多才という言葉がピッタリ。渡辺崋山の生と死の地へ、道の駅「田原めっくんはうす」から(トイレ◎仮眠△休憩○景観△食事○設備○立地○)
渡辺崋山は、寛政5年(1793)9月16日、江戸半蔵門外、田原藩上屋敷裏門脇の長屋で生まれた。 当時、父は留守居添役仮取次で15人扶持の給料をもらっていたが、財政難の田原藩は家臣の減給を行っており、渡辺家は11名も家族がいて特に貧しく、幼い弟妹たちを奉公に出さなければならなかったため崋山は貧しさを救うために絵を描く内職をしながら学問に励んだ。 12才の崋山は、「日本橋の暴辱」から志を立て、徂徠学派 […]