
昭和53年(1978)、京都で下宿生活を始めた私は、ついに最後まで下宿にテレビを置かぬまま、大学生活4年間を過ごした。
テレビを観る代わりに、洋邦問わず映画ばかり観ていた、20歳のころの私。
男はつらいよ第22作「噂の寅次郎」もそのうちの一作。京都の祇園で下宿を始めた年末に映画館で観た作品だ。
長野県木曽郡、寅さんは妙覚寺で夢から覚める。

この妙覚寺はじめ、この作品では木曽路の紅葉が綺麗に撮られていた。
スクリーンに登場してから47年経った妙覚寺、紅葉館、庭田屋、定勝寺などを訪ね歩いた。
颷一郎と寅さんが泊まった「紅葉館」は閉館
柴又に帰った寅さんは、例によって些細なことでとらや一家と大喧嘩。また、旅に出る。

静岡県島田市、蓬莱橋を渡り、静岡県川根本町井川ダムで、身投げしかかった女性の話を聞いたあと、寅さんはその女性を静岡県榛原郡 大井川鐵道・千頭駅のバス停まで見送った。


その後、バスの中で偶然、さくらの夫・博のお父さん颷一郎(志村喬)と偶然会って合流。最初の宿、木曽郡南木曽町の「紅葉館」に泊まる。


長野木曽郡、倉本駅付近の国道19号線にあった「紅葉館」は、もうだいぶん前から営業していない。
「妙覚寺」から旧中仙道の「須原宿」へ
博の父と寅さんは、木曽郡大桑村「妙覚寺」に立ち寄った。


冠雪し始めた木曽御嶽山が、スクリーンに大きく描かれた。



二人は寄らなかったが、岩出観音はすぐ近くにある。
江戸中期に建立された長い歴史ある懸崖造りの観音堂で、歴史的に貴重な絵が多く保存されているのと、清水寺にも似た崖屋造りに特徴があって、木曽街道六十九次「伊奈川橋遠景」(渓斎英泉)の図にも描かれている古刹だ。





そして、紅葉名所「定勝寺」へ
浄戒山定勝寺は木曽家11代・源親豊により創建された木曽路で最も古い臨済宗妙心寺派の寺院で、木曽福島の興禅寺、長福寺と並ぶ、木曽三大寺の一つ。
須原宿のはずれに位置し、山門、庫裡、本堂は国の重要文化財に指定されている。
まず、山門をうめ尽す紅葉がすごい。
定勝寺の山門は万治4年(1661)に建てられ、昭和27年(1952)、国の重要文化財に指定されている。




定勝寺の本堂は慶長3年(1598)に建立された。

桁行19m、梁間12.2mの典型的な本堂の作り、入母屋造り、銅板葺きで、仏壇、書院がある。ウグイス張りの廊下がなんともいえない。

定勝寺の庫裏は承応3年(1654)に建てられ、昭和27年(1952)、国の重要文化財に指定されている。桧皮葺きの四脚門で、切妻造り。

ここは鶴亀、蓬莱庭園やしだれ桜も有名だ。

文安3年(1446)、文禄5年(1596)など木曽川の氾濫で度々流失し、慶長3年(1598)、犬山城主石川備前守兵蔵光吉によって現在地に移転再興された。

野尻宿の庭田屋へ
二人の2泊目は、木曽十一宿のひとつ、野尻宿の庭田屋だった。



「野尻の七曲がり」と言われるとおり、くねくねと曲がりながら街道は野尻地区へ。


この建物が、現在の「庭田屋」。今は営業しておられない。

この度で、寅さんは博の父から人生の無常を教えられ、柴又に帰ったが…。
やはり、とらやの新しい従業員の早苗さん(大原麗子)に一瞬で一目惚れしてしまい、その顛末はいつも通りでw
道の駅「大桑」は木曽ヒノキの里
定勝寺と妙覚寺の間、江戸時代の五街道の一つ、中山道を辿る国道19号線沿いの妙覚寺寄りに、総ヒノキの少し年季の入った大きな建物がある。道の駅「大桑」だ。

大桑村は長野県南西部にある村で、96%を山林が占めており、木曽川沿いのごく狭い場所に集落がある。

大桑村は古くから林業が盛んで、大桑村産の「木曽ヒノキ」は品質が素晴らしい材木として有名だ。 道の駅でもヒノキを使った木工製品が販売されている。

物産館と農産物直売




物産館の二大特産品は、食べたら運転厳禁の「大吟醸カステラ」、ニジマスの切り身をおからと卵と酢であえた大桑村の特産品「鱒の卯の花漬け」。
他には「信州そばくず餅」、「開田高原ゴーフレット」、「熊笹団子」「熊笹羊羹」「熊笹くるみ餅」、各種の漬物などが目立っていた。







農産品は、やはり地元の人たちの御用達か。夕方の訪問となったが、いいものから売れて、やや品薄となっていた。




レストランと軽食コーナー

食事は、レストラン「グルメリアきらく」と軽食コーナーで。
「グルメリアきらく」では木曽牛を使ったメニューが中心。 「木曽牛網焼きセット」「木曽牛サーロインステーキセット」「木曽牛牛丼セット」などは少しお高いが、きっと美味しいだろう。
1,000円程度のメニューは「信州サーモン丼セット」「とんかつ定食」などがある。
軽食コーナーは麺類中心。「醤油ラーメン」「山菜そば」「肉うどん」などがお手頃価格。ご当地料理の五平餅やソフトクリームも人気だ。
