
私がリクルートで2番目に属した組織は「にしとう」。正式名称はたしか日本リクルートセンター広告事業部西日本統括部。すでに独立した部となっていた大阪を除いて、京都、京都南、神戸、姫路、岡山、広島、四国、九州までの西日本地方拠点が一つになった組織だった。
部のイベントは、構成していた営業拠点の持ち回り。九州がホスト役で担当したのが42年前の「唐津ジャンボリー」だった。一応、部の「研修」、期初の「キックオフ」を兼ねて全員が集まるのだが、昼はともかく夜に宴会が始まれば、しっちゃかめっちゃかなことになるのが「若きリクルート」のお約束だった。
四国開催の「道後温泉」も酷いことになったが、42年前に開催地となったこの唐津も、乱れに乱れ、もう無茶苦茶になった。私たちが泊まったホテルや旅館は暴れた馬鹿者が大切な施設を壊し、その結果、出入り禁止。リクルート事件では検察が賄賂性を無理やりこじつけた藤浪さん以外、見返りなしに株をもらった人たちは大喜びしたわけで。
誰も喜ばないという点で、施設損壊の罪はリクルート事件より重いのではないかと、私は今も思っている。それにしても、何より勿体なかったのは、道後温泉にして、唐津にしても、風光明媚な素晴らしい観光名所であるにも関わらず、プログラム終了後も二日酔いで景色などを楽しめる状態では到底なく、ほぼ気絶状態で帰路についたことだった。
唐津城
唐津城も、見たことは見たはずだが、ほぼ覚えていない。
この城は、豊臣秀吉の家臣である寺沢志摩守広高によって築かれ、慶長7年(1602年)から7年の歳月をかけて完成し、その後唐津藩の中心地として栄えた。
立地に特徴があって、満島山と呼ばれる陸続きの島に建てられたので、三方を海と川に囲まれた、いわば要塞である。

城内には石垣や濠が設けられ、堅固な防衛体制が整えられていた。
また、城内には昭和41年(1966年)に天守閣が文化観光施設として建てられ、その展望台からは玄界灘や虹の松原の美しい景色が楽しめる。


橋を渡っていると、あれ?確かこの橋は渡ったことがあるぞと、その程度のうっすらと記憶が蘇ってきた。
しかし、記憶はそこまで。
そのほかのこと、迷惑をかけたホテルがどのホテルだったかなど、まったく思い出せない。


酒というものは、飲んでいるときは最高だが、そのあとで、記憶や美しい思い出、そして色々な大切なものをなくしてしまう怖いものだ。
日本一のイカの刺身を食べに「呼子」へ
唐津にいても何も思い出せないので、もう、記憶を呼び覚ますことは諦めて、イカの刺身を食いに行こうと(笑)。
何を隠そう、ハゲを隠そう。私は、たとえばお好み焼きの10枚注文すれば、そのうち7枚にイカのトッピングを選ぶほどのイカ好きだ。
呼子は人口5500人弱の小さな町だが、ここに年間約100万人の観光客が押し寄せる、そのお目当ては、食の一大ブランドにもなっている「呼子のイカ」。
肉も魚も、刺身大好きな私だが、イカ刺しはもう特別な存在、大好物である。
呼子のイカが全国区のブランドになったヒミツは、イカ刺しはイカ刺しでも、「イカ生き作り」にある。新鮮さが命のイカを生きた状態で味わう。「イカ生き作り」は、呼子のイカの真髄だ。一度食べればその味は生涯忘れることができないだろう。
イカの旬は種類によって異なるが、そのイカの種類が複数あるので呼子では1年を通していつでも美味しいイカ刺しが味わえる。
ケンサキイカ(地方名ヤリイカ)は4月中旬頃~10月中旬頃、アオリイカ(地方名ミズイカ)は10月中旬頃~4月中旬頃、ヤリイカ(地方名ササイカ)は1月頃~3月頃、そして甲イカは2月頃~4月頃が旬である。
そのプリプリとした食感とほどよい甘みは「日本一美味しい」とイカ好きから絶賛されている。
河太郎で、「イカ生け造り定食」




呼子の町に入ると、もちろん港があり、街の至る所でイカが干されていたり、イカが「遊覧船」や街の「ゆるキャラ」になっていたりと、呼子町はまさにイカづくし。
どこまでもイカす町である。

イカが有名になったのは今から半世紀以上前、昭和の時代に『河太郎』というお店がイカの活きづくりの店を出したのが、呼子のイカが広まったきっかけとされている。他方、いや、さらにその前、『玄海』というお店がイカの活きづくりを食べてみたいというお客さんの要望に応えたことが本当の始まりという説もある。

まあ、どっちゃでもいい私は、前者の河太郎で、「イカ尽くし定食」をば!
身が厚いアオリイカは今が旬。地元の方が好むイカである。

元旦を除く毎日、364日開催される「呼子の朝市」


呼子に来たら、日本三大朝市に数えられ、元旦を除き朝の7時30分から昼の12時までの毎日開催されている「呼子の朝市」も必見だ。






200メートルほどの朝市通りが歩行者天国になって、平日・休日とも多くの露店が並ぶ。近海でとれた海産物もあれば、野菜や果物など農産物もある。呼子の朝市の歴史は捕鯨で栄えた江戸時代までさかのぼり、鯨肉や水揚げされる鮮魚と、農家が作る農産物との物々交換が始まりだと言われているが、そうだったんだろうな、という名残は確かにある。
中でも目立つのは、干物を取り扱う店。元気いっぱいに接客をされる地元の人たちと会話すると、とても楽しい。


漁協直営の「呼子台場みなとプラザ」

「呼子の朝市」に次ぐ名所として賑わっているのが、漁協直営の「呼子台場みなとプラザ」だ。

直売所の「大漁鮮華」では買い物と食事を、隣接する「呼子台場の湯」では呼子湾を眺めながらゆったりと温泉を楽しむことができる。
直売所では、店で購入した食材を炭火で焼いて食べられるバーベキューコーナーも設置されていて、店舗で販売されている魚介類はもちろんのこと、購入した野菜や佐賀牛などの肉類もバーベキュー用にカットしてくれる。

休日の昼は混雑するため、9時のオープンにあわせた朝食での利用が狙い目だ。
開店後すぐなので食材も豊富にそろい、贅沢な朝ごはんとなるだろう。
道の駅「桃山天下市」

道の駅「桃山天下市」には、呼子の町からはすぐ。
先にここを目指す場合は、長崎自動車道から派生する厳木多木有料道路の岩屋ICから国道203号線、国道202号線、国道204号線を経由して約40キロのドライブを楽しんでようやく到着する。



ご存知「名護屋城」は、桃山時代に豊臣秀吉が朝鮮制覇を目指し、その拠点となった城だが、道の駅はこの名護屋城跡地の一部に位置する。
道の駅の名前の「天下」は豊臣秀吉が成し遂げた天下統一 から。また「市」は桃山時代の市場を再現した施設であることよる。
名護屋城周辺には118ヵ所の陣跡が残されており、特別史跡として指定されていて、史跡巡りの観光客も数多く集める道の駅となっている。

駐車場は、道沿いに細長く、傾斜があるので、仮眠する場合は平らな場所を探して。
探せさえすれば、陽を遮る木もあるし、とても静かだし。仮眠には最適だ。


トイレは駐車場の中にポツンと。小さなトイレだが、問題ない。



呼子イカが看板の物産館とレストラン


道の駅の物産館とレストランでは、何といっても呼子イカを使った土産品、食事が中心だ。
物産館の人気は「イカしゅうまい」、イカの一夜干し、イカせんべい。イカ以外では「天下一羊羹」が土産品として売れているようだ。
レストランでは、「イカづくしセット」「いか刺身定食」など、やはりイカを使ったメニューが人気だ。
地元の人を意識した農産品の特売もしっかり行われている。



観光客向けに、唐津焼、唐津ガラスの店も
「唐津焼」のはじまりには諸説あるが、近年の研究によると、1580年代頃、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたのが始まりとされる説が有力らしい。
その後、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮陶工を連れて帰り、その技術を取り入れたことで唐津焼は生産量を増していった。
唐津焼は唐津港から積み出されて京都・大阪をはじめとする西日本に広がり、焼き物のことを総称して「からつもの」と呼ぶほどにもなり、茶道の世界では「一井戸二楽三唐津」と言われるように、茶人たちから愛される茶陶としてその地位を確立した。


そんな唐津焼や、人気の唐津ガラスの美しい作品を間近で見ていると、やはりいいなあと思う。
ちょっと手が出ないような「お高い品」もあって、結局買いはしないのだが、運転に大切な目の保養になった。なんのこっちゃ?

