
中国・山陰の旅から帰って来た翌日は、奈良へ。
近畿圏の道の駅では最も成功していると言われる「しらとりの郷・羽曳野」を経営するJA大阪南が、同じコンセプトとノウハウで二匹目のドジョウをゲットしていると聞いて、道の駅「奥河内くろまろの郷」へ。
そこは間違いなく日本人100%。
参政党が目指す?外国人を排除してごった返す、彼らの目指す「日本のあるべき姿」だった。
道の駅を出てから、恩人・蔵野さんの財団で、やっさん(写真左)のもとでインターンシップに励む学生たちが企画して実現した音楽イベント「音宵」の応援に、近鉄奈良駅行基広場へ。
いくつもの国境、民族の壁をさりげなく超えて、みんなで大盛り上がり。
「音蔵」が目指す姿もそうだが、我々が目指す、「外国人と共生する日本の姿」が、そこにあった。
同じ奈良、同じ日でも。
外国人「そっちのけ」の盛り上がりと、外国人と「ともにある」盛り上がりと。
まったく違う「盛り上がり方」に、なんだか不思議な気持ちになった次第である。

近鉄奈良駅前行基広場
近鉄奈良駅前の行基広場は、音響機材を使うことが一切許されていない。
つまり、マイクを通さない「生声」と、「楽器そのものの音」でしかパフォーマンスできない。
そんな条件の中で、音蔵の誇るアーティストから名乗りをあげてくれた12のユニットおよび個人が、駅前を通る人たちの足を止め、「音楽の宵」を演出してくれた。





プログラムが進むにつれ、足を止めるインバウンドの人たちがどんどん増えていく。



全てのアーティストがそれぞれ素晴らしかったし長文になりすぎるので、アーティストごとの詳細は割愛するが、一言で感想を言うと、「奈良は、そして日本は、間違いなくインバウンドでもっている」である。

閉鎖的考えのもとに成り立つ道の駅
一方、日本人100%の「純度」で盛り上がっていた道の駅「奥河内くろまろの郷」は、南阪奈自動車道の羽曳野ICから国道170号線を南に約13キロ。 まだまだ自然が残る大阪府南東部、どちらかというと「奈良」を大いに感じる河内長野市にある。

この施設はH27年7月にJA大阪南の農作物直売所としてオープンしたが、オープン当初から道の駅登録を目指していたものの深夜の騒音や周辺の渋滞を懸念する地域住民との折り合いがつかず、大揉めにもめて道の駅登録は難航し、 H29年4月にようやく道の駅登録の運びとなったという経緯がある。
農作物直売所に地元周辺の日本人が殺到
「しらとりの郷・羽曳野」が近畿圏の道の駅では最も成功していると言われ、有頂天になった「しらとりの郷・羽曳野」を経営するJA大阪南が二匹目のドジョウを狙った道の駅だけに、施設構成は「しらとりの郷・羽曳野」とそっくり。というか、まるで同じだ。
こんなものは「道の駅」でもなんでもなく、JAの「農産物売上」のために「道の駅登録」を利用しただけのものであり、JAの制度濫用と越境、農林水産省と国土交通省の癒着が見えて、めちゃくちゃに気持ち悪い。
ここも「しらとりの郷・羽曳野」も、どちらも大きな農作物直売所「あすかてくるで」を中心に据え、周辺から「農作物」を買い求めにやってくる日本人、と言うより周辺住民をターゲットとしたJAの販売施設にすぎない。
その実態を物語るように。
駐車場の車のナンバーは、奈良と大阪ばかり。
私の「神戸ナンバー」は他に見つけられなかった。


農作物直売所では、安くて新鮮な野菜を目当てにした客が、長い行列をつくっていた。

販売されている野菜の種類は約100種類はあるだろうか。
目を地走らせた爺婆を中心に、ごった返して、身動きもとりにくい。












「ビジターセンター」とは名ばかり

野菜、果物以外の奥河内の特産品は、別棟にあるビジターセンターで販売されている。
そもそもビジターセンターは基本的には地元の観光情報を、インバウンドを含めた観光客に対して提供することを目的とした施設だが、実際はその体をまったく為していない。
なぜって、そこはほぼ地元民が占拠する場で、インバウンドを含めて「遠隔地からの観光客」はほぼ来ていないのだから。



ビジターセンター内にはパン工房「むささびパン工房」もあるが、これも地元客の身内受け。

