
「備中松山城」は、天守が残る日本で唯一の山城で、江戸時代から残る現存天守12城のひとつである。
臥牛山頂上付近に建つ天守は国の重要文化財で、現存天守を持つ山城としては最も高い所にある。
臥牛山の標高は480m。
北から大松山・天神の丸・小松山・前山と呼ばれる四つの峰から成っており、西から見た形が牛が伏せた姿に見えることから、その名前が付いたと言われている。
城の歴史は、鎌倉時代に有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭・秋庭重信が大松山に砦を築いたことから始まり、その後、城の中心地は現在の天守が立つ小松山に移って、戦国時代には山の周辺を含めて21の砦が築かれて巨大な要塞となった。
一般的には天守のある「小松山城跡」が備中松山城と認識されているが、実際には臥牛山の峰の頂部を中心として全域に城が築かれており、臥牛山全域に築かれた城が「備中松山城」なのである。
難攻不落、そして非常に美しい山城
この地は山陰と山陽を結び、東西の主要街道も交差する要地であるため、戦国時代は激しい争奪戦が絶えず、目まぐるしく城主交代が繰り返されてきた。
中国地方を統一した毛利元就の後継者・輝元も力攻めを行うも最終的には父のDNA「調略」によってしか勝てなかった。
いかに堅城だったかである。
現在の天守は江戸期の城主・水谷勝宗(みずのやかつむね)が1681年から3年間をかけて天和3年(1683)に大修築が完成し、今の天守の姿になった。
登城坂の周囲は、高さ10m以上の巨大で切り立った岩壁がそびえ、昔日のつわものたちが舌を巻いた”難攻不落の名城”たる所以をうかがい知ることができる。
まずは天守を近くから拝むために8合目へ
備中松山城は山城であり、城を訪れるには基本的には山を登らなくてはならない。
しかし伯備(はくび)線備中高梁駅から車でで8合目のふいご峠まで上がり、そこから徒歩20分ほどで着くという最短かつ楽なルートがある。
ただ、8合目のふいご峠の駐車場を利用できる車の数は14台程度だし道幅が狭く危険なことから、春や秋の混雑するシーズンはシャトルバスでここまで上がってくるのが無難ではある。
もちろんせっかく山城を訪ねるのだからそれでは物足りないという人は、麓から遊歩道を歩いて登ってくるわけだが、歩いて登ろうという強者にはそれなりのご褒美がある。
駅から「遊歩道入口」までの道中には、小堀遠州が作庭した枯山水庭園が残る頼久寺や江戸期の武家屋敷である旧折井家・旧埴原(はいばら)家、平時の城主居館と政庁を兼ねていた御根小屋の石垣などがあって、城下町の面影を楽しむことができるので、興味と体力がある方はぜひ。
二の丸に上がり二層二階の天守と対面
ふいご峠から城の本丸付近へは、徒歩20分程度の道のりと聞いていた。山道なので歩くのが遅い私などは30分ちょっとかかった。整備されてはおりますが、滑りやすい部分もあるので、ジジイはくれぐれも転倒注意である。
中太鼓櫓(やぐら)跡から、大手門跡に出た。
大手門跡から石垣を見上げる。一部、巨岩を巧みに取り入れてそそり立つ石垣はすごい、圧倒される。天然の巨岩の上に積んだ石垣もあり、麓からここまでなんとか登ってきてこの石垣である。

そりゃあ攻め落とせなかったのもわかる。
江戸期の土塀が一部残る三の平櫓東土塀を左に見ながら、三の丸跡、厩曲輪(うまやぐるわ)跡を歩いて二の丸跡に入ると、おお、天守が姿を現した。



明治維新を迎え、明治4年(1871)に廃城となるわけだが、なんと解体すら困難な山上に位置するため解体は行われず、放置され、天守などが残された。1939(昭和14)年からこれまでに三度の大規模な保存修理が行われ、天守・二重櫓・土塀が国指定重要文化財に、城跡は国指定史跡に指定されている。
雲海展望台から城を望む
さて、お次は遠くから望む絶景だ。
ベストビューポイントは「雲海展望台」。
夏は、「天空の山城」と称される雲海に浮かぶ備中松山城を観ることはできないが、夏は夏なりの絶景があるだろうと。
「天空の山城」を眺めるために、臥牛山の東側に設けた備中松山城雲海展望台へと向かう。クソ暑い中、誰もきていなかったので車が停まっていない駐車場をうっかり見落としてしまい通り過ぎてしまったが、気がついて駐車場に引き返し、そこからは徒歩1分で展望台にたどり着いた。

「天空の山城」として注目を集め始めたのは平成の終わり頃からであるが、展望デッキは1990年に設置されていて、2015(平成27)年に、展望デッキ前面で景色の妨げとなっていた樹木を伐採し、眺望を確保している。
白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラストが印象深く、夏独特の遠景として空の青、山の緑に映える美しい天守が素晴らしかった。展望台も独り占めだったし。



秋には大手門付近の木々が紅葉し、岩壁が燃えるような朱色に覆われて、運が良ければ下の写真(公式ホームページより)のような、雲海に浮かび上がる絶景を拝むことができるという。

また、晩秋に来るべし!
でも、人が多いのは嫌だなw
天空の町にある道の駅
今回「備中松山城」への拠点とした道の駅「さんわ182ステーション」は、山陽自動車道の福山東ICから国道182号線を北に23km。あるいは中国自動車道の東城ICから国道182号線を南に31kmの、 広島県東部の旧三和町(現神石高原町)にある。

駐車場にはかなりの車が停まっている。利用客が多いのは、帝釈峡などの観光地を訪れる人もある程度いるのだろうが、とても広い神石高原町に大規模なスーパーは無く、町民の多くが買い物に本駅を利用しているからなのだろう。


トイレは施設の中と、外は駐車場のはずれに。どちらも気持ちよく使わせていただける。






休憩環境としては、まず道の駅の向かいに広島ガスの「神石高原の森」があって、道を渡って眺めるのもいい。










施設内の休憩場所も多く、とても休憩しやすい道の駅だ。
2代特産品「神石牛肉」と「蒟蒻」をうまくアピール
道の駅の施設としては、農作物直売所を兼ねた物産館、レストラン、喫茶店、コンビニエンスストア。


まず、コンビニってやっぱり便利だなと改めて思う。
下の写真は、コンビニ内のイートインスペース。

物産館はじめ各々の施設は広くて品揃えも豊富。人気があるのがよくわかる。




物産館の品揃えは豊富で、紹介していくとキリがないが、やはり目に付く商品は、「神石牛肉」と「蒟蒻」だ。 この2品は神石高原町を代表する特産品トップ2である。
神石牛は種牛・肉質両面で日本一の栄冠に輝いたこともある広島県を代表するブランド牛肉だが、この地をよく知る友人の宮崎秀敏くんが「高い割には美味しくない」とアドバイスしてくれたが、彼の味覚がおかしいかもしれないので、食べず嫌いせずぜひご賞味あれ。
蒟蒻に関しては、彼も大絶賛。
標高約500mの清涼な気候を生かした昭和初期からの町の特産品で、「3年蒟蒻」とも呼ばれる手のかかったもの。春に植え秋に収穫して貯蔵、これを3回繰り返し、独特の蒟蒻の張りを生み出している。生蒟蒻、玉蒟蒻、刺身蒟蒻などの定番商品だけでなく、蒟蒻を麺に摺りこんだ「神石高原こんにゃくラーメン」が販売されている。
私は道の駅の喫茶「182 CAFE」で、「神石牛こんにゃく」をいただいた。 神石高原町の2つの特産品を一度に味わうことができる逸品だ。

「神石牛こんにゃく」は玉蒟蒻6玉に、神石牛肉が5切れほど。
これが醤油ベースのたれに漬けられ、刻みネギがトッピングされている。
神石牛肉もちゃんと美味しかったが、「蒟蒻」の美味しさには本当に驚いた。

もちろんここは喫茶だし、どちらかといえばフードコートのようなつくりになっていて、ちゃんとパン、ピザ、グラタン、そばやうどんなどの軽食類、デザート、飲み物類が豊富に提供されている。





農作物直売所の充実ぶりもすごい。
ここでは50種ほどだろうか、地産の野菜や果物が販売されている。


お米が、なんと30kg単位で販売されていた。 値段をkgで割ると、かなり割安。米価高騰の折、ドーンと買って帰る方も多い。もちろん3kgの袋に入った米も販売されているので、ご安心を。







別棟の自然食レストラン「高原の風」は、バイキング形式のレストランだ。

蒟蒻を生かした料理はもちろん、肉じゃが、ひじき煮、塩焼きそば等々、60種類以上の地元農家のお母さんたちが作った手作り料理を、お腹いっぱい味わうことができる。