「選択的夫婦別姓」はいいけれど、「強制的大学別姓」はいかがなものか?名前を変えられる前の大学で机を並べて仕事した鈴木創介くんと尾道で飲んだ。

日米の関税交渉がようやく決着した。

トランプ米大統領の術中にはまった感は否めないが、相互関税と自動車関税はともに15%に。
耐性の高い日本の製造業からは「仮に円高が15%進んだと思えば何とかなる」という声も聞こえ、日米の株価は共に急上昇した。
ほぼ同じタイミングで7月24日にはニデックが4〜6月期業績を発表。可でも不可でもない内容だったが、今後関税分をコストダウンで飲み込むのか、米国で値上げするのか、サプライチェーン(供給網)を見直すのか。トランプ関税15%時代に、低迷するニデックがどう対応するのか、ニデックという会社に私は注目している。

というのも、「ニデック(旧社名日本電産)」という会社と「京都先端科学大学(旧京都学園大学)」を共に私物化している永守重信の許し難い魂胆によっては、社員、学生ともにこれまで以上に多くの不幸を生みかねないからだ。

私は日本経済の発展を願っているし、仕事も少ししながら現役世代の活躍を常に応援している。しかし、経営者の好き嫌いははっきりしていて、特にニデックの独裁者・永守重信という人が大嫌いである。
その理由は、一にも二にも彼が「大学を私物化」したのは自己都合で大学名を「実態とかけ離れた名称」に独断で変更するためで、パワハラ&ブラックで人がどんどん離れていく自分の会社に私物化した大学の学生を安定的に送り込もうとする魂胆の持ち主であるからだが、それ以前から、経営理念も手法も完全に時代遅れであるにもかかわらず強引に自己流を貫こうとする傲慢さを見るにつけ、ワンマン経営の最期をこの目で見届けたいと思っていた。
彼に私物化された大学のOBであり、縁あって知り合うことができた鈴木創介という心ある男はどう思っているのだろう。彼を訪ねて、広島県尾道市に足を運んだ。

鈴木創介くんとの出会い

ハゲを隠そう何を隠そう、私は10年ほど前だったか、ほんの短い間ではあったがまだ永守の毒牙に噛まれない「京都学園大学」時代の広報業務をお手伝いさせていただく機会に恵まれたことがある。

結局、私の「コンサルフィー」と大学側の予算とが折り合わず、たった半年程度のおつきあいになったのだが、その時に机を並べた「鈴木創介(以下鈴木くん)」、「松田誉史(以下松田くん)」という素晴らしい二人に出会えたことは、のちの私の人生に大きな財産となった。

実は鈴木くんも松田くんも、ともに「まぐまぐ」の社長を務めていた。
鈴木くんは京都学園大学のOBで、全国クラスのバレーボール選手だった。母校に貢献するため、深い縁の松田くんと共に5年間の契約で学園広報に邁進したが、その後松田くんは東京でまぐまぐの社長に復帰した後、現在は故郷の徳島県で知事の懐刀として県政改革の一翼を担っている。
私は徳島県庁に赴任したばかりの彼を昨年春に訪ねたが、痛飲した時のことはブログに残している。その後、知事の片腕として徳島県政の改革に取り組んでおられる様子、とても頼もしい。

鈴木くんのほうはといえば、学園広報の仕事の契約の5年を満了しようとしていた2019年、ちょうど京都学園大学が実質的に永守重信の手に渡ったほぼそのタイミングで大学を去った。

その後故郷の広島県尾道市に帰って地元で事業を立ち上げ、家も建て、奥様、3人のお子さんと幸せに暮らしておられる。実に素晴らしい!

その鈴木くんとの楽しい一夜のことは、先に鬱陶しい永守重信の話を終わらせてからにしたい。
まず最初に言っておかねばならないことは、永守嫌いは私だけということ。

鈴木くんは体も心も大きい人で、縁に感謝しかない、人の悪口は言わない、立派な人間だ。

以下に展開する永守批判はすべて私個人によるものである。

365日24時間ハードワークを強要する狂人・永守

永守重信は、1代で日本電産を世界トップシェアの企業に育て上げた創業会長である。

優秀な技術を持つが経営不振に陥った企業を次々に買収し、子会社化して再建させるM&Aの手法で知られる。

永守が個人で筆頭株主となり、同時にその会社の会長にも就任、直接経営陣を送り込むというやり方で、買収した会社をほぼ1年以内に黒字化させてきた。

永守が標榜する経営哲学は「情熱・熱意・執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」の3つ。

買収先の再建にあたっては、まず意識改革、企業カルチャーを変えることを求める。

さらには、競合企業が追随できない圧倒的スピードを求めて実践させていく。  

永守は過去のインタビューで、常々「仕事が一番楽しい」と答え、1日16時間、年間365日、元日の午前を除いて働くと公言していた。
アホやろ?

いやそれは、勝手に一人でやって、勝手に過労死したらいい。
しかし永守は「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる」と、同社の成長の原動力が従業員の「ハードワーク」にあるとの認識であり、従業員に自分のスタイルを強要。労働環境の過酷さはかねてより問題であった。

それにしても、365日24時間働けなど、従業員に強いるその発想は、時代錯誤の狂人としか言いようがない。

永守が陣頭に立って急成長を遂げてきたが、有価証券報告書では「永守依存」が事業リスクとして常に明記されてきた。

後継」などあり得ない永守の人間性

永守は2019年、230億円もの大金を注ぎ込んで京都学園大学を私物化したが、同時に、日産に33年間務め、2019年にナンバー3の副最高執行責任者(副COO)への就任が決まったばかりの関潤を、これまた金にものを言わせて日本電産(現ニデック)に引っこ抜いた。

そして永守は関にCEОの座を譲り自らは会長に退いたが、1年も経たない間に関をCООに降格した上で自ら会長兼CEОに復帰。永守の言い分としては、「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」といった企業文化が、関を迎えて崩れ、収益が出なくなったというものだった。
関潤のほうも永守にはついていくつもりはない。永守にとうに愛想をつかし、2023年に鴻海へ移り、EV事業の最高戦略責任者(CSO)を務めている。

世間で知られる日本電産の〝表の面〟は華々しいが、その実情は酷いものだ。

生え抜き社員や幹部社員を中心に離職が相次ぎ、働き方改革などは世間に向けて唱えるだけでパワハラ&ブラック体質はそのまま。「組織崩壊の危機」にあるのが実態だ。

市場はニデックの変わらぬ体質を嫌忌し、ニデックの株価は下落を続ける。
鈴木くんも好き嫌いは別にして「永守さんとは縁があるから」と買ったニデックの株で大損しているそうだ。

株価低迷の理由は後継者問題、そしてパワハラ&ブラックの永守体質への市場の「至極当然」の、然るべき正しい評価であろう。

ニデックが新関税時代に5年持たないと断言する4つの理由

断言する理由の1番目は、軸足を置いている中国の電気自動車市場で、コストダウンしか能のない永守経営では勝てないということだ。
永守は、モーターの需要が伸びる分野として電気自動車市場を選び、その中でも中国市場に賭けている。中国の電気自動車市場は急成長しているが、電気自動車は参入障壁が少ないため、多くの企業が参入。価格競争が激しくなり、多くの企業が赤字を出しながら市場を奪い合っている状況、つまり最も苛烈なレッドオーシャンなのだ。
二つ目は、全てを人のせいにする彼の人間性。

彼が居座る限り優秀な人間は誰もいなくなるだろう。

すでに触れたが、電気自動車に重点を置くために特に日産自動車関係から引っ張ってきて社長に据えては次々に解任。特に酷かったのは、関潤氏の解任で、従業員の労働環境を良くしようとした関氏に対して、自分の意にそぐわないからと、業績不振の原因をなすりつけて解任したことだ。
永守は業績不振を歴代の社長のせいにしているが、そもそも中国の電気自動車市場を選んだ自分の間違いは棚上げしたままだ。

そして3つ目。これが最も致命的だと思うが、ニデックの技術力がたいしたことないということだ。モーターに関する技術は確かに持っているが、それが高い技術かというと、そうでもない。どんどん優秀な人材が離れていく中、技術革新で他社を上回ることは不可能だろう。
最後に4つ目。株価が他社から相対的に下がっていき、資金調達も困難になるだろう。

製造業の利益率の平均は5%ぐらいで、上場企業としては10%から15%を目指すというのが健全なメーカーの姿だろう。
しかし、ニデックの営業利益率はこれに届いておらず、しかも右肩下がり。
コスト削減とハードワークしか能のない永守経営は、中小企業であれば効果的だったかもしれないが、大企業では通用しない。ニデックは図体が大きくなり過ぎているのだ。大企業は、常に新たな市場を開発していかねば生き残れないことは、歴史が証明している。
しかし永守にその発想は皆無。既にある市場に突っ込んでいってコスト削減で利益を絞り出す戦略しか持たない経営者である。以上4つの理由によって、日本電産は関税15%時代にあって、5年持たないと断言する。それまでに彼が死んだら、話は別だが。

彼が自己責任で哀れな末路を辿るのはいい。勝手にすればいいのだ。
しかし人が離れ、成長は鈍化し、内部崩壊していくニデックの従業員がかわいそうだ。全く現実を直視できない人間性の永守は今なおなりふり構わぬ人事や罵詈雑言のパワハラを繰り返し、そして、ますます人は離れていく。
最も心配なのは、優秀な学生たちはその末路を見切れるが、永守に私物化された「京都先端科学大学」の学生たちが不幸にも一定数囲い込まれていってしまうのだろう、その彼らの将来だ。 

会社が迷走なら、大学も迷走w

永守は2025年3月21日、自身が理事長となり大学名を変更してから6年たった「京都先端科学大学の卒業式に出席した。

大学と大学院を合わせて672人が卒業したが、彼ら卒業生に対し「社会に出ると激しい競争があるが、自信を持って、努力と我慢を大切にして成功を目指してほしい」と祝辞をおくった。

永守はこれまでに個人として寄付した230億円で、実質的に大学を私物化している。

しかし6年経って永守がこの卒業式で語ったことはちょっと変だった。
「偏差値や大学のブランドで評価される時代は終わった。

力のある人にチャンスは与えられる」。

はあ?大学のブランド化のために、あんた大学名変えたんじゃね〜の?
ブランド評価の時代が終わったんなら、そもそもブランド名いらなくね?

あ、そうか。

もう「先端」ブランドは諦めて、そして誰もついてこないから、「120歳まで生きる」という個人の世界にとうとう行き着いたのね(笑)
なら、わかる。元々自分にしかベクトルが向いていない永守、120歳まで長生きしたくて、毎日野菜ばっかり食ってるらしい(笑)。

おのみち鮮魚店「尾道産 天然真鯛の炊き込みご飯」

永守が80路を超えて120歳までの長生きに執着し、今さら野菜ばっかり食ったところで無理は無理。
しかし、鈴木くんが「おのみち鮮魚店」を立ち上げ開発した「尾道産 天然真鯛の炊き込みご飯」は無理、ムラ、無駄が一切ない。この商品には、太鼓判を押せる。

真鯛のアラから丁寧に抽出した出汁を使い、具材には真鯛の半身、人参、ごぼう、しめじ、油揚げなどがたっぷり入っている。保存料、着色料、化学調味料は一切不使用だ。

冷凍で届き、炊飯器に入れるだけで簡単に調理できる。

味の決め手は、なんといっても真鯛のアラから丁寧にじっくりと時間をかけ旨味をあますことなく抽出したお出汁だ。炊きあがりの豊かな香りと広がる鯛のうまみは絶品である。

セットには鯛の半身とにんじん、ごぼう、しめじ、油揚げもたっぷり入っているし、保存料、着色料、化学調味料を一切使用していない。

尾道の真鯛はなぜ美味しいのか

瀬戸内海は狭い海峡に大小数百の島々があり、その入り組んだ地形ははやく複雑な潮流をつくり、そこで育つ真鯛はみごとに身が引き締まっている。加えて複雑な潮流は海底の豊富な養分を海中にまんべんなく行き渡らせ、栄養満点のプランクトンやエビなどを食べて育つ真鯛はほどよく脂がのってもい

鈴木くんのおのみち鮮魚店では、その日漁獲された天然真鯛のみを使用し、加工後すぐに冷凍。「天然真鯛の炊き込みご飯」は冷凍されたまま届き、届けば炊飯器に入れるだけで簡単に調理できるので、獲れたての味を気軽に楽しむことができるのだ。

観光漁船で人気No1の炊き込みご飯

鈴木くんが「おのみち鮮魚店」を立ち上げ、この商品を開発したのは単なる思いつきではない。
鈴木くんは母校の広報の仕事を終えた後、東京都内でインターネットサービスの会社を経営。2021年10月に、生まれ故郷の尾道市に戻って、地元の魚を活用した加工食品の製造販売を開始した。

彼が育った尾道は、旧市街に寄り添う川のように流れる尾道水道の漁業が盛んで、四季折々、マダイはもちろんメバルやカサゴ、キスやカワハギなど多種多様な瀬戸内の地魚が水揚げされる。

彼が育った頃は、メインストリートのアーケード商店街で、その日獲れた新鮮な魚をリヤカーに乗せ売り歩く行商の姿が日常だった。

鈴木くんの思いを聞いた。

「私の祖父は漁師、祖母は行商をしており、伯父・伯母も加齢で引退する最近まで尾道で漁師をしていました。尾道では漁師が自身の漁船に客を乗せ魚釣りや仕掛け網を体験する『なぐさみ』と呼ばれる観光遊漁船があって、私の伯父・伯母の漁船にも多くの乗客が乗って楽しまれていました。」

「乗客は各々が釣りをしたり、前夜に漁師が仕掛けておいた網の引き揚げを楽しみ、昼食は船上でその日釣れた魚を刺身にしたり、その場で天ぷらにしたりしましたが、なかでもその日釣り上げられた鯛を丸ごとぜいたくに使った伯母特製の炊き込みご飯は、人気No1のメニューだったのです。」
「昼食として食べるだけでなく、家族へのお土産としても重宝されていましたが、伯父伯母の引退で食べることができなくなりました。多くのお客様から残念がる声があり、それで私が、ご自宅で手軽に食べていただけるよう商品化したのです。」

天然真鯛の炊き込みご飯(3合炊き)

2,484円(税込)

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ふるさと尾道の漁業をより持続可能なものに

再会した後、鈴木くんが振る舞ってくれたのは、この真鯛をはじめ尾道の海の幸で超人気の「せいちゃんち」。尾道から運賃百円の日本一短い渡船」に乗って向島に渡った。

なんと、これが「お通し」!

お刺身から炙り、天ぷら、どの料理も最高に美味しい!!

思わず、マイウ〜!

よく食べ、よく飲んで、そして再び渡船に乗って尾道へ。

この後、次のお店では話に夢中で、いただいた料理やお店の中、締めの尾道ラーメンなど写真を撮り忘れてしまった。

鈴木くん、尾道の夜、最高でした。感謝、感謝!
また、松田くんと3人でぜひ会いましょう!!