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2025年8月

寅さんが産湯を使った「帝釈天」が由来の名勝「帝釈峡」へ。道の駅「遊YOUさろん東城」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事△設備△立地△)  

「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」 寅さんの実家は門前町の草団子屋で、ご存知柴又「帝釈天」のすぐそば(という設定)だ。 街を歩いて最初に見える仁王門をくぐって寺の境内には(冒頭写真)右手に立派な大鐘楼があり、その手前には寅さんが使った産湯「御神水」がある。 広島県庄原市東城町と神石郡神石高原町にまたがる国定公園・帝釈峡に […]

伊邪那美命(イザナミノミコト)の御陵であり、「ヒバゴン」が棲む「比婆山」へ。 道の駅「たかの」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)

広島県北部、島根県との県境にほど近い位置にそびえる比婆山(ひばやま)。 その山麓の広島県庄原市(旧比婆郡)西城町で、1970年7月20日、身長約1.6m、逆三角形の顔、ゴリラに似た体つきをした謎の類人猿が目撃され、出没地にちなんで「ヒバゴン」と名付けられた。 冒頭は、警察が作成した手配の似顔絵かどうかは知らないが、中国新聞社 1970年10月15日付 に掲載されたものだ。その後もヒバゴンの目撃は相 […]

滝に打たれるわけではないけれど「常清滝」「作木滝」「八千代滝」「吉武滝」の滝旅。道の駅「ゆめランド布野」から(トイレ○仮眠◎休憩◎景観◎食事○設備△立地○)

広島県三次市作木町に落ちる「常清滝」は、落差126mあって、華厳の滝(落差98m)や那智の滝(落差133m)に匹敵するなどという宣伝文句をよく見かける。しかし直瀑としての迫力に満ち溢れる華厳、那智の両滝と、段瀑となって静かに流れ落ちて優雅で美しい常清滝とは、同程度の落差があってもまったく印象が異なる。 100選滝の中でも第5位の落差がある常清滝だが、数値的に高さがあっても三段に分かれて流れ落ちてい […]

「森林浴」と「温泉浴」が同時に楽しめる温泉施設「森の泉」がある道の駅「ふぉレスト君田」へ(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)

♪森とんかつ、泉にんにく、か〜こんにゃく、まれ天ぷら♪ これを何の抵抗もなく口ずさめる人は、間違いなく「還暦オーバー」、いや「アラ古希」なんなら「喜寿」「傘寿」あたりの世代かと思う。ジャッキー吉川とブルーコメッツの名曲「ブルーシャトー」の出だしで、「森と泉」うたわれた?温泉施設が1年ちょっと前の2024年8月1日に復活したと聞いたので行ってきた。 「君田温泉 森の泉」は、昭和63年(1888年)の […]

夏はホラーで涼しく過ごす。「八つ墓村」のロケ地巡りは道の駅「醍醐の里」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観○食事○設備○立地○)

時は戦国時代。 尼子一族の八人の落武者が、山あいの或る村に流れ着いた。 懸けられた恩賞金に目がくらんだ村人たちは、八人を惨殺。その後、村では、奇怪な事件が頻発する様になり、村は「八つ墓村」と呼ばれるようになった。 400年後。 東京で働いていた寺田辰弥は、ひょんなことから妖艶な未亡人・森美也子に導かれて自分のルーツがあるという旧家・田治見家を訪ねる。 長らく縁が途絶えていた辰弥が田治見家に戻ってき […]

私にとってもっとも大切な「食の神様」が祀られている「大粟神社」へ。道の駅「温泉の里 神山」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事△設備△立地△)  

創建年代は不詳だが、古来いろいろな社号で呼ばれていた「大粟神社」。 現存しているものだけで、なんと14枚もの棟札があるという。 祭神「大宜都比売命(おおげつひめのみこと)」は昔伊勢国丹生の郷より阿波国に来られ、国土を経営し、この地一帯に粟を蒔き広めた「五穀を司る神」、つまり「食の神様」。大粟神社には、食物の神さまが祀られているのである。 粟(あわ)は五穀のひとつで、日本では米よりも古い最古の穀物と […]

東京オリパラでメダル荒稼ぎの「ドイツ・カヌーチーム」が合宿した道の駅「もみじ川温泉」へ(トイレ○仮眠○休憩○景観◎食事○設備○立地○)  

道の駅「もみじ川温泉」は、宿泊できる温泉施設に併設された道の駅である。あるいは、「もみじ川温泉」は、道の駅「もみじ川温泉」の施設の一つである。どっちゃでもいいが、エメラルドグリーンが美しい「川口ダム湖」のすぐそばにあって、景色もとても素晴らしい温泉だ。 ところで川口ダム湖といえば、ダム湖周辺のエメラルドグリーンの川には流れがほとんどなく、激流の中をゲートを通過しながらタイムを競う「スラローム」以外 […]

消えた「わじき温泉」のあと「四国八十八箇所」第22番札所「平等寺」へ。道の駅「わじき」から(トイレ△仮眠△休憩○景観△食事○設備✖️立地○)  

鷲敷(わじき)町は、那賀川中流域で最大の町だ。 最大といっても人口は3,000人あまり。そのまちはずれ、那賀川の名所『鷲敷ライン』で川が蛇行する郊外地に「わじき温泉」が、最新版の地図上で確認できた。 とにかく鄙びた温泉、というか寂れた温泉が大好物な私である。 「わじき」という地名の響きからして匂う。それも、かなりいい匂いがする。 期待に胸を大きく膨らませて、早速「わじき温泉」に向かった。 さて 地 […]

難所中の難所・第21番札所「太龍寺」へは車よりさらに楽なロープウエイで。道の駅「鷲の里」から(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事○設備○立地○)  

「阿波の三難所」の一つと言われる太龍寺は、四国山脈の東南端、標高約618mの太龍寺山頂にある。 しかし今では、車よりもさらに楽に、ロープウェイで登ることができ、そして山頂駅に着いて本堂へ続く石段を歩くと、そこには直ちに見事な黒門が出現する。 ちなみに、四国巡礼者にとって屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウェーが開通したのは1992年のこと。それまでは、私のようにクルマ遍路で楽をしようとしたとこ […]

「四国八十八箇所」の難所の一つ第20番札所「鶴林寺」へ。道の駅「ひなの里かつうら」から(トイレ△仮眠△休憩◎景観△食事○設備△立地○)  

四国に行った際には、「四国88箇所」をランダムに、コツコツ、回るようにしている。「歩き遍路」は私にはとても無理なので、車での「なんちゃって遍路」ではあるが(笑)。 今日訪れたのは、四国八十八箇所霊場の第20番札所「鶴林寺」。 勝浦郡勝浦町にある、もちろん高野山真言宗の寺だ。 遠くに和歌山や淡路の山々と太平洋を望む標高470メートルの鷲が尾の山頂にあって、山裾より急坂で幽寂な遍路を約4km、よほどの […]

美しいのか、それとも無惨なのか、大阪城へ巨石を届けた小豆島。道の駅「大阪城残石記念公園」から(トイレ○仮眠○休憩○景観△食事◎設備○立地○)  

この景色を見て、美しいと感じるか、無惨だなあと感じるかは、人それぞれかもしれない。私の場合は、山を削って石を取り出した跡が剥き出しのこの景観を、とても無惨に感じてしまう。 日本三名城の一つに数えられる大阪城の、見どころの一つは巨石が積まれた「石垣」だが、その代表的な巨石は、400年前に小豆島から切り出されたものだ。 大阪城は、豊臣秀吉によって築城されたが大坂夏の陣で落城。その後、徳川秀忠から大坂城 […]

「八日目の蝉」の小豆島は、夏こそが悲しくも美しい。道の駅「小豆島ふるさと村」から(トイレ○仮眠◎休憩○景観◎食事○設備◎立地○)  

瀬戸内海に浮かぶ小豆島は、オリーブ畑と海が織りなす異国情緒あふれる側面と、昔ながらの醤油蔵や小豆島八十八ヶ所霊場など日本の原風景的側面が混在している。 風景としては、海の中に砂浜の道が現れる「エンジェルロード」、ロープウエイからの絶景が素晴らしい「寒霞渓(かんかけい)」、島のど真ん中に広がる「中山千枚田」が私的トップ3だ。 春夏秋冬それぞれの美しさがある小豆島だが、多くの人は「秋」、特に10月から […]

何度観ても号泣してしまう「二十四の瞳」の舞台「岬の分教場」へ。道の駅「小豆島オリーブ公園から(トイレ○仮眠△休憩○景観◎食事△設備◎立地○)  

ご存知『二十四の瞳』は、太平洋戦争の終結から7年後の1952年に壺井栄が発表した小説だ。 作者の壺井栄は自身が戦時中を生きたが、この小説によって、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を後世に伝えようとした。 小説の発表から2年後、1954年(昭和29年)に公開された映画「二十四の瞳」は、壺井栄の原作を監督・木下惠介が映画化した、今も日本映画の歴史に残る不朽の名作である。 小豆島の「おん […]

80年前までの50年間は「四十連隊」「五十五師団」などが激しい軍事訓練を繰り返していたのに、それ以降の80年間を費やして今や1,000を超える「連」が自由に踊り狂う、最高の国になった日本。

例えば、今では年間100万人以上が訪れる観光地となった鳥取砂丘は、今から130年前、1896年に陸軍歩兵第四十連隊(鳥取)創設を機に砂丘訓練が始まって以来、終戦まで半世紀にわたって激しい軍事訓練が実施されてきた「軍事演習場」だった。 私の父の兄たち4人は海軍に入隊。フィリピンのミンダナオで戦死したが、私の母の父、私にとっては母方の祖父は、昭和12年、母の誕生直後に陸軍に招集され、陸軍歩兵第四十連隊 […]

京都府と大阪府の「府境」に隣接する3つの温泉をハシゴ。あらためて、温泉の「価値」なんて人それぞれ。そこに何を求めるかで選ばないと。

ラッセンよ〜り普通〜に〜、温泉が〜好〜き。 そんな私だって、どんな温泉でも、温泉ならいいと言うわけではない。 誰にだって、自分好みの温泉というものがあるだろう。 たとえば私の地元、兵庫県には「有馬温泉」「城崎温泉」という絶対的な存在がある。 どちらもクオリティが非常に高いので、冬はカニもあるので城崎へ、夏場はさっと行き帰りできる有馬温泉へ、みたいな棲み分けをできたらそれに越したことはないのだが、ど […]

「天スタ」→「ミンミン」→「餃子の王将」→「大阪王将」→「天平」→「群愛飯店」→「赤萬」。餃子食べ比べツアーは2万円也、物価高を痛感w

夢でも見たのだろうか、今日は朝起きると完全に「餃子の口」になっていた。餃子は、私の「最後の晩餐」に決めているほどダントツの大好物で、旅の間も車中泊の就寝前には、テイクアウトの餃子とビールで1日を締めることが多いので、禁断症状ということでもないはずなのだが。でも「餃子の口」になってしまっているので、これはもうどうにもしようがない。たまには電車移動で、心置きなく昼間から堂々と?ビールを飲んで、餃子の数 […]

インバウンド比率70%の奈良駅前「音宵」へ。インバウンド比率ほぼ0%の道の駅「奥河内くろまろの郷」から(トイレ○仮眠✖️休憩△景観△食事△設備△立地△)  

中国・山陰の旅から帰って来た翌日は、奈良へ。近畿圏の道の駅では最も成功していると言われる「しらとりの郷・羽曳野」を経営するJA大阪南が、同じコンセプトとノウハウで二匹目のドジョウをゲットしていると聞いて、道の駅「奥河内くろまろの郷」へ。 そこは間違いなく日本人100%。 参政党が目指す?外国人を排除してごった返す、彼らの目指す「日本のあるべき姿」だった。道の駅を出てから、恩人・蔵野さんの財団で、や […]

出雲湯村温泉元湯「漆仁の湯」〜「光明寺」〜「龍頭が滝」へ。道の駅「おろちの里」から(トイレ○仮眠○休憩○景観○食事✖️設備△立地○)  

緑豊かな中国山地に囲まれた斐伊川中流に佇んでいて、静けさの中、相当にひなびた趣がある温泉。と、こうくれば、まさに私ごのみ。ストライクゾーンど真ん中である。「出雲湯村温泉」は、完本として現存する唯一の風土記「出雲国風土記」にも「漆仁(しつに)の川辺の薬湯」として記されている歴史ある温泉地で、その場所はヤマタノオロチ伝説が残る斐伊川の中流。大自然に囲まれた山あいの秘湯として、地元の人々はもちろんのこと […]

程よく鄙びた海潮温泉で一泊。翌日朝から「意宇六社めぐり」をじっくりと。道の駅「さくらの里きすき」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観◎食事○設備◎立地◎)  

島根県松江市には「意宇六社めぐり」という巡拝コースがある。 意宇と書いて、「おう」と読むのだが、この地方には「国引き神話」というものがあって、これは八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が出雲の国を大きくするために、他の国の土地を引き寄せてつなぎ合わせたという神話だが、出雲国風土記には、この国引きの時に「意恵(おうぇ)」と詔(みことの)りたまひき、故、意宇(おう)と云う」とある。 「国引きを […]

「日本一の石の鳥居」より「郷原漆器」のほうが圧倒的に価値あり。道の駅「風の家」から(トイレ○仮眠○休憩◎景観○食事○設備○立地○)

郷原宿(真庭市蒜山西茅部)は、美作・伯耆両国を結び、大山参詣や牛馬市へ向かう人々が盛んに行き交った「大山みちの宿場町であり、戦前まで盛んに作られていた「郷原漆器」の産地集落だった。郷原漆器は主に栗の木を使い、輪切りにした生木をろくろで挽く独特な製法で椀や皿を作る実用的な製品で、その始まりは明徳4年(1393)など諸説があるが、少なくとも江戸時代には漆器の産地として広く知られるようになっており、地元 […]