
みなさんは、星を見るのはお好きでしょうか?
私は東経135度、日本標準時の「子午線のまち」明石で少年期を過ごしたからか、一時プラネタリウムがある天文科学館に通って熱心に星の勉強をしていたことがあります。もう60年も前のことですが(笑)
京奈和自動車の五條ICから国道168号線を南に24キロ、 奈良県南西部の旧大塔村(現五條市大塔町)に「吉野路 大塔」という道の駅があります。 紀伊山地の北部にある大塔村は高台にある独特の地形から、澄んだ空気と下界の光が遮られるという、星の観察には最適の環境にあって、「星のふる里」と呼ばれています。 そうです。ここは、星の観測に特化し、星が綺麗に見えるというちょっと変わった道の駅なのです。
普通、道の駅というと大体が幹線道路沿いで街灯が煌々と道を照らしていますから、大抵の道の駅はその役割上もそんな道の側にあるわけで、どう考えても星が綺麗に見える道の駅なんてありえないでしょう。私にはそう思えるのですが、この道の駅は奈良県内で唯一「ハレー彗星」を観測したことがある大型天文台、星空を楽しむ星見台、星見客のための宿泊施設(ロッジ)をつくり、本気で星を観ようとしていたようです。
しかも、約100人を収容できるプラネタリウムまであって、夜の大塔村から見える満天の星空をそのまま昼間でも堪能することができたのだとか。

「何もそこまでせんでも」「誰がこんなところまで」などと私が気を回すまでもなく、プラネタリウムはすでに休館に追い込まれていました。
国道168号線の休憩場所として
道の駅・吉野路大塔は国道168号沿いにある。国道168号は「十津川街道」とも呼ばれ、北は五條から大塔、十津川を通って、南は和歌山県の熊野、そして太平洋岸の新宮を結んでいる。道の駅「吉野路 大塔」は、そんな国道168号を行き交う車を運転するドライバーの休憩場。駐車場からは天辻峠の景色が見え、ドライブで疲れた目を癒すことができる。
「大塔」は、特に南北朝および幕末の時代に歴史にその名を刻んでいる。もともと「大塔」の名は、元弘の乱の折に吉野へ逃れてきた大塔宮護良親王の名に由来する。この地の豪族・竹原八郎らは大塔宮を匿って支援したのだ。また幕末には、天忠組が本陣を置いて幕府軍に挑んだその場所である。
十津川街道で最大の難所・大塔の天辻峠は、五條と十津川、天川と高野山を結ぶ物資の中継点として繁栄したが、この標高約650mの天辻峠にさしかかると、銀色に光る大きな円盤型の建物が見えてくる。長距離ドライブで間違ってもうつらうつらしていようものなら、すわUFOか、と目がばっちり覚めるに違いない。UFOをイメージさせるこの不思議な建物こそ道の駅・吉野路 大塔の主幹施設だ。
なぜ建物がUFOの形であるのかというと、奈良県五條市は、そして中でも特に大塔町は、星がきれいに見えるまちだからだという。実際、五條市のマスコットキャラクターとして星博士がいたり、もともと道の駅の周辺は大塔コスミックパーク『星のくに』と呼ばれ、天文台やプラネタリウム館など星や宇宙に関連した施設が、道の駅がオープンする前からあったのだと。そんなわけで、道の駅が立てられてる際も、宇宙に関連したものとしてUFOをイメージした建物となったというわけだ。
外見とはかけ離れた特産品の数々

着陸したUFOのような外観の道の駅は、1階がトイレ。ここだけはいつでも利用できる。

この建物の中で物産品の販売を行っているということなので、 建物はUFOなら、中では宇宙人のミイラとはいかずともフィギュアぐらいは売っているだろうと思いきや、販売されている商品は古風な大塔村の伝統的商品ばかり。
特に目立つのは吉野葛を用いた商品で「吉野葛餅」「吉野葛のごまだれ餅」「吉野葛うどん」「吉野葛粉」が販売されている。 吉野葛以外にも「ひねり草餅」「かき餅」「とち餅」等の古風な菓子類が多い。菓子類以外では「焼きキノコ」「松前昆布」「沢庵」「高菜漬け」「香味たけのこ」など、漬物の種類が豊富だ。個人的には、熱々のご飯にかけて食べると美味しそうな「猪鹿ジビエを用いたごはんダレ」に興味を持った。 森林地帯なので、木工品も多く、まな板や木製の靴ベラ等が販売されている。ということで、建物の外見と中身とは大違い。人間もUFOも外見だけで判断したらダメ、って、なんのこっちゃ。
学生諸君が運営していたレストランも休止

かつてあった「TEZU cafe」は、奈良市にある帝塚山大学の栄養学科の学生が運営していたレストランで、 猪や鹿の肉を用いた「大塔カレー」、パスタやピザを売りにしていたというが、プラネタリウムと同様、現在は営業していない。

これは、「大塔郷土館」。大塔の歴史や民俗、文化などが理解できる郷土資料館である。大塔郷土館内にある食堂は郷土料理の「川魚塩焼き」「茶粥」「目張り寿司」などがメイン。 川魚塩焼きをメインに煮物等が付いた「清流定食」、 茶粥と目張り寿司がセットになった「美山定食」等がオススメだそう。

手打ちうどん店「金剛」は厳密には道の駅の施設ではないが、道の駅に隣接していて、 利用者からは道の駅の一施設に見える。 店自慢のメニューは「肉しめじうどん」。 その他にも西吉野産南高梅を用いた「梅干しうどん」、 肉/たまご/しめじ/わかめ/天かすが入った「五目うどん」等、ユニークなうどん料理を提供している。 うどん以外に、天丼、柿の葉寿司などご飯物のメニューもある。
休業日多すぎも人が来ないから仕方なしか?
数多くの施設がある道の駅だが、メインの物産館は第1・3・5水曜日(12~2月は全ての水曜日)が休業だ。大塔郷土館も館内のレストランも水・木が休業、 手打ちうどん店「金剛」は火曜日が休業。 そしてプラネタリウムは全面休業。


そして「売り物」のはずの天文台と温泉施設は、現在は写真のロッジ宿泊者のみ利用可能ということだ。旅は平日にしかしない、しかも車中泊仮眠専門の私にとっては、これからあまり縁がない道の駅になりそうだ。
最後に、車中泊目的の人にとってはどうかという観点で。道の駅「吉野路 大塔」の駐車場は、他の道の駅に比べてかなり暗い。暗いから星が綺麗に見えるのだが、暗い上に夜間の利用者がきわめて少なく、それが怖いと感じる方には不向き。逆にそんな暗くて人がいなくても平気という人や、とにかく静かで暗いところで寝たいという人にとっては、またとない絶好の車中泊(仮眠)場所かもしれない。
注意したいのは、夜間の移動。シカの飛び出し、そして霧。運転には細心の注意が必要だ。
星を見上げた後は谷を見下げてと思いきや
「見上げてごらん夜の星を」、の後は、バランスを取るためにというわけではないが、「見下げてごらん谷の底を」ということで、空中散歩「谷瀬つり橋」からの紅葉見物を思いついた私は、道の駅「吉野路 大塔」を後にした。日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋は、みなさんご存知のことと思うが、長さ297m、高さ54mの吊橋で、生活用吊橋としては日本一長い。
70年前の昭和29年に完成したが、それまで谷瀬に暮らす人々は、川に丸木橋を架けて行き来していたが、洪水のたびに丸木橋は流された。そこで谷瀬集落の人々は、当時の教員の初任給が7,800円で米10キロが765円の時代に、1戸当たり20~30万円という大金を出し合い、これまた当時としては800万円もの大金を集めて、大つり橋を完成させたのだった。
吊り橋に私財を投じた先人たちの、お互いを助け合う心と自助のパワーには頭がさがる思いがする。
そんな吊り橋に、私は3年前にも来たことがあるのだが、その時のことははっきり覚えている。
まず、橋を渡り始めると結構揺れるので足がすくむ。
歩く部分には頑丈な4枚の板が敷き詰められているが、橋の上の人数が20人に制限されていると聞くと、橋の上に今何人乗っているかが気になる。自分一人が歩いていても揺れを感じて怖いのに、人が増えるとどんどんその揺れが大きくなる。 情けないやつだと思うだろうが、私は重度の高所恐怖症。何が怖かったといって、向こうから自転車がやってきた時の、あの恐怖といったらなかった。写真のように4枚貼られている板の真ん中を歩いていたのに、板の端っこ、頼りない金網しかない場所に、どうしても避けなければならないのだ。
この吊り橋は一般村道なので、地元村民は自転車でこの橋に突っ込んでくる。自転車を避けたその瞬間、私の我慢は限界点はるかに超えた。また自転車が来たらもう無理だ。私は気を失いそうになりながら引き返した。
星の高さに比べたら、谷底までの距離なんてたかが知れているわけで、気を大きく、というか確かに持って、今回はそのリベンジ。2度目のチャレンジは絶対渡り切ってやろうと意気込んで、乗り込んだのだが。

「谷瀬の吊り橋」は、近くの建物の解体工事にともなって、この11月から来年(令和7年)3月末まで通行止めとなっていた。
何せ「谷瀬の吊り橋」の完成は、70年前の昭和29年なのだ。橋のたもとにあるレストランだった建物や駐車場の跡地も老朽化し、このたび解体されることになったのだ。つり橋につながる村道の一部も通行止めとなっているため、つり橋に近づくことさえできなくなっていた。

壊されるレストランと駐車場の跡地には、展望スペースが整備されるという。かくして、私の2度目のチャレンジは、早くても来年4月まで持ち越しとなったのであった。めでたしめでたし、ちゃうか〜(笑)