36年前と7年前に2度フィーバーした「へなり」は今? 道の駅「平成」へ(トイレ○仮眠◎休憩◎景観○食事○設備△立地○) 

「新しい元号は『へいせい』であります」。

1989年1月7日、14時36分、小渕恵三官房長官が記者会見室で、「平成」と墨で書かれたばかりの、生乾きの2文字を掲げた。

テレビを見ていたその地域の住民9世帯35人は、その瞬間、「平成(へなり)やないか!」と叫んで飛び上がった。

翌8日朝、記者団から平成元年を迎えた心境を問われた竹下首相は「平静です」と語ったが、岐阜県の現関市、旧武儀町のたった9戸の小さな集落「平成(へなり)地区」は、たちまち平静さを失った。

読み方こそ「へなり」だが、 日本全国で唯一「平成」と名が付く地名だったのだ。

元号「平成」の発表の瞬間から旧武儀町役場の電話は鳴りやまなくなった。

翌日からは、メディア取材が殺到し、元号と同字の地を一目見ようと全国から観光客が大挙して押し寄せる。当時、地区の住民はたった9戸、35人。この平成(へなり)地区に、多い日では1,000台の車が列を作って押し寄せたのだ。

平成に来た記念にと、急きょ開発された「平成ゴールドテレフォンカード」「平成林道プレート」「平成しいたけクッキー」など、平成と書かれたものであれば何でも飛ぶように売れ、その後、旧武儀町を訪れる観光客の流れは、1~2年ほど続いたという。
あの大騒ぎした村は、令和7年の今どうなっているんだろう、と思い、行ってきた。

悪ノリは続くよ、どこまでも

旧武儀町にとって、この平成フィーバーは千載一遇のチャンス。急遽、写真のように漬け物工場を平成おみやげコーナーとして開店。

にわかに作った「お土産」を売りまくった。

旧武儀町はすっかり勢いづき、なんと「日本平成村」を立村する。

ただしこれは正式な村でもなんでもなく、理想郷として、言い方は悪いが「勝手に名乗った」のだ。日本平成村という登録された地名があるわけでは全くない。ちなみに平成17年に武儀町は関市と合併し、現在では関市武儀地域」と呼ばれている。
ただ、当時彼らは大真面目。これからのまちづくりの理念として「地球でいちばん素敵ないなかまち」を掲げ、エコとユートピアの合成語「エコピア構想」を打ち出し、手作りの村づくりを目指して立村式まで実施。村長には女優の三田佳子を迎えたのだ。

平成3年には、当時の竹下内閣による「ふるさと創生1億円事業」を元に、平成地区に「元号橋」を竣工(橋を渡ると音が鳴る橋だったが、現在は壊れて音は鳴らない)。

平成6年には、日本平成村花街道センター(のちの道の駅「平成」)が完成し、三田佳子村長を迎えて完成式典が盛大に行われた。

平成7年には、平成自然公園(モニュメントの森)が完成。平成の自然を一望できる展望台や、いろいろな遊具設備が整備されまた(現在は、展望台および遊具は立ち入り禁止になっている)。

さらに平成11年には、武儀町生涯学習センターが完成。400人収容できる多目的ホールや図書館、公式競技が可能な体育館などが整備されている。

流石に熱はすっかり冷めていた平成12年には幸か不幸か、国勢調査により、旧武儀町の北西部(水成地内)が日本の人口重心地となったが、今度はこのことを記念して、水晶山遊歩道内に記念モニュメントが設置された。

しかし、元号の地として脚光を浴びた旧武儀町も、時を経るごとに観光客の流れは減り、人と自然の共生を謳った平成自然公園も立ち入り禁止の場所が増え、町を出ていく若者は増え続けてついに平成フィーバーは終焉。

平成17年2月7日、「理想郷」を目指した旧武儀町は、関市との合併により閉町する。

すっかり「元に戻った」かのような時が過ぎていったが、平成天皇の生前譲位によって、元号「平成」が平成31年4月末を以って幕を閉じることが決定したのだ。

あの素晴らしいフィーバーをもう一度

平成のスタート時に以上に盛り上がった旧武儀町にとって、平成の終わりも盛り上がるのか。

関市武儀地域では、元号平成に感謝し笑顔で新元号にバトンタッチをするべく「ありがとう!平成時代実行委員会」を結成。また、「あの時以上に」色々なグッズをつくって、二匹目のドジョウを待った。

「平成の空気缶」?笑うしかない。

それにしても、「あの時のように、メディアや観光客は動くのか?」

疑心暗鬼の中、蓋を開けてみれば二匹目のドジョウ「平成ラストフィーバー」は、ちょっと小さいながらも、いることはいた。

平成最後の日・平成31年4月30日には道の駅「平成」に過去最高の来場者が訪れ、その数はなんと1万人にのぼった。およそ30年ぶりに幻の村長・三田佳子も来村。

その前後、連日メディア取材が訪れ、平成(へなり)はめでたく再び注目を浴びたのだった。

めでたし、めでたし。

令和になって7年。あれは一体何だったのか

祭りのあと…。
いや、感想を素直に述べていいのかどうか。

見たことをそのまま語るのは、どうも気が引ける。
兎にも角にも、ただただ、あまりにも静かではあった。
もちろん静かなのは、悪いことではない。

少なくとも私は、静かな場所が大好きだ。
令和7年4月の道の駅「平成」のありのまま。
写した写真で、「百聞は一見に如かず」としてほしい。