子どもの頃に世話になった宇津救命丸のルーツは?道の駅「たかねざわ元気あっぷむら」から(トイレ○仮眠△休憩△景観○食事△設備○立地△)

石を投げればクリニックに当たる?
町の開業医はずいぶん増えて、その数10万をゆうに超え、散髪屋さんの数に肉薄している。

今もあまり医者にかからない私だが、私の子どもの頃は、腹が痛ければ「正露丸」、熱を出せば「宇津救命丸」を飲んで生き延びていたので、今のクリニックの数というのは隔世の感がある。

ところで、私が子どもの頃に飲んでいた(飲まされていた)この宇津救命丸は、江戸時代初期に創製された家伝薬で、その基本処方というか、剤型はなんと400年以上を経た今日の宇津救命丸とほとんど変わっていないらしい。なのに、その有効性や安全性は数々のデータで証明されているという。
そんな摩訶不思議な万能薬、宇津救命丸をつくったのは、下野国(現在の栃木県)の国主・宇都宮家のご典医(主治医)だった宇津家。

発祥の地は、豊臣秀吉による宇都宮家の改易がきっかけで宇津家が帰農した場所、現在も宇津救命丸を作り続けている工場がある、下野国高根沢西根郷である。

処方は秘中の秘、一子相伝!

以来、宇津家は代々名主となり、その家業として今の宇津救命丸のルーツである「宇津の秘薬」を製薬し続けたが、救命丸の処方は、秘中の秘。

当主がその子に口伝によって受け継ぐ、いわゆる「一子相伝」の秘薬だった。

その製法は当主が屋敷の片隅にある「誠意軒」にひとり籠って調合を行い、誰も近寄ることができなかったそうだ。

ラーメンで言えば、屋台の創業者しか知らないレシピ、「天下一品」のようなものだろうか(笑)
そのため、明治になって薬に関する法律が施行されるまでは、どんな成分で出来た薬なのか、当主以外は本当に知らなかったらしい。
ますます宇津救命丸の成分が気になるが、動物性生薬(ジャコウ,ゴオウ,レイヨウカク,ギュウタン)と植物性生薬(ニンジン,オウレン,カンゾウ,チョウジ)を配合しているとあるが、一昔前の成分表には、一角、虎の眼、熊の肝、麝香・・・といった文字が並んでいると知って行天した。

熊の肝は、緊急銃猟で安定確保?

エッ、虎の眼、熊の肝って、本当だろうか。

本当なら、というか嘘なら大変だが、そんなもの、どうやって仕入れたのだろう。
まあ、日本にたくさんいる熊を撃って肝を原料にしたというのはわからないでもない。

日本産の熊の肝は、基本ホンツキノワグマの胆汁を乾燥したもので、ときに北海道のエゾヒグマの胆汁も用いられる。熊胆は、他のウシ、ブタなどの獣胆のように丸剤にしたときに室温で湿潤しないそうだ。なので江戸時代に製剤上の便利さからも、頻用されるようになったという。宇津救命丸もその一つということだ。
日本産のツキノワグマはほとんどはミズナラ、クリ、ドングリなどの実果を食する。サケなどの動物性のものを摂取するヒグマとは違って、生臭い匂いは薄く質は堅く柔らかくなりにくい。熊自体も木の実を中心に食していたものと魚を中心に食していたものとでは胆汁酸の含有量が異なり、一般には木の実中心の熊の方が高い含有量のタウロデオキシコール酸を含んで上質らしい。

日本産の熊胆は害獣駆除などで捕獲した後、役人が立会いの下で胆嚢を取り出し保管され、後に入札となって、試験や検査を重ねた後に真正の日本産熊胆として販売できるようになるという。

今後、緊急銃猟で熊の駆除が多発すると調達は容易になるのだろうが、肉食でなかったツキノワグマまで人を食うようになると、その肝も生臭くなるのだろうか。

虎の目玉は、どうやって手に入れる?

タイガースは球団創設90年、その5倍の450年も前に、日本にはもちろん昔からいない虎の目玉なんて、いったいどうやって?w

おそらく中国から仕入れていたのだろうが。
なんでも食べる中国人も、流石に虎の肉は食べない。しかし、昔から虎の経済価値はとても高く、皮は敷物に、骨は虎骨という高価な漢方薬になり、虎骨酒の原料としても珍重された。

「虎睛」と言われる虎の眼もその一つで、虎肝(トラの肝)、虎鞭(トラのペニス)、虎血、虎脂等とともに漢方薬として活用されてきた。

それにしても、虎穴に入らずんば虎の目玉を得ず?って諺になっているぐらいだから、虎の穴に入って虎を獲っていた猛者がいたということだろう。

領民に無償で提供のち一橋家御用達に

“宇津の秘薬”救命丸は、はじめは村の人々に無償で提供されていたが、その優れた薬効が評判となり、やがて関東一円から全国に広まっていったが、救命丸を献上していた水戸の一橋家から諸大名にも評判が伝わったこともその拡大の追い風になった。

一橋家は将軍家のお世継ぎ様を輩出するために、当時大人用だった救命丸を「小児用」として飲ませていたという記録がある。また、品薄になった際に下野国から江戸まで最優先で運ばせるため、一橋家の御用ちょうちんを宇津家に授けていた。

そんなこんなで江戸中期以降には、旅籠や造り酒屋でも売られるようになり、一層その優れた薬効が知れ渡っていった。

大人向けの万能薬だった救命丸が小児薬となったのは江戸末期。

栄養事情が悪く子供の死亡率が高いことを憂い、子供を助けたいとの思いから幼児を対象として販売されるようになった。

会社としての「宇津救命丸株式会社」は創業以来「宇津社長」のもと、『宇津こどもかぜ薬』を発売した昭和57年まで、「宇津救命丸」一本で生き残ってきた。

「宇津救命丸」は、会社の救命効果も抜群だったのだ。

「たかねざわ元気あっぷむら」は目的地型の道の駅

宇津救命丸の本社工場のすぐ近くに道の駅「たかねざわ元気あっぷむら」があって、「元気」が入った駅名から私はてっきり宇津救命丸と大いに関係あると思っていたが、どうやら無関係のようだ。

道の駅は北関東自動車道の真岡ICから国道408号線、県道64号線、その後一般道を通って北に26km、 栃木県やや東部の高根沢町にある。

元々、道の駅にはドライバーの休憩施設という本来の役割が課せられている。

すなわち「目的地は別にあり、その目的地に向かう途中の休憩所」というのが本来の役割なのだが、最近ちらほら「本駅に向かう人しか本駅に来ない」、言い換えれば「目的地としての道の駅」も誕生している。この道の駅も、その一つと言えるだろう。

立地が悪すぎる?

道の駅の前身は、1997年にオープンした温泉施設「元気あっぷむら」。

この温泉施設は、「元気あっぷ」とはいかずにたちまち経営不振に陥る。

道の駅の施設としては、物産館、農作物直売所、3つのレストラン、ジェラード店、温泉、宿泊施設もあったが、似たような施設がよりアクセス便利な各地にあって来場者は半減。2019年に自主廃業、公社は解散に追い込まれた。

その後、町が約9億9100万円をかけてリニューアル。県内25番目となる道の駅に登録して2020年4月、指定管理者の塚原緑地研究所を運営業者に迎え新しい「元気あっぷむら」として再スタートを切った。

リニューアルの目玉は、親水公園に並べられた米国製の巨大なトレーラーハウス「トレーラーズベース」15棟。

内部にはテレビやエアコン、冷蔵庫、シャワーなどが設置され、ホテルの一室のよう。野外でテントを張って宿泊する技術がない人がターゲットで、手ぶらで来て、自然の中でキャンプするような雰囲気を楽しめるというのがセールスポイントになっている。

新しい目玉を用意してなんとかなるほど世の中、甘くはない。

以前閉鎖に追い込まれたように、本質的な問題は立地なのだ。
宇津救命丸の製造が、秘中の秘、「一子相伝」で、誰にも近づけないような環境を望んだ場所で行われ続けてきたということは、この周辺、いかに人が寄りつかない場所であるかということだろう。

露天風呂は魅力的なのだが

道の駅の温泉施設のウリは、幅が10mはあるだろうか、広々とした露天風呂。 山々の樹木も一望可能だ。露天温泉の他、大きな窓があって開放的な内湯大浴場、備長炭を使用した炭湯、枕付きの寝湯、檜造りのサウナルームがある。 泉質は低張性の塩化物泉だ。

意味がわからないが、城のような巨大な温泉施設。

中にはこれまた意味わからない「沖縄料理」の店。

道の駅 | たかねざわ 元気あっぷむら | 温泉施設

温泉施設が入る建物の中には、レストラン「いな穂」「花紋」もある。

その他の施設はどうか?

物産館には、宇都宮市の「柚子羊羹」、真岡市産の「落花生」、桜川市産の「半熟煎餅」、日光市産の「日光東照宮カステラ」といった宇都宮市、真岡市など近隣の市町村の特産品が多数。 高根沢町産の特産品は少ない。高根沢町は栃木県内でも比較的小さな町であり特産品が少ないのは仕方がないのだろうか。

数少ない高根沢町の特産品の一つが、「白楊豚」。 宇都宮白楊高校の高根沢農場で生産された豚肉で、肉質の柔らかさとほんのりとした甘味が特徴だという。高根沢町の名所が描かれている「高根沢プリントクッキー」は道の駅オリジナルの商品だ。

大丈夫か?意味不明の道の駅レストラン

レストランは4つ。

和食、イタリア料理、なぜか沖縄料理、そして高根沢町地元料理の店。

この高根沢町地元料理の店「花紋」以外、ちょっと値段が高いし、沖縄とイタリアなど、チョイスの意味がまるでわからない。
グラピング施設ではバーベキューを推しており、いったいどれほどの人がこれらの店を必要とし、利用するのだろう。