三原と言えば「三原城」、三原城と言えば「小早川隆景」。道の駅「みはら神明の里」で地方都市の未来を考えた(トイレ○仮眠△休憩◎景観○食事○設備○立地○)

小早川隆景は、毛利元就の三男として生まれました。隆景はわずか12歳で竹原小早川氏を相続し、天文19年には本家となる沼田小早川氏を相続。天文20年に沼田小早川家の高山城に入り、翌21年には沼田川を挟んだ向かいの新高山城へ。

そして、永禄10年に、海の交通に直結する三原城の築城を始めたと伝わります。沼田東町納所には小早川家の菩提寺である米山寺があり、初代実平から17代隆景までの宝篋印塔(国の重要文化財指定を含む)20基の墓が並んでいます。三原駅北のロータリーにある隆景広場では、小早川隆景像を見ることができます。

現在三原城には天主台や船入櫓の一部しか残っていませんが、当時は東は湧原川から西は臥龍橋付近まで約900m、南北には約700mもの長さの中に本丸、二之丸、三之丸があり、櫓が32と城門が14もある、とても大きな城でした。特に天主台は広島城の天守閣なら6つも入るという日本有数の広さです。満潮時に城の姿が海に浮かぶように見えたことから別名「浮城」とも呼ばれてましたが、裾を引いた扇の勾配の美しい姿はとても素晴らしいものです。

三原城、石垣、岩礁

毛利は三兄弟ではなく11人兄弟

さも三兄弟のように言われる毛利元就の子どもたちだが、実は元就には11人もの子どもがいた。彼を助けるに足る働きをしたのが長男の毛利隆元、次男の吉川元春、三男の小早川隆景の3人だったのでそう言われているだけ。もっと言えば長男の隆元は早くに病死したため、元就が頼りにしたのは元春と隆景。その後二人が毛利の躍進を支える大きな存在となったことから“毛利の両川”と呼ばれている。

隆元、元春、隆景と言えば、大相撲に、それぞれの四股名の頭に「若」をつけた三兄弟がいる。入門時の師匠、先代荒汐親方(元小結大豊)が「三本の矢」で有名な毛利3兄弟になぞらえてつけた四股名である。この3兄弟も、今のところ次男と三男が幕内の役力士として活躍。先陣を切って角界入りした長男は関取と言われる十両の手前、幕下で足踏みしたまま12月29日で33歳。ぜひとも頑張って関取になってほしい。

三原の祭りを大切にした小早川隆景

三原の祭りと言えば、2月8月の「ニッパチ」に行われる「神明祭」と「やっさ祭」だが、まず「神明祭」は伊勢神宮を祀る祭りである。伊勢神宮の信仰が全国に広まったのは室町末期。三原もその頃、この地方の港町として栄えつつあり、当時、九つの町組が寄り合って始めたのが祭りの起こりと言われている。毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町、館町、本町一帯で行われる神明祭りは、往時には旧暦1月14日にとんどをまき、神棚を飾り、伊勢神宮の弊を観請し、あちらこちらの店先に翁人形やだるまを飾りつけ、東町、館町一帯に数百の露店が立って、身動きできない程の人出で賑わっていた。小早川隆景はこの祭りを大切なものとし、瓶子一対を寄進し、近郷より繰り出す景気人出の模様を見てその年の豊凶を考量した言われている。

毎年8月の第2日曜日を含む金・土・日の3日間には中国地方を代表する夏祭りである「三原やっさ祭り」が開催され、今年も約40万人の人出で賑わった。金・土曜日の2日間は、約7,000人の踊り手が17時頃から三原駅前周辺の踊りコースを「やっさ、やっさ」と練り歩く「やっさ踊り」。

最終日の日曜日には花火大会があり、20時頃から約1時間ほど打ち上げが行われる。

実はこの祭りこそ、小早川隆景を起源とする。隆景は瀬戸内の水軍を統率するために水・陸・交通の要地である備後の国・三原の湾内に浮かぶ小島をつないで海城「三原城」を築いたのだが、やっさ踊りはこの築城を祝って老若男女を問わず三味線・太鼓・笛などを打ちならし、祝酒に酔って思い思いの歌を口ずさみながら踊り出たのがそのはじまり。以来、大衆の中に、祝いごとは「やっさに始まりやっさに終わる」と慣わしが定着していった。

三原の将来も、隣の竹原のように危うい

三原市は、平成 27(2015)年を起点として令和 42(2060)年までを対象とする「三原市人口ビジョン」を公表し、人口の将来展望を示している。かいつまんで紹介すると、市の総人口は昭和 60(1985)年をピークに減少が続き、令和 42(2060)年の推計値は 53,185 人。令和 42(2060)年には、平成 27(2015)年と比較して、生産年齢人口(15~64 歳)および年少人口(0~14 歳)はなんと半減すると予測。市が衰退を見越してから、すでに10年を経過しようとしている。

より深刻なお隣の竹原市で聞いたのだが、「竹原市」「三原市」「尾道市」の3市は、JR西日本の広島支社とで関係人口創出に関する協定を締結。各々では解決が難しい課題や効果が小さい取組などについて垣根を超えた連携を図り、課題の解決に取り組んでいると言う。これも「三本の矢」と悦に行っている場合ではない。私の住んでいる明石市は11年連続で人口増加を続けているが、お隣の神戸市からどんどん流入し、神戸市は人口減が続いている。つまり、市の繁栄は子育て世代の奪い合いにかかっているのであり、「三本の矢で一緒にやりましょう」なんて甘い考えだからダメなのである。

竹原は道の駅も酷かったが、道の駅「みはら神明の里」はどうか

道の駅「みはら神明の里」は、山陽自動車道の三原久井ICから県道25号線→国道2号線を通って南に12km、 広島県南東部の三原市にある。 本駅に到着して駐車場に車を停めようとするだろうが、まずその時点で美しい景観に驚くことだろう。 高台にある本駅からは、三原市の街並みを一望できるのだ。

そして、街並みの先には瀬戸内海と瀬戸内海に浮かぶ島々が。

その駐車場は広いが、平日夕方にしては結構の車が利用していて、ちょっと驚いた。

トイレは、文句なし。

休憩環境だが、景色が素晴らしいことで十分快適な思いができる。館内にも休憩スペースが十分ある。

三原市の特産品と言えば、私が住んでいる明石と同じく、「たこ」らしい。 三原の海は瀬戸内海の中では潮の流れが速く、明石海峡と同じ。歯応えの良い美味しい「たこ」が獲れる条件を備えている。

と言うことで、物産館の目玉商品はやはり「たこ」だった。 特に毎朝9時30分に店頭に並ぶ「たこ天」は午前中にはほぼ間違いなく売り切れる大人気の商品になっている。

「たこ天」は完売

私は夕方の5時前に到着したため、当然売り切れだった。 「たこ天」以外にも「たこコロッケ」「たこバーガー」「たこめし」「ボイルたこ」「たこバーガー」等、「たこ」を使った商品は多数。

物産館の他の商品は多彩すぎて、見て回るのが大変だ。

夕方には売り切れ商品がいくつも出るが、これが人気商品なんだろう(笑)

土産品には、冒頭で触れた三原市の祭り「神明祭」「やっさ祭り」の関連商品を選ぶと無難だろう。「神明祭」関連では「神明鶏ラーメン」「神明だるま最中」など、 「やっさ祭り」関連では「やっさラーメン」「やっさ饅頭」「やっさドラドラ」「やっさパイ」などがある。 館内には、神明祭に用いる「白ダルマ」が展示してあった。

物産館の入り口付近に(屋外)に「たこ焼き屋」もあって、ねぎマヨトッピング付きで6個420円。 ソフトクリーム「みはらみるく」も人気で、急いでいる場合は車内に持ち込めて便利だ。

本格的なレストランもある。 レストラン「キッチン ルマーダ」では「たこ」も人気だが、佐木島で育った「島たまご」、三原市のブランド鶏肉「神明鶏」を使った料理などメニュー数が多い。佐木島で生育された「島たまご」を使ったメニューでは「島たまごカツ丼」、「島たまご」と「三原たこ」をセットで味わう「島たまごタコカツ丼定食」などが人気。 神明鶏を使ったメニューには「神明鶏れもんあんかけ定食」「神明鶏からあげ定食」「とりからぼっけ定食」などがある。 そしてやはり一番人気なのは「たこ」を使ったメニューで、「タコ天丼じゃー定食」「三原タコのルマーダ風皿うどん」「たこ天カレー」などがあるのだが、どれも案外手頃な値段だ。