程よく鄙びた海潮温泉で一泊。翌日朝から「意宇六社めぐり」をじっくりと。道の駅「さくらの里きすき」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)  

島根県松江市には「意宇六社めぐり」という巡拝コースがある。

意宇と書いて、「おう」と読むのだが、この地方には「国引き神話」というものがあって、これは八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が出雲の国を大きくするために、他の国の土地を引き寄せてつなぎ合わせたという神話だが、出雲国風土記には、この国引きの時に「意恵(おうぇ)」と詔(みことの)りたまひき、故、意宇(おう)と云う」とある。

「国引きを意恵(おえ・・・終わらせた)と言ったことからこの土地を意恵と呼び、後に意宇となった」と、まあそんな意味だろう。

要するに、意宇は、古代出雲国の政治と文化の中心地だったということだ。

そして、そこに鎮座する熊野大社・神魂神社・八重垣神社・真名井神社・六所神社・揖夜神社の、出雲国造りゆかりの六つの社(やしろ)は、「意宇六社」として崇敬されている。

朝からゆっくりこの「意宇六社めぐり」をしたいがために宿泊料を大奮発。前日は昭和の面影を残す山間の秘湯・海潮(うしお)温泉にある「海潮荘」に宿泊した次第である。

雲南の秘湯 海潮温泉 海潮荘

温泉1
雲南の秘湯「海潮温泉」は、733年(天平5年)に完成した「出雲風土記」にも登場する、1300年以上の歴史を持つ温泉だ。
この海潮温泉にある「海潮荘」は、知る人ぞ知る山間の秘湯を要し、いい感じで鄙びた昭和風情の宿として、温泉マニアには知られた、しかしまだまだ「穴場」の温泉宿だ。

かつては立ち寄り湯もできたが、2022年5月からそれができなくなって、なので仕方なく、もとい宿が素晴らしいので、いつも車中泊ばかりの私には珍しく、宿をとらせていただいた次第である。
こぢんまりとした木造二階建ての建物には、秘湯のたたずまいが満載。森林浴をしながら温泉が楽しめる天然露天風呂や、地場産の食材を存分に活かした絶品料理、木の香りが漂う落ち着いた客室。
久しぶりに一点豪華主義の「贅沢」を堪能した。

天然の露天風呂「宝樹の湯」

温泉2
海潮荘が誇る「宝樹の湯」は、あちこちに置かれた巨石と樹齢800年のシイの木が印象的な天然の露天風呂だ。

海潮荘の素晴らしいところは、部屋からの景色も食事処の囲炉裏も素晴らしいなど沢山あるが、やはりなんと言っても大岩ゴロゴロ、野趣溢れる露天温泉が一番だろう。

こんな露天風呂はちょっと見たことない。

泉質は低張性弱アルカリ性泉ナトリウム塩化物泉で、神経痛・筋肉痛・関節痛・疲労回復・慢性消化器病・慢性婦人病などに効能があるとされている。

温度もちょっとだけ緩い、いつまでも入って居ることのできるような絶妙な温度で、透明でありながらとろみのある良質なお湯をゆっくりと楽しむことができます。あまりのぼせずに長湯できた。

湯上りに食べる極上の料理

囲炉裏を囲んでいただく、地元の食材を活かした極上の料理も海潮荘の魅力の一つ。

何を隠そうハゲを隠そう、私は年中車中泊で、旅に大きな負担となる宿泊費をゼロで抑えているわけだが、たまにゃいい宿にも泊まることもあるわけで。
その時には、一点豪華主義、清水の舞台から飛び降りる気で贅沢するわけで。
なんで北の国からの「純」の口調になっているかわからんが、高級魚として知られる日本海の「のど黒」や、島根近海で獲れた「栄螺(サザエ)」、そして奥出雲の「和牛」などを使った料理を、湯上りに堪能した次第である。

さらに、絶品の料理とともに味わう海潮荘オリジナルの日本酒「純米酒 赤川」「純米酒 宝樹」も、毒を食らわば皿まで精神で、ガンガンいただき、酩酊状態になったが。
翌日の清算時には、顔から血がさ〜〜〜っと引いて、倒れそうになってしまった。

和の心地よさを感じる客室

和室のイメージ
海潮荘には、「川沿い」「中庭沿い」「特別室」の3種類の客室が用意されていて、私が泊まったのは「中庭沿い」のお部屋。
川沿いの客室からは、手前を流れる川越しに、山々などの景色を一望することができるが、それは宿を出てからでもできることなので(笑)。
また、海潮荘で2室しかない特別室は、広々とした空間と中庭庭園の眺めを存分に楽しめるお部屋、空いてはいたがとても良いお値段がしたので、消去法で「中庭沿い」のお部屋を選択したわけである。

「意宇六社めぐり」のその前に、須我神社

龍神

「須我神社」は、その昔、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した須佐之男命(スサノオノミコト)伝説が色濃く残る神社である。

その昔、須佐之男命が妻である稲田姫と共に奥出雲の地に降り立った際、美しい雲が立ち昇る様を見て「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」と詠んだとされるが、この歌が「日本で一番古い和歌」とされており、そのことから、須我神社は「和歌発祥の社」としても有名である。もちろん、須佐之男命がこんな歌を本当に詠んだかどうかは知るよしもないが(笑)

私はこれまで和歌にも関心があって、たまに詠んだりもしていたが、今後画家一本に絞ると決めた以上は、金輪際和歌も手放した。たかが和歌、されど和歌。相当に勉強し気を入れなければ、片手間にいい和歌はできないものなのだ。
もう手放して関心がないと言えば「良縁結び」「夫婦円満」「子授け」の御利益だ(笑)。

須我神社には古くから本社と奥宮の両方を参拝する「二宮言詣り」の習わしがあり、本社と奥宮を二宮言詣りすることで、これらのご利益を受けることができるとされている。知らんけど。

さあ、意宇六社まいりに出発!

今から参拝する六社とも、本殿が出雲大社と同じ「大社造り」で、御祭神も出雲神話にゆかりのある神ばかりである。

1社めは「熊野大社」

御祭神は神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと)、要するにスサノヲさまだ。

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出雲大社と並んで、出雲国の一之宮「熊野大社」の拝殿。本殿の横にはスサノヲさまの奥様の櫛名田比売命、お母様の伊邪那美命のお社がある。
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こちらの鑽火殿は、とても素晴らしい建物で惹きつけられた。
「日本の火の発祥の地」と伝わる熊野大社は、出雲大社と特別に関係が深く、10月15日には鑽火祭(さんかさい)という独特な神事が行われる。
出雲大社の「古伝新嘗祭」で用いる火をおこすための「ひきりうす」と「ひきりぎね」を、出雲大社国造みずから受け取りに行くものだが、その際持参する大きな餅をめぐって、押し問答が交わされる亀太夫神事は全国でも他に例がない。
この鑽火殿には10月15日の鑽火祭で使う燧臼(ひきりうす)、燧杵(ひきりきね)が納められている。

2社めは、「神魂(かもす)神社」

神魂神社の御祭神は伊弉冉大神(いざなみのおおかみ)である。

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手水舎には、実に見事な苔。
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急で段差の大きい石段を登った先に拝殿があり、拝殿の奥に本殿がある。

昭和27年(1952)に国宝に指定されている。
島根県には3つの国宝があるが、まず出雲大社、そして松江城、そしてもう1つがこの「神魂(かもす)神社 」である。

3社めは「八重垣(やえがき)神社

八重垣神社は、松江市の中心より南方の山沿いにある。

八岐大蛇退治で名高い素盞嗚尊と、国の乙女の花と歌われた稲田姫命の御夫婦が主祭神。

出雲の古い民謡の一節に、「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」とあるが、八重垣神社は出雲の縁結びの大神として広く知られている。

御祭神を始め、「六神像」が描かれた壁画が元々御本殿にあった。

壁画は、「古色蒼然雄渾な筆力は神社建築史上類例がない」と推賞され、国家より重要文化財の指定を受け、現在は安全な宝物収蔵庫で公開されている。

稲田姫の父親神様、脚摩乳(あしなづち)と母親神様、手摩乳(てなづち)のお社もある。

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御本殿後方の「奥の院佐久佐女の森」は、稲田姫命が八岐大蛇の難を避けられた時の中心地で、日々水を召し上がり姿を写されたと言われる「鏡の池」がある。
池に占い用紙を浮かべて硬貨を乗せ、それが流れていく距離と沈む時間で、縁結び、心願成就などの成否を占うという。

4社めは、眞名井(まない)神社

御祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)である。

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天津根彦命は、アマテラスさまとスサノヲさまが「天の眞名井」で「誓約」を行った時に、アマテラスさまの玉から生まれた5人の男神のひとりである。

眞名井神社の裏には古代の祭祀形態である磐座(いわくら)が鎮座し、その磐座(神が宿る石)で神祀りが行われてきた。神を祀る常設の社殿(神社)がなかった時代の人々は、大きい木や岩石、島や川などに神々が籠もると考え、それらを崇拝対象として神祀りを行っていたのだ。

また、眞名井神社境内地には縄文時代から人々が住んでいた証である縄文時代の石斧や掻器などが出土し、弥生時代の祭祀土器破片や勾玉も出土している。
眞名井原一帯が、縄文時代から神聖な地と考えられて、神々をお祀りしていたことが窺える。

磐座
天の眞名井の水

この水は籠神社海部家三代目の天村雲命が神々が使われる「天の眞名井の水」を黄金の鉢に入れ、天上より持ち降った御神水である。

天村雲命はその水を初めに日向の高千穂の井戸に遷し、次に当社奥宮の眞名井原の地にある井戸に遷した。その後、倭姫命によって伊勢神宮外宮にある上御井神社の井戸に遷されたと伝えられている。

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5社めの「六所(ろくしょ)神社へ

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伊弊諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、と月夜見尊(つきよみのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大巳貴尊(おおなむちのみこと)が祀られ、この六神を主祭神としているところから、「六所神社」の名がついたといわれている。

意宇平野のほぼ中央にあり、律令時代は出雲国の総社だった。

つまり出雲国内はここに参拝することで、出雲国内の全神社に参拝することにかえていたわけだ。

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本殿は、宇豆柱が前後にはみ出す古式を残す大社造だ。

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いよいよ最後、6社めは「揖夜(いや)神社」

揖夜神社の御祭神は、伊弉冉命、大巳貴命、少名彦命、事代主命だ。

随神門から入る。門の正面に本殿がないが、このように門の正面に本殿が鎮座していない神社は珍しいらしい。

現在の拝殿は、昭和9年の遷宮の時の建立で、本殿と少し離れている。

下の写真が、本殿である。建立年としては、天正11年(1583年)に毛利元秋が再建した記録がある。

本殿内部は「神魂神社」と同じ仕切りになり、御内殿は向かって左手の奥に右を正面として鎮座され、壁と天井の絵画は、江戸時代に描かれたとされる。

道の駅「さくらの里きすき」

今回、海潮温泉〜須我神社〜意宇6社巡りの起点としたのは、道の駅「さくらの里きすき」。

道の駅は、松江自動車道の三刀屋木次ICから国道54号線を北東に3km、 島根県東部の旧木次町(現雲南市木次町)にある。

木次町は、JR木次線の木次駅から三刀屋木次ICまでの狭い区域に、町の人口の9千人の殆どが集中するコンパクトな町。 なので、インターを降りてすぐはその民家を眺めながら走るが、すぐに畑と山林の風景に変わる。 道の駅周辺はとてものどかである。

そんな木次町の名物は、道の駅の駅名からも想像できるだろうが、「桜」である。

木次駅のすぐ近く、道の駅からは3キロほどの距離にある「斐伊川堤防桜並木」は斐伊川の清流に沿って約2kmにわたる「桜のトンネル」で、日本さくら名所百選の一つに選定されて毎年約10万人の観光客を集め、道の駅の利用客は桜の季節に集中するという。

すると今ごろ(夏)などは空いているだろうと思いきや、駐車場には結構の車が。

どうやら、一年を通してそこそこ人気の道の駅のようだ。

まず、トイレへ。綺麗に清掃していただいており、ありがたく使わせていただいた。

休憩環境としては、まあごく普通な感じ。特に素晴らしいとは思わなかった。

道の駅の施設は、物産館、農作物直売所、レストラン、コンビニ。

観光客の多い桜の季節は物産館の利用客が多いらしいが、 地元の利用客が多いその他の季節には、農作物直売所に人が集まるようだ。

農作物直売所では約80種類くらいの地産の新鮮野菜と果物を販売しており、地元の人たちで賑わっていた。

物産館のスペースはとても広く、商品の種類・数も揃っている。

商品の約6割れは島根県を代表する土産品で、代表格は、モンドセレクションで8年連続入賞の銘菓「因幡の白うさぎ」、 第25回全国菓子大博覧会で名誉総裁賞を受賞した銘菓「大風呂敷」。

地元の木次乳業の「ビン牛乳」や「コーヒー牛乳」、 地産の唐辛子「おろちの爪」を配合した「木次ヤマタノオロチチーズ」などの商品、出雲茶を使った菓子類も。
とにかくいろんなものが売られていて、その中には「メダカ」なんかもある。

物産館の奥の方に、レストランがある。

レストランは朝7時30分から夕方の6時まで、金曜日と土曜日はなんと夜の9時まで営業していて、とても便利だ。

便利と言えば、コンビニ。ヤマザキショップは何かと便利である。

施設の外には、炭火焼やきとりからあげの出店があって、なかなか美味しそうだった。