隠れキリシタンがひっそり暮らした平戸の西北端「春日集落」へ。道の駅「生月大橋」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事✖︎設備△立地○)

大航海時代にアジアに進出したポルトガル船が、平戸に到達したのは1550年のことだった

薩摩にいてその情報を得たフランシスコ・ザビエル一行は、平戸に移り、領主の許可を得て生月(いきつき)島を含む平戸一帯で布教を始めると、信者はやがて約5,000人にも達した。

ところが16世紀末には豊臣秀吉が「追放令」を発令。一気に各地でキリスト教弾圧の動きが強化され、キリシタンたちにとって暗い時代が始まっていく。

禁教の時代を迎えて多くは棄教したが、生月島や平戸島西岸などでは信仰を守る信者もいた。

彼らは弾圧を逃れるため、神道、仏教、カトリックを重層信仰する独自の潜伏信仰を生み出し、厳しい自然に囲まれながらも人の出入りの少ないここ平戸の春日集落でひっそりと暮らし続けた。

春日集落は長崎県平戸島の西岸にある人口70人ほどの小さな集落である。今でも棚田では15~16世帯ほどが耕作を続けているが、江戸時代の古地図と比べてもほとんどその景観は変わっていないという。

圧倒的な棚田や潜伏信仰の聖地である安満岳の景観を眺めながら、陽が沈みゆく美しい海辺の傾斜地を歩いて巡った。

信仰と政治の壮大なドラマ、その舞台として

隠れキリシタンの人々の生き様は、九州の歴史を語る上で避けては通れない。

春日集落は、平戸島の西岸に位置し、東側の安満岳から伸びる2本の尾根に挟まれた谷状の地形が海岸へと連続する緩やかな傾斜面に形成された潜伏キリシタン集落である。

春日集落には、キリスト教伝来期のキリシタンが葬られ、禁教期以降に聖地となったと考えられる丸尾山をはじめ、潜伏キリシタンの信心具を有する「納戸神のある住居」など潜伏キリシタンの信仰の歴史が残されている。

彼らは潜伏キリシタンと呼ばれ、神父不在の下で秘密の信仰組織を運営し、オラショ(祈り)を唱え、納戸に隠したキリストや聖母マリアの絵を拝んだ。

そして、日本人としての独自の信仰のかたちとして、山や島を聖なる場所として崇敬したのであった。

殉教地「中江ノ島」

平戸島北西岸の沖合2kmに位置し、春日集落から陽が沈んでいく方向の海上には、中江ノ島がある。
東西約400m、南北約50m、標高34.6mの、今は無人島だが、ここでは禁教初期にキリシタンの処刑が行われた記録が残されている。

以来、中江ノ島は、春日集落など平戸西海岸の潜伏キリシタンが「サンジュワン様」と拝む、殉教地、聖地となった。岩からしみ出すこの島の水は聖水とされ、この聖水を採取する「お水取り」の儀式が長く行われてきた。

山岳信仰「安満岳」

禁教期、春日集落の人たちは、この中江ノ島を殉教地として拝みながら、キリスト教が伝わる以前から山岳信仰の対象であった安満岳(やすまんだけ)も併せて拝むことで独自の信仰のかたちを見出していく。

安満岳は春日集落の東側に位置する標高536mの山で、平戸地方における最高峰。山域の広い範囲にアカガシの原生林が残る。
山中には白山比賣神社(はくさんひめじんじゃ)とその参道、参道に隣接して西禅寺跡がある。

白山比賣神社は718年に創建され、白山権現とも呼ばれるが、山頂には近代に建て替えられた社殿と、江戸時代以前につくられた石の参道や鳥居があり、社殿の後背地には多様な石造物群が見られ、春日集落の潜伏キリシタンが「キリシタン祠」と呼び密かに行事をおこなった石祠がある。

西禅寺は白山比賣神社とあわせて創建された寺院の跡で、その境内には建物の礎石をはじめ、池、石造物などの遺構が残されている。

キリスト教が伝わる以前から山岳信仰の場とされてきた安満岳にある、これら神社と寺はキリスト教徒と対立する立場であったが、禁教時代には神仏信仰と並存するようになって、キリシタンの聖地ともなっていったのだった。

キリスト教解禁後の春日集落

春日集落の潜伏キリシタンは、19世紀のキリスト教の解禁後もカトリックには復帰せず、かくれキリシタン信仰を継続したため、集落に教会堂は存在しない。

現在では、カクレキリシタンの組織は解散し、かつての信仰は途絶えているものの、平成30年(2018)年4月1日にオープンした春日集落拠点施設「かたりな」には春日集落の住民の方が語り部として常駐しており、お茶や手作り漬物などのおもてなしを受けながら集落の話を聞くことができる。

これら、中江ノ島、安満岳、春日集落が世界遺産「平戸の聖地と集落」であり、2010年には「平戸島の文化的景観」として国の重要文化的景観にも選定されている。

道の駅「生月大橋」

西九州自動車道終点の佐世保中央ICから国道204号沿いに北西に約40キロ、さらに平戸大橋を渡って平戸島に入り、その北西端に向かって約10キロ走ると春日集落があるが、そこから生月大橋を渡ると生月島だ。

生月大橋は平戸島と生月島を結ぶ唯一の橋で、通行は有料だったが、2010年4月に無料化された。

この生月島にある道の駅「生月大橋」は、九州最西端の道の駅。日本最西端というと、沖縄の道の駅と奄美大島、 福江島にある道の駅ということになるわけだが。

世界最大級の3径間連続トラス橋

道の駅からは、「3径間連続トラス橋」として代表的な存在であるらしい、生月大橋が見える。

「3径間連続トラス橋」とは何かについては存じ上げないが、この構造の橋としては世界最大級で、土木学会から表彰された ことがあるらしい。

渡って感じたのは、まず歩道と車道の区分が無く、ガードレールがとても低いということ。車で走っていても結構プレッシャーがかかるほどだから、歩行者、特に自転車は橋の途中のかなりの上り坂で、風も強い海上だけにバランスを崩して転落しないか心配だ。

生月島はアゴの産地として有名

駐車場は、施設が小さい割には広い(笑)。

トイレも、施設規模からすれば十分なものだ。

休憩環境としては景色もよく、ゆっくりできる。長居して、本を読んだりするのもいいだろう。

道の駅の施設としては、物産館があるのみ。

生月島はアゴ(飛び魚)漁が昔から盛んで、 道の駅の物産館で買い物をするなら、特産品である焼アゴ、煮干しアゴで決まりだろう。長崎の特産品としての鯨の缶詰、平戸カステラもあるが。

生月島と平戸島には美しい教会が多数

ところで、道の駅「生月大橋」に来るには、必ず隣の平戸島を通ることになるが、この二つの島に来たからには、クリスチャンでなくとも美しい教会を見てまわりたい。

私は、生月島のガスパル様と、そのすぐそばにあるカトリック山田教会に立ち寄った。

島を統治していた切支丹領主・籠手田氏と一部氏が亡命した後、島に残った信徒を指導したのが、西玄可(洗礼名ガスパル)という人だが、慶長14年(1609)に捕らえられ、黒瀬の辻で処刑された。

以来、信徒たちが聖地として崇めている場所が「ガスパル様」だ。

すぐそばには、カトリック山田協会がある。

ここは、1912年(大正元)に鉄川与助氏の手により完成した教会だが、悲しみの聖母像などがあり、島の信徒たちが辿った受難の歴史が偲ばれた。

春日集落のある平戸島は生月島よりはるかに広いし、さらに有名で美しい教会がたくさんある。特にザビエル教会などはぜひ行きたい気持ちもあるにはあったのだが、今回の旅ではパス。

佐世保方面に車を走らせた。