
かつてリクルートの社内報「かもめ」で、どちらが赤鬼でどちらが青鬼だったかは忘れたが、平尾勇司さんと私が「鬼の双璧」として特集されたことがあった。
あれは2人ともまだ30台に乗ったばかりの若造時代のことで、「双璧」といっても、それはこと「激怒」することに関して「互角」と言うことにすぎない。
その後の二人の活躍、人生には、まさに天と地、月とスッポンな差がつくわけだが(笑)。
どれほど月とスッポンかというと、平尾さんはご存知「ホットペッパー」という一大事業を2001年から2005年のたった4年でつくった。かたや2005年の私は、その「ホットペッパー」を常に持ち歩きクーポンをちぎっては少しでも安く食べるだけの日々。
いや、あまりにも決定的な違い、対極である(笑)。
平尾さんと34年ぶりの再会を果たすため、そして奥様も来てくださるという広島市西区の「Pizza Riva」に足を運んだ。

世界一のピッツァからの自宅押しかけ
このお店、「真のナポリピッツァ協会」認定の専門店で、ピッツアイオーロ大岡修平氏は、2012年、「ナポリピッツァオリンピック」のクラシカル部門でゴールドメダルを獲得。まさに「世界一のピザ」をご馳走になったわけである。

ピッツァの種類は、トマトベース、チーズベース、包み焼き、本日のオススメも合わせると、約70種にもおよぶ。石窯で熱々に焼かれたピッツァは、薄く伸ばされた生地の上にたっぷりの具材、そしてコルニチォーネ(ミミ)まで最高の味わい。







前菜から始まって、すすめていただくまま遠慮のかけらもなく大きなピッツァを何種類何枚もいただき、そしてデザート。
平尾さんはお酒を嗜まれないのに、ビールから始まって、ワイン(フルボトル)をがぶ飲みしてあっという間に空に。サンフレッチェのトップアスリートも通い詰める広島No.1のピッツェリアに場違いな、味音痴大食漢大酒飲みが一人(笑)。
私の満面の笑みに比べると、平尾さんと美しい奥様の笑顔はちょっとひきつってるかも?
誠に申し訳ございませんでした〜!

ちなみにこの名店では、平尾さんは「おごる人」、私は「食べる人」の関係(汗)。
3時間あまりくっちゃべりながら世界一のピザをいただいた後、それでも話は尽きずで、なんと愛犬「ワクちゃん」が待つご自宅にまで押しかけたのであった。

「引っ張る人」「引っ張られる人」
さて、平尾さんと私が「(事業を)つくる」「(なんでも)食べる」の関係になり果てる前。
もともと二人は、「引っ張る」「引っ張られる」の関係からスタートしている。
平尾さんと私は、かつて師弟関係にあったのだ。
平尾さんは日々の仕事でもいつも私をグイグイ「引っ張り」、私は常に「引っ張られ」、平尾さんについていくだけで精一杯だった。
そんなある日私は曲がりなりにも管理職となったのだが、これも上司だった平尾さんが会社に対して力を持っていて、部下である私を「引っ張って」くださったから起こった奇跡だった。
そして、平尾さんと私が別れる日がやってくる。
あれは1991年9月末だった。
私は、人間的に全く尊敬できないどころか軽蔑するしかない上司の元で全くやる気をなくし、これからは自分らしく生きようと決意してリクルートを自己都合退職したのだが、私が辞表を出したことを耳にした平尾さんは忙しい中、本社で荷物を片付けている私に会いにきてくださった。
鬼の、静かな、どこまでも優しい微笑み
「人の言うことを聞かないこいつは誰が引き留めようと無駄」とは、二人一緒に汗を流した3年足らずの間に誰よりもわかっていただろう平尾さん、「本当にやめるのか?」「それでいいのか?」と問うてくださり、最後に「わかった、頑張れよ」と静かに微笑んで送り出してくださった。
いま、山田孝之が鬼を演じるJTのCMで、笑わない鬼が次第に微笑むことを覚えていくCMが盛んに放映されている。

その「鬼が初めて笑った」と、周りからはそんなふうに見えたとしても、平尾さんのあの時の微笑みに私は、底知れない優しさを感じた。
赤鬼と青鬼は、お互いが傷つけ合うことなく、また憎み合ったりすることもなく。
私が一方的に恩義を感じたまま、平尾さんと私は、最高のタイミングで別れることができたのだった。
ちなみにJTは、加熱式たばこへのシフトに対応するために組織再編を敢行。国内外のたばこ事業は一本化して本社機能をスイスのジュネーブに移管する計画を進めているが、これはホットペッパーの究極のフラット組織と究極の強い本部との関係をどうしたら作れるのか、JTが平尾さんに「アドバイザリー契約」を懇願して、実現に向かおうとしているものだ。
無理やり牛に水を飲ませるということ
いくら引っ張ってもらっても、いずれ人は、自分が行けると思うところまでしか行かなくなる。
自分の限界を自分で決めて、そこまでしか行かない、行けないのが、人間である。
牛でも、無理やり水のところに引っ張ってはいけるが、飲もうとしない牛に水を飲ませることはできない。
人間もそれと同じだ。
しかも私なんて、「自分と家族が路頭に迷わないだけの収入を得ることができれば、それ以上仕事はしたくない。他のやりたいことに時間を使いたい」なんて考え方なのだから、平尾さんと私の「根本的な違い」何より「志の違い」は、これはもう本質的な差異であって、どうしようもないのである。
平尾さんの目指す高みに、モルヒネ打って発奮すれば1〜2年ぐらいはなんとかついていけても、長期的には無理。もし会社に残ってその後も平尾さんに引っ張ってもらっても、私などは平尾さんの高みに、どうせ到達することはなかっただろう。
平尾さんの「高み」について
ここで簡単に、平尾さんの略歴を。
香川大学経済学部を卒業して1980年株式会社リクルートに入社。私の上司だったバブルの頃は関西広告事業部門大手企業担当課長だったが東京に栄転して神奈川営業部部長として大活躍。その後、ケイコとマナブ首都圏営業部部長、中四国支社長を歴任した。
2001年4月にホットペッパー事業部長に就任すると、同誌を4年で全国42版展開、売上約400億円超、営業利益100億円をはるかに超える一大事業に育ててしまう。
2003年4月には株式会社リクルート狭域ビジネスディビジョンカンパニー執行役員に就任。「狭域ビジネスモデル」を確立し、『TOWN WORK』『住宅情報タウンズ』『じゃらん』等の地域展開と事業化を一気に実現した。
2006年3月にリクルートの役員を退任後、楽天株式会社執行役員、ワールドインテック代表取締役社長を経て、2008年11月、Doable株式会社を設立。主な著書に「Hot Pepper ミラクルストーリー」(東洋経済新報社)がある。
おこがましいが個人的な平尾さん評を付け加えさせていただくと。
ビジネスは徹頭徹尾、徹底的に、「ロジカル」に。平尾さんは、そこは絶対に譲らない。
そして誰に対してよリも自分に厳しく、その上で現場の声には耳を傾け、情熱と愛を持って自らの戦略をメンバーに浸透させていくことに徹し続けた。
平尾さんは、「営業数字と人間性の両立」を常に目指した、リクルート従業員の「鑑」のような存在であり、リクルートの経営ボードが理想とするようなリーダーだった。
平尾さんにも恩人はいた
新入社員時代から常に目標数字を必ずクリアするばかりかとびきりの業績を上げる超優秀な営業パーソンであり、チームとして抜群の実績を上げ続ける敏腕マネージャーとなったが、彼が社内での評価を飛び越え、社会的評価を得てのちに経営者としても大成功を収めていくそのきっかけになったのは、「ホットペッパー神話」の主人公、いや「神」となったことだったろう。
世紀が変わり、平尾さんがリクルートに入社してから20年が経っていた。
「やり尽くしたかな、このあたりが潮時か」
平尾さんは、リクルートを辞める決意を固めかけていた。
その平尾さんの退職決意にまったく無視するかのように、ホットペッパー事業を託した人がいた。当時の平尾さんの上司、リクルート伝説の専務「木村義夫」さんである。
木村さんは平尾さんの退職の申し出を受けてこう言ったそうだ。
「そんなことより、君にやってほしいことがあるんだよ。」
「そんなことより、って木村さん。僕は辞めたいんです。」
木村さんは平尾さんとの会話をわざと噛み合わせず、こう続けた。
「ホットペッパーを君にやってほしいんだよ」
当時、新規事業として産声を上げたばかりのホットペッパーは、全くうまくいかず、健全ではない赤字部門として大きな赤字を出していた。平尾さんは木村さんに訊いた。
「なんで私がホットペッパーを?理由を教えてください」
木村義夫さんは腕組みをしてじっと目を瞑ってしばらく黙った後、その細い目を開いて平尾さんにこう言ったのだ。
「理由は3つあるな。一つは、君に商才があるからだ。勝負勘がいいというのかな。二つ目は、君は人を動かし、組織を強くする力があるからだ。そして三つ目はね」
少し間をおいて、木村さんは声のギアを上げてこう言った。
「君には、失うものが何もない!」
この3つの理由は、それぞれ平尾さんの腑にストンと落ちたという。
かくして、ホットペッパーをたった4年で10数倍の売上400数十億、3分の1を利益として叩き出す一大事業に育てた「平尾神話」が生まれることになる。
木村義夫さんがいなければ、消えていた平尾さんのハートに火をつけなければ、「ホットペッパー神話」はなかったのである。

2018年に開催された関西JJ 大同窓会のポスターを拝借したが、左が平尾さんの恩人・木村義夫さん、右が私の恩人・蔵野孝行さんだ。
書店で「本」を通じての「再会」
あれは忘れもしない、2008年、すでに暑さを感じ始めた頃だった。
京都に単身赴任していた私は、コンサル先の仕事が早く終わったので飲みにでも行こうと、烏丸通を二条〜御池〜三条まで歩いたあと、東に歩いて河原町通を今度は四条に向かって歩いた。
すっかり汗ばんできたし、まだ開いている飲み屋も少ないだろうと、私は学生時代からのお気に入りの書店「丸善」に涼みに入った。

書店に入ってすぐの場所、新刊コーナーをふと見ると、平尾さんの著書が平積みされているではないか。帯には「江副浩正」さんの推薦文。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という江副イズムの継承者であると。
私は手に取り、その場で一気に読んだ。あっという間に読めた。平尾さんイズムは知っていたし、なんの抵抗感もなく、引き込まれていく。何より面白い!だから集中して読めてしまったのだ。
読みながら、平尾さんの厳しくも楽しそうに働く姿が目に浮かんだ。
ああ、懐かしい。あの平尾さんが、ここにいる。
そして、「楽しい」という言葉を本気で事業の中心に据えメンバー(部下たち)をその気にさせ、本質的なビジネス構造とそれを実現するための全く新しいフラットな組織づくりを実現していくプロセスが生々しく展開していく。ストーリーが進展するにつれ、平尾さんはどんどん大きくなっていくのが、手に取るようにわかった。
この頃、私は、コンサル先の会社で新規事業を提案し、面白そうだから君自身がやってみろと「代表取締役」の立場を頂戴して、自らその新規事業に取り組んでいたところだった。
この本を読んで元の場所に戻したとき、私の腹は決まっていた。
「ああ、私はやはり経営者をやる器ではない。素質も、資格もない。一匹狼で生きていくよりないのだ」「Hot Pepper ミラクルストーリー」の立ち読みをしたことによって、私は翌日朝、オーナーが出社するや否や「代表取締役の座を辞したい」と申し出た。
「金輪際経営者としては生きない、経営のプロサポーターというピン芸人に徹する」
そう決めたのだった。
平尾さんは私に、「本」を通じて経営者からの引退を促し、まさに引導を渡してくださった。
このことを平尾さんに話すと、「立ち読みあかん、本、買えよ!今でも買えるぞ」と叱られた。
「いや、平尾さん。たった一回の立ち読みでしたが、内容は頭に叩き込みましたよ。本部・トップが律しないと組織は腐る、フォーカス&ディープ、「楽しい」こそが事業の原動力でしょ?平尾さん!」
私が立ち読みを正当化すると、平尾さんは優しく微笑んだ。
それは、私を34年前に見送ってくださった、あの時と同じ、どこまでも優しい微笑みだった。
