
日本書紀には、2600年以上前に神武天皇が神の教示を受けて八百万の神々を丹生川上の榊(さかき)に招いたのが「現代祭祀のはじまり」であると記されています。
それからおよそ1300年のち、今からは1350年前の白鳳4年(675)、その丹生川上の榊(さかき)に「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との神誨(しんかい=お告げ)があり、第40代天武天皇が吉野鎮守の中心的神社として創建したのが丹生川上(にうかわかみ)神社とされます。
祭神は神にして水一切を司る

祭神は、闇龗神(くらおかみ)。闇龗神(闇淤加美神)の出生の由来は次のように言われている。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)が火の神である火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)を生み、それが原因で亡くなったが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は深く嘆き悲しみ、火之迦具土神の首を斬った。その折、剣を握った手指の間からもれた血から闇龗神(闇淤加美神)が生まれたのであると。
闇(くら)は、谷を意味しており、「おかみ」は水の神、または雨雪をつかさどる竜蛇神とされている。
祭神は神にして水一切を司る。水利の神・水の祖神として、「水」に関わる物事に広大無辺なご神徳をあらわされるという。
どの時代も最高位の社格を有してきた丹生川上神社
古くは雨師の神として、人々は五穀の豊穣、特に日照り続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど水神のご加護を祈ってきた。

天平宝字7年(763)に黒毛の馬を献上して以来、雨乞いには黒馬、晴れ乞いには白馬が献ぜられている。また、延長5年(927)の延喜式神名帳では名神大社として名を連ね、平安時代中期以降は、止雨、祈雨の水神として「二十二社」の一社に数えられてもいる。
丹生川上神社の奉幣祈願は、天平宝字7年(763)5月28日「旱続きのため、幣帛を畿内四か国の神々に奉り、そのうち丹生川上には幣帛に加えて黒馬を奉った」(『続日本紀』)という記述によって歴史上に初めてあらわす。以後、応仁の乱の頃までには96度もの祈雨奉幣祈願があったと記録にみられることから、丹生川上神社がいかに重要な神社であったかがうかがい知れる。
3兄弟どこが丹生川上神社なのかの江戸裁き
こうしてどの時代も最高位の社格を有してきた丹生川上神社だが、応仁の乱以後、朝廷からの奉幣が中止され、戦国騒乱の中で衰微し、奉幣の記録すらが途絶えてしまった。都が京都に遷ったという大きな変化、そして戦国時代以降は奉幣祈願などは中断されたまま、ついには丹生川上神社は所在地さえ不明となってしまったのである。
これはどういうことかというと、丹生川上神社はもともと一つではなく、丹生川に沿って上(かみ)、中(なか)、下(しも)の三社が点在しており、そのどれが丹生川上神社であったかがわからなくなったのだ。たとえば丹生川上神社中社などはいつしか蟻通神社と称されるようになったが、この蟻通神社の社名は「天皇の吉野離宮行幸の様子が、遠目にアリが通っているように見えたこと」によるもので、かつては間近に見た天皇の行幸を、遠目に眺めるしかなくなった寂しさや悔しさが偲ばれる。
江戸時代の考証の結果では、丹生川上神社下社がかつて丹生大明神、雨師明神とも称していたこともあって現在の下社が丹生川上神社とされた。丹生川上神社下社では毎年6月に例祭が行われ、この時に限り、拝殿奥から75段の階段を登って本殿に参拝できる。


3兄弟どこが丹生川上神社なのかの最終決着
江戸時代の考証も虚しく、上社、中社がそれぞれ丹生川上神社にあたるのだという説(主張)は根強かった。そのため、明治維新後に、所在不明とされた丹生川上神社の研究調査が行われた。調査では、明治4年(1871)には丹生村(現在の下市町)が、続いて明治29年(1896)には川上村の神社が有力視され、それぞれ有力視された時点で官幣大社に列し、丹生川上神社下社・上社とされた。
しかしその後、三社の中で唯一認められなかった蟻通神社の関係者による「蟻通神社こそが丹生川上神社である」との研究調査が認められ、同社も大正11年(1922)官幣大社丹生川上神社に列格され、通称「中社」と位置づけられた。

ここに上社、下社の二社に中社を加え、ひとつの「官幣大社丹生川上神社」となって社務所は中社に移設。 中社が下社・上社を統括して祭務を行なうようになるが、戦後神社制度の改変によって三社は独立し、現在はそれぞれの社名をもって別々の神社となっている。
道の駅「吉野路 黒滝」は、官幣大社丹生川上神社下社のすぐそば
「吉野路 黒滝」は、国道309号線沿いに広がる、どこか北欧風の建物?が印象的な道の駅だ。
駐車場は、施設規模なり。入りやすく、停めやすくもあった。


トイレも綺麗にしていただいており、ありがたい。


休憩環境としてはいいと思う。施設奥に広場もある。




物産販売所とコンビニと屋台!


施設の建物の入口正面には地域で獲れた野菜などが並んでいる。




施設内の物産販売とコンビニがハイブリッドな感じ。地元住民にも観光客の憩いの場としても、親しみやすい雰囲気だ。












道の駅「吉野路 黒滝」の施設の中に、椅子と机が置かれたイートインコーナーがあり、地元の軽食や名物を楽しむことができる。

建物の入り口の手前には、屋台が。「イカ焼き」「ぼたん汁」「猪肉の鉄板焼き」「おしるこ」「鮎の塩焼き」など、美味しそうなものばかり!






駐車場を挟んだ反対側にも店があり、名物の煮込んだこんにゃく(串こんにゃく)や煮卵などを販売している。

駐車場の向こうには、奈良の名物「柿の葉寿し」店がある。
