関東の反頼朝勢力を一層し平家打倒が加速した「野木宮合戦」へ。道の駅「かぞわたらせ」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事○設備○立地○)

野木宮合戦とは、寿永2年(1183年)源頼朝に立ちはだかった常陸国(茨城県)志田義弘(頼朝の叔父)を小山政光の子朝政が、野木宮で迎え撃って敗走させた合戦。
関東に残っていた反頼朝勢力を消滅させ、頼朝は関東の地盤を磐石にし、勇躍西上して平家打倒へと加速する節目をなった、歴史的にも非常に重要な一戦と位置付けられる。
頼朝を倒そうとした志田義広は源為義の三男、つまり源頼朝の叔父である。
常陸国志田庄を本拠とし、帯刀先生の職にあったことから志田三郎先生とも呼ばれた人物だ。
1180年(治承4年)、頼朝が挙兵し、鎌倉に武家政権を建てるが、それには加わらずにいた。

いずれ源頼朝討伐を企てていたのだろう。

合戦前の激しい綱引き

3年後の1183年(寿永2年)2月20日。
常陸を発った志田義広は下野に到着した。

この時、平宗盛が派遣した軍や平重衡軍が東国へ向けて進んでいたことから、安田義定、和田義盛、岡部忠綱、工藤親光、宇佐美祐茂、土屋義清らの鎌倉の勇士は駿河に派遣されていた。
頼朝は、残っていた下総国の下川辺行平と下野国の小山朝政に対応を託す。

頼朝に防戦を託された小山朝政の弟の長沼宗政と従兄弟の関政平も助勢のため鎌倉を発つが、このうち政平は出発前に頼朝に暇乞いの挨拶にきたという。
頼朝はそんな政平に二心があると感じたが、その通り、政平はやはり義広軍に加わった。
3日後の2月23日、義広軍三万騎が鎌倉へ向けて出陣する。
誘いを受けて、下野国足利荘を本拠とする足利忠綱も従軍した。
この足利忠綱は小物で、1180年(治承4年)に発せられた以仁王の令旨が小山氏には届いたのに自分には届かなかったことから、拗ねて源氏に反発し、平家軍に加わった人物だ。
義広は、なんと頼朝に頼られている小山朝政にも自分の味方をするよう誘った。

小山朝政の奇襲と死んだふり?

朝政は味方すると偽っておいて、義広を討つ策略を練ることとしたが、返事をするとすぐに義広が朝政の館近くまで来てしまった。この時、朝政の軍は、父政光が大番役で京都にいたために兵のほとんどが京都に行っていて軍勢は手薄だった。

どうするか考えた末に、朝政は自ら屋敷を出て野木宮に隠れ、義広が神社前に来た時に、等々力沢や地獄谷の林の木に登らせていた兵隊に一斉に大声を出させた。その声は谷に響いて、大軍勢を装うことに成功する。
そして、こんなところに大軍勢がいるのかと義広が狼狽しているところへ、朝政軍は攻めかかった。

この時、義広の放った矢で朝政は落馬するも命に別条なし。主人を離れた馬は等々力沢でいなないていたが、この馬を鎌倉から小山へと向かっていた弟の長沼宗政が見つけた。
宗政は兄の朝政が討たれたと思い、兄の仇とばかり義広の陣へ向かい、その途中で義広の乳母子・多和利山七太を討ち取っている。

野木宮合戦の決着とその後

野木宮の西南に陣を引いた義広を、生き返った?朝政と宗政兄弟が東から攻める。そして下川辺行平と弟の政義は、古河と高野などの渡しを固めて、逃げてくる義広軍の兵を討った。
足利有綱と嫡子・佐野基綱、四男・浅沼広綱、五男・木村信綱と太田朝達、八田知家に加え、下妻清氏、小野寺道綱、小栗重成、宇都宮信房、鎌田為成、湊川景澄らも朝政に味方し、源範頼も参戦。

多勢に無勢となって、頼朝に託された小山朝政は、勝利を収めたのである。

この野木宮合戦で本拠地を失った志田義広は、その後しぶとく木曽義仲に合流し、1183年(寿永2年)7月、義仲や異母弟の源行家とともに入京するが、翌1184年(元暦元年)正月、義仲が源範頼と源義経に討ち取られると、逆賊として追討を受け、同年5月4日、逃亡先の伊勢国羽取山で斬首された。

義広が陣を置いた野木神社には、樹齢1200年の巨木・大銀杏がある。

すでにこの戦いの時には300歳だったと思うと、巨木の寿命には驚くばかりである。

道の駅「かぞわたらせ」

道の駅「かぞわたらせ」は、野木宮合戦の主戦場のすぐ西、 埼玉県北端の旧北川辺町(現加須市)にある。

東北自動車道の舘林ICから国道354号線→県道367号線→県道9号線を通って東に10km、あるいは首都圏中央連絡自動車道の五霞ICから国道4号線→国道354号線→県道9号線を通って北西に19km走ったところにある道の駅だ。

駐車場は、施設規模なりの広さはある。

トイレもそんなに大きくはないが、しっかり清掃していただいており、ありがたい。

休憩環境は、とてもいい。

スポーツ遊学館から3県境ショップとパン工房へ

道の駅の施設の他に、かつては渡良瀬遊水地レジャーを支援するスポーツ遊学館があった。2020年4月にスポーツ遊学館が無くなり、その1階に3県境ショップとパン工房がオープン。 既存の物産館兼農作物直売所、レストランに、この2つの施設が新たに加わった形になっている。

新たに加わった3県境ショップ「さいぐんと」では埼玉、群馬、栃木の特産品を販売。

「瞳」「ダイアナ」等のブランドメダカ、「佐野ラーメン」「宇都宮餃子煎餅」「宮ゆずゼリー」「深谷ねぎ煎餅」「日光東照カステラ」等が販売されている。

なお、スポーツ遊学館の2階は「FMわたらせ」のスタジオ、屋上は渡良瀬遊水地展望台になっている。

物産館兼農作物直売所「かぞ市場」

物産館兼農作物直売所「かぞ市場」では、谷中湖や3県境などの市内の名所をプリントした「かぞわたらせ煎餅」や、ピカピカの光沢が特徴的な「加須うどん」、加須市が発祥とされる銘菓「五家宝」、加須市の特産品では無いが、伊勢屋の「みつだんご」、秩父市産の「しゃくし菜のしぐれ」、 栃木県産の「イチゴカレー」などが販売されている。

農作物直売コーナーでは、地産の新鮮な野菜・果物がいっぱい。

「輝きの赤い太陽」という名の卵、「農家の自慢のお米」として地産のコシヒカリもどっさり販売されている。

「二八そば」と「加須うどん」V.S.定食類

「さくら食堂」では、そば、うどん、定食類、カレーなどが用意されている。

「さくら食堂」の名物は本格手打ちの「二八そば」。 「かけそば」「きつねそば」「しめじそば」「肉そば」「かき揚げそば」「海老天そば」等がある。
「かけうどん」「きつねうどん」「豚汁うどん」「けんちんうどん」など、加須市名物の「加須うどん」も、麺類の値段としてはどれも少し高いように思う。

定食類のメニューは全て北川辺産の新米コシヒカリを使用。 特産の「輝きの赤い太陽」を使った「たまごかけご飯定食」「鶏天定食」「餃子定食」「かき揚げ丼定食」等があるが、ご飯も美味しく値段も麺類よりはリーズナブルに感じた、

道の駅近くの地味な観光地

道の駅の近くに2つの観光地があるが、ともにかなり地味なものである。

一つは「日本一大きなハート形」と呼ばれる谷中湖(渡良瀬遊水地)。 もう一つは、日本で唯一の「歩いて行ける3県境」。

谷中湖に関しては道の駅に展望台がある。展望台の高さが足りないため、ハート形を確認するのは無理だし、「恋人の聖地」として幸せの鐘が設置されているが、景色を含めさほどのインパクトはない。

道の駅 | かぞわたらせ | 谷中湖遊歩道

「歩いて行ける3県境」は本駅から約700mの距離にある。3県境は日本の他にも存在するが、どれも川の中とか山の中であり、 気軽に歩いて行って確認できるのは確かにここだけである。
行ったところで、埼玉、群馬、栃木の3県境のプレートと記念スタンプが置いてあるだけ。観光地としてどの程度の価値を感じるか、とてつもない個人差があるだろう。

よほど、野木神社の樹齢1200年の大銀杏の方を見に行く方が値打ちがある(個人的な感想)。

道の駅 | かぞわたらせ | 歩いて行ける3県境