。
昭和38年(1963)に、国の重要文化財の指定を受けている。
壊される前の津山城はどんな城だったのか
津山城は、吉井川の北側の独立丘陵に築かれた。
東側を流れる宮川を堀に見立てて、北・西・南側は堀と土塁で防を固めている。本丸・二の丸・三の丸と区切った「一二三段(ひふみだん)」という城郭形態を有し、城内の石垣の各所には、60を超える櫓が配置されていた。丘陵部と平地を利用して作られた平山城と呼ばれる形式の城だが、山城の性質も併せ持っているとされる。

「表中門」は三の丸から二の丸へと進む門で、一階が門、二階が櫓となる櫓門。東西幅約32mもあって、津山城内で最大規模である。
天守は最上層以外に破風のない五層の層塔型天守で、四層目の屋根が短く一見四層に見えたそうだ。
一辺22~24mのほぼ正方形の平面で、高さは石垣含めて約28m、100を超える鉄砲狭間、70近い弓狭間を持ち、四隅には石落しを備える重武装の天守だった。
本丸御殿は本丸の中央部にあり、その東側には「表」と呼ばれる主に儀式に使われる部分が、「表」の西側には「中奥」と呼ばれる政庁に使われる部分があり、「中奥」の南は「奥」と呼ばれる藩主一族の居住空間となっていた。備中櫓は「奥」と渡り廊下でつながっており、「奥」の一部として使用されていたようだ。
現在の津山城のシンボル「備中櫓」
津山城には、堀に面した土塁上の櫓を含めると60を超える櫓が建てられていたが、中でも本丸の南に突出して建てられた備中櫓は城内で最大規模の二重櫓である。
現在、城のシンボルとなっているのは、なんといっても「備中櫓」だ。

平成10年(1998)に策定された「史跡津山城跡保存整備計画」の一環として、発掘調査や残された絵図、古写真などを元に復元されたもので、白漆喰を美しく塗込められたその姿は、城を取り巻く高石垣とともに、観光客の被写体となっている。

備中櫓内は全室畳敷きの居室で、一階には床と違い棚を持つ御座の間や茶室、二階には二間四方の御上段が備わり、壁やふすまには唐紙が使用されるなど瀟洒な設えとなっていたそのままを、津山城築城開始から400年にあたる2004年、当時と同じ材料・技術で復原整備されている。




なぜか巨大ガンダムがそびえ立つ道の駅「久米の里」
道の駅 久米の里」は、津山城から5キロほど西。
中国自動車道の院庄ICから国道181号線を西に3km、岡山県北部の旧久米町(現津山市)にある。


駐車場は広いのであまり混んでいる印象はなかったが、津山市の市街からも近いことからか、そこそこの車が駐車していた。



トイレは年季が入っていても、清掃していただいていると、気持ちよく使わせていただけるものだ。感謝!



休憩環境としては、施設内の休憩スペースがより魅力的だった。



高さ7mの巨大ガンダムの模型が立っている。
この道の駅に、なぜガンダムがあるのだろうと気になって調べてみると。


津山市在住の中元正一さん、あ、この人相の悪い人間ではない、その人が1人で7年間もかけて制作したものだという。 しかもこの巨大ガンダム、ただの模型ではなく、構造まで本物そっくりにつくっていて、両手足合わせて12ヶ所の関節がある。 安全上の問題からさすがに動かすことはしないそうだが、 電気配線を施し潤滑油を使えば理論上は動かすこともできる構造らしい。

津山と言えばホルモンうどん
食べるものとしては、「ホルモンうどん」がレストランの名物だ。
第6回B-1グランプリで準優勝に輝いた津山のご当地料理だ。「ホルモンうどん」は道の駅のレストランで食べられるが、この道の駅の「ホルモンうどん」には久米町名物のジャンボピーマンが2切れ乗って出てくる。
『ガンダムビルドダイバーズRe:RISE』第25話で登場して視聴者の度肝を抜いた、チーム・ビルドダイバーズの4機合体によって完成するメカ「リライジングガンダム」ほどではないにしろ、津山市と久米町の名物が「合体」したメニューである。



他のメニューは、ホルモン関連では「ホルモンカレー」「ホルモンコロッケ」「ホルモンうどん」など。ホルモン以外のメニューとしては、ジャンボピーマン入りの「仙人うどん/そば」や「カツカレー」「みそカツ御膳」など。「雲海たまごセット」はワンコインで食べられる。
今の季節は夏季限定で、エビ天が入った「冷たいぶっかけうどん」があった。長渕剛が妻・志穂美悦子にうどんをぶっかけて夫婦関係は冷え切っているが、「冷たいぶっかけうどん」の人気のほうは熱い!
「津山銘菓」「ホルモン関連」「くめのジャンピー」



物産館では、まず各種の津山銘菓が人気である。
菓子類以外では「津山ホルモンカレー」「ホルモン丼の素」「ホルモンうどん」など、やっぱり「ホルモン」関係が強いようだ。
本駅の農作物直売所では、名物であるジャンボピーマンが「くめのジャンピー」と名付けられて販売されている。
他にも50種類くらいの野菜や旬の果物が並べられていた。




