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名所絶景、いい湯、いい食、いい人、道の駅から。

町内4つの道の駅に飽き足らず、また道の駅「瑞穂の里さらびき」を大改造?(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

「道の駅瑞穂の里さらびきにつきまして、地域振興やスポーツ振興などを目的とする複合施設である、グリーンランドみずほ(写真はバブリーな本棟)において中核的な集客施設となっていますが、供用開始から23年余りが経過していることから、大規模リニューアルすることとして、昨年には再整備基本計画を策定し、現在、基本設計及び実施設計を行っているところです。令和7年度中の改修を予定しており、交通の要衝である我が町のラ […]

与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑めぐりから、道の駅「シルクのまち かや」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備△立地△) 

兵庫県との県境近い京都府北部にある与謝野町は、鉄幹・晶子夫妻の苗字「与謝野」のルーツ。道の駅「シルクのまち かや」には、ここが鉄幹の父・与謝野礼厳の生誕の地であったことにちなんで歌碑が立っている(礼厳の本職は僧侶)。 与謝野町、旧加悦町には鉄幹・晶子夫妻を始め多くの歌人・俳人が訪れて歌や句を詠んだことで知られ、その名残は歌碑や句碑といった石碑として現存しています。その歌や句が詠まれたであろう場所に […]

「丹波マーケス」はやり逃げ、次の道の駅「京丹波 味夢の里」で二匹目のドジョウ狙いってか(トイレ○仮眠✖️休憩✖️景観✖️食事✖️設備△立地✖️) 

最初に。これは道の駅「京丹波 味夢の里」の中に設置されている路線バスの停留所。町民をわざわざバスに乗せて引っ張り込んで買い物をさせても、その分、町中のこれまでの商店の売り上げは減るだけのことですよ。一つの町内に道の駅が4つもあるのは日本でこの町だけ。しかも喜んでいるのは寺尾豊爾町長一族と、そのおこぼれをちょうだいしている一部の人たち。いい加減、恥を知れと言いたいです。 そして、これからここに書くこ […]

「須知城跡」で光秀の足跡を辿ってから、最低の道の駅「丹波マーケス」へ(トイレ△仮眠✖️休憩✖️景観✖️食事✖️設備△立地△) 

今日は須知城へやってきました。城跡の見どころもさほどの知名度もないのですが、織田信長が好きではないというか、はっきり言ってその人間性が嫌いな私は、彼を突如として本能寺で討った明智光秀にずっと興味を持っていまして。 しかしながら光秀の謀反の動機がはっきりしていないことから、彼が信長に命じられて丹波攻めをして落とした城はすべて回って、彼の「心の闇」を探っている次第です。 1579年(天正7年)、織田信 […]

2つの「高松城」から、高松空港近くの道の駅「香南楽湯」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事○設備◎立地○) 

高松城は、天守閣は失われているものの、今なお高松市のシンボルです。 海に面している「海城」であることが高松城の大きな特徴で、愛媛県の今治城、大分県の中津城と並んで「日本三大海城」の一つに数えられています。 現在は海側に道路が通っていますが、かつては城壁が海に直接面していたとされており、実際に城内を散策していると、瀬戸内海との近さがよくわかります。 この辺り一帯は当時、香東川の河口から海に繋がるデル […]

「壬申の乱」の形成逆転の地、道の駅「ふたかみパーク當麻」へ(トイレ◎仮眠△休憩△景観○食事○設備△立地○) 

663年(天智天皇2年)、朝鮮半島南西部の白村江(現在のクム川)河口付近で日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗。この白村江の戦いで敗れた後、天智天皇(当時は「大君」)は臣下の反対を押し切って都を奈良・飛鳥から滋賀・大津に移します。 天智天皇は崩御する2ヶ月前に、実弟である大海人皇子を病床に呼んで「後の事はお前に任せる」と伝えました。しかし大海人皇子はこれを辞退。出家して吉野へと向かいました。天智 […]

難波・河内から、日本最古の国道「 竹内街道」を、道の駅「近つ飛鳥の里 太子」まで(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事△設備△立地◎) 

『日本書紀』には、推古21年(613)「難波より京に至る大道を置く」とあります。推古天皇21年に整備されたこの「大道(たいどう)」とは、日本最古の官道、今で言う国道となった竹内街道のことです。 難波と飛鳥のみやこを結ぶこの「大道」とほぼ重なる「竹内街道」は、シルクロードの最終地点といわれる飛鳥に、中国や朝鮮半島のすぐれた文化や海外の使節を運んだ道でした。 都は平城京へと変わり、さらには平安京に遷さ […]

究極の古民家「藤田家住宅」から道の駅「大和路へぐり」へ(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

信貴生駒の東に延びる山麓、生駒郡平群(へぐり)町を見下ろす高台の広い敷地。ここは応仁の乱で西軍を率いた山名宗全の邸宅跡だそうですが、そこに、整った「大和棟」の古民家が建っています。この藤田家住宅は、伝統的な町家としての姿を今にとどめる、国登録有形文化財です。通常は未公開ですが、不定期に家の中まで公開されることがあり、そのチャンスには見ることができます。 古図が残されていて、それによると、当初は元禄 […]

日本三大酷道の一角「ヨサク国道」を走って、道の駅「大杉」へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事△設備△立地○) 

およそ国道とは思えない、あまりに通行困難な国道には、「酷道」という漢字が当てられます。中でも走った誰もが何度か身の危険を感じる通行困難を極める3つの国道が、いつしか「日本三大酷道」に登り詰め?これらの存在は、マニアックなドライバーなら知らぬものはいないでしょう。 その一つは国道425号(三重県尾鷲市から和歌山県御坊市に至る一般国道)、二つ目が国道418号(福井県大野市から長野県飯田市に至る一般国道 […]

「湯の川温泉」で全身浴のち、道の駅「湯の川」で仮眠と足湯(トイレ◎仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

「火の山の ふもとの湯こそ 恋しけれ 身をこがしても 妻とならめや」 神代の昔、出雲からやってきた大国の主命と恋に落ちた稲羽の国(八上姫)は、主命にスセリヒメというお妃があることを知らず、国に帰られた主命を慕って旅に出ました。出雲の入り海(宍道湖)を船で進まれた八上姫は、南の山の谷あいに湯気が立ち上がっているのを見つけます。 気になって船を降り、近づいてみますと、そこには岩の間からこんこんと湯が湧 […]

日本の至宝「米子城」を潰したアホを許して米子城跡と道の駅「あらエッサ」へ(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○) 

米子城は、戦国時代末期の天正19年(1591)頃、毛利一族の吉川広家が築城を開始するも、慶長5年(1600)の関ケ原の戦い後、広家は国替えを命じられ岩国へ。逆に関ヶ原の戦いで軍功が認められた駿河の国の中村一忠がこの地・米子を治める伯耆国18万石の領主に選ばれて赴任。城慶長7年(1602)、湊山の山頂に五重の天守閣と四重の副天守閣(四重櫓)を持ち「山陰随一の名城」と称された壮麗な米子城を完成させまし […]

道の駅「しおのえ」から「イクサ酷道」を南下して宍喰温泉へ(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備△立地◎) 

全国にはおよそ「国道」という名称にそぐわないような、細くて狭い、そして荒れた国道が稀に存在します。このような酷い状態の国道は「酷道」と漢字を当てられ、私のようにそれを好んで走る変わり者も一定数いるのですが、四国の内陸部はその“宝庫”です。 四国の酷道として最も有名なのは、徳島県から四国山地を横断し高知県に至る総延長約350kmの国道439号、通称「ヨサク」。路線が恐ろしく長いのに酷道区間多すぎ、2 […]

「大久保諶之丞」がつくりし道を走って、生誕の地「たからだの里さいた」の露天風呂へ(トイレ△仮眠◎休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

「笑わしゃんすな百年先は 財田の川から川舟出して 月の世界へ行き来する」。 これは、大久保諶之丞が雄大な将来を歌った都々逸です。 道の駅を止まり木に、日本全国を旅していますと、私たちはこの国を縦横無尽に走る道路を当たり前のように利用させていただいているのですが、せめてこれらをつくた先人の尽力を知って感謝することを忘れてはならないと思います。 長い間、狭く険しい山道だけしかなく、そのため経済や文化の […]

道の駅「日和佐」にもウミガメの「大浜海岸」にも南海トラフ来るな(トイレ○仮眠△休憩○景観○食事○設備△立地○) 

2025年、明けまして、日本に大地震が起こりませんように。 日本周辺で発生する地震は「海溝型地震」と「陸域の浅い地震」に大別され、前者は「プレート境界の地震」と「沈み込むプレート内の地震(スラブ内地震)に、後者は「活断層による地震」と「活断層以外の地震」とに分かれ、これら4種類の地震が繰り返し起こってきました。 1年前の元旦に起こった能登半島地震は、内陸の活断層が上下方向に動いた「逆断層型の内陸地 […]

道の駅「貞光ゆうゆう館」からうだつの街並みを歩いて「貞光劇場」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備△立地◎) 

成人映画館、あるいはポルノ映画館、かつては大人の娯楽の殿堂だったが、今や絶滅危惧種、日本各地で風前の灯火となっています。四国で頑張っていた「貞光劇場」も、ついに力尽きて2011年に閉館しました。貞光劇場は1932年に建てられ、のちに映画館に転じて、徳島県最古の現役の映画館として活躍しました。窓やエントランスなど凝った造りで、閉館して13年が経ちますが、今でも廃墟マニアが訪れているようです。 私は歴 […]

道の駅「三野」から、信長に先んじた天下人「三好長慶」生誕の地へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事◎設備△立地○) 

「三好長慶」(みよしながよし)は、1522年(大永2年)から1564年(永禄7年)まで43年間を生きた戦国武将です。短い人生でしたが、織田信長よりも先に、「天下人」に近づきました。畿内(大阪・京都・奈良を中心とする関西地域)全域の実権を手中に収め、管領(将軍の補佐役)であった細川晴元と室町幕府第13代将軍・足利義輝を京都から追放するという鮮烈な下剋上をやってのけ、実質上の最高権力者へと登り詰めたの […]

源義経で有名な道の駅「竜王かがみの里」から「観音寺城の戦い」へ(トイレ△仮眠△休憩○景観△食事△設備○立地○) 

「観音寺城の戦い」は、何度もありました。まずは「応仁の乱」のとき。観音寺城をめぐり3度にわたって攻城戦が展開されました。応仁2年(1468)の2度にわたる「第一次・第二次観音寺城の戦い」は、いずれも六角高頼が居城とした観音寺城は京極氏に攻められて開城または落城。近江守護を解任された六角高頼は、翌年には観音寺城を修築して再防備を行い、「第三次観音寺城の戦い」では今度は京極軍を撃退。リベンジに成功して […]

道の駅「南国 風良里」から徒歩で「紀貫之邸跡」「土佐国衙跡」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

わが国最初の仮名日記として著名な『土佐日記』。今から1,100年近く前、承平4年(934年)12月21日に紀貫之が土佐から都に戻るため55日間にもおよぶ旅に出流のですが、その旅路を彼が日記にしたためたものです。ちょうど今日12月27日は、貫行らの旅の一行が冬の海に漕ぎ出した、まさにその日です。 「男もすなる日記(にき)といふものを、女もしてみむとてするなり(男の人が書くという日記というものを、女で […]

道の駅「塩津海道 あぢかまの里」にて「光る君へ」再放送?(トイレ◎仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地◎) 

『光る君へ』は、2024年1月7日から12月15日まで放送されたNHK大河ドラマ第63作。平安時代中期の貴族社会を舞台に、世界最古の女性文学といわれる『源氏物語』を執筆した紫式部の生涯を描きました。主人公の紫式部は、長徳2年(996年)に父・藤原為時が越前武生の国守に赴任することになり父とともに越前に向かいますが、その道のりは「塩津海道」。塩津浜を経由して敦賀を目指しました。 式部は道中のさまざま […]

道の駅「アグリの里 栗東」のすぐ東側「天保義民碑」へ(トイレ△仮眠△休憩○景観○食事○設備○立地○) 

令和の米騒動とも騒がれた、今年起きた米不足。いまあらゆるモノの価格が上昇していますが、米の値上がりとその根本原因となる米不足は、私にはかなり深刻な事態に思えます。現在の米不足の原因として、海外客による日本食のインバウンド需要の急激な増加といった微少な要因も語られますが、根本原因は「異常気象」です。 米どころの北・東日本では春~秋の季節平均気温が3季連続でかつてなかった高温となり、新潟県や秋田県など […]