石見銀山をめぐっての攻防があった「温湯城」へ。道の駅「インフォメーションセンターかわもと」から(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事△設備△立地○)

現在の島根県川本町市井原、江の川沿いにある川本の町から南東方向、江の川の支流・会下川を見下ろす急峻な山に築かれていた「温湯城(ぬくゆじょう)」は、石見東部の国人領主・小笠原氏の居城跡(下写真)。現在は土塁・石垣・堀切・畝状竪堀群が残っている。

この地は、平安時代には、石見国衙領として国司の益田氏が開発して領有していた地域であったが、甲斐源氏の一族小笠原氏の支族が北条政権の時代に守護代としてこの地に下向してきて石見小笠原氏という独立家系を成し、長隆、長徳、長雄の3代の時代、15世紀半ば頃にもっとも勢力を拡大した。

小笠原氏の所領の中には、尼子氏とその所有をめぐって激しく争った「石見銀山(冒頭写真)」があり、毛利氏がその石見銀を手にするためには石見制圧がマストであり、小笠原氏はなんとしても攻略しなければならなかった存在であった。

石見銀山に目をつけていたのは、実は「毛利」「尼子」だけではない。

ポルトガル人」も、石見銀に目をつけていたのだ。彼らは「毛利」「尼子」が石見銀山を巡る攻防に明け暮れる10年も前、1543年に種子島に訪れて日本に鉄砲を伝えたが、この行動は、石見銀を始めとする日本銀のことを知ってそこに目をつけたことが大きい。

石見銀山がどうしても欲しかった毛利元就

毛利元就は、安芸国を手中にし、続いて周防長門制圧も完了させた。次には、宿敵尼子氏との戦いが待っていたはずだった。
しかしその前に、元就は石見攻略を開始する。

弘治3年(1557)、大内氏最後の拠点となった且山城を陥落させて防長両国を征服した毛利元就は、翌永禄元年、3人の息子隆元・吉川元春・小早川隆景と共に石見に出兵。小笠原氏攻撃に向かった。

標的にされたのは当然ながら小笠原氏の居城、温湯城。元就はまず小笠原氏を攻略して石見銀山を手にした後に、尼子氏との決着をつけるという手順を選んだのだ。

元就の「温湯城」攻略

かくして毛利元就がこの城を取り囲んだのは、1559年5月のことであった。

取り囲まれた小笠原長雄は尼子氏の救援を頼みにしていたようであるが尼子氏は時期的な梅雨の雨で水かさが増した江の川を渡ることができずに引き揚げ、救援できなかったこともあり、温湯城は包囲から約3ヶ月ほどで落城した。
戦いに敗れ降伏した小笠原長雄は温湯城と石見銀山を含む領地を明け渡し、江の川の北岸に追われる。小早川隆景は小笠原長雄の降伏を許さず、族滅すべきと進言したが、元就は却下し小笠原長雄を領内の甘南備寺に隠居させ、領地は安堵した。このため長雄の跡は嫡男長旌が受け継ぎ、新たな居城として丸山城を築いて小笠原氏の勢力回復に力を注いでいくことになる。

この小笠原氏への元就の処遇をめぐっては、小笠原氏と領地を接していて長年敵対関係にあった福屋氏が大いに不満を持ち、温湯城落城から2年後毛利氏に対して反旗をひるがえすことになる。

石見銀山の南側玄関口にある道の駅

道の駅「インフォメーションセンターかわもと」は、小笠原氏が所領としていた島根県のほぼ中央部の川本町にある。

2018年3月に町に唯一通っていた鉄道の三江線が廃線になってからは、ただでさえ過疎の街は、ますます寂しくなった。

近くに高速道路は走っていないのだが、最寄りの高速ICは山陰自動車道の石見福光IC。そこから県道32号線を通って南東に24km走る。

さて この道の駅は「石見銀山の南側玄関口」にあって、 県道31号線を真っすぐ北に20km進めば世界遺産である石見銀山に到着する。 石見銀山へは浜田自動車道や国道261号線、または国道375号線を使って日本海側からアクセスする方が早いが、この道の駅に立ち寄ってから石見銀山に向かう人も少数派ながらいるようだ。

駐車場は、とても空いていた。

トイレは相当使い込んできた感じ。それでも、入り口にこうした花などがあると、とても気持ちがいいものだ。

休憩環境としては文句なし。ほぼ誰もいない中、どこででも休憩できる。

里山のスーパーフード「荏胡麻」

道の駅としては、全力で荏胡麻(えごま)を推している。

道の駅 | インフォメーションセンターかわもと | エゴマの町

エゴマは、ゴマではなくシソの仲間で、種子と葉が食用となり、種子からは油が取れる。川本町では行政と協働してエゴマの振興を行い、栽培面積20.7ha、栽培農家110戸、エゴマ関連商品は約30種類以上と、町の代表的な作物となっている。

エゴマには、必須脂肪酸(オメガ3)のひとつであるα-リノレン酸が豊富に含まれていることから、近年、健康食品として非常に注目されている。αリノレン酸は、体内に摂取されると、DHAやEPAに変化し、血栓を防ぐともに血中のLDL(悪玉)コレステロール値を低下させ、脳梗塞、心筋梗塞などの血管障害を予防するほか、アレルギー反応を抑制する作用などがあるとされる。

こうして今でこそ健康食品として注目されている荏胡麻だが、道の駅としてはこの駅が草分け的存在だった。荏胡麻を使った「生搾り荏胡麻油」「焙煎荏胡麻」「荏胡麻茶」「荏胡麻ドレッシング」「すごえごポン」「荏胡麻マヨネーズ」等々、道の駅として、というか町をあげての商品展開はすごい。
もちろん石見銀山の南玄関口である道の駅としては、「石見銀山きな粉草だんご」「石見銀山酒まんじゅう」「石見銀山代官物語」など石見銀山関連の土産物の販売に力を入れない手はない。

地酒としては「死神」や「狂太郎」など、不吉な銘柄がとても気になった。

農作物直売コーナーでは地産の米、野菜や果物を約50種類ほどを販売。全く派手さはないが、地元の方々にとっては欠かせない存在のような気がした。

レストラン「いんふぉ」では、石見ポークを用いた「トンカツ定食」、石見和牛を用いた「焼肉丼」、荏胡麻の実と荏胡麻の葉が入った「かわもとコロッケ」などを提供。「山かけうどん」「エビ天ぷらうどん」「肉そば」「カレーそば」など、麺類の種類も多い。